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日本福音教会 あれこれE(安黒試論)
JEC Spring Camp Theology
わたしの福音理解T
17/06/03
義認
聖化
聖霊のバプテスマ(もしくは満たし)
キリストのからだなる教会(賜物による奉仕)
宣教(派遣)
KBIの二学期の終業式のメッセージを頼まれたのを機会に、わたしの福音理解と題して、JECとKBIの流れの中でわたしが養われた福音をわたしがどのように理解しているのかを整理し分かち合う機会とさせていただきたい。参考文献もリストアップしているので、JECとKBIの流れにそってそれぞれの領域をさらに掘り下げる研究を展開していっていただきたい。(終業式においては、「導きをさぐる神学生」というコンテキストであったために、結果的に「召命」の領域のみを体験的に解き明かすときとなった。)
以下の五つのポイントは、JECの高校生スプリング・キャンプにて ”ダビデの五つのつぶて”と題してメッセージしたもので、わたしの福音理解の骨格を表現している。ダビデはサウルのよろいをもらったのであるが、それは使い慣れていなかったのでかえって不便であった。それに反して常に使っていた石の飛び道具は百発百中の武器であった。福音理解は客観的な側面とそれを日常的にその福音理解を生きるという主観的側面とがある。以下の五つのポイントはわたしの日常の霊的生活の骨格でもある。またそれらは十数年スプリング・キャンプに関わる中で教えられた流れであり、JEC Spring Camp Theology とわたしが名づけたものであるが、わたしのみでなく多くの関係者に賛同をいただけるものと思う。わたしとJECスプリング・キャンプの関係については、次のページにて記述している。
JEC Spring Camp Theology の内容構成とケズィック聖会の構成が類似すること、またそれらの構成が正統主義神学のエッセンスを反映するものであることは、共立基督教研究所における歴史神学研究と組織神学研究、そして一宮基督教研究所における継続神学研究の過程で浮かび上がってきたものである。わたしはそれらの研究により、JECとKBIの流れが健全な聖書的、かつ福音主義的公同性の上にホーリネス的強調とペンテコステ・カリスマ的強調をもつものであることを確信するにいたった。それゆえに、これら諸宣教師、諸先輩牧師から受け継いできた霊的・神学的遺産を確実に継承し、それらを21世紀の新しいコンテキストに向けて深化・発展を期すべきだと思うのである。JECとKBIの流れの歴史的ルーツとアイデンティティの研究のための最良の書は「福音主義キリスト教と福音派」(宇田進)であり、21世紀の新しいコンテキストに向けてのJECとKBIの流れの深化・発展のための最良の書は”Christian Theology(要約版として Introducing Christian Theology)”(Millard J.Erickson)があり、それらはKBIにおいて教えられている。
キャンプなどは時間がたっぷりあるが、礼拝などは多くても三ポイントくらいの方が理解しやすい。上記の五つのポイントのうち「3.聖霊のバプテスマ(もしくは満たし)、4.キリストのからだなる教会、5.宣教(派遣)」は、ヘンドリクス・ベルコフの概念を活用して、「召命」という概念でひとまとめにして理解できると思う。(ヘンドリクス・ベルコフの「聖霊の教理」の研究は別のファイルで取り組むつもりである。)
1. 義認
2.聖化
3.召命…ヘンドリコフ・ベルコフはその著書「聖霊の教理」において、救済論の範疇を構成する三つの要素を義認・聖化・召命と呼んでいる。
ヘンドリコフ・ベルコフは、救済論の第三領域としての聖霊の満たし(バプテスマ)は、信仰者の個性(賜物)を占有し、キリストのからだと社会における貢献(派遣)へと結実すると認識されている。この認識は、召命という概念で呼ばれ、聖霊論・救済論・教会論を貫通する教理的認識であり、きわめてすぐれたものである。
通常、聖霊論は救済論に吸収されたかたちで論述されている。また教会論はその中の重要な要素として聖霊の賜物論を扱うことをしてこなかった。最近の組織神学書において、M.J.エリクソンが聖霊論の章を設けて「賜物論」を展開しているが、H.ベルコフほどの徹底性がみられない。またD.ブローシュは万人祭司制の教理の領域において「聖霊の賜物論」を扱っているのが目を引く。いろんな扱いが可能であるが、H.ベルコフの義認と聖化の教理に匹敵する救済論の第三領域としての扱いには、圧倒される思いである。わたしは組織神学の構成において、聖霊論、救済論、教会論を貫通する「召命」という概念を徹底して掘り下げることが、21世紀の組織神学構築にとってきわめて重大な作業のひとつであると確信している。