Part 2
第9章 キリスト教終末論のゆくえ?
8.「未来感覚」と歴史の神学
2011/07/25
ブルトマンを中心とする実存論的終末論←60年代にきびしい批判=新しい動向
ユルゲン・モルトマン
カント主義の影響による世界喪失を克服
神学における世界の回復
ボルフハルト・パネンベルク
not
実存論神学−歴史=人間実存の歴史性に限定−神の啓示の拠点
救済史学派の立場−一種の超歴史的なもの−啓示の場所
but
この歴史的世界全体−普遍史=啓示の舞台−神学における歴史の回復
シャルダン−類似した動き
巨大な進化過程−進化感覚−「神のオメガ(終局)点」(進化の原点としてのキリスト)
未来への普遍的信仰−進歩・進化への信仰、再臨への期待、偉大な終末論的変貌
モルトマンによる新しい動向−注目点
カント主義の批判とその克服の問題
カント主義の根本問題性−物化と主観性の分裂
物化−世界の物化という事態
デカルト以降の近代精神
自律的人間理性−因果関係−合理的機械論的自然観の形成
カント−必然的因果性支配−作用連関のメカニズムとしての世界理解の確立
主観性−神への道
対象化されえない超越論的主観性−実践理性の領域のみ
具体的世界−神学的視野から脱落−人格主義の支配
信仰と政治、教会と社会、伝道と倫理−二分化
キルケゴール−カントの二元論の徹底
逆説的対立性−理論的無神論 vs 実存的内面性、客観的喪失 vs 主観的敬虔−和解不可能な弁証法
ブルトマンの終末論−典型的
not 普遍史に関わる事柄 but 時間における永遠なるものの逆説弁証法的現在、「永遠の今」における本来的な自己実現に関わる出来事
具体的世界・客観的歴史→喪失、主観性への集中
カント主義の問題の克服−神学上の重要なアジェンダ
モルトマンとパネンベルク−克服の道をヘーゲル主義の方向に
『カントとドイツ観念論』−有限者を超越し、有限者から断絶した絶対者の立場を否定
ヘーゲル−無限者と有限者
もはや対立せず、自然界 vs 道徳界、現象界 vs 物自体界−分離されなくなる
ただひとつの世界の二つのモメント(契機)−歴史的世界は自然界と道徳界を含む包括的世界
ヘーゲル−歴史の過程=目的論的に把握
歴史−精神の自己実現の過程−精神は歴史的過程を経て真実態を
すべての歴史的段階−目的実現のための手段−歴史のうちには神の摂理
神 or 精神−自己を啓示することを終極的目標として−歴史の過程を支配
歴史の運動−精神の実体を解放する過程−世界の絶対的終極的目的が遂行
即自的に存する精神→自己を意識・自覚→自己の真実の本質を啓示→現実性に
世界史を一貫する−世界精神の意図 or 秩序=「神の摂理」
神が己の究極の目的−正義の地上実現
人間をして行わしめる−労多き多彩な舞台劇
ヘーゲルの歴史観−ひとつの神義論
モルトマン
not 世界−死せる合理的機械論的メカニズム but 変化・流動する歴史的世界
人間の経験になかった新しいもの−生起する可能性−未来に向かって開かれた世界=聖書の立場
この世界理解に立って−聖書の具体的な解釈
中心的なこと−「神の約束」→希望−「究極的な新しさ」への未来待望を生む
その根拠=キリストの復活
復活− both 未来の解放・自由を約束 and 未来のキリストの到来、義の到来、生命の到来、神の国の到来の「先取り」・保証
約束と希望の構図−具体的歴史を地平に
今までの終末論−歴史主義の克服→歴史を喪失
客観的な史実的(historisch)歴史=「非本来的なもの」 or 「単に二次的なもの」
原歴史、ケシヒテ=iGeschichte)、実存史へと逃避
モルトマン−世界史=神に関するキリスト教的論述のすべてを含む
教会−派遣されたこの世界に無限の将来の地平を開示
神の国− not 歴史の「外に」「彼岸に」 but 歴史の「中の現実」
今日の歴史の時点でなすこと−未来において歴史的現実となる「神の国」−連続性
未来終末論の提唱
従来−終末論から切断 or 対立するものとしての扱い
聖書の終末論的使信の不当な「還元」(ベルカウアーの指摘)
黙示文学的なものの再評価
宇宙大の広がりをもつキリスト教の終末論的希望
信仰における忍耐の激励的契機
モルトマン、パネンベルク−終末論における新しい動向
多くの歓迎すべき強調点
20世紀の非神話化論の頂点・一種の現代的神秘主義−実存論的神学への矯正的な働きの功績