ICI ホームページ表紙 福音主義神学研究A 重要な三つの要素 使徒的信仰 古代の正統信仰 宗教改革の三大原理 近世の四つの流れ 信条と正統主義 敬虔主義と自由教会 リベラリズム 日本の主流派教会 米国人の宗教意識 福音派の主要潮流 神の社会的派遣 聖霊論
福音派の源流と歴史的遺産
G近代のリベラリズムと福音派
16/04/12
(a)啓蒙思潮
合理主義の祖デカルト
ガリレオ以後の近代科学
人間中心主義の歴史研究
古文書を理性的批判の検察に… ライマールス著「ヴォルフェンビコュッフェル断片」
宗教評価の上での相対主義… レッシング「賢人ナータン」
進歩への信頼
カントー理論理性と実践理性
* 春名師「キリスト教哲学序説」
(b)リベラリズム
@リベラリズムー批判・改革の道ではなく、適応・適合の道
AJ.トーランド「神秘的でないキリスト教」* ・理性的真理に限定し、伝統的教義を否認
Bケニス・コーセンー自由主義神学の三つの原理
連続性の原理―・・超自然界→自然界内のひとつの領域、超越→内在
啓示→人間自身の洞察、直観
反逆としての罪、全的堕落性→人間の本質的善性
降誕、贖罪、復活、昇天、再臨(超自然的)→教師、改革者、理想(人間イエス)
全人類の父なる神=救われる者と滅びる者の区別の除去
天国と地獄の区別の除去
クリスチャンとノン・クリスチャン、教会とこの世の区別の相対化
人間理性と体験の自律性の原理
聖書の霊感説、無謬の規範、伝統的教義→理性、宗教経験の強調
聖書の組織的・系統的教え→宗教経験の分析・意義の解明
経験上の足がかり・応答により教理・神学的言明の判定
・教義・教理・信条的正しさ→実際的活動の有効性・一致協力
人間の生、歴史、世界に対する動態的な見方
教会の教理・規定=すべて暫定的・途上的なもの
創造・堕落・原罪の教理の再解釈、愛の倫理の漸次拡大としての神の国
絶えず進歩発展する世界の宗教史の一部分、歴史的相対化
(c)福音主義同盟
@J.G.メイチェンー「全然別の種類の宗教」
A福音主義同盟―
聖書の神的霊感および神的権威、聖書の充分性
聖書解釈における個人的判断の権利および義務
三位一体の神
アダムの堕落の結果としての人間の全的堕落性
神のひとり子の受肉、人間の罪のための彼の贖いのわざ、彼の仲保的とりなしと支配
信仰のみによる罪人の義認
罪人の回心および聖化における聖霊の働き
霊魂の不滅、肉体の復活、正しい者の永遠の祝福と悪い者の永 遠の刑罰を伴う、主イエス・キリストによる世界の審判
キリスト教伝道者職の神的制定、洗礼と聖餐の二礼典の義務とその永遠性
* D.ブローシュ"The Essential of the Evangelical Theology"
(d)20世紀における“新しい発端”―カール・バルト
@カール・バルト
A日本のプロテスタント神学
意思的・情緒的タイプのキリスト教→バルトの弁証法的神学による知的側面の付加
保守神学からではなく、自由主義神学からでたバルト神学=近代理性との葛藤を経て生れた神学
聖書=神のことば(直接的同一性)とは違った仕方で、聖書を神のことばとして受け取る道を提示
混乱していた神学状況→教会の宣教に奉仕する学としての神学
日本の思想界でのバルト神学の認知
Bバルトの聖書観…福音理解のアキレス腱
啓示…自由主義の内在論(人間の側に重き)→超越的な神の独占行為としての啓示(稲妻のような出来事、ハプニング)
聖書−「そのような出来事としての啓示」に対する証言=特定の人間によって、特定の状況の中で、特定の言語と、特定の意図をもって書かれた人間の証言文書
聖書の可謬性−堕落した被造物(例えば人間の言語)を媒介にして、また実際に誤りを犯す人間によって書かれた(世界像、人間観、歴史的記述における誤り、宗教的神学的な矛盾、文化的制約性)
神のことば−「まったく人間的で誤りのある聖書」→神のことばになる…how−神が起こされる奇跡、聖霊のミステリー=啓示的出来事
「一種の出来事の神秘主義」・・信仰をもって聖書を読むときに神は可謬な聖 書を通して誤りのない神のことばを実存的に語りかけられる
弁証法的思惟形式…客観的な意味での直接的同一性の立場許さず
バルトの霊感説…聖書の無謬性を保証する聖霊の一回的な働きを意味せず
CC.ヴァンティルのバルト批判* バルトのような聖書観に立つとき、ついには神そのものを、そして福音の真 理そのものを確実に知ることが不可能になる
(e)現代の「神学的アナーキー」と福音派
* W.ホーダーン…・20世紀は神学における最も活発な時代「神学の急進化と神学的暗黒」
1・相対立する多様な見解による論争
2・現代神学の過渡的性格
3・神学的暗黒、神学的アナーキー
@神は不可知論のかなたに(神観)
神理解における革命(ティリッヒ)…超自然の世界の否定→この世界の現実のみ−神はこの世界の外や上にではなく、この世界の内に、私たちの存在の深みに
内在的アプローチ… 水平的思考「神は、わたしたちの生のただ中において彼岸的」(ボンヘッファー)
人間論的思考…「神について語ることは、自分自身について語ること」(ブルトマン)
内在的超越(シェリング)−外や上にいます人格的存在者→存在そのもの、存在の根底、存在の力
直感的神秘−実存に深く沈潜、直感的に体験、名状しがたい神秘=一種の意味上の不可知論
神の死の神学−神が存在されるとしても、もはや神がいかなる方であるか知りえない
不可知論からの脱出−神への誠実(ロビンソン)「私はどのようにして恵み深い神を見出すことができるか」→「私はどのようにして親切な隣人を見出すことができるのか」
A「拠り所がこわされたら」(聖書観)
神の啓示=福音理解の拠点ー「キリスト教の命運は、ひとえに神の啓示の実在性にかかっている」(バービンク)
神の自叙伝ー「自叙伝なしで創作する伝記はひっきょう作者(人間)の想像と思弁の産物」
啓示の否定論−リベラル派の一部
神=確実な認識の及ばない不可知的なミステリー、人間の神概念=神に関する人間の記述は字義通りの意味を持ちえず、それらは象徴、比喩にすぎず(ヒューム、カント)
啓示における命題的真理・概念的知識の確実な伝達−疑問視
啓示における捕え方に決定的な転換
啓示>(切断)<神と霊的世界に関する客観的知識の伝達
啓示=宗教意識、人格的な出会い、実存的な出来事
「啓示された真理などというようなものは存在しない(ウィリアム・テンプル)」
「神は啓示において情報を与えない。神は交わりにおいてご自身を与えられる」(ジョン・ベイリー)
* 対立的認識という誤りー「ことば啓示」と「行為啓示」、「命題的真理」と「実存的な出会い」
* 信仰的認識における不確かさ、教理上の混迷
聖書の「非神話化論」・・聖書全体が古代神話
「真の啓示」と「疑似啓示」の判断基準=人間の主観的判断
人間と神の真の出会い−確かな指示、情報=聖書
聖書の啓示
* 歴史における神の行為とそれに対する説明
人格的な出会い(Personal, Existential)・・実存的側面
真理の伝達 (Cognitive, Prepositional)・・認識的側面B「他者のための生きかた」(キリスト観)
19世紀自由主義−救い主から神性を剥奪し、救い主を人間化
* 「神意識を最高度に発揮した人(シュライエルマッハー)」
* 「人間の自己形成のための崇高な模範(シュトラウス)」
20世紀の神学
* ヒューマニスティックなキリスト像を批判、訂正(バルト)
* 60年以後−キリストの人間化の主張ふたたび
* 人間イエスの実相−不可知な謎(ブルトマン)
他者のための生きかた(ロビンソン)
* 超自然的立場(伝統的立場)
“神・人”として超自然的なものと自然的なものをご自身の人格の中で統一「神は生まれては死ぬ」という古代神話を下敷にして描かれている
* 自然主義的立場(19世紀自由主義)
イエスは崇高でありとも一人の人間としての理解
* 中間的立場(ロビンソン)
* イエスは神に対してまったく「透明・トランスペアレント・」になった
イエスは根本的にはひとりの人間にすぎなかった→自己を神にささげきった →それによって神(存在の根底)との一致を経験→神を写し出す→単なる人間以上のキリスト
* 「“神格化”された人間イエス」の今日的意義ー神的なものとの一致→愛の完全な継承→他の人々
C「社会変動の人間化」(救済観)
神学運動・・政治的神学・解放の神学…・・罪=あらゆる形態の社会悪、政治的抑圧という線で
『希望の神学』ユンゲル・モルトマン−主要な罪=社会的政治的抑圧による経済的疎外、政治的疎外、人種的疎外(貧困、飢餓、病気、社会的苦しみ)
聖書の中心思想=社会変革による人間解放の運動
* 科学技術支配による社会変動を人間化(人間らしく)すること
* WCCバンコク会議(1973)−政治的色彩の強い救済論
教会=現状維持勢力から社会変革の中に働かれる神に仕える
* “救い”の新しい理解−大切な契機
* 人間の生全体(霊的、肉体的のすべて)との関わりにおいて全体的に理解
* 現代社会の具体的コンテキストの中で追及・具現化
* “救い”の新しい理解−課題
* 根本的視点=「社会変動の人間化」−社会的、政治的に人間の外なる面の改造
* 聖書的救済論=人間の内的根源的変革−十字架の恵みによる贖罪経験→全人格的な再生・回心→真の人間化
* 聖書の社会論=世界管理・文化命令を課せられている人間→社会改造の鍵を握る者
Dヒューマニズムの倫理と「新道徳」(倫理観)
英国教会「性と道徳」報告書ー 婚前・婚外交渉(必ずしも聖書の倫理に反せず)ー 妻の姦通(ただちに離婚の理由とすべきではない)
リベラル派−新道徳が次第に定着ー* ジョセフ・フレッチャー「状況倫理」=ヒューマニズムの倫理
旧来の方法−聖書から不変の道徳律を引き出し、生活行動を一律に取り扱う
新しい方法−一人一人の人間をケース・バイ・ケースで扱う人が置かれている実存的状況を中心に考えていく(いかなる行為も状況から離れてそれ自体で“悪”とみなされることはない)
イエスが証しされたアガペーの愛があるかないか(唯一の倫理基準)
目的は手段・方法を正当化する
(f)結び* 自律的理性の立場に立つ近代哲学・近代科学に“適応・適合の道”を選んだリベ ラリズムの発展過程の大筋の概観
@神の無謬のことばとしての聖書の喪失→キリストご自身の像の喪失
18世紀の啓蒙主義、19世紀の自由主義、20世紀の神学的展開の共通項
神の無謬のことばとしての聖書の喪失→福音理解の多様化、神学的混迷
使徒的なキリスト像と使徒的な福音理解の喪失
信仰の規範と権威の姿勢の喪失=今日のリベラル派教会の混乱と低迷の根本原因(ピーター・バーガー)
リベラル派教会−聖書に対するはっきりした確信なし
「自分は何か」「なぜ今生かされているのか」「自分たちはどこへ行くのか」などの生の究極的問題に明確に答えられない状態にある
「今日、専門家であるはずの神学者たち自身が何を信ずべきか分らなくなってし まっている」(ジョージ・スイージー:プリンストン神学校)
「より所がこわされたら正しい者に何ができようか」(詩篇11:3)
A鋭い時代感覚と高度の学問性→「情況性」が認識と行動の決定因
リベラル派の神学者たちはこの世のある文化に救いがあるかのように考える傾向、 「現代人」と「現代的意識」を「金の子牛」にまつりあげ、その周りで踊り祝っている(ピーター・バーガー)
リベラル派の宣教論をみると「情況性というわけのわからぬもの」が認識と行動 を決する決定因となっている(ペーター・バイエルハウス:チュービンゲン大学宣教学教授)
聖書の論理と視点とをさかさまにし、ひっくり返すこと
聖書の人間観ー「罪過の中に死んでいる」(エペソ 2:5)
「知性において暗くなり」(エペソ 4:18)、「不義をもって真理をはばんでいる」(ローマ 1:18)、「彼らは自分は知者であると言いながら、愚かな者となり、神の真理を偽りと 取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕え」(ローマ 1:22,25)
聖書は「人間から自律性と自己充足の仮面をはぎ取り、未再生者の知性がいかに 堕落、腐敗、歪曲したものである」かを指摘
聖書の世界観ー「虚無に服し」、「滅びの束縛」(ローマ 8:20,21)のもとにある
聖書の文化観−聖書はカイン的、レメク的デカダンス(創世記4:1-24)を厳し く戒めている
聖書・・人間、世界、文化が神の創造とその結果によるものである
しかし罪のゆえに背教的方向−アブノーマルな状態
近代性、現代性に眩惑、陶酔せず
近代の自律的理性、近代の世俗化、近代のあらゆる理論的思惟
常に、神のみことばに基づく超越論的批判に服せしめ、変革する(Uコリ 10:5)
教会はこの世に屈伏することにより世に仕えるのではない
この世を正しい自己理解へと覚醒させ→自己の偶像化せず、その被造性・罪性 の承認、人類の救い・希望・知恵の源イエス・キリストに導く
Bリベラルの思考・信仰→「弱体な教会」を結果
真理と価値観における相対主義
指導、規律、訓練における多様性と自由の容認
アウトサイダーに対する寛容の姿勢
* H.G.ペールマン「現代教義学総説」新教出版社
* 啓蒙とは何か、カント
* 神秘的でないキリスト教、ジョン・トーランド、玉川大学出版局
* 転換期に立つ神学、ウィリアム・ホーダーン
* プロテスタント病と現代−混迷からの脱出をめざして、ヨルダン社