掲示板:第3 9章 再臨とその結果   

                     

1.       再臨(27)
(ア)出来事の明瞭さ
(イ)期日の不明瞭さ
(ウ)来臨の特徴
@       個人的
A       肉体をもって
B       見えるかたちで
C       予期しないときに
D       勝利と栄光のうちに
(エ)再臨の一体性
(オ)再臨の急迫性
2.       復活(13)
(ア)聖書の教え
(イ)三位一体の神の働き
(ウ)性質において肉体を伴う
(エ)義なる者と不義なる者の双方において
3.       最後の審判(10)
(ア)未来の出来事
(イ)裁き主としてのイエス・キリスト
(ウ)裁きの対象
(エ)裁きの基盤
(オ)裁きの究極性
4.       再臨とその結果の意味合い(1)

 

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One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2003827 PW:5531

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第三十九章
 再臨とその結果」の概要を見てまいりましょう。
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【 解説 】

この章の学びにおきましては、「再臨」「復活」「最後の審判」につい
て学んでまいります。まずは、この「再臨」という主題をマクロ的な視
野からみておく
ことに致しましょう。下記のものは私の「共立基督教研
究所」におけるレポート「再臨信仰の意義」です。

「再臨信仰の意義」は、再臨そのものに焦点をあててみること以上
に、その背景となっている聖書の終末論全体のパースペクティブから、
考察することが大切である。各論的にミクロ的観点から「再臨」のみを
みるのではなく、大局的な見地にたってマクロ的観点から、終末論全体
の中に「再臨信仰」を位置づけて
その意義をみることにしょう。
 

終末論における「再臨信仰の位置」

「再臨」を終末論全体の中でみると、次のように位置づけられる。
終末論は伝統的に、個人終末論世界終末論の二面から取り扱われ、
前者は「個人の時間的死、霊魂の不滅、死から復活までの中間状態
を扱い、後者は「世の終わりのしるし、キリストの再臨、(千年王国)、
死者の復活、最後の審判、新天新地(世界の完成)
」を扱う。

人間の生における「終末論」の必要性

終末の教理を学ぶ際に、人間は「永遠への思い」(伝道3:11)を
根幹とする終末論的展望を見失う時に、@希望の喪失、Aパニック的
な不安とあせり、B生の意味・目的等・根本的問いへの不可解、C死
の恐怖・美化、D世的生の絶対化等、のような悲劇の中に転落してし
まうことを覚えなければならない。

 

正しい「終末論理解」の構造
 

終末論の理解を巡って、教会の間に次のような認識と理解が広ま
りつつある。

@     信仰の正しい理解は、必然的に希望論へと向かわざるをえない。

A     真の意味で、キリスト教終末論とは神の約束に基づくキリスト
教的希望
についての教えのことであり、そのような意味での終
末論は、何かキリスト教に付随しているものではなく、キリス
ト教全体に関わり、キリスト者の実存と教会の宣教のすべてを
規定している
基調である。

B     聖書の終末論は、ただ単に未来の事柄のみを扱うのではなく、

(ア)現在的な側面−「私たちの中に」

(イ)未来的な側面−「私たちの前に」

(ウ)彼岸的な側面−「私たちの上に」

をその視界の中に包摂するものである。

C     終末論の正しい理解は、

(ア)すでに「実現された」面、より正しくはすでに「開始され
」面と、

(イ)未来終末論

の両面を密接に関係づけながら考察するときに初めて可能とな
る。特に前者に属するものとして、歴史観、神の国、来るべき
神の国
と収穫の前味≠ワたは手付金≠ニしての聖霊の恵み
の問題
があり、これら一つ一つのテーマの注意深い考察は、一
方の偏らない正しい終末論の理解にとって不可欠のものである。

 

「再臨信仰の教え」

@     再臨信仰の位置
 新約聖書は、イエス・キリストの第二の来臨、すなわち「再臨」
についてはっきりと証言している。

(ア)まず、イエス自らたびたび御自身の再臨に言及された。

(イ)御使いたちもイエスの昇天のときに、この事実を指摘している。

(ウ)使徒たちも多くの箇所で再臨について語っている。
ゆえに、再臨はキリスト教信仰の中心に位置している事柄である。

A     再臨の目的

(ア)神による人類救済のわざを完成させるため。

(イ)メシヤとしてのイエスについて依然隠されている秘義を啓示
するとともに、人間の隠された事柄を明らかにし、それに対す
総決算を行なうため。

(ウ)すべての敵対する悪しき勢力を最終的に滅ぼし、神の究極的
勝利を現わす
ため。

(エ)贖われた神の民を復活させ、彼らを栄光と祝福に満ちた神の
臨在の中に導き入れる
ため。

(オ)新天新地をもたらすため。

(カ)歴史をその終局と目標へともたらすため。

B     再臨の様態

(ア)天にあげられたその同じイエスが、天に上っていかれた時と
同じ有様
で再臨される。

(イ)可視的な出来事である。

(ウ)稲妻や盗人の侵入に例えられるような突発的な出来事である。

(エ)栄光に満ちた勝利の再臨である。

C     再臨の時
 これは、「終末の前兆」とか「時のしるし」とか呼ばれる問題
である。

(ア)神の恩恵を実証しているしるし−全世界の国民への伝道、
イスラエルの救い

(イ)神に対する反抗を示しているしるし−激しい苦難、背教、
反キリスト

(ウ)神のさばきを示すしるし−戦争、地震、飢饉

 

結語

 以上のように、「再臨信仰」は、終末論全体における不可分の一
領域
であり、人間の生に「希望」という酸素を供給するものである。
また、健全な「再臨信仰」は正しい終末論の構造の中で理解される
ことが大切である。そして、再臨は歴史の中で必ず起こるが、その
期日を確定することは啓示の目的を越える行為である。私たちは、
パウロの勧めにあるとおり、目を覚ましてその時のために備え、
その日を待望することが大切である[i]
 

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One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2003 9 1PW:2041

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第三十九章
 再臨とその結果」「序」の第一段落を学んでまいりましょう。
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                              【テキスト】           
この研究においてそれを定義してきたように、私たちたちが宇宙的終末論の
最も重要な出来事の間で、それは再臨その諸結果復活最後の審判です。
それらの出来事は、この章の主題となる事柄を形作っています。
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【 解説 】

 「改革派教会の終末論―改革派教会世界会議終末論研究委員会
報告―」という小冊子は、終末論について考えていきますときに大
変参考になる良書です。ここ数日間はこの小冊子を何度も何度も読
み返し
ておりました。その中の「第二部終末論についての研究報告
(1972年)」の構成をみますと、以下のようになっています。
 

序論

第一章       個人的終末論

(ア)生と死

(イ)中間状態

第二章        宇宙的終末論

(ア)時のしるし

(イ)反キリスト

(ウ)キリストの再臨

(エ)死からの復活

(オ)裁き

(カ)新しい地。


 「第一章 個人終末論」の「生と死」「中間状態」は、前章
の「第38章 導入的事柄と個人終末論」で扱ってきた内容です。
「第二章 宇宙的終末論」の「キリストの再臨」「死からの復活」
「裁き」は、今回の「第39章 再臨とその結果」で扱う内容です。

 聖書の終末論についての原則を確認しますと、以下のようになり
ます。

未来に関する唯一の包括的な期待は、未来にかかわるあらゆる要
素や未来が方向づけられているあらゆる出来事を含んでいる。その
期待は、人間精神の投影ではありえず、ただ聖書における神の啓示
の敬虔な検証
の結果のみに基づいている。このことから二つの結論
が導き出される。

@       未来に関する期待の「範囲」は、啓示において見出される。
教会は、啓示が求める「範囲」よりも少ない期待しか持たな
いようであってはならない。教会は―そして神学も―聖書が
要求する「範囲」と同じ程度
に未来に関する期待を持たない
のであれば神の前に有罪とされる。

A       未来に関する期待の「限界」も、啓示において見出される。
教会は、啓示が許容する「限界」を超えて、またそれとは
違った期待
を持つようであってはならない
[ii]
 

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−組織神学的瞑想のひととき−

2003 9 2PW:0301

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第三十九章 
再臨とその結果」「序」の第一段落を学んでまいりましょう。
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                          【テキスト】           
死の確実性の他のものに関して、正統主義の神学者たちのほとんどが同意し
ているひとつの終末論の教理は、キリストの再臨です。それは終末論にとって
絶対不可欠のものです。それは、神の計画の完成の始まりをしるしづけるクリ
スチャンの希望の土台となるものです。
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【 解説 】

38章が「死の確実性」についての学びとしますと、39章は「
リストの再臨
」についての学びです。初臨の内容が「受肉・贖罪・
復活・昇天」であるとしますと、再臨の内容は「復活・最後の審判・
新天新地等」ということになります。もちろん意見の相違のある
「千年王国・大艱難」についても学んでまいります。

ただ、繰り返して申し上げていますように、私たちが「終末論」
の学びをしますときに大切なことは「全体を把握し、それに基づい
部分を理解しようとする」ことと「重要なことと些細なこととを
区別する」ことの二つです。ここでは「終末論」、「再臨」=「
の計画の完成の始まり
」との導入的言及がありますので、「組織神
学」全体の中での「終末論」の位置づけ
を復習しておくことにしま
しょう。

「教義学の各教理はすべて何らかの未完結的要素を内蔵しており、
終末論はそれを最終的な完結へともたらす…『神論の場合、神はい
かにしてご自身の御手のわざにおいて最終的かつ完全な形で栄光を
あらわされるか
、いかにして神のご計画が十全な形で実現されるか
の問題。人間論の場合、いかにして罪の破壊的な影響が征服される
の問題。キリスト論の場合、いかにしてキリストのみわざは完全
な勝利を達成成就するかの問題。救済論の場合、いかにして聖霊の
みわざは最終的に神の民の完全な贖いと栄化を結実するかの問題。
教会論
の場合、教会の最終的な完成の問題。これらすべての問題は
教義学における最後の教理の中に解答を見出さなければならない。
このように終末の教理は教義学における笠石(石柱や壁などの頂上
に位置する)と見られている』[iii]

エリクソン先生と宇田先生の著作から教えられることは、教えの
内容の素晴らしさとともに、神学的思索の方法でありプロセスにつ
いての知恵の豊かさです。この両方を根気よく身に着けていくこと
にしましょう。

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One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2003 9 3PW:7131

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第三十九章 
再臨とその結果」「第一節 再臨」「第一項 その出来事の確実性」の第一段
落を学んでまいりましょう。
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                            【テキスト】           

 多くの聖書箇所が、キリストが再び来られることを明白に示唆し
ています。イエス御自身が、再び来られることを約束されています。
彼の終末に関する大いなる講話(マタイ
24-25章)において、彼は
「そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあ
らゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯び
て天の雲に乗って来るのを見る
のです。」と語っておられる。幾つ
かの他のとき、この同じ講話において、彼は「
人の子の来るのは
27,37,39,42,44節)と言及しておられます。その週の終わりに、
カヤパの前での聴取
において、イエスは「なお、あなたがたに言っ
ておきますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、
天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見る
ことになります。」と
話されました。マタイは、他の福音書の記者が記述しているよりも
多くのものを記録しています。マルコルカヨハネもまた再臨に
ついてのイエスの幾つかの説明
を含んでいます。例えば、
マルコ
13:26 ルカ21:27 はマタイ24:30と並行関係にあります。
そしてヨハネは二階座敷において、イエスが弟子たちに「わたし
が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを
わたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおら
せるためです。」(ヨハネ14:3)と約束されたことを私たちに告げ
ています。

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【 解説 】

 「キリストの再臨」について、「教会は、キリストの再臨に関
して初期の段階ではそれを待望したが、実際には起こらなかったた
めに、新約聖書時代に危機を、また失望を経験した
のである」とか、
成就されない約束が与えられている」と考えるのは誤りです。
聖書において、「キリストの再臨」はきわめて明白で確実な約束と
して語られているからです[iv]

私たちは、「再臨の遅延についての聖書箇所」をイエス・キリス
トと弟子達の記述−「再臨の確実性」から解釈し解き明かすことが
大切です。

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【 関連聖句 】


新改訳 マタ 24:30

24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲
しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。

 

新改訳 マタ 24:27

24:27 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのよ
うに来るのです。

 

新改訳 マタ 24:37

24:37 人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。

 

新改訳 マタ 24:39

24:39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったので
す。人の子が来るのも、そのとおりです。

 

新改訳 マタ 24:42

24:42 だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知ら
ないからです。

 

新改訳 マタ 24:44

24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に
来る
のですから。

 

新改訳 マタ 26:64

26:64 イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。なお、あなたがたに言ってお
きますが、今からのち、人の子が、力ある方の右の座に着き、天の雲に乗って来るのを、
あなたがたは見る
ことになります。」

 

新改訳 マコ 13:26

13:26 そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

 

新改訳 ルカ 21:27

21:27 そのとき、人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。

 

新改訳 ヨハ 14:3

14:3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしの
もとに迎えます。
わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
 


[i]  安黒務『再臨信仰の意義』共立基督教研究所「終末論レポート」、参考資料 宇田進『終末論』新聖書辞典

[ii]  「改革派教会の終末論―改革派教会世界会議終末論研究委員会報告―」聖恵授産所p.69

[iii] 宇田進「総説 現代福音主義神学」いのちのことば社、2003p.381

[iv]  『改革派教会の終末論―改革派教会世界会議終末論研究委員会報告―』聖恵授産所出版部、p.95