ファンダメンタリズム(根本主義)とエヴァンジェリカリズム(福音主義)
に関する歴史的経緯等に関する資料
(2009.10.6
JEC牧師会資料として:対象限定ファイル)
2021/05/18
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米国における福音主義と根本主義 (PW必要)
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米国キリスト教原理主義と日本の福音派の課題 (PW必要)
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改革派教会の視点からみたイスラエル問題と千年王国理解 (PW必要)
- 注:改革派教会の「無千年王国説」からみた視点は、中庸の立場に立つエリクソンやラッドの「大患難後・歴史的千年王国前再臨説」と
若干異なりますが、「ディスペンセーション主義の教えの問題点」の指摘からは、教えられるところがあると思います。
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M.J.エリクソンの「ディスペンセーション主義批判:大患難・再臨・千年王国解釈の誤り」 (PW必要)
- 詳しくは、エリクソン著『キリスト教神学』第四巻をご覧ください。
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中川健一氏の「イスラエル民族とキリスト教会」の関係理解 (PW必要)
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岡山英雄氏の「患難期と教会(黙示録の終末論)」 (PW必要)
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岡山英雄氏は、『小羊の王国-黙示録は終末について何を語っているのか-』いのちのことば社、の著者で、内容としましては、
ジョン・マーレー、ジョージ・ラッド、ミラード・エリクソンの終末論理解の線でまとめられているように思われる。日本語の黙示録解説書としては、最良の書物の一冊である。
- 日本福音主義神学会の神学誌のサイトにも、岡山英雄氏の『患難期と教会』が掲載されている。こちらの方がきれいに印刷できる。
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G.E.Ladd
"Historic Premillennialism" in The Meaning of Millennium -Four Views- (PW必要)英語版
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ジョン・マーレー著『ローマ信徒への手紙』下巻…ローマ9-11章の目的、ローマ11:26「こうして全イスラエルが救われる」の解釈 (PW必要)
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ジョージ・ラッドが資料源のひとつとしてあげているのが、ジョン・マーレーのこの書籍である。精緻な聖書解釈において定評のあるウエストミンスター神学校「組織神学」教授であったジョン・マーレー、宇田進師が師事された先生のひとり(もうひとりの先生はヴァンティルと聞いている)である。マーレーは改革派によくみられる「救われたイスラエル人の総数」という解釈ではなく、聖書テキストから自然に読み取れる解釈を大切にしている。ラッドとエリクソンはマーレーと同じく“文脈から最も自然に読み取れる”解釈にたっている。このローマ書注解は、日本語では最もすぐれたもののひとつである。絶版なので、一宮基督教研究所図書室にあるこの書籍を、神学生奉仕等により、ローマ9-11章の注釈(pp.1-156)をコピーして手元に置かれると大きな助けとなる。というのは、ディスペンセーション主義の立場からの“読み込み”解釈、“こじつけ”解釈の三流注解書があまりにも多いからである。基準的な解釈をきちんと身につければ、逸脱した解釈を識別することは簡単となる。基準が確立していないから、波間の木片のように、誤った教えに、もてあそばれるのである。
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岡山英雄著『小羊の王国−黙示録は終末について何を語っているのか−』より
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(PW必要)黙示録全体のパースペクティブの見方と、大患難の只中で守られる教会の姿、そして千年王国直前に、携挙を含む空中・地上一体の再臨をされるキリストについて、穏健で中庸な聖書的な理解が提示されています。今、日本で最もすぐれた黙示録解説書と確信しています。その理解の基本線は、G.E.ラッドとM.J.エリクソンの理解と同じものです。JECは、過去の誤ったいきさつに囚われることなく、健全でバランスのとれた、今日の福音派におけるスタンダードな黙示録理解、また終末論理解を学んでいく時期にきていると思います。頑迷で愚かな教派もありますが、JECまたICIには、よりベターな選択肢を考慮に入れて聖書を学び続けるフレッキシビリティーが存在すると思います。次の50年間のJECの健全な終末論理解、黙示録理解のために、勇気をもって「大患難後・千年王国前再臨説」を学んでいこうではありませんか。大変すぐれた書籍で、2002初版・2004年再販されましたが、すぐに絶版となってしまいました。まもなく、再版される予定ですので、関連箇所のみPDFで紹介させていただきます。再販されたら、できるだけ早く購入してください。すぐに品切れになる可能性がありますので…。
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D.J.ムー論文『患難期後携挙説』 英文 (PW必要)
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岡山英雄論文『患難期と教会』のp.38に『患難期後携挙説』について言及があり、「患難期前携挙説が釈義的に成り立ちえないことに関しては、すでにラッドとワルブードの1950年代の論争があり、…特に、その中のD.J.ムーの論文を見よ」とありますので、今回収集した書籍の中から、ムーの論文『患難期後携挙説』を掲載させていただいています。議論になりそうな聖書箇所の適切な聖書解釈がなされています。岡山論文やエリクソン『キリスト教神学』では、概略的にしか触れられなかった部分が、丁寧な聖書解釈として扱われています。
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C.B.バス著『ディスペンセーション主義の背景』 英文 (PW必要)
- ディスペンセーション主義聖書解釈法とJ.N.ダービーを調べていまして、発見した本です。ダービーとプリマス・ブレザレンの歴史的経緯と教えが客観的に扱われている本です。米国ミネソタのベテル神学校の組織神学教授のバスが、多くの資料から整理し書き上げたものです。ベテル神学校といいますと、エリクソンが学んだ神学校であり、後に校長も務めた神学校で、ルーツは私たちのオレブロ・ミッションと同じスウェーデン・バプテスト系です。このバスは、来日したときに大阪聖書神学校に招かれて奉仕されています。もしかすると、ディスペンセーション主義の変遷のプロセスの中で、この分野の専門家のバスを一時的に招へいされたのかもしれません。一度真鍋先生にお聞きしたいと思っています。
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大阪聖書神学校といいますと、現在のメノナイト・ブレザレンの福音聖書神学校(眞鍋校長)のことです。この神学校は、元々古典的ディスペンセーションの流れで、改訂ディスペンセーション主義を経て、現在はラッドの立場ともかなり接近したプログレッシィブ・ディスペンセーション主義の立場であると聞きます。古典的また改訂ディスペンセーション主義では「患難期前携挙説」をとりますが、岡山先生は「現代の主要な注解者で、このような解釈を支持する者はいない」と書いておられます。古典的ディスペンセーション主義→改訂ディスペンセーション主義→プログレッシブ・ディスペンセーション主義と変遷をかさね、ディスペンセーション主義聖書解釈の誤りの是正に努力されてきています。近年、ディスペンセーション主義には大きな変化があり、プログレッシィブ・ディスペンセーション主義では、「患難前携挙」を不可欠なものとは考えないとのことです。
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宇田進「組織神学:終末論 講義ノートより」…(PW必要)
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ディスペンセーション主義の内包する問題について、はじめて目が開かれた講義です。それまで、ディスペンセーション主義をあまり深く意識していませんでしたし、問題意識は皆無という状態でした。宇田先生の「ディスペンセーション主義聖書解釈法」についての分析・評価は的確なものでした。それ以後、関心をもって多くのすぐれた神学書に目を通してきましたが、宇田先生の指摘の真実性を立証するものばかりでした。それに比して、ディスペンセーション関係の書籍には、そのような議論のあることすら言及がないのが現実です。まるで、限られた情報の中で“マイント・コントロール”状態に置かれているかのようです。それは、きちんとした議論の俎上にあげられると、「ディスペンセーション主義聖書解釈法の誤り」が明確になるだけということからくるのかもしれません。以下に、その特徴を列挙します。
- ディスペンセーション主義とは、ひとつの「聖書解釈法」のことである。
- 19世紀、英国の信仰復興運動の「J.N.ダービー牧師による教え」である。
- 旧約預言の解釈において、「極端な字義主義」解釈をとる。
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聖書預言の未成就・成就をうるさく言い、預言を「予告」と混同し、今日の出来事と聖書預言を「短絡的に同定」します。
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イスラエルと教会を明確に区別することを土台として、一体である再臨を、空中携挙(聖徒のための秘密の再臨)と地上再臨(聖徒と共なる公けの再臨)の二重再臨に分けます。
- 一体である再臨の前に起こるはずの患難期を、空中携挙と地上再臨の間に置きます。
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患難期に地上にいるはずの神の民クリスチャンを、携挙により天上にあるとし、地上にはイスラエルの民が患難期を通るとします。
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旧新約を通じてひとつであるはずの神の民を、イスラエル民族とキリスト教会の二つの民があるとし、旧約と千年王国の主役はイスラエル民族とし、キリスト教会は“臨時の挿入”とします。
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古典的ディスペンセーション主義では、聖書を七つのディスペンセーションの区別・分割し、それぞれの時代における神の取り扱いの原則が相違すると教えます。
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宇田先生の指摘は、上記の「ディスペンセーション主義の背景」を公平・中立のスタンスで、客観的に研究し、書物をしたためたC.B.バスの記述と同様の内容であり、すぐれた神学教師のレベルを明らかにするものである。このような客観的情報の基盤として、日本の福音派神学校の神学教育はなされるべきであると思う。
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ウェイン・グルーデム『組織神学』(英文)(PW必要)
- グルーデム教授は、ハーバードでBA、ウエストミンスター神学校でMDiv、ケンブッジでPhDの学位を取得され、20年間トリニティ神学校で教鞭をとられた先生です。アメリカ福音主義神学会の会長でもありました。グルーデム教授の組織神学書を読みますと、非常に分かりやすい書物であることが分かります。この神学書から、トリニティ神学校の神学的立場が穏健で中庸なスタンスであることも教えられます。終末論で議論のある「大患難・再臨・千年王国」の紹介も公平・中立であり、その分析・評価も適切なものです。立場としましては、第一に数多くの聖書解釈の間違いをあげて「ディスペンセーション主義聖書解釈の誤り」を明確に指摘しています。第二に、「歴史を通して教会の大多数とともに、教会はイエスによって予言された患難期を経験すると結論するのが最も好ましい」と結論しています。立場としては、エリクソン、ラッド、岡山先生の患難後携挙説・千年王国前再臨説です。ラッドのフラー神学校、グルーデムのトリニティ神学校、エリクソンのベテル神学校等々、穏健で中庸なスタンスのすぐれた神学校の多くは、「患難後携挙説・千年王国前再臨説」にたっているように思います。
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Wayne
Grudem "Systematic Theology"-「教会とイスラエル」翻訳(PW必要)
グルーデム教授のトリニティ神学校での、このテーマの扱い方が教えられます。それらの中で、「ディスペンセーション主義の聖書解釈の誤り」の根幹にあります「教会とイスラエル」の関係理解について分かりやすい解説でしたので、この箇所のみ取り急ぎ翻訳しました。また、この中で、プログレッシブ・ディスペンセーション主義とその他の福音主義神学において、どこに相違があるのかについての解説があり、大変教えられます。古典的→改訂→プログレッシブと大きな変化を遂げてもなお、その問題の根幹には、「教会とイスラエルの関係理解」がそのままであることを教えられます。「ディスペンセーション主義者は、教会がイスラエルに関する旧約聖書預言の多くの適用の受領者であった、しかしそれらの約束の真の成就は今なお民族としてのイスラエルの未来においてもたらされるという点
を許容する。しかし、教会へのそれらの約束についての、それらすべての明確な適用の新約聖書の実例に関して、このことが本当に、神がそれらの約束を与えようとしておられる唯一無二の成就であることを否定するいかなる強固な理由も存在しているようには思われない」というのが、グルーデムの結論です。グルーデム著「組織神学」は、分かりにくい議論をきちんと整理して教えている良書と思います
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終末の主要な出来事の一覧表
- 参考資料:G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation”、岡山英雄著『小羊の王国』、R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学、』“Three Views on the Rapture”の Douglas J. Moo 論文等より
。大患難後再臨説を理解する上で有益な一覧表。
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福音派の神学者の分類と神学的位置づけ(PW必要)
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特に、戦後の日本の福音派神学校で、「組織神学」と「聖書神学」の教科書として読まれてきたヘンリー・シーセンとエーリッヒ・ザウアーの神学的位置づけに注目したい。ヘンリー・シーセンは、穏健ではあるが米国のディスペンセーション主義の流れの神学者として位置づけられており、またザウアーはドイツのプリマス・ブレザレンの流れの神学者として位置づけられている。シーセン著「組織神学」とザウアー著「世界の救いの黎明」には、それほど、ディスペンセーション主義の教えが明示されているわけではないが、その影響はその著作の各所に見出すことができる。シーセンにおいては、「大患難前再臨説」の教えの解説にはディスペンセーション主義の大きな影響がみられる。ザウアーにおいては、「救いの黎明」と「十字架の勝利」教えの構成に、ディスペンセーション主義の七つのディスペンセーションの分け方の影響をみることができる。またザウアー著『永遠から永遠まで』は、プリマス・ブレザレンの群れのディスペンセーション主義の教えを強力に弁護する議論が提示されている。このような状況からみて、日本の福音派の多くの教派・教会、神学校がこれらの影響を受けてきたことが分かる。しかし、この広く深い誤った聖書解釈の影響を、ラッド・エリクソン・グルーデム・岡山・ボウカム・関野・安黒・等々、多くの神学者が雲のように取り巻いて、払拭していこうとしているのである。神学的な取り組みの正しい“鳥瞰図”を確立することが大切である。
- 神学生卒論資料紹介(PW必要)…担当外の神学生にも、希望者には私の書斎にある関連文献の紹介をさせていただいています。
- 資料@:R.H.Gundry"The
Church and Tribulation", G.E.Ladd"The Blessed Hope", "The Last Things", M.J.
Erickson " Contemporary Options in Eschatology",佐竹明『黙示録の黙示録』中巻
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資料A:G.E.Ladd“The
Blessed Hope”
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資料B:O.P.Robertson“The
Israel of God”
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資料C:A.A.ファンルーラー『キリスト教会と旧約聖書』
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資料D:J.D.G.Dunn“Unity
and Diversity in the New Testament”
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資料E:橋本龍三『イスラエル問題の考察』、H.ベルコフ『歴史の意味としてのキリスト』「イスラエル問題の扱い」、『キリスト教信仰』「イスラエル問題:旧約−振り返る、新約−望み見る」
- J.R.W.ストット論稿ー「イスラエルの位置ー過去、現在、未来」(PW:
ici)
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