掲示板:第 40 千年王国と大患難についての見方     

 

*       第一節 千年王国の見方 (1)

*       第二節 大患難の見方(1)

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第四十章 千年王国と大患難についての見方

ICI(icd.1240emlall) Daily Systematic Theology by Aguro

One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2004 4 1日〜1116日 

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒
務です。11/16の配信をもちまして、「キリスト教教理入門 第十二部
 第40章 千年王国と大患難についての見方」の電子メール講義の配
信を終了しました。福音派の間では、デスペンセーショナルな流れか
らの終末論関係の書籍の多数の邦訳等の影響から、大患難前再臨説を
聖書的ととらえる方が結構あるのではないかと思います。

 

ただ、フラー神学校のG.E.ラッド教授(新約聖書神学)をはじめ、
ファンダメンタリズムの聖書解釈がもつ課題に取り組み、その問題点
の克服につとめた福音主義神学の新しいスタンダードといわれるM.
J.エリクソン教授の『キリスト教神学』では、「大患難前再臨説の
聖書解釈には多くの課題があり、大患難後再臨説の方がより聖書的で
ある。」と、分かりやすく記されています。立場の違う方にも相互理
解を深める上で有益な資料と思います。

 

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ICI(icd.1240000001) Daily Systematic Theology by Aguro

One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2004 4 1PW:0141

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第四十章 
千年王国と大患難についての見方」の「序」の第一段落を学んでまいりま
しょう。
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              【テキスト】
時代を越えて、キリストの再臨と幾つかの他の出来事との間の時系列の関係
に関し、キリスト教神学において重大な議論がなされてきました。特に、この
議論は二つの主要な問いを含んでいました。
@イエス・キリストの地上における支配という千年王国が存在するのでしょ
うか。そしてもしそうだとしたら、その期間の前あるいは後に再臨は起こるの
でしょうか。キリストの地上における支配はないとする見方は、無千年王国説
と呼ばれています。キリストの再臨が千年王国を開始するという教えは、前千
年王国説と呼ばれています。然るに、再臨が千年王国を終結するという信仰は、
後千年王国説と呼ばれています。
Aキリストが大患難の前に世界から教会を携挙されるために再臨されるのでし
ょうか(大患難前再臨説)、あるいはキリストはただ大患難の後においてのみ再
臨されるのでしょうか(大患難後再臨説)。この二つの疑問は第一義的に前千年
王国説においてみられます。私たちは千年王国説を、そしてその後に大患難説
のそれぞれを順番に研究していくでしょう。
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              【 解説 】

 第40章の学びに入ります前に、これまで学びの概略を復習して
おくことにしましょう。

宇田進師の論稿をみますと次のように説明されています。
「“終末論”この呼称は,〈ギ〉エスカトス(終り)と〈ギ〉ロゴス
(ことば)に由来した英語Eschatology,ドイツ語Eschatologieの訳
語で,キリスト教神学においては「終りの事柄に関する教え」を意
味している.伝統的には,個人終末論世界終末論の2面から取り扱
うのがならわしとなっている.前者は,個人の時間的死,霊魂の不
死,死から復活までの中間状態
を扱い,後者は,世の終りのしるし,
キリストの再臨,死者の復活,最後の審判,新天新地(世界の完成)
を扱う.千年王国の問題も,普通,後者の中に含められる.[i]

 

私たちは、「第38章 導入的事柄と個人終末論」において、
@終末論序論、A死、B中間状態について学びました。そして
「第39章再臨とその結果」において、@再臨、A復活、B最後の
審判について学びました。エリクソンの構成を見ていきますと、
第38章は“個人終末論”を扱い、第39章は“世界終末論”を扱
っているのだということが分かります。

 

宇田進師の「終末論」論稿は、@語義と概念、A旧新約を貫く基
本的構造、B開始された終末、C死後の状態、D再臨と「時のしる
し」、E復活、F最後の審判、で構成され、付録ないし追記のかた
で千年王国説への言及がなされています。これは、福音派の終末
論は、枝葉の相違点からはじめるのではなく、「」としての終末
論序論を広く深く扱い、正しく全体を見る目を養ってから、「
としてまた共通項の個人終末論と世界終末論を丁寧に掘り下げるこ
とを教えられます。その上で、柴田敏彦師が記述されているように
「啓示に基づく神学としての終末論は,それゆえに,啓示の解釈の
多様性
という重荷を担うものとなっている.このことは,数少なく
ない形態の終末論を生み出し,また細部においても千年王国説や患
難期と再臨の関係などの多様な解釈
に見られるように,結果として
終末論における複雑さを増すものとなっている.[ii]」という「
」を扱うべきなのだと思います。

宇田進師の追記は以下のように記述されています。「ちなみに,
近代の福音派諸教会の歴史において,「千年」(黙20:1‐6)の解
釈を巡り次の3つの主要な解釈が提唱されてきた.

1)「千年期前再臨説」(Pre‐millennialism).再臨におい
てサタンは縛られ(黙20:1‐3),地上に千年王国がたてられ,
キリストは聖徒と共に統治する(黙20:4,5:10)という説(ルネ
・パーシュ『イエス・キリストの再臨』を参照).

2)「無千年王国説」(Amillennialism).「千年」を教会の時
代の象徴的表現ととり,再臨において復活,審判,新天新地のいっ
さいが起ると考える説(グリヤー『終わりの時』を参照).

3)「千年期後再臨説」(Post‐millennialism).福音が漸次
全世界に浸透し,ついには豊かな霊的祝福の時代が出現し再臨の時
を迎えるという説(Boettner, Millenniumを参照).″ディスペン
セーション主義
″と呼ばれる聖書解釈法に立って主張される千年期
前再臨説もあるが(ジョン・F・ワルブード『イエス・キリストの黙
示』を参照),それを含む都合4説に関する詳細については,Clouse,
 R. ed., TheMeaning of the Millennium, 1977を参照.」

R.G.クラウス編集の「千年王国の意味―四つの見方―[iii]
には、G.E.ラッド「歴史的前千年王国説」、H.A.ホイト
「ディスペンセーショナル前千年王国説」、L.ボエトナー「後千
年王国説」、A.A.フーケマ「無千年王国説」のそれぞれの主張
と反論が記述されていて興味深い内容となっています。

今回の電子メール講義は、各説を公平に扱いますが、エリクソンの「基督教
教理入門」をテキストにしていますので、G.E.ラッド「歴史的前千年王
国説」学びにおける座標軸の位置をしめることをご了解ください。

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ICI(icd.124010101) Daily Systematic Theology by Aguro

One More Paragraph!

−組織神学的瞑想のひととき−

2004 4 2:PW:5480

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こんにちは、一宮基督教研究所組織神学教師、一宮基督教研究所の安黒務です。
今日は、ミラード.J.エリクソンの「キリスト教教理入門」の「第四十章 
千年王国と大患難についての見方」の「第一節 千年王国の見方」の「第一
項 後千年王国」の第一段落を学んでまいりましょう。
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                            【テキスト】           
後千年王国説は、福音宣教がきわめて成功裏のうちにすすむので、世界は
回心に導かれるだろうという信仰に基づいています。人間の心のうちに置か
れているキリストの支配は、完全であり、普遍的なものとなるでしょう。
「天において御心が行なわれている通り、地の上にも御心がなされますように」
との祈りは実現されるでしょう。平和は広く行き渡り、事実上悪は追い払わ
れるでしょう。その後に、その福音が十分に効果をあらわすとき、キリスト
は再臨されます。それゆえ、基本的に、後千年王国説は楽観的な見方です。
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               【 解説 】

 「後千年王国説」は、千年王国後再臨説ともいわれ、「福音が漸
次全世界に浸透し,ついには豊かな霊的祝福の時代が出現し再臨の
時を迎える」「再臨が千年王国を終結する」という説です。

エリクソンが「新福音主義神学」(1968)、「今日のキリスト教
倫理における相対主義」(1974)に続いて出版した書籍が「終末論
における今日的選択肢
―千年王国についての研究―」(1977)でし
た。そして後に主著「キリスト教神学」(三巻:1983-85)が出版さ
れました。このようにみますと、エリクソンの今日的な問題意識の
鋭さ
を教えられます。

エリクソンは文章の関連した学びをはかるために関連文献を紹介しています。
この章のテーマを詳述した書籍のひとつとして「終末論における今日的選択
肢―千年王国についての研究―」(1977)があげられています。私たちはこ
れらの書籍から関連箇所を少しずつ学んでいくことを通して、その射程を広
げていきたいと思います。
「終末論における今日的選択肢―千年王国についての研究―[iv]」(1977)
の「第三章 後千年王国説」の内容構成は以下のようになっています。
第三章        後千年王国説」

1.後千年王国説の概観
2.後千年王国説の歴史
3.後千年王国説の教義
@       福音の伝播
A       王国の性質
B       千年王国の性質
4.後千年王国説の評価
@       肯定的側面
A       否定的側面
 
 私たちは、自分の所属している教会・教派の立場にたち、あまり考える
こともなく、「私たちは…説だ。」と言ってしまうことが多いのです。
「所属する群れの教えに忠実である」ことは大切なことです。ただ、それ
だけでは他の立場に対して“異質感”のみが先行するきらいがあります。
そうではなく、この学びで繰り返していますように、@広い視野をもつ
「終末論序説」の学び、A福音派の共通項である「個人終末論」と「世界
終末論」の手堅い学び、そしてその上に立ってB「千年王国説」と「大患
難説」の多様な学びにおいて、自らの説のみに詳しくなるのでなく、他の
説についても“公平な”立場から“客観的”な知識をもつことが大切だと
思います。ただ、多くの書籍は他の説を批判するためだけに書かれている
ものも少なくありません。そのような中でエリクソンの書籍は一方的な主
張を押しつけておらず、多様性を内包する福音派の交わりを促進する“中
庸的な神学的スタンスを養う貴重な書籍です。


 


[i] 宇田進『終末論』「新聖書辞典」いのちのことば社

[ii] 柴田敏彦『終末論』「新キリスト教辞典」いのちのことば社

[iii] Robert G. Clouse, edThe Meaning of the Millennium –Four Views-

[iv] Millard J. Erickson,Contemporary Options in Eschatology –A Study of Millennium-Baker, pp.54-72