Yasukuni and Public Philosophy
稲垣 久和 著:靖国神社「解放」論
2011/07/19
目次
序章 なにが問題なのか?
日本警察による教会焼き討ち事件の証言者
「靖国問題」は過去の記憶と歴史認識につながっていく
問われているのは日本のアイデンティティ
ノ・ムヒョン大統領の発言と中国の反日運動
他のアジア諸国のメディアと指導者の反応
あまりにも大きな他国との認識のズレ
国家に歪められた宗教感情
靖国信仰という名の「宗教的原理主義」
「公、私、公共の三元論」による解決の道
第1章 靖国問題解決のための「公共哲学」―公私二元論の呪縛を超えて
公私二元論から「公、私、公共」の三元論へ
日本では「公」「私」の区別が曖昧
「公共」からの発想が必要とされる理由
日本における「公」とはなにか?
権力を具備した「国家=公」の登場
人間だけが問いかける「私」とはなにか?
エリクソンの「私」のアイデンティティ
アイデンティティからジェネラティヴィティへ
滅私奉公から活私開公へ
私の幸福も認めるが、同時に他者の幸福も認める
幸福を求めて「私を活かす」
幸福論の変遷-ギリシアから近代功利主義まで
「国家主権」から「市民主権」へ
「公私二元論」の殻に閉じこもる靖国問題論議
国家主権論から領域主権論へ
公共の場で霊性は排除されるべきではない
福祉装置としての国家の確立をめざす
国民主権、当事者主権、市民主権
「領域主権」を歴史をさかのぼって検証する
反靖国派にも根強い公私二元論
いまこそパラダイム・チェンジが必要
国家館の転換をはかり国立追悼施設を
宗教をこそ問題にしなければ解決不可能
第2章 滅私奉公イデオロギー―靖国の正体
国家神道の構造
日本の伝統とは無縁の政治宗教
天皇の「絶対化=神格化」こそが問題
国家神道の矛盾したあり方
祖先祭祀とイエ、ムラ、クニ
クニと靖国神社
日本仏教も滅私奉公に加担した
キリスト教と国家神道
条件付きの信教の自由しか許されなかった
キリスト教徒までが靖国で戦勝祈願
第3章 靖国的原理主義の回避―「戦没者への哀悼」を再考する
なぜいま、「靖国」がよみがえるのか?
国民的追悼の場所がどこにもないという現実
グローバリズムの中でのナショナル・アイデンティティ
小泉首相の年頭記者会見に見る自閉的兆候
戦没者への哀悼の諸相
追悼のために靖国参拝する愚
では、いったい誰を追悼するのか?
国民国家の宗教性
ナショナリズム高揚のための宗教利用
公私二元論を超えたところにある「公共宗教」
原理主義のグローバリズム
世界に広がる宗教的ナショナリズム
米国的原理主義と靖国的原理主義の共通点
原理主義はモラルの低下とともに強くなる
第4章 「伝統」を尊重するからこそ反対する靖国参拝―日本人識者による「靖国論争」を再考する
戦後日本と「国民道徳」
個人主義の行き過ぎとモラルの低下
「公」へと傾斜する西部氏の「道徳」
「伝統」とは「神話の国民的共有」なのか?
日本の伝統と「和の思想」
「和をもって貴しとなす」の真意とは?
日本は世界の思想が織りなす重層社会
日本の伝統と「武士道」
キリスト教の隣人愛に通じる精神
『国家の品格』が見落とした国家論と宗教の関係
絶対的主権とはなにか?
言論人からの批判
条約を順守するかしないかの問題
アジア外交で繰り返される「翌年の法則」
第5章 歴史認識のズレはこうして生まれる―人間の異なる「記憶」を和解させるには
戦争の記憶とA級戦犯
癒えることのないアジア近隣諸国の傷
戦争責任を自ら追及できなかった日本
戦争指導者と一般市民の線引き
「線引き」を踏みにじる靖国参拝
記憶、その個人性と集団性
記憶とはなにか?記憶を共有することは可能か?
記憶をつくりだす四つの「環境」
「バカの壁」という視点から見えてくるもの
靖国的原理主義こそ「バカの壁」ではないか?
多層性を持つ「意味」の世界
記憶から歴史へ
歴史家に、哲学や歴史観がないという不思議
出来事の「説明/理解」が欠かせない
歴史認識とアジア太平洋戦争
「歴史的)神話」はなぜつくりあげられるのか?
原理主義を克服するためにも歴史観が必要
私たちが持つべき歴史観とはなにか?
戦争犠牲者の追悼とは?
慰めるべき霊ではなく、悲しみを持つ人々
「公共圏」での追悼のあり方を考える
記憶されるべき人は靖国にはいない
過去を記憶し、「公共の和解」へ
第6章 新たな追悼と記憶のかたち―「精神の自由」「心の問題」という欺瞞
精神性と霊性〔スピリチュアリティ〕
首相は「精神の自由」を言う立場にない
スピリチュアリティはリアルに存在する
公共的霊性とはなにか?
市民の犠牲を悼むための公共的霊性の場
宗教自体が国家権力から脱却すべき
アイデンティティの問題
記憶される人々
謝罪と赦し
赦しから和解へ
韓国人からの「赦し」と「和解」
オランダ人女性の「赦し」と「和解」
誰が「喪の作業」(グリーフ・ワーク)をすべきか?
「公共の記憶」の形成のために
おわりに 「靖国」という呪縛からの解放をめざして