古代の正統信仰と福音派

関連資料

11/07/19


  1. 使徒信条

  2. ニケヤ・コンスタンチノープル信条

  3. カルケドン信条

  4. アタナシウス信条


  1. 使徒信条

    1. われらは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

    2. われはその独り子、われらの主、イエス・キリストを信ず。

    3. 主は聖霊によってやどり、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり、かしこより来たりて生ける者と死ねる者とを審きたまわん。

    4. われは聖霊を信ず。

    5. われは聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。

    6. アーメン。

  2. ニケヤ・コンスタンチノープル信条

    1. われは全能の、天地と見えるもの、見えないもの一切のものの造り主なる唯一の神を信ず。

    2. また、神の独り子にして、すべての世の先に父から生まれた神の神、光の光、真の神、生まれられて造られない、父と同一の本質にいます主イエス・キリストを信ず。

    3. 彼によりて一切のものは造られた。

    4. 彼はわれら人間のため、われらの救いのために天より下り、聖霊によって処女マリヤより受肉したもうた。

    5. また、われらのために、ポンテオ・ビラトの下にて十字架につけられ、苦しみを受けて葬られた。

    6. また、聖書に応じて第三日によみがえり、天に昇り、父の右に座したもうた。

    7. また、彼は生ける者と死ねる者とを共に審判するために、栄越えをもって再び来たりたもう。

    8. 彼のみ国は終わることがない。

    9. また、われは父(と子と)よりいで、父と子と共に礼拝せられ崇められる生命の主、賦与者なる聖霊を信ず、預言者は彼について預言した。

    10. また、われは一つの聖なる公同的、使徒的教会を信ず。

    11. われは罪の赦しのためのひとつの洗礼を承認する。

    12. また、われは死者のよみがえりと、来たるべき世の生命とを待望する。

    13. アーメン。

  3. カルケドン信条

    1. われらは聖なる教父たちの例にならい、一つにして同じ御子、我らの主イエス・キリストを告白しまた教えることに同意する。

    2. 神性において同じように完全で、人性においてもまた完全である、真の神にして真の人なる魂と肉体を持ち、神性によれば父と同質で、人性によれば我らと同質である、罪のほかはすべての点においてわれらのような、神性によればすべての世の先に生まれたまい、人性よりすればこの世においてわれらのために、われらの救いのために神の母である処女マリヤより生まれたもうた。

    3. 一つの同じキリスト、御子、独り子は、二つの性質において、混同せず、変化せず、分割せず分離せず、に認められるべきである。

    4. 二性の区別はその結合によって解消したのではなく、各性質の特性は一つの人格一つの本質の中に保たれ共存する二つの人格に分離または分割されずして一つの同じ御子、独り子、言なる神、主イエス・キリストである。

    5. これは預言者たちによりて最初から宣べ伝えられたところであり、また主イエス・キリストがわれらに教えられ、聖教父たちの信条がわれらに伝えたとおりである。

  4. アタナシウス信条

    1. だれでも救われるには、まず公同的信仰を奉ずることが必要である。

    2. 全体を欠けなく保持するのでなければ、疑いもなくわれらは永久に亡び行くであろう。

    3. 公同的信仰とはこれである。すなわちわれわれは三位において一神を、一致において三位神を礼拝する。

    4. 人格を混合せず、本質を分かたない。

    5. それは父に一人格あり、子にも一人格あり、聖霊にも一人格がある。

    6. しかも父と子と聖霊の神格はすべて一つであり、栄光は等しく、威厳も同じである。

    7. 父があるように、そのように子もあり、聖霊もありたもう。

    8. 父は造られず、子も造られず、聖霊も造られない

    9. 父は無限、子も無限、聖霊も無限である。

    10. 父は永遠、子も永遠、聖霊も永遠である。

    11. しかもなお三つの永遠者がいますのではなく、唯一の永遠者がいますのみ。

    12. また、同じように三つの非被造者がいますのではない。あるいはまた、三つの無限者がいますのではなく、ただ唯一の非被造者、唯一の無限者がいますのみ。

    13. 同じように父は全能、子も全能、聖霊も全能である。

    14. しかもなお三つの全能者がいますのではなくて唯一の全能者がいますのみ。

    15. このように父は神であり、子も神であり、聖霊もである。

    16. しかも三つの神であるのではなく、唯一の神である。

    17. 同じように父は主であり、子も主、聖霊もである。

    18. しかもなお三つの主ではなくて唯一の主である。

    19. なぜならわれわれはキリスト教的真理によってこう確信させられるように、各人格を各自神であり主であると認める。

    20. それゆえにわれわれは公同的宗教をもって三神ありまたは三主ありと言うことを禁止される。

    21. 父は何物からでもなく、作られず創造されず、生まれない

    22. 子はただ父からであって、作られず、創造されず、しかし生まれたもうた

    23. 聖霊は父と子からであって、作られず、創造されず、生まれず、しかし出でたもう。

    24. それゆえに一人の父であって三人の父があるのではなく、一人の子であって三人の子があるのではなく、一人の聖霊であって三人の聖霊があるのではない。

    25. かつこの三位一体の中心ではだれも先後がなく、大小もない。

    26. しかし全三人格は同位同等である。

    27. それゆえにすべてのことにおいて、前言のように、三位における一致と一致における三位が礼拝されるべきものであるとなす。

    28. 救われようとする者はこのように三位一体を考えるべきである。

    29. さらに永遠の救いには、われらの主イエス・キリストの受肉をも正しく信ずることが必要である。

    30. 正しい信仰はわれらがこのように信じこのように告白するものである、すなわちわれらの主イエス・キリスト、神の子は神にして人であると。

    31. 父の本質であって、世が存在するまえに生まれたもうた神。彼の母の本質であって、世に生まれたもうた人である。

    32. 完全な神であって合理的魂と人間的肉体よりなる完全な人間である。

    33. 神性からすれば父と同等であり人性からすれば父の下位である。

    34. 彼は神であって人であるけれども、しかも二者ではなく唯一のキリストである。

    35. 神性の肉への転化によってではなく、神性に人性を加えることにより一者である。

    36. 一者といっても本質の混同によってではなくて、人格の一致による一者である。

    37. それは合理的魂と肉体とで一人の人間であるように、神と人とで唯一のキリストである。

    38. 彼はわれらの救いのために苦しみを受け、陰府に下り、第三日に死者の中からよみがえられた。

    39. 彼は天に昇り、全能の父なる神の右に座したもうた。

    40. かしこより彼は生ける者と死ねる者とを審判するために来たりたもう。

    41. 彼の来たりたもう時、すべての人は自己の身体をそなえてよみがえる。

    42. こうして各自が行なった業に従った報酬を得る。

    43. 善を行なった者は永遠の生命に入り、悪を行なった者は永久の火に入れられる。

    44. だれであってもこれを忠実に信じるのでなければ救われない公同的信仰とはこのようなものである。