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日本福音教会 あれこれB(安黒試論)

ウォッマン・ニー主要著作集の背景

17/06/03


キリスト者の標準の背景

JECとウォッチマン・ニー ブーム


 「ウォッチマン・ニーの『キリスト者の標準』を読んだことのない人はJECのメンバーとは認めません。」これは、JECのある集会で古参の先生が言われたことばであった。つまり、オレブロ・ミッション宣教師によって近畿各地に形成された諸教会のひとつの共通要素、しかも共有しうる福音理解がこの書物にまとめられていると言われたのたど思う。

  19才でクリスチャンになってから、1年の間に三つの貴重な経験をした。@最初は「ハーレイの聖書ハンドブック」を片手に聖書を通読したことである。自分の信じている書物がどのようなものなのかがかなり理解でき、キリスト教信仰についての自信のようなものが確固たるものとされたように感じた。A第二は大阪の梅田の扇町教会でもたれた聖霊カリスマ・セミナーに参加したことである。そこで使徒行伝の体験が今日でも起こりうることを目撃したことと、それを自分自身も体験したことである。B第三は、ウォッチマン・ニーの『キリスト者の標準』を読んだことである。この書物は、わたしに福音をどのように理解し、それを毎日の日常生活の中で生きていくのかを本質的・原理的に深く教えてくれた。それ以来、一宮基督教研究所(KBI)在学中にはその著作のほとんどを収集し、彼から教えられてきた。

  ただ、ひとつ課題としてきたことは、彼の福音理解はキリスト教神学の領域においてどのような位置づけをもつものであるのか、ということであった。もうひとつは「ウィットネス・リーの『ローカル・チャーチ・ムーブメント』」との関連についてクリティカルな評価が必要とされるというものであった。


「キリスト者の標準」の背景

「ウォッチマン・ニーのヨーロッパへの旅の後、ふたつの書物が著述された。『キリスト者の標準』はローマ人への手紙5〜8章に基づいて神への全き献身のゴールに向かって信仰者の成長について著述されている。出版社は”霊的古典”としてその業績を紹介している。そして実際にアメリカ版においてはすでに60万部以上が販売された。その中心テーマは、”キリストにとどまる”こと、神に向かっての成長のひとつである。しかしニーの解釈を性格づけているように、7章は霊と魂への神の応答に十分なる強調がおかれている。

  『キリスト者の行程』は霊的成長の上にこの同じ強調が多くなされている。ここでニーはエペソ人への手紙のメッセージを、信仰者に対する救済論的講解に関連し、パウロによる明確な動詞の使用によって、要約する。英国とヨーロッパにおけるホーリネスのグループに語られたとき、それらのメッセージは歓迎をもって受け入れられた。彼の神学は全面的に、アンドリュー・マーレーやF.B.マイヤーのそれと同様に恵み深く、例証的なスタイルをもったケズィックの教えのそれである。」

 


  JECとウォッチマン・ニー ブーム

JECは、第一世代の日本人教職者が関西聖書神学校(塩屋)で学ばれたことにより、聖化の危機主義の理解、つまりホーリネス(聖め)の経験を強調する要素を取り入れることとなった。しかし、元来オレブロ・ミッション宣教師はバプテストの背景をもっておられたので、聖化については漸進主義の理解をもっておられたようである。宣教師と日本人教職者の間に聖化についての理解で軋轢があったとは聞いていない。しかし微妙な空気が存在したであろうことは想像にかたくない。そのようなときに、ウォッチマン・ニーの著作「キリスト者の標準」はまことに便利な書物であった。ペンテコステ・カリスマの流れの中においてもポピュラーな書物であったこの本は、聖化の理解において漸進主義と危機主義を折衷したものであったからである。多分このような経緯をたどって、ウォッチマン・ニーの著作「キリスト者の標準」はJECの福音理解の決定版とされた。

   わたしたちが青年であったころ、ウォッチマン・ニー ブームのようなものがあり、洗礼式のプレゼントはきまって「キリスト者の標準」であった。また「キリスト者の行程」「霊の解放」など彼の著作集はよく読まれた。しかし彼の後継者のひとりであるウィットネス・リーの「ローカル・チャーチ運動は異端的である」として、問題になってきたとき、ウォッチマン・ニーの著作のあるものは否定的にみられるようになった。JECニュースで「ローカル・チャーチの問題」を指摘した批判書の翻訳が連載された。それとともに、JECにおけるウォッチマン・ニー ブームもさってしまった。

   KBIでの三年間は、ウォッチマン・ニーの著作集数十冊を多くの感動をもって読みふけった年月であった。ウィットネス・リーの著作は読み始めてすぐに問題のある著作であると分かった。そしてすぐに廃棄処分にした。しかし、ウォッチマン・ニーの場合は、その著作のどこに問題があるのかきちんと評価できないままであった。あるとき、大阪ライフ・センターにて”Understanding Watchman Nee”という書物をみつけた。ウォッチマン・ニーの生涯、神学教育の背景、影響を受けた書物、宣教師、著作リスト、著作の原資料、中国の特別な時代背景などを勘案したトータルな研究書であった。

   わたしはJECにおける潮の満ち干きのような「ウォッチマン・ニー ブーム」のあり方に危惧の念を抱くものである。JECではいまなおウォッチマン・ニーの著作において語られている「十字架のメッセージ」を基軸としている。しかしトータルにその背景について研究されたことはない。十字架のメッセージがJECの主要なメッセージであるのならば、その継承・発展・深化のためにトータルなウォッチマン・ニー研究があってしかるべきではないのかと思う。

   ダナ・ロバーツの研究書、”Understanding Watchman Nee”とすべての点で意見を同じくするものではないが、客観的な分析のための資料を提供してくれているという点では、ありがたい書物である。ダナ・ロバーツの考察を翻訳しつつ、わたしの意見を述べるというかたちで「対論形式」の独自のウォッチマン・ニー研究をまとめてみたい。JEC第二世代、第三世代の若手の伝道者層を対象として。