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ICI Daily & Diary Lectures
2009年度 ICI日誌
2021/12/22
ICI ホームページ表紙 年度別 ICI日誌 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013(休み) 2014 2015
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[Monthly]
一宮基督教研究所インフォメーション・メール 2009/12/01-12/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures
Headline
新年明けましておめでとうございます!
年末・年始、ともにきわめて多忙な日々を過ごしておりました。
福音主義神学会での基調講演、娘の結婚式、川西EC伝道礼拝奉仕、
五つの現代聖書神学事典原稿のうち、三つの原稿の全面的書き直し、
ICI新サーバーの構築作業、リバイバル・ジャパン原稿書き、親戚の方
の二つの告別式、等々。嵐のような日々でした。でも、ひとつひとつの
奉仕が主の御霊の支えの中で丁寧に導かれていったことは感謝なこ
とでした。ともに合わせられ導かれ、私の奉仕を支えてくださった方々
にお礼を申し上げたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。
あぐろ
PS
・年末の福音主義神学会西部部会理事会で、一月の九州地区
講演会と四月の関西地区の春期神学研究会議の方向性が確認、
また決定されました。そのチラシを掲載していますので、ご
覧ください。またお知り合いの方がありましたら、ご案内
ください。
・ICI新サーバーへの移行とともに、ホームページの内容
もまた再構成中です。http://aguro.jp.net/は変わりませんが、
枝サイトのリンク先は、MS
Expression Web3により、より
ベターなサイト再構築(Construction→Deconstruction→
Reconstruction)の方向です。よろしくお願い致します。
どうしても、以前のサイトが見つからない場合は、あぐろ
(aguro@mth.biglobe.ne.jp)までお問い合わせください。
・昨年度、作成させていただきましたDVD講演録等、さま
ざまな資料は下記サイトに掲載しています。昨年度は、「神
学的座標軸三点セット」をはじめ、多くの資料を購入して
いただいた年でした。購入してくださった方々に心より
お礼申し上げます。お気に召しましたら、またお知り合いの
方に紹介していただけたら感謝です。
d/file/b/booklist04.htm
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2009.12.27 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
年末感謝礼拝:『主のよくしてくださったことを何ひとつ忘れるな』
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我が魂よ、主をほめたたえよ(v1-2)
恵みとあわれみの冠をかぶらせ、
良いもので満たされる(v3-5a)
あなたの若さは、鷲のように新しくなる(5b)
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ICI インフォメーション・−ル 091225
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メリー・クリスマス!
ICIサーバーは、あるクリスチャンの方のプレゼントにより、
今日のテクノロジーの発展にそくし、2009年12月25日から
「Fujitsu Primergy TX150 S5・Windows Server 2003R2」
の時代から、「Fujitsu Primergy TX150 S6・Windows
Server 2008」 の時代に移行させていただきました。
この新しい機器が、ICIミニストリーのさらなる充実・発展を
もたらすものとなりますようお祈りください。
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2009.12.20 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「使徒信条C:十字架につけられ、死にて葬られ−
クリスマス礼拝:『マリヤとヨセフの証し』」
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新約聖書:マタイによる福音書1章18−25節
1.決まっていた、分かった、決めた(v.18-19)
2.思いめぐらしていたとき、主の使いが言った(v.20-23)
3.眠りからさめ、主の使いに命じられた通りにした(v.24-25)
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ICI インフォメーション・−ル 091215
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今週より、しばらくの間、新しくいただきました新サーバーS6
の構築とホームページ・ソフトの更新の関係で接続ができない
時間帯がでてくるかも知れませんが、ご了解お願い致します。
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2009.12.13 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「使徒信条B:我は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、
ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け:『シメオンとアンナの証し』」
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主のキリストをみるまでは、決して死なないと、
聖霊のお告げを受けていた(v.26)
主よ。今こそあなたのしもべを御言葉通り、
やすらかに去らせてくださいます(v.29)
剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは、
多くの人の心の思いが現われるためです(v.35)
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2009.12.06 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「使徒信条A:我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」
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全能の神は、どのような心の持ち主なのか
人間は上昇志向、御子キリストは下降志向のお方
キリストの貧しさによって富むものとなる
11月後半は、きわめて多忙であり、下記の掲載が
12月にずれ込みました。
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2009.11.29 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「使徒信条@:我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず」
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キリスト教信仰は、結婚に例えられる
聖書は、神からのラブレター
神は、「被造物世界」の作者
11/29は、川西福音教会で、家族伝道礼拝奉仕で、
山崎チャペルはCDメッセージ礼拝でした。
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2009.11.22 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「神は人を園に置き、耕させられた」
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人生は、エデンの園に例えられる
園には、毒キノコも生えている
ふさわしい助け手を得ると
人生は何十倍も豊かにされる
【ICIの扱っている最近の資料のご案内】
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日本福音主義神学会 西部部会 秋期神学研究会議
DVD講演録のご案内
Evangelical
Theology ,
Re-evaluation : in the Bible, Tradition and Culture
2009年
11月16日:一宮基督教研究所
:福音主義神学
再考:
聖書・伝統・文化の中で
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2009.10.25 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
黙示録 CDメッセージ全集 のご案内
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● 合計19章(8.9.10章除く)×約20分÷60分×1000円=6330円
● 解説資料ブックレット(40ページ)付き 500円
● 合計 6830円
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ディスペンセーション主義の内包する課題克服を扱う、大変分かり易い三部作
− 単品での購入も可能です! −
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−今、“カデシュ・バルネア”に立って、終末論・黙示録を望み見る−
一宮基督教研究所・終末論特別講義:資料:岡山英雄著『患難期と教会』、他
多数
2009.06.25 新版「千年王国と大患難の見方」DVD講義録
患難期の重要性
患難期と神の民
患難期はいつか
180分集中講義:3000円(税込・送料込)
黙示録特別講義DVD−『イスラエルと教会』
一宮基督教研究所・終末論特別講義:資料:岡山英雄著『小羊の王国』、他
多数
『イスラエルと教会』DVDT:2009.09.15
90分集中講義:1500円(税込・送料込)
日本史と黙示録
黙示録全般と千年王国
千年王国とイスラエル
『イスラエルと教会』DVDU:2009.09.25
90分集中講義:1500円(税込・送料込)
歴史的鳥瞰図
字義主義の問題
患難期と教会
聖書解釈の原則
『(古典的)ディスペンセーション聖書解釈』の問題:
★★★★★(このテーマでは、五つ星の最良のDVD資料)
:C.R.バス著『ディスペンセーション主義の背景』、他多数
2009.10.06:JEC牧師会研修基調講演と質疑応答
90分集中講義:DVD版1500円(税込・送料込)
…音声と映像、ホワイト・ボードにカラフルな板書、
図示しながらの講演で、ディスペンセーション主義
聖書解釈が生まれてきた歴史的背景、パウロ・ペ
テロ・ヤコプ・ヨハネの使徒たちとは異なった聖書解
釈の原則から、構築される誤った「教会論」と
誤った「終末論」が形成されていく経緯を丁寧に
教えられます。【視聴版:音声のみ、板書・図示
なし、質疑応答部分なしでは、半分の理解しか
得られないと思います。基調講演・質疑応答の全
体を知りたい方は、DVDをお買い求めください。】
ディスペンセーション主義聖書解釈方法の
問題・教会論の誤り・終末論の誤り構築されたディスペンセーション主義神学の
影響を受けた神学を分解し、不良品を取り除
き、再組み立てをしていく手順の明確化基調講演に対する質疑と応答
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日本の福音派の「黙示録」理解の決定版 !
岡山英雄著『小羊の王国』 この八月に五百部増刷(第三刷)
*****************************************************
それと、2002年に初版、2004年に第二刷が刊行された
後、版元在庫切れの状態でありました岡山英雄著
『小羊の王国』が、この八月に新たに五百冊増刷(第三刷)
されました。
また、岡山英雄先生と同じ立場であるG.E.ラッド著
『最後の事物(終末論−大患難後・千年王国前再臨説−)』
(洋書:現在翻訳中)DVD講義録やエリクソン著『キリスト教
神学』第四巻の「千年王国と大患難」DVD講義録も販売
リストに揃え、紹介させていただきます。
岡山英雄先生も記されていますように日本の福音派
諸教会の「終末論」また「黙示録」理解が、「二十世紀
後半、アメリカのファンダメンタリズム運動の特殊な終
末論、“患難期前携挙説”に強く影響されていた」(p.63)、
「前世紀の特殊な“神学”に縛られる必要はない」(p.64)
とありますように、それぞれの教会・教派の良き伝統を
継承しつつ、誤った終末理解、間違った黙示録理解から
解放されるべき時期が来ているように思います。
そのような意味で、「終末論」、また「黙示録」の理解が
より聖書的な方向に改善さされていく、ひとつの資料源
を形成させていただければと願っています。
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2008.12 ICI Video Lectures 3 Sets
「DVD講義録三点セット」のご案内
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ICIビデオ講義録三点セット 発売記念特価:各科目単位 30% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円→39200円
『福音主義神学』770分=12800円→8960円
『比較宗教学』811分=13500円→9450円
発売記念特別価格:三点セット一括購入の場合のみ 50% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円
『福音主義神学』770分=12800円
『比較宗教学』811分=13500円
定価合計82300円→半額41150円
各シリーズの中の資料をカタログに従って、小単位で
分割購入される場合は、定価(60分1000円)です。
ICIビデオ講義録三点セット・チラシ(PDF)印刷可
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2008 Nairobi Statement Set
「ナイロビ声明三点セット」のご案内
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「霊の戦い-その聖書的・包括的理解に関するナイロビ声明」小冊子 =定価 500 円(税込)
「ナイロビ声明」解説講演・質疑応答DVD(80分) =通常価格1300円を特価 500 円(税込)
「悪の問題」「天使論」(6時間)ブルーレイ版でみることのできない方のための「DVD特別版」
通常価格6000円を特価3000円にて
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/11/01-11/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
アドベントの季節となりました。
十一月は、超強行スレジュールで過ぎてまいりました。
神学校講義、福音主義神学会基調講演、結婚式、伝道
礼拝、リバイバル・ジャパン原稿、現代聖書神学事典原
稿等々、常に五つくらいの奉仕準備を並行させて取り組
むという感じでした。
この感覚は、ここ数カ月続いている感じのもので、いつ
の間にか、これが当たり前のような感じになってきていま
す。これらの多重のさまざまな奉仕をこなしていくために
からだと神経が早朝に目覚めるようになり、なんとかひと
つずつやり終えてくることができました。この経験は大き
いと感じています。
今後、同様の大波が押し寄せてきても、なんとかこなせ
るという自信が身に付いたからです。パウロもピリピ4:12
で「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」と書いて
いることを思い起こします。
今回の「福音主義神学:再考−聖書・伝統・文化の中で−」
は、福音主義神学会四十周年を迎えようとしている時期
にタイムリーなテーマであったと受けとめています。神学
会また神学誌において、“Unity and Diversity in the
Evangelical Theology”に関し、熱心な議論と対話が促進
される先駆けになればと願っています。
あぐろ
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日本福音主義神学会 西部部会 秋期神学研究会議
DVD講演録のご案内
Evangelical
Theology ,
Re-evaluation : in the Bible, Tradition and Culture
2009年
11月16日:一宮基督教研究所
:福音主義神学
再考:
聖書・伝統・文化の中で
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2009.11.15 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「わたしが何をしたか、分かりますか」
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091115_yc_ag_ヨハネによる福音書13章1−15節
自分の時が来たことを知られた(vv.1-5)
今は分からないが、後で分かるようになります(vv.6-11)
わたしが何をしたか、分かりますか(vv.12-15)
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第三巻、第七部 キリスト
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2009.11.08 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「悪を良いことの計らいとされる神」
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ヤコブの偏愛とヨセフの苦難(創世記 29-49章)
可視的な背後の悲劇、罪の只中で、最大の愛の行為(マタイ26-27章)
悪を良いことの計らいとされる神(創世記 50:20)
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第三巻、第六部 罪
X.レオン-デュフォール編『聖書思想事典』
人間の罪までもその救いのために利用する
神の知恵の奥義が、もっとも明瞭に啓示され
るのは、神の子の受難のときである。
実に、父なる神が子を死に渡したのは、子に
最大の愛と従順の行為を果たさせるためであ
る。
この死の背景となった諸事情は、愛と従順を
表明するための最適の条件を作り出していた
といえる。この事情とは、人間の“罪”が生み
出した結果のことである。
すなわち、ユダの裏切り、使徒たちの逃亡、
ピラトの臆病、ユダヤ民族権威筋の憎しみ、
死刑執行人の残酷さなどであるが、この可視
的な悲劇の背後には、御子がいまだかつて
だれも成しえなかった愛で人々が愛することが
できるために、神は彼が人間の罪ゆえに傷つ
けられることと、“罪”という死の力の忌むべき
結果に服することを欲する。
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2009.11.015
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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Q 自分の胸の底に生まれた時から潜んでいるもの
夏目漱石著『こころ』
「罪」という問題
絶望の中の感謝のおたけび
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2009.11.01 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「人とは、何者なのでしょう」
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あなたの指のわざである天を見ます(v.3)
あなたは人を心に留め、顧みられる(v.4)
人に栄光と誉れの冠をかぶせ、万物を治めさせられる(vv.5-6)
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
人間が創造されたということは、人間が
独立自存の存在ではないことを意味する。
人間は被造物全体の一部である。
しかしながら、人間は被造世界において
ユニークな立場を占めている。
人間の間には兄弟関係(a brotherhood)
がある。
人間は、宇宙の最高の目的ではない。
人間には、はっきりとした限界もある。
有限性は本来、悪ではない。
人生におけるふさわしい適応は、自分自
身の有限性を受け入れることを基礎にし
てのみ成し遂げられる。
にもかかわらず、人間は素晴らしい存在
である。(第二巻、第五部「人間」pp.42-50)
*********************************************************
2009.11.01
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
*********************************************************
P “氷点”を照らし、溶かすお方としての聖霊
罪について
義について
裁きについて
Evangelical Theology , Re-evaluation : in the Bible, Tradition and Culture
1.日時:2009年 11月16日(月)10:00am−5:00pm
2.場所:一宮基督教研究所
(Kansai Bible Institute)
http://www.ICIwave.com/
〒630-0266 奈良県生駒市門前町 22-1 【.0743-70-8600】
3.主題:『“福音主義神学” 再考: 聖書・伝統・文化の中で』
16世紀の「宗教改革」、その遺産を体系化した17世紀の「正統主義神学」の後、18世紀の啓蒙思潮に適応・適合の道を選んだ19世紀の「リベラルなキリスト教」の流れに対し、その反動として20世紀前半の「ファンダメンタルなキリスト教」のあり方があり、それが内包する課題の克服への取り組みとして20世紀中期からの“福音主義神学運動”が位置づけられます。
そして、20世紀末より時代が「ポストモダン」に移行する中、福音主義神学が内包する諸課題の“再考・再吟味”が必要とされており、また神学校では神学教育における新たな“鳥瞰図”、また伝道・教会形成の現場では健全な聖書解釈のための新たな“ガイドライン”が求められています。
今回は、福音派組織神学の大著、M・J・エリクソン『キリスト教神学』を訳され、長年、これに基づいて神学校で講じてこられた安黒務氏に『福音主義神学−再考』討議のための基調講演を、そして金井由嗣氏・坂井純人氏・正木牧人氏の三つの神学校の教師にそれぞれの取り組みを踏まえたレスポンスをお願いしています。そして、フロアーから宣教現場の牧師・教師・神学生等からの自由な質疑がなされます。今回の会議において“ポストモダン時代における福音主義神学のあり方”にそれぞれ方向性を見出すことができたら幸いです。
4.プログラム 司会:午前(安黒氏)・午後(市川氏)
10:00−10:30 開会礼拝:賛美・祈り・歓迎の言葉:大田裕作氏
10:30−12:00 基調講演『福音主義神学−再考』:安黒務氏(一宮基督教研究所)
12:00− 1:00
昼食(近くに食堂はありません。各自ご持参ください)
1:00− 1:40 応答@:金井由嗣氏(関西聖書神学校)
1:40− 2:20 応答A:坂井純人氏(神戸神学館・神戸改革派神学校)
2:30− 3:10 応答B:正木牧人氏(神戸ルーテル神学校)
3:10− 4:30 ディスカッション
4:30− 5:00 閉会礼拝・総括:賛美・献金・総括・祈り:市川康則氏
5.参加費: 無料(自由献金の時あり)
【 ご案内 】
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2009.10.25 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
黙示録 CDメッセージ全集 のご案内
● 合計19章(8.9.10章除く)×約20分÷60分×1000円=6330円
● 解説資料ブックレット(40ページ)付き 500円
● 合計 6830円
*************************************************
2009.06.25
一宮基督教研究所
−今、“カデシュ・バルネア”に立って、
終末論・黙示録を望み見る−
新版「千年王国と大患難の見方」DVD講義録
180分集中講義:3000円(税込・送料込)
*************************************************
主要資料:岡山英雄著『患難期と教会』
参考資料:エリクソン著『新福音主義神学』、岡山英雄著『小羊の王国』、
関野祐二著『原理主義と福音主義』、A.マクグラス著『キリスト教の将来と
福音主義』、改革派世界会議終末論研究委員会報告『改革派の終末論』、
J.マーレー著『ローマ信徒への手紙』、エリクソン著『キリスト教神学』第四
巻、C.バス著『ディスペンセーション主義の背景』、R.クラウス編『千年王国
の意味:四つの見方』、S.ガンドリー編『携挙に関する三つの見方』、他
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日本の福音派の「黙示録」理解の決定版 !
岡山英雄著『小羊の王国』 この八月に五百部増刷(第三刷)
*****************************************************
それと、2002年に初版、2004年に第二刷が刊行された
後、版元在庫切れの状態でありました岡山英雄著
『小羊の王国』が、この八月に新たに五百冊増刷(第三刷)
されました。
また、岡山英雄先生と同じ立場であるG.E.ラッド著
『最後の事物(終末論−大患難後・千年王国前再臨説−)』
(洋書:現在翻訳中)DVD講義録やエリクソン著『キリスト教
神学』第四巻の「千年王国と大患難」DVD講義録も販売
リストに揃え、紹介させていただきます。
岡山英雄先生も記されていますように日本の福音派
諸教会の「終末論」また「黙示録」理解が、「二十世紀
後半、アメリカのファンダメンタリズム運動の特殊な終
末論、“患難期前携挙説”に強く影響されていた」(p.63)、
「前世紀の特殊な“神学”に縛られる必要はない」(p.64)
とありますように、それぞれの教会・教派の良き伝統を
継承しつつ、誤った終末理解、間違った黙示録理解から
解放されるべき時期が来ているように思います。
そのような意味で、「終末論」、また「黙示録」の理解が
より聖書的な方向に改善さされていく、ひとつの資料源
を形成させていただければと願っています。
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2008.12 ICI Video Lectures 3 Sets
「DVD講義録三点セット」のご案内
*************************************************
ICIビデオ講義録三点セット 発売記念特価:各科目単位 30% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円→39200円
『福音主義神学』770分=12800円→8960円
『比較宗教学』811分=13500円→9450円
発売記念特別価格:三点セット一括購入の場合のみ 50% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円
『福音主義神学』770分=12800円
『比較宗教学』811分=13500円
定価合計82300円→半額41150円
各シリーズの中の資料をカタログに従って、小単位で
分割購入される場合は、定価(60分1000円)です。
ICIビデオ講義録三点セット・チラシ(PDF)印刷可
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2008 Nairobi Statement Set
「ナイロビ声明三点セット」のご案内
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「霊の戦い-その聖書的・包括的理解に関するナイロビ声明」小冊子 =定価 500 円(税込)
「ナイロビ声明」解説講演・質疑応答DVD(80分) =通常価格1300円を特価 500 円(税込)
「悪の問題」「天使論」(6時間)ブルーレイ版でみることのできない方のための「DVD特別版」
通常価格6000円を特価3000円にて
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/10/01-10/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
北方より寒波が到来する季節となりました。
さて、十月は所属教派の牧師会で研修講演のときが
もたれ、私が「ディスペンセーション主義聖書解釈の
問題」について、Clarence B. Bass " Background to
Dispensationalism "と岡山英雄著『小羊の王国』等
を基本テキストとして、基調講演を行い、質疑応答
を受けるひとときをもたせていただきました。
わたしの個人的感触としましては、私たちの教派に
ひとつの大きな節目がもたらされたのではないかと
受けとめているところです。近年は毎年のように新し
い課題が与えられています。「右傾化の問題と教会」
「セカンド・チャンス論の問題」「霊の戦いとナイロビ
声明」、そして今年は「古典的ディスペンセーション
主義聖書解釈の問題」を本格的に取り扱うこととな
りました。
これらの経緯全体の中で、神さまから教えられてき
た基本的な事柄を整理するかたちで、11/16には
日本福音主義神学会西部部会秋期研究会議で
『福音主義神学:再考−聖書・伝統・文化の中で』
というテーマで基調講演させていただき、質疑応答
を受ける予定です。まだ、未完成の基調講演原稿
ですが、関心のある方は閲覧のみでありますが、
パスワード(1116)で公開していますので、ご覧くださ
い。神学会当日までにもう少し手を入れて完成させ、
発表したいと考えています。お祈りください。
あぐろ
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2009.10.25 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
黙示録 CDメッセージ全集 のご案内
● 合計19章(8.9.10章除く)×約20分÷60分×1000円=6330円
● 解説資料ブックレット(40ページ)付き 500円
#Rev22
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2009.10.25 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「彼らは永遠に王である」
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都の大通りの中央をいのちの水の川が流れていた(vv.1-4)
彼らは永遠に王である(v.5)
この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである(vv.6-21)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.214-219
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.286-296
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.239-248
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.175-189
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.343-352
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.1133-1241
ポール・マーシャル著『わが故郷、天にあらず』pp.249-276
山中良知著『聖書における労働の意義』
エデンには園を潤す四つの川が流れていた
(創世記2:10-14、エゼキエル47:1-12)。園の
中央には「いのちの木」があった(創世記2:9)。
「新しいエルサレム」には、水晶のように光る
「いのちの水の川」が、神と小羊との御座から
出て、都の大通りの中央を流れている。
地上における死と暴力の終焉とともに、暗黒
の力は完全に消え去り、贖われた被造物世界
の「新しいエルサレム」にはエデンの園をは
るかにしのぐ、究極のいのちが満ち溢れる。
終末における祝福とは、創造における祝福
の回復でもある。エデンの園における神と
人間との平和な関係(創世記1-2章)は、人
の犯した罪ゆえに崩壊したが(創世記3章)、
新しいエルサレムにおいて、その関係は
完全に回復し、さらにすぐれた究極に至る
(黙示録21-22章)。
神による贖いは、人々や国々のみならず、
全被造物へと及んでいく。来臨まで地上では、
教会は少数者として証言を続けるが、贖わ
れた地球、新天新地においては、存在する
ものすべてが、神の贖いの光に包まれる。
単純で霊的な真理とは、この世界が私たちの
故郷であり、この世界での私たちの日々の
労働は、神への奉仕であり、ここで成し遂げる
ものは永遠の価値があり、私たちは肉体の
復活を待ち望んでいるのであり、神が住まわ
れる新天新地を待ち望んでいるのであり、
私たちはこれらを信じて生きるべき者である。
C.S.ルイスはその著書『奇跡』の中で、
私たちの地上での“生”の意味、また“労働”
の意義について、「子供が子馬のポニーを
もらって乗りこなそうと努力しているようなもの」
であり、「新天新地の厩(うまや)には、鼻息
の荒い競走馬がこれを乗りこなす騎手を待ち
構えている」と記している。
#Rev21
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2009.10.18 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「また、私は新しい天と新しい地を見た」
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また、私は新しい天と地を見た(v.1,5-8)
私はまた、聖なる都、新しいエルサレムを見た(v.2,9-27)
私は「神はともに住み、彼らはその民となる」と聞いた(v.3-4)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.205-211
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.275-285
G.E.Ladd“The Pattern of New Testament Truth”pp.13-31
G.E.Ladd“The Last Things”pp.29-39
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.228-239
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.62-70,175-188
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.326-343
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.1108-1133
牧田吉和論文「A.ファンルーラーの終末論の一つの神学的意図」
『改革派神学』第30号特別記念号,pp14-27
黙示録研究も、いよいよ終局を迎えんとしている。
テーマは「新天新地」である。このテーマを扱う時に、
ギリシャ哲学のグノーシスの考え方を視野にいれ
ておくことは重要な部分である。
ボウカムの著述においても、「創造物に対する創造主
の誠実」への言及があり、「実際に、ヨハネの黙示録
の終末論的な希望の基礎は神を創造主としする
理解に置かれるだけではなく、創造物に対する創造
主の誠実を信じることにも置かれている」とある。
このテーマは、ラッドの著作集にも繰り返し指摘され
ていることである。「新天新地」の解説において、
「その場所にあって、ヨハネは新しい天と新しい地を
見る。聖書全体を通じて、神の民の究極的な運命は
地上的な運命である。典型的な二元論のギリシャ思想
において、宇宙は、地上的あるいは一時的な世界と
永遠の霊的世界の二つの領域に分けられる。救いは
一時的ではかない領域から永遠の現実の領域への
魂の飛翔である。しかしながら、聖書の思想は常に、
地上的存在から天的領域に取り去られることではなく、
贖われた地上に人間を置いている」のである。
ここでは、紙面の関係で、抜粋で断片的にはなるの
だが、上記の資料の中から、この点にさらに深く肉
薄しているファンルーラーの指摘に注目してみたい。
ファンルーラーは、歴史的改革派神学に従い、創造
の業を神の必然の業であることを否定する。創造は
神のよしとされる御旨に基づく、すなわち聖定に基づ
く、神の自由なる主権的行為である。この主権的行為
は善意を意味する。神はこの物質的実在を欲せられ
たのである。神は物質的実在を喜び、ここでご自分
の栄光を顕わされたのである。この世界は「神の栄光」
の劇場である。
しかし、考えて見るならば、このような議論において、
何故ファンルーラーは、「被造物」あるいは「世界」とい
う使い慣れた一般的な言葉の使用よりも、好んで「物質」
とか「事物」という言葉を多用するのであろうか。そこ
には明らかな意図があるであろう。
キリスト教信仰において、内的・霊的側面が強調され、
「事物性」は軽視されやすい。この点を踏まえて、
ファンルーラーは、むしろ被造物の「事物性」を、しかも
「“善きもの”としての事物性」を強調したかったのであり、
そのために上述の議論においても意図的に「物質」
あるいは「事物」という言葉を多用したのである。
このような終末と事物との関係をめぐるファンルーラー
の主張にはいかなる神学的意図が秘められているの
であろうか。すでに明らかなようにファンルーラーの
終末論は創造論と一体的関係にある。当然その場合、
終末論と創造論とがどのように関係するのかが問わ
れることになる。我々はのちほどこの問題に触れる
ことにするが、今ここでは彼の創造論を問題にしたい。
これまでの議論から伺い知れることは、第一に創造論
における「無からの創造」の教説の果たしている役割
である。それは被造物を、幻想や非存在ではなく、
まさに現実として見させるものである。しかし、第二に
そして決定的に重要な役割を果たしているのは、“は
なはだ良かった”と語られた「善き創造の教説」である。
ファンルーラーにとって、救済が救済であり続けるとこ
ろでは、罪が問題になる。地上的なものは罪と腐敗が
絡み、したがって救済が語られるところではたえず地
上的なものへの蔑視が同伴しやすい。救済は“罪と腐
敗”からの救済ではあっても、“被造物的現実性”から
の救済ではない。救済の目的は、あくまで“再創造”
である。
エリクソンも、人間の生・死・永遠において、聖書は
「条件つき一元性」を提示していると説き、死後の中
間状態を除いて、人間存在のモニズム的理解を教え
ている。被造物の冠としての人間と被造物世界
、
堕落した人類と空しくさせられた被造物世界、贖われ
た人間と贖われた新天新地、古い肉体を一時的に
脱ぎ捨て、“裸”の状態にあった魂は、“栄光のからだ”
を着せられ、栄光の新天新地において、生きるもの
とされる。そこにみるものは、被造物たる人間と被造物
世界の栄化である。ラッドやファンルーラーが指摘し
ている通り、“天国”また“永遠の世界”の理解の中に、
ギリシャ的二元論理解
の背景を看取し、聖書の“事物”
理解に立った理解を回復することは終末論、また黙
示録理解にとって大切な部分である。
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2009.10.015
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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O 私たちの“生”を照らす光としての聖霊
神の最高傑作としての人間
“生”の意味と価値
平凡な“生”を照らす光
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ストリーム形式・音声のみ・無料視聴【期間限定】講演
『(古典的)ディスペンセーション聖書解釈』の問題
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今日、イスラエル関係の様々なセミナーが開催されています。
それらの中には、聖書解釈上の問題を内包する教えが
含まれているケースもあります。それゆえ、健全な聖書解
釈の原則のあり方を学び、さまざまな教えを健全な聖書
解釈の視点からクリティカルに、取捨選択しながら学ぶ
ことが必要な時代になっています。
健全な聖書解釈の原則とは一体どのようなものなので
しょうか。日本では、ディスペンセーション系の出版物と
改革派系の置換神学の出版物が大半を占めてきた経緯
もあり、両極の理解が支配的です。そのような中で、
エリクソン著『キリスト教神学』、岡山英雄論文『患難期と
教会』や著作『小羊の王国』等の穏健で中庸な、バランス
のとれた聖書的な理解が提示されてきました。この流れ
にそうかたちでディスペンセーション聖書解釈の内包する
課題を包括的な視点から扱ったDVDを作成しました。
さまざまなセミナーが開催されているという緊急性に鑑み、
この内容を視聴用ということで、ストリーム形式で音声
のみで無料公開させていただきます。DVDを見ながら、
学ばれると一番よいのですが、できるだけ広く、深く、
早く、このような学びを多くの方に提供させていただくた
めに、今回はこのようなかたちにさせていただきました。
図示や板書なしでは、ところどころ聞き取りにくい個所
も多々あるかと思いますので、基調講演・質疑応答の全
体を知りたい方は、DVDをお買い求めください。下記
にも詳しく案内しています。
質疑応答
> 改革派系の置換神学
Q: ”置換神学”という言い方をしていましたが、
どういう意味ですか?
★岡山英雄著『小羊の王国』p.192にも出てきますが、
「イスラエル民族の特殊性を認めず、新約の教会によって
その役割が置き換わったとする置換神学」という記述が
参考になると思います。
Q:なお、”イスラエル” の解釈については 改革派陣営にも 幅があって
霊的なイスラエルととる立場 から (肉的なイスラエルのなかからも
多くの回心者が起こるということを理解して)選民全体と理解する立場
まであったように思います。 後者の立場には、ジョン・マーレーも
含まれるたのでは・・・。
★岡山英雄著『小羊の王国』のp194にも、ヴォス、マーレー、
ホッジ、ラッド、ガンドリー、ブルース、マコミスキイも
同様の立場の神学者に分類されています。ラッドやエリクソン
は、マーレーやヴォスを参考にしているように思います。
その意味で、改革派系=置換神学の立場とするのは、正確では
ないと思います。ただ、そのような傾向が強いのではないかと
いうのが、幾つかの改革派系の神学書や文書を読んだときのわた
しの印象です。
★ディスペンセーション主義の立場にも、大きく分けて古典的、
修正、漸進的の三つの立場があるように、改革派系の間にも、
ローマ書9−11章の解釈に幅があるように受けとめています。
中庸で穏健な解釈への歩み寄りがみられるように思います。
ただ、岡山英雄著『小羊の王国』のpp.192-195で言及されている
「イスラエルの民族性」と「イスラエルの普遍性」をどのような
バランスでみるのかにおいて、漸進的ディスペンセーション主義
の立場と、バプテスト系のエリクソンやラッドや岡山氏と、
改革派系のヴォスやマーレーとの間には、微妙な差異があるように
思います。
★そのあたりに関しては、トリニティ神学校で長年「組織神学」を
教えていたウェイン・グルーデムの言及が参考になります。
Wayne Grudem“Systematic Theology”pp.859-863「教会とイスラエル」
希望される方には、その箇所の資料を差し上げますので、
その旨、メールください。
#Rev20
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2009.10.11 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「神の民は一千年間、キリストとともに支配する」
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悪魔である竜は、千年の終わるまで縛られた(v.1-3)
神の民は生き返って、キリストとともに千年支配した(v.4-6)
悪魔といのちの書に名の記されていない者は火の池に(v.7-15)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.173-200
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.259-274
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.219-227
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.140-143
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.303-326
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.1069-1108
前後の章の脈絡は、再臨(19章)→千年王国(20章)
→新天新地(21章)という展開になっている。千年王
国は、サタンの捕縛によって始まり、神の民が復活
して、支配し、その終わりにはサタンの解放と、それ
に伴うゴグとマゴグの戦いが起こるが、天からの火
によって、悪魔とその軍勢は最終的に敗北する。
千年王国には、三つの説がある。千年王国後再臨説
と無千年王国説とは、表裏一体の関係があり、神の
国の“現在性”を強調する。千年王国前再臨説は
神の国の“未来性”を強調する。両者ともにキリスト教
終末論の重要な側面であり、双方を視野に入れる
ことなくして、健全な聖書的終末論の構築はありえない。
その点からは、これらの三つの解釈は、択一的では
なく相補的であって、視点を変えることによって、終末
論の多様な側面が明らかにされていく。
相補的ではあるが、聖書解釈をし、聖書からメッセージ
を語る者としては、よりベターな聖職解釈とは何かを
明確にしていく責任がある。この判断において最も
重要なポイントは二つあり、ひとつは「第一の復活」
(vv.4-6)の意味内容の問題であり、二つ目は「二つの
終末戦争」の関係である。
千年王国後再臨説と無千年王国説では、「第一の復活」
を“新生”の意味で理解するが、これは釈義的に問題
がある。ラッドは、四節のエゼサン(生き返って)と五節
のエゼサン(生き返らなかった)を前者を“新生”、後者
を“肉体の復活”と解釈する理解を、解釈の原則を捻じ
曲げるものであると批判する。同じ文脈で使用される
同じ用語は、基本的に同じ意味で解釈するのが、通常
の聖書解釈の原則である。
千年期の最後の復活が「肉体の復活」であるのなら、
千年期の最初の復活もまた「肉体の復活」と理解する
のが最も自然な聖書解釈であり、この解釈にたつなら、
キリストの再臨のときのクリスチャンの第一の「肉体復
活」と千年期の終わりの未信者の第二の「肉体の復活」
の間に“一千年”の期間が存在するとの理解は、最も
自然な聖書解釈であるといえる。それゆえ、千年期前
再臨説は最も聖書的に自然な解釈である。
「二つの終末戦争」とは、患難期末のハルマゲドンの戦
いと千年期末のゴグ・マゴグの戦いのことである。
千年期前再臨説では、こ二つの戦いは異なる戦争と解釈
するが、無千年王国説と千年期後再臨説では、同一の
戦いと解釈する。
二つの終末戦争の間には、類似した表現もあるが、同じ
戦いではない。なぜなら、ハルマゲドンの戦いは「白い馬
に乗った方(キリスト)」によって勝敗が決するが、ゴグ・
マゴグの戦いは「天から降ってきた火」によってサタンの
軍勢は焼き尽くされ、戦闘は実際には行われていない
からである。
また、両者の違いは、二つの戦争が時間的に連続する
ように書かれているからである。すなわちハルマゲドンの
戦いにおいて、まず「獣」と「偽預言者」が滅ぼされ(19:20)、
そしてゴグ・マゴグの戦いにおいて「悪魔」が滅ぼされるが、
悪魔が投げ込まれる「火の池」には、すでに「獣」と「偽預
言者」はいる(v.10)。
それゆえ、戦争を引き起こすのはハルマゲドンの場合は
「竜、獣、預言者」(16:13-16)であるが、ゴグ・マゴグの場合
はすでに「獣と偽預言者」は滅ぼされている(19:20)ので、
諸国民を招集するのは「竜」のみ(vv.7-8)。それゆえ、黙示
録は、「二つの終末戦争」を時間的に連続する二つの戦争
として描いており、それは千年期前再臨説を支持している。
黙示録解釈の原則は、使徒たちの聖書解釈の原則にたつ
べきである。つまり、旧約は新約によって、すなわちエゼキ
エル書は黙示録によって解釈されるのであって、その逆で
はない。それゆえエゼキエル書の記述に基づいて、終末戦
争をあまりにも詳細に描くことには、慎重でなければならない。
また、「千年王国」についての記述はきわめて少なく、聖書
全体でも、黙示録20:1-10の十節のみである。しかも、それ
は歴史の完成ではなく、新天新地に至る過渡的な期間でし
かない。にもかかわらず人々の関心を集め、空想に基づいた
詳細な記述が試みられてきた。
古典的ディスペンセーション主義の立場にたつ人々は、
この「王国」を強調し、旧約のイスラエルに与えられた預言
の大部分は、千年王国において成就すると主張する。しかし、
旧約の多くは千年王国と新天新地の双方にかかわっており、
それらを千年王国のみに限定することはできない。
また、黙示録の記述はきわめて簡潔なので、この期間につ
いては不明なことが多くある。たとえば、千年王国をイスラ
エル民族に関係した特別な期間とみなす説があるが、イスラ
エルの救いの問題を包括的に扱っているローマ9-11章にお
いて、千年期についての言及はないし、黙示録にも千年期と
イスラエルの結びつきは示されていない。
黙示録、また新約聖書が語っていない事柄については、沈黙
しなければならない。千年王国について、想像力を働かせて
あまりにも細かな描写を試みることは控えなければならない。
千年王国の理解において、また終末における「イスラエル民族
の位置づけ」については意見が分かれており、イスラエルの
“民族性”のみを強調するディスペンセーションの立場とイスラ
エルの“普遍性”のみを強調する置換神学の両極端がある。
しかし、旧約聖書をイエス・キリストの十字架のみわざと聖霊
の働きを中心にして解釈する原理を確立した使徒たちである
パウロ、ペテロ、ヤコブ、ヨハネは、両極端を排した“穏健で
中庸な”聖書解釈のカイドラインを提示している。
このスタンスを明らかにしているのが、ラッド、エリクソン、岡山
氏の立場である。
極端な字義的聖書解釈である古典的ディスペンセーション主義
の歴史的背景、その聖書解釈がどのような経過をたどって
「誤った教会論」と「誤った終末論」を生み出していったのかを
丁寧に解説した講演が、下記に紹介のある『JEC牧師会研修
基調講演−ディスペンセーション主義聖書解釈の問題−』DV
D講演録である。このテーマについての包括的な理解を得たい
人にはぜひ繰り返し視聴し、学んでほしい、このテーマでは最
良のDVD講演録である。
近年、イスラエルをテーマにしたセミナーが各地が開催されて
いる。これは感謝なことであるが、それらのセミナーでの講演
内容が古典的ディスペンセーション的なものとなって、集う教職
者や信徒の方々に対して、使徒たちが確立した「健全な聖書
解釈」「教会論」「終末論」に悪影響をもたらす場とならないよう
にと祈っている。
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ディスペンセーション主義の内包する課題克服を扱う、大変分かり易い三部作
− 単品での購入も可能です! −
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−今、“カデシュ・バルネア”に立って、終末論・黙示録を望み見る−
一宮基督教研究所・終末論特別講義:資料:岡山英雄著『患難期と教会』、他
多数
2009.06.25 新版「千年王国と大患難の見方」DVD講義録(#20090625)
患難期の重要性
患難期と神の民
患難期はいつか
180分集中講義:3000円(税込・送料込)
黙示録特別講義DVD−『イスラエルと教会』
一宮基督教研究所・終末論特別講義:資料:岡山英雄著『小羊の王国』、他
多数
『(古典的)ディスペンセーション聖書解釈』の問題:(#20091006)
★★★★★(このテーマでは、五つ星の最良のDVD資料)
:C.R.バス著『ディスペンセーション主義の背景』、他多数
2009.10.06:JEC牧師会研修基調講演と質疑応答
90分集中講義:DVD版1500円(税込・送料込)
…音声と映像、ホワイト・ボードにカラフルな板書、
図示しながらの講演で、ディスペンセーション主義
聖書解釈が生まれてきた歴史的背景、パウロ・ペ
テロ・ヤコプ・ヨハネの使徒たちとは異なった聖書解
釈の原則から、構築される誤った「教会論」と
誤った「終末論」が形成されていく経緯を丁寧に
教えられます。【視聴版:音声のみ、板書・図示
なし、質疑応答部分なしでは、半分の理解しか
得られないと思います。基調講演・質疑応答の全
体を知りたい方は、DVDをお買い求めください。】
ディスペンセーション主義聖書解釈方法の
問題・教会論の誤り・終末論の誤り構築されたディスペンセーション主義神学の
影響を受けた神学を分解し、不良品を取り除
き、再組み立てをしていく手順の明確化基調講演に対する質疑と応答
*但し、ディスペンセーション主義の流れも、すぐれた教師
陣を有する神学校レベルでは、古典的ディスペンセーション
主義→修正ディスペンセーション主義→漸進的ディスペン
セーション主義と変遷してきており、その内容は伝統的な
福音主義の理解に接近してきている。しかし、大衆的な牧
師や信徒レベルでは依然として、古典的ディスペンセーシ
ョン主義の影響は強く残っている。それゆえ、C.R.バス著
『ディスペンセーション主義の背景』は、ディスペンセーション
主義運動の初期の重要な段階についてのより良き理解に
貢献している。(C.R.バス著『ディスペンセーション主義の
背景』の序文を書いたホイートン大学のS.R.スペンサー教
授の分析)
私の作成した上記の資料も、ディスペンセーション主義を
批判するためのものではなく、建徳的な対話を呼び掛けて
いるものと受けとめていただければ幸いである。
*なお、教会へのひとつの召命としてのユダヤ人伝道の
重要性を扱った、バランスのとれた包括的な文書としては、
下記のものがある。この取り組みに関しては、アンバラン
スなものや、ディスペンセーションの教えの影響が濃厚な
ものなど、極端なものもあるので、注意が必要である。
このテーマを包括的な視野でとらえる鳥瞰図と健全な福
音主義神学にたつ聖書解釈・イスラエルと教会の有機的
一体的理解・患難期と千年王国と新天新地における普遍
的な神の民の視点がきわめて大切である。その意味で、
この小冊子とICIの資料を参考にして考えていただければ
幸いである。
●誰もが知りたいローザンヌ宣教シリーズ No.60
『ユダヤ人伝道−教会への召命−』
関西ミッション・リサーチ・センター:Tel. 078-221-6956
発売 いのちのことば社 定価1000円+税
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2009.10.15
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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神の最高傑作としての人間
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平凡な“生”を照らす光
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2009.10.04 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「花嫁は用意ができ、小羊の婚姻の時がきた」
*************************************************
真実で正しい神は大淫婦を裁かれた(v.1-4)
花嫁は用意ができ、小羊の婚姻の時がきた(v.5-10)
獣と偽預言者は硫黄の燃えている池に投げ込まれた(v.10-21)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.162-172
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.210-219
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.137-140
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.244-258
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.292-302
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.1012-1069
今や、キリストが栄光のうちに、その花嫁である
教会と結婚するためにおいでになる。天にハレ
ルヤの賛美が響き渡る。全天は、神が大淫婦
バビロンに勝利されたことを喜び祝う。
爆発的な賛美の理由をあげる。正義が行われ
た。「大淫婦」は「その不品行」によって地を汚し
たので、天の全体がその倒壊を喜ぶ。
大淫婦バビロンの汚れと徹底的な審判と対照
的に、花嫁である教会は小羊なるキリストとの
婚姻の時を迎える。
聖徒たちの「正しい行い」には、ディカイオーマ
が使用されており、「義認の宣告」の意味を内包
する。「正しい行い」は、聖徒自身からのもので
あるよりは、キリストによって与えられたもので
ある。7:9,14の「大群衆の白い衣」は、着る者の
正しい行いの結果ではなくて、「小羊の血」によ
って洗われた結果であった。
「その方は血に染まった衣を着ていた」とある。
これは明らかにカルバリを指している。キリスト
は自らの血を流して勝利を得た。キリストは他者
の血によってではなく、自らの血によって勝利を
勝ち取られる。
軍勢についてのべた後に、「神のことば」にもどる。
「鋭い剣」が「この方の口から」出ていた。彼の
ことばは力強い。軍勢ではなく、ことばによって、
彼は「諸国の民」を打つ。
誰が最高の主か、疑問の余地はない。人間の大
群衆の死体の宴会が記されている。グロテスク
な描写と思われる。しかし、戦場にしばしばみら
れる情景でもある。エゼキエル39:4,17-20には、
戦場で敗北したときの情景が記されている。
「あなたと、あなたのすべての部隊、あなたの率い
る国々の民は、イスラエルの山々に倒れ、私はあ
なたをあらゆる種類の猛禽や野獣のえじきとする」
これは、「真実で、正しい神」、「忠実また真実な
キリスト」により、悪が完全に打ち滅ぼされること
を表す。
「獣」も「偽預言者」も滅ぼされ、「硫黄の燃えてい
る池に、生きたまま投げ込まれた」、悪の完全な
滅亡を表している。
キリストの再臨が何を意味するか。それは悪の滅
亡と神の民の救いである。これは、十字架に示さ
れている二面性である。そこには「審判と救い」の
両面が存在していた。刑罰代償説がそれを明らか
にしている。個人の内面においては、ローマ7章に
みられるように「肉と霊」の闘争があり、世界と宇宙
においては「悪とキリスト」の闘争が存在してきた。
しかし、それらすべてに最終的な決着がつけられる。
*********************************************************
2009.10.01
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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N 溺れる者、藁をも掴む
君は何故、クリスチャンに
不安に満ちた十三時間の登攀
私の“生”そのものが
────────────────────────────────
[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/09/01-09/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
九月に入り、朝夕めっきり冷え込むようになりました。
九月は、神学校で二回の集中講義と月末に向けて、秋期
の神学研究会議の基調原稿の下準備に時間をとっていま
した。集中講義においては、終末論補講として、岡山英雄
論文『患難期と教会』の特別講義の続編として、岡山英雄
著『小羊の王国』の解説講義をしました。そして10/6の牧
師会研修においては、『ディスペンセーション主義聖書解釈
の問題』と題して、C.B.バス著『ディスペンセーションの背景』
にも焦点をあてて、この教えの歴史的背景をも含めて、
この課題に取り組みたいと考えています。
現在、団体と神学校の必要を感じ、黙示録の講解説教
に取り組んでいます。このメッセージは、岡山英雄先生の
論文と著作を通して、私自身が聞きとれるようになった黙
示録からのメッセージの証しです。わたしの所属している
団体と神学校だけでなく、それを超えて多くの教会、クリス
チャンの方々が関心を寄せてくださり、各地の教会で黙示
録の聖書研究が始められていると聞き及んでいます。
岡山英雄先生の優れた取り組みが、いろんなかたちで
実を結んでいくことを祈っています。わたしのささやかな
取り組みもその援護射撃になればと願いつつ…。
あぐろ
#Rev18
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2009.09.27 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「わが民よ。この女から離れなさい」
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一瞬のうちに、大バビロンが倒れた(v1-3)
彼女を裁く神である主は力強い方(v.4-20)
預言者や使徒たちの血がこの都の中に見出された(v.21-24)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.134-149
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.201-210
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.47-52,163-174,199-204
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.235-243
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.338-383
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.283-292
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.961-1012
「大バビロン」は、その巨富にによって、「自分を
誇り」、王や商人たちを富ませるが、最後には
神によって打倒される。「大バビロン」の虚飾の
富によって豊かになった「地上の商人たち」や、
「海で働く者たち」は、彼女の裁きを嘆く。
「ストゥレーノス」(18:3,7,9)という語が好色と贅沢
という二つの意味を持つように、富と淫行、経
済的繁栄と性的堕落とは深く結び付いている。
「大バビロン」は、その富と繁栄によって、全世
界を経済的、文化的に支配しつつ、地の住む
人々を、道徳的退廃へと誘い込む。
この幻が象徴しているのは、一世紀のローマ
帝国の、そして地上のすべての繁栄した国家
の物質的な豊かさと道徳的堕落、すなわちその
経済的また倫理的な側面であり、さらには私た
ちの内に潜む、自己中心的な物欲と肉欲である。
黙示録17-18章の「大バビロン」への裁きの幻
は、バビロニヤ帝国の裁きの預言(イザヤ47章、
エレミヤ50-51章)を原型にしている。バビロン
は「王国の女王」であり、「祝福」「魔術」によって、
国々を欺き、「金の杯」で酔わせたが、その「罪
は天に達し」、破滅は「一日のうちに、一瞬のう
ちに」やってきて、その「裸は現れ」、「火」によっ
て「焼き尽く」される。
神に反逆する国家としてイスラエルを攻撃した
バビロニヤ帝国、繁栄を誇ったツロ、教会を迫
害したローマ帝国、そして終末の「大ハビロン」
は、すべて、富による高ぶり、その結果としての、
淫行と堕落のゆえに、裁かれ、滅亡する。
「大バビロン」による富の蓄積は、単に経済的な
利潤追求の問題にとどまらない。それは真に価
値あるものは何か、礼拝されるべきものは何か
と、私たちに問いかける。
富や物質的な豊かさは、神の祝福の結果である。
しかし富、金、モノに、神以上の価値が与えられる
なら、それは自己の欲望を神とする偶像礼拝と
なる。
「大バビロン」の虚飾の繁栄の内側には、深い
汚れがあった。これに対し、神の都とその民に
関して、強調されているのは、その「聖さ」である。
「大バビロン」の汚れを離れ、「聖く」生きるように
神の民は求められている。
#Rev17
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2009.09.20 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「獣に乗っている大淫婦への裁き」
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大水の上に座っている大淫婦(v.1-6)
七つの頭と十本の角をもつ獣(v.7-14)
淫婦は裸にされ、火で焼きつくされる(v.15-18)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.134-149
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.191-201
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.47-52,163-174,199-204
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.220-234
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.343-344,431-450
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.271-283
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.905-961
「大水の上に座っている大淫婦」は、大河ユー
フラテス川沿いに建て上げられたバピロン帝国
の首都「大バビロン」をイメージさせられる。
「女」は、神から離れ文明化されした人間、組織化
された不信仰な共同体を指している。
旧約の比喩は、無礼で偶像礼拝的な世を、売春
婦として描く。ヨハネは、旧約の象徴に沿って再
解釈し、多くの属国を支配する世界規模の帝国
を描きだす。
「女」は、ローマ帝国の首都ローマとも同一視され、
「七つの頭」は「女が座っている七つの山」と説明
される。「ローマの七つの丘」は古典文学でもしば
しば言及されている。
大きな都の象徴的意味は、個々の都を超えたもの
であり、どの時代にもあらわれ、歴史のあらゆる時
代の誘惑の中心地としての世界である。
「淫婦」「バビロン」は、常に「花嫁」「新しいエルサレ
ム」に敵対する。
ローマでは、冒涜的なことが広まっており、全力で
神と敵対するような都であった。
「王たち」は、ローマの皇帝を指す。「五人」は、アウ
グストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、
ネロである。六人目はヴェスパシアヌス、七人目は
ティトゥスである。八人目はドミティアヌスとなり、「再
び現れたネロ」とも言われる。
象徴的表現は、常にひとつ以上の意味をもつ。七人
は、「歴史全体としてのローマ帝国の権力」を表す。
八人目は、皇帝、帝国、象徴のいずれであっても、
七人のうちのひとりと同一視される。七は獣の頭なの
で、悪の根源である獣は、七人それぞれに、ある程度
具体化している。「底知れぬところから上ってくる」獣
の頭であるサタンとの関連も考えられる。
獣はすでに言及された「八人」だけでなく、「十本の角」
「十人の王」がおり、パルテヤの太守のような地上の
王たちが意味されている。
旧約では、売春婦からすべてを剥ぎ取る(淫婦オホリ
バへの罰:エゼキエル23:25-30参照)。バビロン、ロー
マ、そして反神的で不道徳な文明・文化への審判が
予告されている。
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2009.09.15
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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M 聖書は、回心と召命の物語である
聖書は召命の物語
宣教命令と文化命令
個性の多様性に対応
#Rev16
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2009.09.13 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「神の激しい怒りの七つの鉢」
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あなたの裁きは真実な、正しい裁きです(v.1-11)
ハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた(v.12-16)
御座からの大きな声が「事は成就した」と言った(v.17-21)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.182-184
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.182-190
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.133-137
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.209-219
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.2-23
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.263-270
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52B”pp.882-903
三つの審判シリーズ:七つの封印された巻物・
七つのラッパ・七つの鉢の審判は、警告的・救
済的な審判から総括的な審判へと至る。
十字架は、救いと裁き、代償と刑罰、神の愛と
義の二面性をもつ。
出エジプトの十の災いは、イスラエルの民を区
別したように、七つの鉢の裁きは神の民を区別
し、そのただ中で保護する。
裁きは、もはや悔い改めに導くのではなく、その
正反対に獣礼拝に固執するものと結びついていく。
16章から19章の審判は、神を呪って悔い改め
ない者たちの最終的運命、神とその義に逆らい、
獣、偽預言者、バビロン、地上の王たちに象徴
される体制である「政治・経済・宗教」の破壊と
なる。
黙示録における二つの終末的世界戦争は、患
難期末のハルマゲドンの戦いと千年王国期末
のゴグとマゴクの戦いである。それは、地上の
国々の間で行われるいかなる戦争とも異なる
ものであり、天による軍勢と地の軍勢との戦い、
天から白い馬に乗って下ってくるキリストとその
軍勢と獣と地上の王たちの軍勢との戦いである。
戦いの武器は、武力や軍事力、核兵器や生物
兵器以上のものとしての、神のことば・キリスト
の権威による戦いである。
ハルマゲドンの戦いの後、地上のすべての汚れ
や不義、不正、悪は滅亡し、神の義と平和の世
界、キリストとその民との結婚、永遠の歓喜と祝
福がもたらされる。
黙示録には、19章前半にみられるように、花嫁
である教会を迎える花婿としてのキリストの描写、
19章後半にみられるように、悪の軍勢を滅ぼす
神の軍勢の将としてのキリストの描写とが併存
する。
14章16節にみられる大地の収穫と14:17-20に
みられる葡萄しぼりが併存し、前者はあらゆる
国民を悔い改めと信仰に導く教会の忠実な証し
を、後者は証しを拒み、最終的に獣と癒着して
悔い改めず、最終的審判を被る。
それゆえ、獣やバビロンと一体化して、運命を
ともにせず、死の極みに至るまで勇敢かつ忠実
に、イエスの証しをし、召命を全うするよう励まし
ている。
#Rev15
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2009.09.06 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「モーセの歌と小羊の歌を歌って」
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神の激しい怒りは窮まる(v.1)
打ち勝った人々がガラスの海の
ほとりに立っていた(v.2-4)
天にあるあかしの幕屋の聖所が開いた(v.5-8)
神学書:
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.178-182
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.130-137
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.203-208
R.Bauckham“The
Climax of Prophecy”pp.296-306
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.260-262
佐竹明著『黙示録の世界』pp.60-72
この章句において、諸国民に向けられた教会の
証しの効果を描くために用いられるのは、新しい
出エジプトのモチーフである。
殉教を通じて天へと至る彼らの道は、紅海を通る
イスラエル人の道にたとえられる。天上の水晶の
海(4:6)は今や神の審判の火と混ぜられる。
彼らは海辺に立ち、ちょうどイスラエルの民がモー
セに導かれて、神によるファラオの軍隊からの
救出(出14:1-15:19)に対して、神をたたえる歌を
歌ったように
歌う。
ヨハネは、出エジプト記15章の讃歌を終末論的
エジプトに関連させて時、明らかに五つの重要な
点を同定した。
神の敵に対する神の強大な審判行為。
これはまた神の民の救済でもある(出15:1-10,12)。
神の強大な審判行為は、異教の神々に対
する神の比類のない優越性を示威した(出15:11)。
神の強大な審判行為は、異教諸国民を恐
れで満たした(出15:14-16)。
それは神の民を神殿へと導いた(出15:13,17)。
歌は締めくくる、「主は代々限りなく統べ治められる」(15:18)。
モーセの歌の意義は、新しい出エジプトの意義の
強調点を、神が彼の民の敵を裁くことによって
彼らを救済するという出来事から、諸国民に真の
神を認めさせる出来事に移すことである。
新しい出エジプトのイメージ表現を用いることに新
鮮な意味を与える。このあらゆる諸国民からの特
別な民の贖いは、それ自体が目的なのではなくて、
それ以上の目的があるのだということが今や判る。
すなわち、あらゆる諸国民に神を認め礼拝する気
にならせることである。小羊の第一段階において、
彼の血の犠牲は民を神のために贖った。第二段
階において、この民は小羊の犠牲に参与し、殉教
を通じて、あらゆる諸国民を神のために獲得する。
これが、神の普遍的な王国の到来の仕方である。
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2009.09.01
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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L “真正なる自分自身”への召命
聖霊の満たしの目標
受け取る物の本質となる
真正なる自分自身となる
Evangelical Theology , Re-evaluation : in the Bible, Tradition and Culture
1.日時:2009年 11月16日(月)10:00am−5:00pm
2.場所:一宮基督教研究所
(Kansai Bible Institute)
http://www.ICIwave.com/
〒630-0266 奈良県生駒市門前町 22-1 【.0743-70-8600】
3.主題:『“福音主義神学” 再考: 聖書・伝統・文化の中で』
16世紀の「宗教改革」、その遺産を体系化した17世紀の「正統主義神学」の後、18世紀の啓蒙思潮に適応・適合の道を選んだ19世紀の「リベラルなキリスト教」の流れに対し、その反動として20世紀前半の「ファンダメンタルなキリスト教」のあり方があり、それが内包する課題の克服への取り組みとして20世紀中期からの“福音主義神学運動”が位置づけられます。
そして、20世紀末より時代が「ポストモダン」に移行する中、福音主義神学が内包する諸課題の“再考・再吟味”が必要とされており、また神学校では神学教育における新たな“鳥瞰図”、また伝道・教会形成の現場では健全な聖書解釈のための新たな“ガイドライン”が求められています。
今回は、福音派組織神学の大著、M・J・エリクソン『キリスト教神学』を訳され、長年、これに基づいて神学校で講じてこられた安黒務氏に『福音主義神学−再考』討議のための基調講演を、そして金井由嗣氏・坂井純人氏・正木牧人氏の三つの神学校の教師にそれぞれの取り組みを踏まえたレスポンスをお願いしています。そして、フロアーから宣教現場の牧師・教師・神学生等からの自由な質疑がなされます。今回の会議において“ポストモダン時代における福音主義神学のあり方”にそれぞれ方向性を見出すことができたら幸いです。
4.プログラム 司会:午前(安黒氏)・午後(市川氏)
10:00−10:30 開会礼拝:賛美・祈り・歓迎の言葉:大田裕作氏
10:30−12:00 基調講演『福音主義神学−再考』:安黒務氏(一宮基督教研究所)
12:00− 1:00
昼食(近くに食堂はありません。各自ご持参ください)
1:00− 1:40 応答@:金井由嗣氏(関西聖書神学校)
1:40− 2:20 応答A:坂井純人氏(神戸神学館・神戸改革派神学校)
2:30− 3:10 応答B:正木牧人氏(神戸ルーテル神学校)
3:10− 4:30 ディスカッション
4:30− 5:00 閉会礼拝・総括:賛美・献金・総括・祈り:市川康則氏
5.参加費: 無料(自由献金の時あり)
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/08/01-08/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
衆議院議員選挙の興奮も、まださめやらない今日で
あります。日本にも、ついに二大政党制の時代が到来
したのかもしれません。前回の郵政選挙の後には、
教育基本法の改悪とか、憲法の改悪の手続きの明確
化がなされてきました。ただ、前回の参議院議員選挙
と今回の衆議院議員選挙で、その動きは一時とん挫
したかのように受けとめています。ただ、今黙示録の
連続講解をしています。黙示録13章3-4節には、教会
の迫害者皇帝ネロの自殺の混乱の後に、ドミティアヌ
ス帝が出てきて、さらに徹底した迫害を行い、ネロの再
来と思われたとの記述があります。
朝日新聞に「小泉政権以降、タカ派色が強い最大派
閥・町村派に押し込まれてきた古賀派には、これを機
にリベラル路線の復権を目指し、谷垣禎一郎元財務相
ら独自候補擁立を求める声もある。加藤紘一元幹事長
もリベラル派の再結集を目指して出馬に意欲を見せて
いる。
これに対し、安倍氏らは『リベラルでは民主党と違い
を出せず、保守を訴える必要がある』と反発。小泉改革
を批判して離党した平沼赳夫元経済産業相らとの連携
に意欲的とみられ、小泉改革を抜本的に見直したうえ
で『保守再生』を掲げそうだ。」との記述があり、目をひ
かれました。“油断大敵”と申します。
安倍氏や平沼氏は、これまでの十戒・主の祈り解説
シリーズで研究しましたように、今日の日本政界で右寄
りの政治行動をリードしている政治家です。靖国、日の
丸・君が代、教育基本法改悪、そして憲法改悪へ、
世論の右傾化がすすみ、福音宣教の妨げとならないよ
うに祈っていきたいと思います。狭いナショナリズムの
道に進むのではなく、アジアに開かれたインターナショ
ナリズムの道に、靖国の道にではなく、あらゆる宗教者
、またアジアの人々、世界の人々に開かれた無宗教の
国立墓地が整えられていくことを祈っていきたいと思い
ます。今後とも、二大政党の間で振り子のように、政権
交代を繰り返すのかもしれませんが、今回の選挙が、
日本民族がそのような道に進む一里塚になればと願っ
ています。
すでに案内していますが、ヨハネの黙示録を学びな
がら、日本の政治・経済・文化とキリスト教会のあり方
を考えることは有益なことです。岡山英雄著『小羊の
王国』をテキストとして、九月から聖書研究会を始めら
れる教会があることも聞きました。現在、再版されて
いますので、キリスト教書店ないし、ICIにメールにて
ご注文ください。よろしくお願い致します。
あぐろ
#Rev14
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2009.08.30 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである」
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144000人は、童貞であり、初穂である(v.1-5)
雲に乗っておられる方が刈り取られた(v.14-20)
今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである(v.6-13)
神学書:
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.246-255
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.188-202
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-129
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.283-296
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.166-177
山崎ランサム和彦著『平和の神の勝利』p.64
山崎師の著作に、黙示録に関する記述がある。
「黙示録の幻は時間的順序が複雑に交錯して
おり、また同じ出来事を違うかたぢて繰り返し
述べたりしていることがあるので注意を要する」
とある。限定的二元論の視点で、神とサタンの
戦いという新約聖書神学がもつ枠組みの中で、
黙示録の解釈についての解説がある。この種
の著作しては、大変すぐれた、またバランスの
とれた書物である。山崎師はボウカム師のUペ
テロとユダ書のWord Biblical Commentaryを参考
にしておられる。山崎師の視点とボウカム師の
視点に共通するところがあるように思われる。
このあたりは、福音派の新約聖書神学において
掘り下げられていくべき領域ではないかと思わ
せられる。ボウカム師の著作はたくさんあるが、
ヨハネの黙示録の関係の著作の卓越した洞察
からは多くのことを教えられている。黙示録に
続いて、ボウカム師のヨハネによる福音書の
神学についての著作を注文している。パウロ
神学に関しては、J.D.G.ダンの著作集から多く
のことを教えられてきた。ヨハネの神学について
は、ボウカム師から多くのことを学びたいと願っ
ている。
「144000人」について、7:4-5の解説で言及した
ように、ボウカムは「神の民の軍隊」とみている。
14章においても、ボウカムは竜や獣との戦いに
ある神の民をそのように見ている。
この文脈の流れにおいて、「童貞」という言葉を
解説している。これは軍事的イメージであり、成
人男子の軍隊の「儀礼的な清浄」(申命記23:9-14、
Tサムエル21:5、Uサムエル11:9-13)、性交渉
によって被る祭儀的な汚れを避ける意味への言
及である。ただこの箇所におけるヨハネのイメー
ジは、「性的禁欲」を示すものではなく、「道徳的
清純」を示すものである。そのことが彼らの口に
は「偽りがなく」「傷のない」ものであった、との言及
から読み取れる。
「初穂」とは、特種の犠牲のことである。「すべて
の収穫」がなされる前に、収穫物から取り分けられ、
神に犠牲としてささげられる「ひと束」のことである
(レビ23:9-14)。
ヨハネは「軍事的」用語と「犠牲と証し」としての
用語を交錯させて用いている。
小羊の軍隊は、シオン山上で、攻撃を成功裏に
撃退し、天上で勝利を祝う。
しかし、それは「軍事力」によるものではない。小
羊の軍隊は、カルバリの十字架においてほふら
れた小羊にならい、忠実な証しと殉教をも恐れな
い生きざまを通して、リバイバルを誘発する。
後半の「地の穀物」は、キリストの再臨における
信者の救いを象徴し、「地のぶどう」は悔い改めず
裁きに直面する不信者を象徴する。穀物の収穫は
一度だけであり、キリストの再臨と携挙がそれに
あたる。ぶどうの収穫は二段階であり、刈り集め
られて、酒ぶねに投げ入れられて踏まれるのであ
る。これらは最後の審判を象徴している。
*************************************************
2009.08.26
「使徒信条」講話
− 神・キリスト・永遠のいのち −
*************************************************
8/26 老人保健施設むつみ園にて、キリスト教講話を
依頼され、「使徒信条」から、神・キリスト・永遠のいの
ちを軸に、人生の意味や価値、貧しさ・苦しみ・死の
問題、そして死後の永遠のいのちについてともに教え
られるときを持たせていただきました。職員を含め、
約百人の方が出席してくださいました。
そのときに作成しました『使徒信条講話−神・キリスト
・永遠のいのち−』のキリスト教講話メモを公開してい
ます。完成した説教原稿ではありませんが、今回の
説教メモに関心のある方はご覧ください。
この奉仕が終わりましたので、先日録音ミスしました
黙示録13章のメッセージを再録しました。
#Rev13
*************************************************
2009.08.23 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「ここに聖徒の忍耐と信仰がある」
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090823_yc_ag_黙示録13章1−18節(8/27に再録)
海から一匹の獣が上って来た(v.1-6)
地からもう一匹の獣が上がって来た(v.11-14)
ここに聖徒の忍耐と信仰がある(v.7-10. 15-18)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.11-13,112-133
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.234-246
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.176-187
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-123
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.384-452
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.159-166
村瀬俊夫著『ヨハネの黙示録講解』pp.182-192
岡山英雄著『小羊の王国』の中で、特筆すべき
記述は、黙示録13章を国家神道時代の日本と
その時代のキリスト教会のあり方への反省の視
点で講解しているところにある。
「それは日本の教会によとって、避けることので
きない重要な問題である。なぜなら、かつて私た
ちは、歴史の本質を見きわめることができず、
善を偽装した悪に欺かれ、時流に翻弄され、キリ
ストの証人として立つことができなかったからで
ある。」
「限られた情報に惑わされることなく、教育によっ
て植えつけられた先入観にとらわれず、国民的
熱狂のうねりに呑み込まれることなく、冴えた目
で事象の根源にあるもの、世界を動かしている
闇の力の本質を洞察し、真に価値あるものを識
別して、的確な判断を下すことは、何と難しいこと
だろう。」
「あの頃、多くの人々は、国家神道とキリスト教信
仰、天皇の神格化と教会の礼拝とが矛盾するも
のとは考えなかった。むろんその問題に気づいて、
弾圧に屈しなかった少数の人々もいたが、大多数
の日本のキリスト者は、両者の統合を良いことと考
えて、積極的に協力したのである。」
「しかし、もしあのとき、黙示録13章の幻の意味、
『海から上って来た獣』を礼拝させる『地から上って
来た獣』の幻の意味を理解していたなら、国家と
宗教の一体化の意味を教会が悟っていたなら、日
本の教会の国家神道への対応は異なっていたこと
だろう。」
「この幻は、一世紀の教会が直面していた、ローマ
帝国の支配権と皇帝崇拝の本質を明らかにしてお
り、それは時代を超えて、教会と国家の歪んだ関係
を照らしだす。宗教的権威によって絶対化した国家
が、どのように破滅的な結果をもたらすかを、私た
ちは体験した。」
私は、上記の岡山師の聖書講解の視点から、黙示
録から今日の日本の教会がメッセージを聴きとる視
点を深く教えられた。このことが、私の所属団体の
牧師会における研修において、『小羊の王国』を研修
テキストとして活用する意味であり、「ディスペンセー
ション主義聖書解釈法の誤り」克服への取り組みと
ともに、二重の意味で有益であると受けとめている。
2009.08.23の礼拝録音は、PCの録音デバイスの自動
更新の関係で録音できませんでした。今週は、他の奉
仕もありますので、週の後半にデバイスを以前のもの
に戻した上で再録させていただきます。
#Rev12
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2009.08.16 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「竜は子を産もうとしている女の前に立っていた」
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竜は女が産んだ子を食いつくそうと
女の前に立っていた(v.1-6)
竜は激しく怒り、男の子を産んだ女を
追いかけた(v.13-18)
兄弟たちは、小羊の血と証しをもって打ち勝ち、
死に至るまでもいのちを惜しまなかった(v.7-12)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.112-115
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.165-175
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-123
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.185-198
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.149-158
この章、また黙示録を理解する原則を教えられ
た。レオン・モリスの著作の聖書解釈のバランス
の良さを教えられた。
「太陽を着た女」、この象徴は、選ばれた民であ
るイスラエルを示している。「女は光を反射する
旧約の啓示の上に立ち、輝く太陽のような新約
の啓示を着ている」(トーランス)。「十二の星」は、
十二人の族長か、その子孫である部族となる。
それはヨセフの夢(創世記37:9)を象徴している。
この象徴に注目すれば、異教神話への言及を
考える必要はない。
「みごもっていた」イスラエルはメシヤを産もうと
している。初代のキリスト者にとって、旧約のイス
ラエルと、真のイスラエルである教会には重要な
連続性があった。この女は、疑いなくメシヤを産む
イスラエルだが、本章の後半では、女は信仰の
ゆえに迫害される教会である。
キリストの生涯への言及がないことを問題にする
人々もいる。ヨハネは、誕生と昇天の間に起こった
すべてのことを省いている。それゆえヨハネは、
この箇所を自由に書いているのではなく、異教
神話を引き継いでいるだけである、と議論されて
きた。しかし、この説はヨハネの書き方の特徴を
見落としている。ヨハネは一度に一つのことに集
中し、直接関係しないことは、重要であっても省く。
ヨハネの黙示録のこの章に見るものは、ヨハネの
旧約聖書に対する透徹した見方である。「天にお
ける戦いと地上における戦い」、「暗黒の王国の
根源的支配者」についての理解、「神とサタン」、
「クリスチャンとローマ帝国」、「神に逆らうすべて
の原始的・超自然的源としての古い蛇」、「竜の激
しい怒りから派生する憎悪の連鎖と小羊の血から
派生する赦しの共同体の和解の福音」…。パウロ
書簡とは一味違う深い神学的洞察がある。
・2009.08.16 は、午前の礼拝、午後の同窓会、夜の前夜式
と続きますので、「ヨハネの黙示録講解説教シリーズ」の掲載予定
は、月曜夜にさせていただきます。
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2009.08.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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K 「聖霊の満たし」の方向性−“召命”
生きることはキリスト
義認・聖化・聖霊の満たし
聖霊論の第三次元:召命
#Rev11
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2009.08.09 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「エリヤとモーセのような二人の証人」
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神の聖所と祭壇を測れ(v.1−2)
ふたりの証人は預言をする(v.3−6)
底知れぬ所から上って来る獣が殺す(v.7−13)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.84-110、
R.ボウカム著『黙示録の神学』pp.105-115、
G.E.ラッド“A Commentary on the Revelation”pp.121-164、
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52B”pp.480-632
M.C.テニイ著『ヨハネの黙示録』pp.89-103
L.モリス著『ヨハネの黙示録』pp.117-149
聖なる都には、神殿があり、神殿は神の臨在
の場所であり、その象徴てある契約の箱が
ある至聖所と聖所がある。その周囲には外庭
があり、ユダヤ人のために外庭、女性のため
の外庭、異邦人のための外庭があった。
「測る」のは、聖書では破壊か保護のためであ
った。ここで神によって測られるものは、神の
正統的な支配と保護の下にある教会は、来る
わざわいの中でも、殉教を超えて、守られる。
小羊の民の二つのあり方
苦難 | 保護 |
踏みにじられる場所 | 守られる場所 |
聖所の外庭 神に敵対する者による迫害 |
神の聖所・祭壇 神による守り |
女の子孫と二匹の獣 迫害 |
女と竜 守り |
殉教の覚悟 スミルナの教会への手紙 黙示録 2:10 |
神の守り フィラデルフィアの教会への手紙 黙示録 3:10 |
苦難 | 保護 | 証言 | 殉教 | |
福音書・黙示録 | マタイ 24:11 | ルカ 21:12-18 | マタイ 10:28 | マタイ 24:14 |
ダニエル書 3:13-19 | 金の像 | 炉の中 |
エジプト | バピロン | 大患難期 |
430年 | 70年 | 3年半 |
#Rev07
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2009.08.02 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「旧新約の真の神の民の軍隊」
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地上:額に印を押された十四万四千人の軍隊
…旧新約の真の神の民、真の十二部族
天上:数えきれないほどの大群衆による礼拝
…あらゆる国民、部族、国語
大きな患難から抜け出て来た者たち
…衣を小羊の血で洗って白くした
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.66-86、
R.ボウカム著『黙示録の神学』pp.87-105、
G.E.ラッド“A Commentary on the Revelation”pp.110-120
七章四節〜八節は、解釈の分かれるところ
である。
ディスペンセーション主義聖書解釈では、教会
は大患難直前に携挙され、天にある。地上で
患難を通過するのは民族としてのイスラエル
であると解釈する。
しかし、黙示録のこの箇所は、黙示録全体から
解釈する必要がある。黙示録3:7において「見よ。
サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人
だと自称しながら実はそうではなく嘘を言ってい
る…」と、ヨハネは、パウロと同じく「肉による」
民族としてのユダヤ人が“真のユダヤ人”なの
ではなく、旧新約の“真の信仰者”のみが“真
のユダヤ人”であると主張している。このことは、
ヨハネの黙示録の基本的枠組みとして認識して
おく必要がある。
また、ヤコブも「神と主イエス・キリストのしもべ
ヤコブが、国外に散っている十二の部族へ挨拶
を送ります」(ヤコブ1:1)と旧約用語を用いて、
新約の神の民であるクリスチャンたちに手紙を
書き送っている。
また、ペテロも「イエス・キリストの使徒ペテロ
から、…散って寄留している、選ばれた人々」
に旧約用語を駆使して、新約の神の民クリス
チャンに適用して励ましている手紙を書き送っ
ている。
ゆえに、一世紀末に書かれたヨハネの黙示録が
新約文書全体が基本認識として内包している
旧新約の神の民の一体性を前提として書かれ
ていることを解釈の前提としなければ、黙示録
理解は、“混乱”し“迷路”の中に入り込んで
しまうのである。
三節の「神のしもべたちの額に押される印」は、
14:1にあるように「十四万四千人の人たちがいて、
その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしる
してあった」とあるように、その対象は旧新約の
“真の神の民”の全体を指していると考えられる。
旧約における真の神の民は、十字架のキリスト
を歴史の遠景の中に“望み見て”いるのであり、
新約における真の神の民は同様に十字架のキリ
ストを“返り見て”いるのである。
「十四万四千人」は、12X12X10X10X10で、象徴
的な意味であり、“真の神の民の総数”と考えら
れる。神は真の神の民をひとりも取りこぼすことなく、
救われ、守られるのである。しかし、患難から取り
去ることによつてではなく、患難の只中において、
そしてその中では殉教すらもいとわれはしないの
である。3:10の意味はそういう意味なのである。
ボウカムは、これらの箇所は、イスラエルの人口
調査に関連し、その調査は常に20歳以上の男性
という軍事要員の数の把握であったと指摘している。
ボウカムは、黙示録全体の背景として、神と悪の
霊的戦いを念頭に見事な解釈を提示していて
大変参考になる。
ボウカムの視点は、黙示録解釈に益するのみな
らず、新約神学全体における“霊の戦い”の神学
の研究と展開に益するものである。
四節「十四万四千人」、九節「数えきれないほどの
大勢の群衆」、十四節「大きな患難から抜け出て
きた者たちで、その衣を小羊の血で洗って白く
した」との記述は、同じく“真の神の民である旧新約
を通じての信仰者、真のユダヤ人また異邦人信仰
者”を指している。
地上においてはユダ族からのダビデ的メシヤたる
キリストに救われ、災難下にあったエジプトで小羊
の血によって患難の只中で守られた神の民は、一
世紀、歴史を通じての患難とともに、終末における
大患難期においても、小羊の血によって額に印を
つけられた“真の神の民”として保護されるとともに、
死に至るまで忠実な民として生かされ、また殉教を
通して証しし続ける。
真に大切なことは何か、ということが問われており、
それは「私たちの“生死”ではなく、キリストを礼拝
するのか、反キリストを礼拝するのか」ということ
である。
黙示録を理解するためには、時間性と空間性の
交錯、旧約と新約の交錯、天上と地上の交錯、
軍事的描写と霊的描写の交錯、過去・現在・未来
の交錯、患難期の苦悩と永遠の祝福の交錯、等々
を繊細に識別し、織物の裏側の混沌としたカラフル
な糸から生み出される美しい表生地を洞察するこ
とが大切である。
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2009.08.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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J 静寂の祈り・運動の祈り
救いの確信:御霊の証し
祈り−“アバ”の繰り返し
静寂の祈り・運動の祈り
我と汝−「アバ、父」
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/07/01-07/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
今月は、主として「デイスペンセーション主義聖書解釈」
の課題を扱うかたちとなりました。
まず、この課題を正面から扱った日本語の文献として
岡山英雄論文『患難期と教会』とその著作『小羊の王国』
の紹介と8月再版の案内をさせていただいています。
この論文を基本資料として、「千年王国と大患難の見方」
について集中講義をさせていただき、そのDVD講義録を
作成し関心のある方々に提供させていただいています。
さらに、この論文の立場にたって、ヨハネの黙示録の講解
説教をすると「どのようなメッセージが聞きとれるのか」の
挑戦をさせていただいています。この取り組みにおいて、
岡山先生の論文とともに、ラッドの黙示録注解書とボウカム
の黙示録の神学は、大変参考になっており、そのポイント
をメッセージとともに記述させていただいています。
そして、今月には岡山英雄著『小羊の王国』が再販され
ますので、9月中旬にはこの著作をテキストに黙示録に
ついての集中講義を行い、DVD講義録を作成する予定
です。また、10月にはこれをテキストとして牧師会での
基調講演を行い、質疑応答を受ける予定です。お祈り
ください。また、このテーマやこれらの資料に関心のある
方は、メールにてDVD等の資料をお求めになると良いと
思います。よろしくお願い致します。
あぐろ
#Rev06
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2009.07.26 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「小羊が封印を解いたとき」
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白い馬、赤い馬、黒い馬、青ざめた馬(v.1-8)
祭壇の下にいる殉教者の魂(v.9-11)
御怒りの大いなる日が来た(v.12-17)
神学書:
G.E.Ladd"A Commentary on the Revelation"pp.95-109
…一節単位の詳細な注解がなされていて大変
参考になる。ひとつどうかなと思ったのは、二節
の「白い馬」の箇所の解釈。「白」をキリストの関
連聖句の中で解釈し、「勝利」を福音宣教の線で
解釈しているのだが、他の三頭の馬の解釈と符
合しない。この四頭の馬は基本的に、「害をもた
らす」否定的な文脈の中で解釈されるべきだと
考える。
この四頭の馬と騎手のイメージの引用源である
旧約聖書ゼカリヤ書6:1-8も、四台の戦車の役
割は、「ユダを捕囚にしたバビロンが神のさばき
を受けて崩壊し、メディヤ人ダリヨスが即位する
が、その後多くの反乱、混乱が起こった」を指す
記述である。
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.101-111
…「第一の馬は『白』であり、その乗り手は『弓』
を持っている。白い馬の乗り手は、後に『神の
ことば』と呼ばれているので(19:11-13)、多くの注
解者はこれをキリストとする。しかし馬の色以外
に類似点はないので、これでは不十分である。
「これはヨハネの幻全体の構造を台無しにする」
(ビアズレー・マーレー)この章のすべては封印
を示しており、一連のわざわいが明らかにされ
てゆく。…騎手は、福音の勝利に導く進展の象
徴であるとも考えられる。しかしそれを示すもの
はない。四人の騎手は、全体として、破壊、戦慄、
恐怖を示している。これは戦争や、勝利の征服
戦争を表している」(p.103)という解釈は、この箇
所の文脈から最も自然な解釈であると考えられ
る。黙示録全体から解釈するのは大切だが、
この「白い馬の騎手」をキリストとし、「勝利」を
福音宣教の進展と解釈するのは、行きすぎで
ある。
ビリー・グラハム著『今よみがえる黙示録の預言』pp.115-158
…「神だけが知っている時に、四人の騎手の乗る
馬の、雷鳴のようなひづめの音が、人間の歴史
の舞台を駆け抜けて行きます。そして想像を絶す
る大規模の惑わし、戦争、飢え、死をもたらすでし
ょう。」黙示録の四頭の馬と四人の騎手について
の適切な解釈とともに、今日的かつ適切な適用
がなされている。以下に、項目のみを紹介する。
霊的な惑わし
ニューエイジ
惑わす者の働き
注意が必要
戦争をもたらす者
戦争の狂気
悪の終わり
獣の到来
選択の結果を認める
地上の飢饉
絶望の只中の浪費
子供たちを来させなさい
少しの予防
清潔な水と健康
全体を見通す感覚
キリストの名によって
私たちクリスチャンの務め
死の影
青白い馬と青白い騎手
地獄の幻
神の愛
中絶という虐殺
エイズの流行
民族紛争の勃興
地球を救うために
義に立ち返る
#Rev05
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2009.07.19 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「ほふられたと見える小羊が立っているのを見た」
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御座にある方の手に巻物があるのを見た(v.1)
巻物を開く者が見つからなかったので
激しく泣いていた(v.2-4)
ほふられた小羊が封印を解くことができます(v.5-14)
神学書:リチャード・ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp105-106より
「封印を解かれた巻物」…
巻物は、これまで秘密だった神の目的に従い、
神の地上支配の確立において小羊の勝利が
効果的となる仕方を啓示するはずである。小羊
だけが、巻物を開いてその内容を啓示すること
ができる。というのも、小羊の勝利こそが、巻物
に記された神の目的の遂行を可能にするからで
ある。もっとはっきり言えば、後で見るように、キ
リストに従う者たちが証しと犠牲と勝利に関して
彼に従うことで、どのように神の国の到来に参加
するはずであるかについて、巻物は啓示するであ
ろう。小羊は征服したので、彼は自分に従う者
たちに、彼らもまたどのように征服するはずである
のかを啓示することができる者なのである。
神学書比較
本日は、ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』
から引用しています。ヨハネの黙示録については
多くの解説書が出版されています。ディンデル聖書
注解では、レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』
がありますが、概説的で説教準備には十分なもの
ではありません。メリル・テニイ著『ヨハネの黙示録』
は概観や分析からは教えられますが、黙示録の
本質的メッセージの構造は見えません。その他、
多くの黙示録についての著作の多くが、似たような
現状にあると思います。
そのような中で、岡山英雄師が師事されたボウ
カム師の著作は、“ぜい肉”のない著作といいま
すか、全体の概観の捉え方、メッセージの本質、
難解な主題の分析、今日的な適用等のすべてに
おいて、卓越した洞察力をもった書籍だと思い
ます。岡山英雄師が、大きな犠牲を払って私費
留学をされた理由を教えられます。黙示録の深
みのある研究を目指す方は、岡山師の論文や著
作を足がかりに、ボウカム師の著作集を収集し
て研究されるのが良いと思います。
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2009.07.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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I 聖霊運動−21世紀への神学の動向
21世紀への神学の動向
アバ意識−“サンシップ”
“アドプション”の教理
#Rev04
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2009.07.12 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「天にひとつの御座があり」
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ラッパのような声で「ここに上れ」(v.1)
天にひとつの御座があり(v.2)
四つの生き物、二十四人の長老(v.6,10)
「天の視座」…
ヨハネは孤島パトモスにありながら、聖霊によって、
時空を超えた神の御座に引き上げられ、天の礼拝
を目撃し、再び地上へと戻ってくる。そのとき、たと
え眼前の現実は同じでも、それを見る視座は異なっ
ている。彼は同じ現実を、異なる光、天の新しい光
の中で見つめ、地上の王国の逆説性を悟った。
黙示録において、天の幻と地の幻は交互に現れ、
鋭く対比されている。四〜五章では、ヨハネは天に
上げられ、永遠の神と「小羊」への礼拝を目撃する。
…このような天と地との対比によって、黙示録は、
私たちに視座のありかを問いかけ、地上をはるかに
超えた天の視座を得るよう求めている。
聖書解釈のポイント…
v.1「ラッパのような声で」「ここに上れ」を空中再臨、
携挙と解釈してはならない。(G.E.Ladd“A Commentary
to Revelation of John”pp.70-78)
この箇所は、第二コリント12章のパウロの第三の
天に上った個人の経験との類比の中で解釈すべき
である。(G.E.Ladd."The Blessed Hope" pp75-77)
「12:1 無益なことですが、誇るのもやむをえないことです。私は主の幻と啓示のことを話しましょう。
12:2
私はキリストにあるひとりの人を知っています。この人は十四年前に──肉体のままであったか、私は知りません。肉体を離れてであったか、それも知りません。神はご存じです、──第三の天にまで引き上げられました。
12:3 私はこの人が、──それが肉体のままであったか、肉体を離れてであったかは知りません。神はご存じです、──
12:4 パラダイスに引き上げられて、人間には語ることを許されていない、口に出すことのできないことばを聞いたことを知っています。」
ヨハネは、この後、天と地の間の行き来を経験する。
v.10:1, 18:1において、ヨハネは地上にいて、「御使い
が天から下ってくるのを見た」と書いている。
v.4,10「24人の長老」を空中携挙された教会、クリスチ
ャンと解釈してはならない。v.6-8の「四つの生き物」
がそうであるように、これらは天界の生き物であり、
24人の長老は天使的被造物であり、天界の統治を
神のかたわらでつかさどる政治的役割をもつ存在
として解釈されるべきである。
黙示録の解説書として、エリクソン著『キリスト教神学』
第四巻、岡山英雄著『小羊の王国』、論文『患難期と教会』
を推薦しています。推薦書にもう一冊加えさせていただきます。
それは、岡山英雄先生が、42歳に大きな決断をされ、
福音派の黙示録研究の権威である英国のアンドリューズ
大学のボウカム先生の下に私費留学をされました。
そのボウカム先生の著作集のひとつが翻訳されています。
黙示録解釈のポイントを丁寧に解説されています。
私の「黙示録連続講解説教」の資料源のひとつです。
大変分かりやすい本です。キリスト教書店に行かれることが
ありましたら、ぜひ手に取って読んでみてください。
○リチャード・ボウカム著『新約聖書神学Nヨハネの黙示
録の神学』新教出版社
#Rev03
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2009.07.05 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「全世界への試練の時には、あなたを守ろう」
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誰も閉じることのできない門を開いておいた(8節)
ユダヤ人だと自称しながら実はそうではない者(9節)
試練の時には、あなたを守ろう(10節)
神学論文:岡山英雄著『患難期と教会−黙示録の終末論−』より
患難期前携挙説が釈義的に成り立ち得ないことに関しては、
すでにラッドとワルブードの1950年代の論争があり(G.E.
Ladd, The Blessed Hope,
Eerdmans,1956)、またその後、
R.H.Gundry のThe Church and the Tribulation: A Biblical
Examination of Posttrbulationism(Zondervan,1973)や、
The Rapture: Pre, -Mid, or -Post-Tribulational ?
(Zondervan,1984)という優れた論文集も出版れているの
で省略するが、(特にの中の、D.J.Mooの論文
pp.169-211
を見よ。)
幾つかの重要な点のみを指摘するなら
患難期前携挙説は、教会史においてきわめて歴史の
浅い特殊な説であって、初代教会から中世、宗教改革
を経て十八世紀に至るまで、このような終末論は存在
しなかった。(近年この説には大きな変化があり、「漸
進的“Progressive”ディスペンセーショナリズム」と呼ば
れる説をとる者たちは患難期前携挙説を不可欠なもの
とは考えない。)
黙示録の記述のほとんどは、患難期にかかわるもので
ある。患難の時代における神の民のあり方、警告と励
まし、戦いと勝利などが、この書の主題である。(患難
期前携挙説をとる者は、黙示録四章一節で教会は天
に携挙され、四章以下は地上に残されたイスラエルの
ためのものであるとするが[ワルブード]、現代の主要な
注解者で、このような解釈を支持する者はいない。)
マタイ24章1-31節は、反キリストの出現、患難期、続い
て再臨という終末的順序を示唆している。
第二テサロニケ2章1-12節によれば、教会は、反キリス
ト(不法の人、滅びの子)の支配する患難期を通って
再臨の主に会う。「まず背教が起こり、不法の人が現れ
なければ主の日は来ない。」
患難の用例を見ると、患難は教会にとって避けるべきものでは
なく、教会の地上における本質的なあり方である(ロマ5:3、Uコ
リント4:17)。(たとえばイエスの預言「あなたは世にあっては患難
があります」[ヨハネ16:33]や、パウロの警告「私たちはこのような
苦難に会うように定められている」[Tテサロニケ3:3]など)。
神の民は「多くの苦しみを経て」(使徒14:22)、苦難によって練られ、
清められ、純化されて(詩篇66:10、ダニエル11:35、ゼカリヤ13:9、
マラキ3:2-3)、神の国に入り、再臨の主に会う。
(『福音主義神学 31』特集テーマ「終末論」pp.38-39)
R.H.Gundry, “The Church and the Tribulation: A Biblical Examination
of Posttrbulationism” の(Zondervan,1973)
概要
問題にアプローチする
ディスペンセーション主義教会論の背景
期待と切迫性
怒りと携挙
黙示録における関連箇所
主の日
Tテサロニケ4:13-5:11における慰め
Uテサロニケにおける矯正
オリーブ山講話
世の終わり
世の完成に関する補論
復活
ヨハネ14:1-3における約束
沈黙、調和、区別
審判
歴史的確認
七十週の未来性に関する付記
大患難期後再臨説の切迫性に関する付記
大患難中期再臨説に関する付記
部分的携挙説に関する付記
パルーシアのストロームベックの見方に関する付記
Three Views on the Rapture: Pre, -Mid, or -Post-Tribulational ? (Zondervan,1984)
目的、仮説、そしてアプローチ
患難期と再臨
患難期の本質
再臨の語彙
携挙−三つの基本的聖句
Tテサロニケ5:1-11
Uテサロニケ1-2章
オリーブ山講話
黙示録
イスラエルと教会
切迫性
結論
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2009.07.04
一宮基督教研究所
C.B.バス著『ディスペンセーション主義の背景』
*************************************************
今日は、少し時間がありましたので、C.B.バス著
『ディスペンセーション主義の背景』を半分ほど
読みました。ディスペンセーション主義の歴史的な
誕生と教会論的意味合いについて、知らなかった視
点も幾つか教えられました。客観的で結構読みやす
い書物です。1960年初版で古い書物ですが、2005年
に再販されました。これは、すぐれた神学校レベル
では、ディスペンセーション主義の問題は、過去の
ものとなっているのですが、バイブル・スクール・
レベルのファンダメンタルな聖書学校や大衆的な関
心のレベルでは、まだまだこの誤った聖書解釈法が
息づいているということから、改めて「ディスペンセ
ーション主義の背景」についての客観的情報の必要
性が高まっているということのようです。
1. ディスペンセーション主義の特徴
(ア)ディスペンセーションの本質と目的
(イ)聖書の字義的解釈
(ウ)イスラエルと教会の二分法
(エ)教会についての制限された見方
(オ)王国のユダヤ的概念
(カ)延期された王国
(キ)律法と恵みの相違
(ク)聖書の分割・区分された見方
(ケ)患難期前携挙説
(コ)大患難の目的
(サ)キリストの千年王国支配の性質
(シ)永遠の状態
(ス)キリスト教界の背教的性質
2. J.N.ダービー:人物に対する評価
(ア)人物についての評価
(イ)宗教的指導者としてのダービー
(ウ)結論
3. ディスペンセーション主義の歴史的背景
4. ダービーの教会論
(ア)荒廃している教会
(イ)教会の本質
(ウ)キリストのからだとしての教会
(エ)神のみすまいとしての教会
(オ)キリスト:教会の頭
(カ)地上にある教会
(キ)教会の一致
5. ダービーの終末論
(ア)教会の地上にある栄光
(イ)教会の天上にある栄光
(ウ)イスラエルの希望
6. 今日の教会生活にとっての価値と意義
(ア)ダービーの個人的貢献
(イ)天上にある教会
(ウ)字義主義的解釈の原則
内容は、客観的なデータを駆使して、公平・中立
なスタンスから大変すぐれた分析・評価がなされ
ています。それらの分析の中に、U先生の分析・
評価と同じものが見受けられました。以下に、そ
の要点を整理したものを書きます。参考にしてく
ださい。
●付記:U先生「組織神学」講義ノートより
●ディスペンセーション主義聖書解釈の問題を扱う意図
- 単に批判のための批判ではなくて、バスやエリクソンの取り扱いのように、ディスペンセーション主義のポジティブに評価すべき部分とネガティブに批判すべき部分の両面でみていきたいと思います。ディスペンセーション主義の歴史的背景、歴史的意義、神学的課題等々についての客観的な情報を収集し、それを公平・中立な視点から分析・評価していくことが大切と思います。
- 終末論に対するスタンスの取り方は、エリクソンが『キリスト教神学』第四巻、pp.367-368に記述していますように、共通項「個人終末論:個人の時間的死、霊魂の不死、死から復活までの中間状態」と「世界終末論:世の終わりのしるし、キリストの再臨、死者の復活、最後の審判、新天新地」という幹となる教えで一致すべきであり、「大患難、再臨、千年王国」の時期と関係についての相違は枝葉の教えであり、それらは尊重しあうべきである。そして、枝葉の教えで特定の立場をとることを正統派の基準としたり、キリスト者の交わりや一致の条件とすべきではないと思います。
- しかし、「それぞれの所属している群れや神学校においては、より聖書的な終末論理解、また黙示録理解を求めて探究の手をゆるめない」ということも大切な部分です。もしそのような取り組みがなければ、「聖書解釈が内包する課題」は永遠に克服されませんし、終末論また黙示録から、今日の必要に対する聖書的なメッセージをくみ取ることもできなくなると思います。
- ひとつの団体の、ひとつの集会で、ひとりの先生が“患難前携挙説”をこれが聖書的だと教え、別の先生が“患難後携挙説”をこれこそ聖書的だとメッセージするというようなことは、会衆を混乱させることになるので、よくよく精査し、ひとつの団体、ひとつの神学校ではどのあたりに基軸を据えるのか、について共通理解を醸成していく必要があるのではないかと思います。また、ひとつの方向性がしめされてきたなら、急旋回したりせずに、着陸地点を目指してしっかりと飛行していくべきだと思います。
- つまり、当初は幾つかの混乱の生じる可能性もありますが、そのあたりは方向性を見失わないかたちで収束させ、共に問題を直視し、Task-Orientedな(問題に焦点を当てた)神学的な取り組みが必要とされているということなのです。これはなにも、ディスペンセーション主義の問題に限らずです。「改革された教会は、常に改革され続けるべきである」とのスローガンにある通り、私たちの前に置かれる緊急の課題のひとつひとつに丁寧に取り組んでいきたいと思います。
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2009.07.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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H 霊による賛美・霊による祈り
「霊による賛美」の解釈
「霊による祈り」の解釈
超越的描写と内在的描写
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/06/01-06/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
今月は、M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第四巻の「救
済論」の続きの予定でしたが、三年生の神学生のうたの二人が
「終末論」、それも「ディスペンセーション主義聖書解釈」の
問題を扱うことをしり、急遽「終末論」を先に講義することと
しました。といいますのは、私たちの関係諸団体また諸教会で
は、戦後の宣教師の伝道と教育の中で、ファンダメンタルな福
音理解、そして終末論においては「ディスペンセーション的終
末論」の影響が残っています。洋書の神学書を読める先生や日
本福音神学会の神学研究会議、また福音主義神学誌、そして日
本福音同盟の神学委員会における取り組み、またブックレット
等でも明らかな、諸議論の推移・展開についての情報に目配り
できる学生の場合は、広い視野からの判断が可能なのですが、
「ファンダメンタルな福音理解」や「ディスペンセーションの
終末論理解」に関しては、“鹿を追う者、森を見ず”の状況は
変わっていないのが現実です。
そのために、最終学年の終わりに扱う「終末論」の、“鳥瞰
図”的な視点からの見方を、論文のテーマ、つまり“鹿”を追
いかけて、森の中で迷子になってしまう前に、キリスト教史全
体(歴史神学)、聖書全体(聖書神学)、神学全体(組織神学)、今日
の教会への洞察(実践神学)の四つのマクロ的視点から、このテ
ーマの扱い方を学ぶときを持たせていただきました。一年生に
対しても、M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第一巻の「神
学方法論(聖書解釈方法論)」の範疇で、ディスペンセーション
主義聖書解釈方法論の内包する課題を扱いました。
また、秋の日本福音主義神学会西部部会・神学研究会議に向
けて、宇田進先生の「モダニティと現代教義学」の集中講義を
i-podに入れて聴いています。『総説現代福音主義神学』の講義
のような内容です。ポストモダンについての見方についても、
宇田先生らしい物の見方、神学的洞察を教えられます。今日の
“使徒”とか“預言者”とか、新しい運動がまた流行しつつ
あるようですが、私自身の捉え方では、過去・現在・未来を
見通し、真に聖書的な神学的洞察を提供できる人こそ、そのよ
うな“呼称”にふさわしいと思いますが、いかがでしょうか。
あぐろ
#Rev02
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2009.06.28 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」
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耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい(7節)
自称使徒を試し、偽りを見抜いた。
しかし、あなたがたには非難すべきことがある(2, 4節)
いのちの木の実、いのちの冠を与えよう(7, 10節)
神学書岡山英雄著『小羊の王国』:今年8月に増刷 !
−黙示録は終末について何を語っているのか−
黙示録の幻を解釈するための五つの原則
黙示録の世界からの理解
…幻は、黙示録の中でどのように描かれているのか、
黙示録全体の中で何を意味するのか。黙示録の幻
は、それぞれが緊密に結び付けられているので、個
々別々ではなく、黙示録全体の構造から解釈される
べである。
聖書の世界からの理解
…幻は、聖書全体、旧約や新約の他の文書との関係
において、何を意味するのか。黙示録は、旧約のさ
まざまな幻を用い、それらを「小羊」キリストの新しい
光の中で、統合している。それゆえ幻は、創世記、
出エジプト、旧約の預言書、そしてイエスやパウロ
の終末論などとの関係の中で解釈されなければなら
ない。
歴史的状況からの理解
…幻は、どのような歴史的状況の中で書かれたのか、
執筆された当時の、一世紀のユダヤ社会、ローマ
帝国において、何を意味するのか。最初の読者は
どのように幻を理解したのか。
未来の来臨からの理解
…幻は、キリストの来臨に関わる未来の出来事の予言
として、何を意味するのか。
現代の世界からの理解
…幻は、私たちの生きる現代において、何を意味する
のか。
これまで、@からCのプロセスを経ずに、いきなりDの現代
における適用が論じられ、そのために終末論の議論が混乱
することが多々あった。@とAとは、聖書の統一性に関する
ものであり、BCDは、過去、未来、現在という時間性に関係
するものである。(『小羊の王国』pp.66-68)
神学書:エリクソン著『キリスト教神学』第四巻
「神学者、牧師が終末論をどう扱っているかを調べると、二つ
の対照的な傾向が見られる。一方に終末論への没頭がある。
神学的に保守的な人たちはこの主題に非常な興味を強調して
きた。ある牧師が毎週日曜日の夜、ヨハネの黙示録からの説
教を19年間行ってきたという報告がある!終わりの時を詳しく
描いた図表を用いて、教えを増大することもある。現在の政治
的、経済的出来事、特にイスラエル民族に関係したことが、聖
書の預言と同一視される。その結果ある説教者たちは、一方
の手に聖書を、もう一方に新聞を持っている姿で風刺漫画に
描かれる。ハル・リンゼイの『地球最後の日』は、この手の
“終末論狂い(エスカトマニア)”の注目に値する例である。」(pp.353-354)
近年では、ティム・ラヘイ著『レフト・ビハインド』も同類の著作
である。フラー神学校の新約神学教授のジョージ・エルドン・
ラッドは、上記の岡山英雄師の視点をもった多くの著作集を
書き記した。このあたりの神学資料を日本の福音派諸教会の
ために、翻訳・消化して流していくことは大切な使命だと思う。
この黙示録講解説教シリーズでも、岡山師の論文と著作ととも
に、ラッドの著作集、とくに“A Commentary on the Revelation of John”
を参考にしていることを書きそえておきたい。来年、岡山英雄
師が出版予定されている『黙示録注解書』は、ラッドの注解書
をベースにしつつ、ボウカム師の視点や日本というコンテキスト
を視野に入れた豊かな注解書になるのではないかと大いに
期待している。まさしく、「耳ある者は、御霊が諸教会に言わ
れることを聞きなさい」という内容である。
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2009.06.25
一宮基督教研究所
−今、“カデシュ・バルネア”に立って、終末論・黙示録を望み見る−
新版「千年王国と大患難の見方」DVD講義録
180分集中講義:3000円(税込・送料込)
主要資料:岡山英雄著『患難期と教会』
参考資料:エリクソン著『新福音主義神学』、岡山英雄著『小羊の王国』、
関野祐二著『原理主義と福音主義』、A.マクグラス著『キリスト教の将来と
福音主義』、改革派世界会議終末論研究委員会報告『改革派の終末論』、
J.マーレー著『ローマ信徒への手紙』、エリクソン著『キリスト教神学』第四
巻、C.バス著『ディスペンセーション主義の背景』、R.クラウス編『千年王国
の意味:四つの見方』、S.ガンドリー編『携挙に関する三つの見方』、他
*************************************************
6/24、一宮基督教研究所で「終末論」で意見の分かれる
テーマである「千年王国と大患難」について学ぶ時を
もちました。昨年までは、エリクソン著『キリスト教神
学』第四巻中心でしたが、今回は岡山英雄論文『患
難期と教会』の資料にそって学び、その中にエリクソ
ンやラッドの著作集や関連諸資料を挿入していくか
たちとさせていただきました。
一世紀から三世紀までの「大患難後・歴史的千年王
国前再臨説」が、四世紀のコンスタンティヌス帝の
「キリスト教公認」以後、地上における千年王国完成
が視野に入る「千年王国後再臨説」に変わっていく
経緯がよく分かります。
また、リベラリズムによる旧約預言の「極端な象徴的
理解」に対する反動として、19世紀の英国のJ.N.ダー
ビー牧師による“ディスペンセーション主義聖書解釈”
が生まれ、聖書、特に旧約預言の「極端な字義的解
釈」の結果、旧約におけるイスラエルに関する預言
は、すべて「民族としてのイスラエル」に対する預言
である解釈し、「イスラエル民族とキリスト教会」を
峻別し、終末論理解また黙示録解釈を「神の二つの
民、神の二つの計画」とする聖書解釈のあやまちに
陥っていった経緯が教えられます。
1955年のダラス神学校の校長ワルブードとフラー神
学校の新約神学教授ラッドの有名な論争の後、この
テーマで多くの出版物がだされていきます。歴史は
流れ、ダラス神学校のディスペンセーション主義は、
古典的ディスペンセーション主義→改訂ディスペン
セーション主義→プログレッシィブ・ディスペンセー
ション主義と変遷していきました。
そして、ダニエル・フラーという神学者は、これらの
経緯を振り返って、「ダラス神学校は、1955年に
ラッドが立っていた場所に、2000年になってようやく
追いついた」と書きとめています。
私は、この文章を読みましたときに、民数記13:25を
思い起こしまた。「四十日がたって、彼らはその地の
偵察から帰ってきた。」この後、カレブのすすめに
従わす、イスラエルの民は約四十年間荒野を放浪
することになるのです。
歴史には、「もしも…」という言葉は禁物といわれま
すが、「もしも、ワルブードが、ラッドと真摯な対話を
重ね、半世紀前にラッドの立場の“聖書的”である
ことを確信するに至っていたら…」その後の歴史は
どのように展開していだろうと。
そして、半世紀を経て、終末論また黙示録に関する
書物としては、ディスペンセーション主義の書物と
改革派系の書物しかない日本の出版界に、両極
を避け、穏健で中庸な、エリクソン著『キリスト教神
学』第四巻が出版され、「大患難後・千年王国前再
臨説」の立場を日本語で読めるようになりました。
また、同じ立場の岡山英雄論文『患難期と教会』は
日本福音主義神学会の下記サイトに公開掲載され
ています。
http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/paper_in_printable/031-2_in_printable.pdf
またエリクソンやラッドの立場に立った黙示録講解
書である岡山英雄著『小羊の王国』は、この八月に
増刷されます。また、来年に向けてこの立場の黙示
録注解書やラッドの終末論の翻訳にも取り組まれ
ています。
こうした経緯をみますと、日本の福音派もようやく、
米国に比して半世紀送れてではありますが、終末論
と黙示録の理解において「カデシュ・バルネア」に立つ
ことになったのだな」と感慨ひとしおです。
一宮基督教研究所でのDVD講義録で、私の所属団体の
JEC教職者に配布を予定しているものですが、希望
される方には、60分1000円の通常価格で、180分です
ので、3000円(送料・税込)でおわけ致します。メール
にてお申し込みください。代金はDVD到着後一週間
以内に、同封します「郵便振替用紙」にてお振込み
ください。
#Rev01
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2009.06.21 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「私ヨハネは、パトモスという島にいた」
*************************************************
常にいまし、、昔いまし、後に来られる方から(v.4, 8)
私ヨハネは、苦難と忍耐にあずかっている者であり、
パトモスという島にいた(v.9)
七つの金の燭台(教会)の真ん中には、
人の子のような方が見えた(v.12-13)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』
−黙示録は終末について何を語っているのか−
「二十年ほど前のことである。神学校二年の
夏、卒論準備のために終末論に関する文献
を読んでみて、この分野の研究の立ち後れ
を痛感した。そしてこのような脆弱な終末論
に基づいて、果たして教会は、終末の時代
に、本当にキリストの証人として立つことが
できるだろうかという強い危機感を覚え、終
末論をより深く学びたいと願った。…
1996年の夏、牧師を辞し、イギリス・スコット
ランドのセント・アンドリュース大学、ボウカム
教授のもとで博士論文に取り組むことになった。
42歳の私費留学、大きな決断だった。さまざ
まな幻に満ちた黙示録の構造的美しさ、思想
の深さは、筆者を圧倒しイギリスにまで導いた
のである。」(『小羊の王国』「あとがき」pp.235-236)
本日のメッセージの中でも語っていますが、終末論
また黙示録関係の書籍は、和書・洋書を問わず数
えきれないくらい収集してきました。それらを読んで
いて、概要、諸説、議論等々の多くの知識を身につ
けてきました。しかし、今日の教会に対する生きた
メッセージを聴きとることはできませんでした。
そのような中で、岡山英雄著『小羊の王国』は、本当
に素晴らしい本です。黙示録理解の“座標軸”が何
であるのかを明確にしてくれます。それは、「患難と
教会」というテーマです。ディスペンセーション的な解
釈では、「患難期には、教会は携挙されて地上には
いません」ので、そのメッセージは聴き取れなくなります。
しかし、@黙示録全体から、A聖書全体から、B1世
紀の歴史的状況から、C未来の来臨から、D現代の
世界から−包括的視点から丁寧に解釈される中から、
黙示録から今日の教会に向けてのメッセージをさやかに
聴きとることができます。
岡山英雄著『小羊の王国』の助けを得て、私自身が、
ヨハネの黙示録から聴きとったメッセージを、黙示録
講解連続説教として、お分かちしていきたいと思います。
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日本の福音派の「黙示録」理解の決定版 !
岡山英雄著『小羊の王国』
この八月に五百部増刷(第三刷)決定・予約注文受付中!
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それと、2002年に初版、2004年に第二刷が刊行された
後、版元在庫切れの状態でありました岡山英雄著
『小羊の王国』が、この八月に新たに五百冊増刷(第三刷)
されることになりました。私も「委託販売」を依頼されて
います。希望者は、下記の「あぐろ」までメールにて
ご注文ください。若干の送料はかかりますが、この委
託販売に合わせまして、作成します「黙示録講解説教
CD集の中の第一CD」を差し上げます。
書籍は税込定価1890円+送料です。「CD集第一」は、
ICIからの購入者全員に同封して送らせていただきます。
また、岡山英雄先生と同じ立場であるG.E.ラッド著
『最後の事物(終末論−大患難後・千年王国前再臨説−)』
(洋書:現在翻訳中)DVD講義録や
エリクソン著『キリスト教神学』第四巻の「千年王国と
大患難」DVD講義録も販売リストに揃え、紹介させて
いただきます。
岡山英雄先生も記されていますように日本の福音派
諸教会の「終末論」また「黙示録」理解が、「二十世紀
後半、アメリカのファンダメンタリズム運動の特殊な終
末論、“患難期前携挙説”に強く影響されていた」(p.63)、
「前世紀の特殊な“神学”に縛られる必要はない」(p.64)
とありますように、それぞれの教会・教派の良き伝統を
継承しつつ、誤った終末理解、間違った黙示録理解から
解放されるべき時期が来ているように思います。
そのような意味で、「終末論」、また「黙示録」の理解が
より聖書的な方向に改善さされていく、ひとつの資料源
を形成させていただければと願っています。
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2009.06.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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G 異なる神学的言語体系間の対話のあり方
聖書解釈の四つの要素
異なる神学的言語体系
パウロの本質化・普遍化
聖霊経験の同心円的構造
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2009.06.14 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「神のみこころに従って、神のご計画に従って」
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私たちは御霊によって「アバ、父」と呼びます(v.15)
私たち自身も、心の中でうめきながら、待ち望んでいます(v.23)
御霊が深いうめきによって、とりなしてくださいます(v.26)
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「神の計画は建築家の設計のようなもの
である。最初は心の中に描かれ、次に
意図とデザインにしたがって紙の上に
描かれ、それから初めて実際の建築に
かかる。」(第二巻、第四部「神は何をなさるのか」p.108)
*************************************************
2009.06.07 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ」
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聖書:090607_yc_ag_旧約聖書イザヤ書6章1-8節
高くあげられた王座に座しておられる主を見た。
ああ、私はもうだめだ。燃え盛る炭が唇に触れた。
誰を遣わそう。ここに私がおります。
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「多くの聖書箇所が神の超越性という概念を
主張している。特にイザヤ書はそれを主題に
している。6:1-5には、主が『高くあげられた王
座に座しておられる』と描かれている。セラフ
ィムは神の超越性を示して『聖なる、聖なる、
聖なる、万軍の主』と叫びつつ、『その栄光は
全地に満つ』と内在性に関する言及を付け加
える。」(第二巻、第三部「神はどのようなお方か」p.68)
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ICI for JEC
インフォメーション
090602(#20090602)
エリクソンとラッドの問題意識の背景
―岐路に立つJEC終末論、ディスペンセーション
主義聖書解釈の誤りをいかに認識するか―
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今年の“ICI
for JEC”で扱うテーマは、聖餐論や洗礼論、
また教会政治論あたりかなと書籍収集し、分析研究し、
下準備を重ねてまいりましたが、JECだより六月号で、
JECのよりベターな終末論への選択肢の紹介をさせて
いただいていますので、その方向をさらに詳しく解説して
いくことが良いのではないかと“ICI
for JEC 6-8月号
Summer”を作成させていただき、本日の牧師会にて
配布させていただきます。この資料をより深く理解する
ための情報を、以下に提供させていただきます。
近年のすぐれた福音主義神学の「組織神学」
教科書には、「ディスペンセーション主義聖書
解釈の誤り」という項目が含まれているものが
多くあります。ラッドの著作集やエリクソンの
著作集においても同様です。しかし、日本の教
会の神学教育においては、それらの基本的視点
があいまいなように受けとめています。
神学教育をする基本的視点として、「リベラ
リズム(自由主義神学)に対する反動として、
ファンダメンタリズム(根本主義神学)が生まれ、
その中の特殊な、誤った聖書解釈方法としてデ
ィスペンセーション主義聖書解釈があります。
そのファンダメンタリズム(根本主義神学)が
内包する多くの諸課題の克服を目指して、
取り組まれてきた神学研究と神学教育の流れが
エヴァンジェリカリズム(福音主義神学)と呼ば
れているものです。
ディスペンセーション主義の牙城といわれる
ダラス神学校は前者にあたり、ラッドやエリク
ソンは後者にあたります。その意味で、今後
なされていくであろうJECの牧師会等の話し合
いの予備知識として、下記の資料をお勧めしま
す。
●アリスター・マグラス著、島田福安訳
『キリスト教の将来と福音主義』いのちのことば社、pp.34-59
(内容)
・福音主義と根本主義(ファンダメンタリズム)
・米国における福音主義の公の登場
この箇所を繰り返し熟読されると、今日取り
組まれている神学研究と神学教育、また福音
宣教のメッセージの方向性の鳥瞰図がみえて
くるものと思います。多くの福音派の諸教派
が長い取り組みの後に、ファンダメンタリズム
が内包する問題に取り組み、それらを克服し
つつある中で、一部の特殊なセミナーにおいて
は、ファンダメンタリズムの中の誤った聖書
解釈法であるディスペンセーション主義に逆
戻りする傾向も見受けられます。これは、山
中で暗闇がせまる中、岐路に立ち看板を見誤
り、誤った道を選択することに似ています。
JECも終末論理解において、岐路に立っている
と思います。ここは慎重になって、置かれて
いる状況を正しく、客観的に認識する必要が
あると思います。“ICI for JEC”では、その
ために必要とされる情報や資料をタイムリー
なかたちで提供させていただきたいと願って
います。お祈りください。
* ここでディスペンセーション主義という
場合、古典的ディスペンセーション主義と
改訂されたディスペンセーション主義が
念頭にあり、最近の漸進的ディスペンセーシ
ョン主義については視野に入っていません。
このあたりは今後さらなる研究・検証が必要
とされていると思います。岡山英雄氏論文に
よれば、「漸進的ディスペンセーション主義で
は、大患難前携挙説を不可欠なものとは考え
ない」とのことです。
*参考になるディスペンセーション主義に関す
るサイト
●古典的ディスペンセーション主義 & 改訂版ディスペンセーション主義
http://en.wikipedia.org/wiki/Dispensationalist_theology
…これらの立場では、黙示録四章一節で教会は
天に携挙され、四章以下は地上に残されたイス
ラエルのためのものであるとするが(ワルブー
ド)、現代の主要な注解者で、このような解釈
を支持する者はいない。(福音主義神学31 岡山
英雄「患難期と教会」p.38)
●漸進的ディスペンセーション主義
http://en.wikipedia.org/wiki/Progressive_dispensationalism
★ディスペンセーション問題に関する日本語で、
最良の論文は、福音主義神学31
岡山英雄「患難期と教会」
です。ぜひ、プリントアウトしてお読みください。
また、黙示録の四章以下を「天上に携挙された教会、
地上に残されたイスラエル民族」の視点で読み込む
ディスペンセーション主義聖書解釈ではなく、
黙示録四章以下を「患難の只中で守られる教会」と
いう視点で正しく解釈する「大患難後・千年王国前
再臨説」の立場での黙示録解釈で最良の本は、
岡山英雄著『小羊の王国−黙示録は終末について何
を語っているか−』です。現在版元品切れですが、
八月に増刷されます。ICIは委託販売をさせていた
だいています。現在、注文受付中です。岡山氏の貢
献で、日本の福音派の「終末論理解」、「黙示録解
釈」は、健全な方向に改善されていくものと確信し
ています。岡山氏の取り組みに、ささやかながら
“援護射撃”を行いたいと考えています。
*********************************************************
2009.06.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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F 科学と神学・聖書と宗教
科学と神学の関係
聖書と宗教の関係
キリストの独自性と世界性
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2009.06.01 A
series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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E「私は、 罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信じます」
多様性生まれる患難・再臨・千年王国
多様性の中での、より優れた選択肢
根本的に異なる二つの聖書解釈
旧新約の神の民:霊的・本質的一体性
関連聖句全てに最も自然な解釈
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/05/01-05/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
五月は毎週のように神学校での講義があり、多忙なひと月
でした。その間、神学会の秋期研究会議の準備委員会があっ
たり、神学校の教師会があったり、いろいろと大変でした。
ただ、ひとつひとつの中でそれぞれ意義深い話し合いを持つ
ことができ感謝でした。
私が現在導かれている事柄は、下記のコーディネーター会
議の中にもあることで、モダニズムを背景としてリベラリズ
ムキリスト教が生まれ、その反動としてファンダメンタリズ
ムの神学運動があり、その中にディスペンセーション主義の
聖書解釈法の教えも含まれてきます。そのような時代背景の
中で、ファンダメンタリズムが内包する諸課題を解決するた
めに登場してきたのが、「リフォーミング・ファンダメンタ
リズム」を旗印とするエヴァンジェリカリズムの神学運動で
す。この時代の取り組みの青写真を描いた書物として、エリ
クソン著『新福音主義神学』があります。
d/file/m/me01_new_evangelical_theology.htm
エリクソンは、この青写真に沿う形で神学研究と神学教育
に邁進し、以下のような著作を書き続けます。そして、最初
の青写真に沿って続けられた神学研究と教育は、ほぼ20年
を経過して『キリスト教神学』に結実することになるのです。
そして、1789年のフランス革命から1989年のベルリンの
壁崩壊まで続いたモダニズムの時代が終わり、新たに到来し
たポストモダニズム時代の中での「再考された福音主義神学」
のあり方を模索する段階へと移行していきます。この時期か
らエリクソンの著作は、「ポスタモダニズムの時代における
福音主義神学、いかにあるべきか」ということに関心が集中
していっているように思います。このあたりのことを私も考
えるように導かれています。
所属団体のJECニュースにおいて、原稿を依頼され書かせ
ていただいているリバイバル・ジャパンの記事において、
また二つの神学校における講義において、所属団体JECの季
刊誌『ICI
for JEC』資料において、福音主義神学会の秋期の
神学研究会の基調講演において、扱うテーマや材料の相違は
あるのですが、すべて“同じまな板”の上で調理させていた
だいているところです。時々、あまりに荷重がかかりすぎて
パンクしそうになることもありますが、なんとか支えられて
います。お祈りください。
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2009.05.31
エリクソン著作集リスト
*************************************************
○
エリクソンの初期の著作
New Evangelical Theology
(1968)
エリクソンの最初の本"New
Evangelical Theology"は、彼の後のたくさんの著作の背景を明らかにしている。
Relativism in Contemporary
Christian Ethics (1974)
Contemporary Options in
Eschatology = ”A Basic Guide to Eschatology” (1977)
○
組織神学の道具○
Readings in Christian
Theology T (1973)
Readings in Christian
Theology U (1976)
Readings in Christian
Theology V (1979)
CHRISTIAN THEOLOGY 3vol
(1983-1985)
Introducing Christian Theology
(1992)
Does It Matter If God Exists?
(1996)
Does It Matter What I Believe? (1992)
Does It Matter I'm saved ? (1996)
Does It Matter How I live? (1994)
Concise Dictionary of
Christian Theology (1986)
○
さらにいくつかの本○
Salvation: God's Amazing Plan
(1978)
WORD BECAME FLESH (1991)
GOD IN THREE PERSONS
(1995)
○
三部作○
EVANGELICAL MIND & HEART
(1993)
EVANGELICAL INTERPRETATION (1993)
WHERE IS THEOLOGY GOING? (1994)
○
エリクソンの関心の広がり
HOW SHALL THEY BE SAVED? (1996)
The Evangelical Left (1997)
Old Wine in New Wineskins (1997)
God the Father Almighty (1998)
Postmodernizing the faith (1998)
○
エリクソンの65才の誕生日をお祝いしてのエッセイ
New Dimension in Evangelical
Thought (1998)
福音主義の思索における新しい局面
○ 関連文献
What is Truth? -C.ヴァンティル、F.シェーファー、C.H.ヘンリー、D.ブローシュ、M.エリクソンの立場の比較研究-
J.E.White (1994)
○
最近の著作
Making Sense of the Trinity (2000)
Truth or Consequences : The Promise & Perils of Postmodernism (2001)
The Postmodern World (2002)
What does God know and When does He know it ? (2003)
Reclaiming the Center: Confronting Evangelical Accommodation in Postmodern
Times(2004.11)
Who's Tampering With the Trinity?: An Assessment of the Subordination
Debate(2009)
*************************************************
2009.05.31 一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「主の御教えは完全で、魂を生き返らせる」
*************************************************
聖書:090531_yc_ag_旧約聖書詩篇19篇1-14節
天は神の栄光を語りつげ、
大空は御手のわざを告げ知らせる
主の御教えは完全で、
魂を生き返らせる
私の口の言葉と心の思いとが、
御前に受け入れられますように
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「人間は有限な存在であり、神は無限な存在
である。そのため、人間が神を知るにあたっ
ては、神によるご自身の啓示が必須となる。
啓示は基本的に二種類に分けられる。一つ
は、一般啓示で、これは、あらゆる時代の、
あらゆる場所にいるあらゆる人間に対し、
神がご自身について知らせるということである。
もう一つは特別啓示である。これは、特定の
時間の、特定の人々に対し、神がご自身に
ついて知らせ、明らかにすることであり、現在
では、ある特定の聖典を紐解くことによって
しか得られない啓示である。」
(第一巻、第二部「神を知ること」p.197)
*************************************************
2009.05.24 一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「御言葉は、我が足のともしび、我が道の光」
*************************************************
聖書:090524_yc_ag_旧約聖書 詩篇119篇97-105節
どんなにか御教えを愛していることでしょう
すべての師よりも悟りがあります
蜜よりも私の口に甘いことでしょう
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「キリスト教神学(組織神学)とは、第一義的に
聖書を基盤とし、文化一般の文脈の中で、
今日的な表現を用いて、生の諸問題に関連
づけながら、キリスト教信仰の諸教理につい
ての首尾一貫した言明をするべく努める学
である。」(第一巻、第一部「神を研究すること」p.17)
*************************************************
山崎チャペル礼拝
2009.05.17
Yamasaki Chapel Short Message
「福音の真理のことばを理解したとき」
*************************************************
090517_yc_ag_Col1_3-23_all.wma
御子は、神のかたち、神の本質
御子により、造られ、成りったている
御子による、万物の和解、罪の赦し・聖化・栄化
*********************************************************
2009.05.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
*********************************************************
E 象と五人の目の見えない人
近代と現代の神学の動向
最近の宣教学の動向
象と五人の目の見えない人
*************************************************
日本福音主義神学会西部部会秋期神学研究会議に向けて
@
テーマ:「“福音主義神学”再考−聖書・伝統・文化の中で−」
日時 : 2009年11月16日(月) 10:00am-5:00pm; 場所 :
一宮基督教研究所
*************************************************
先日、日本福音主義神学会西部部会秋期神学
研究会議の準備会であるコーディネーター会議
が持たれ、上記のテーマ等が決定されました。
幾人かの候補の中から、調整の結果、わたし
安黒が基調講演を引き受けさせていただくこ
とになりました。本当は、『福音主義キリス
トと福音派』、また『総説福音主義神学』の
著者であり、福音主義神学界の重鎮である宇
田進先生とか、JEA神学委員会委員長であり、
聖契神学校校長であり、『原理主義と福音主
義』の論文の著者である関野祐二先生に来て
いただければ良かったのですが、それぞれ
健康の問題、またスケジュールの問題等で、
結果的に、コーディネーターの中で、今回の
テーマの“基本設計”に深く関与しました
わたしが、ある意味「責任をとるかたち」で
基調講演を引き受けることとなりました。
宇田先生を慕って、共立で三年間学ばせて
いただき、その後も宇田先生の書籍や資料を
研究生活での「わが足のともしび、わが道の
光」として学ばせていただいています。また、
関野先生とは、同じ時期にTCUの家族寮で過ご
し、福音主義神学における問題意識を共有する
仲であり、いわば「お二人と共有している問題
意識を携え、お二人の代役として奉仕させてい
ただくというかたちかな」と考えています。
コーディネーターのひとりとして、尽力させて
いたたきたいことは、「秋期神学研究会議」に
向けての盛り上がりです。会員への文書での
案内は、九月半ばになされる予定ですが、
内部講師ということになると、盛り上がりに欠け
る場合があるので、内容の準備と情報の早め
早めの提供を通して、少しでも盛り上げていき
たいと考えています。
そこで、四月に今回のコーディネーターに
選出されてから、今回のテーマの構想を練っ
ていた段階から、私の念頭にあったことを
メモ程度に提供させていただくことは、秋期
研究会議への参加を考慮される方々にとって
有益と思いますので、現段階でわたしの念頭
にあることを書きとめさせていただくことに
します。
テーマは「“福音主義神学”再考−聖書・
伝統・文化の中で−」です。 このテーマに
関して、わたしが考えていますことは、
モダニズムの時代に、そのリアクションとし
て生まれてきたファンダメンタリズムがあり、
それが内包する課題を克服しようとして
エヴァンジェリカリズムの取り組みがなされ
てきた20世紀であったということです。この
事柄をわたしに深く教えてくださった先生方
は、宇田先生と、エリクソンとラッドの著作
集でした。
エリクソンは、その奉仕の生涯の博士論文
(彼の処女作となった”New
Evangelical Theology”
1968)において、上記のコンテキストを指摘した
後に、取り組むべき組織神学的課題の”青写
真”を描いています。そして、彼の焦点を絞っ
た取り組みは弛みなく続けられ、『キリスト
教神学』に結実することになりました。
そして、90年代に入り、ポストモダンの
時代に入りますと、エリクソンの著作は
ポストモダンをテーマにするものが多く
なっており、文化的コンテキストの変化と
その分析と評価をベースにして、『キリス
ト教神学』の内容を改訂しました。「ポスト
モダンと神学」の章が新たに書き加えられ
たのです。
神学研究と神学教育をライフワークとして
います私自身の課題として、今の時期の
きわめて重要な必要のひとつに、ポストモ
ダニズムの時代において、エリクソンの処女
作のような”青写真”が必要なのではないか、と
考えているのです。
フラー神学校の”Reforming
Fundamentalism”
の重要な一員であったG.E.ラッドの著作集
d/file/16a_gel00.htm
ラッド等のエヴァジェリカルの神学者の問題
意識を継承・深化・発展させた
エリクソンの著作集、
d/file/16b_me00.htm
そして、ヴァンティルの下で学ばれ、鋭い
時代意識をもって、近代神学・現代神学・
ポストモダン神学の展開の中で、何が問題
となっているのか、を預言者的視点をもって、
歴史神学的構成の「福音主義キリスト教と
福音派」、そして組織神学的構成の「総説
福音主義神学」等の著作は、福音派神学校
における神学教育の羅針盤であり、問題意
識、争点、福音理解についての青写真である
ように受けとめています。
d/file/20_us00.htm
●「福音主義神学T」講義録サイト
d/file/k/ICI_eth00.htm
●「福音主義神学U」講義録サイト
d/file/u/usciet00.htm
●「聖書批評・バルト・ポストモダン」講演録
d/file/p/ptm_20050808-09.htm
●「現代の福音派神学」
d/file/k/kg_cet_intro.htm
微力ではありますが、これまでにしてきまし
た以上のような取り組みをベースにし、また
これまで収集してきています数多くの「福音
主義神学」関係の研究書にも広く目を配り
つつ、今回のテーマの準備を始めようとし
ています。
今回の西部における、基調講演、レスポン
ス講演、諸先生方の発言、質疑応答等の取り
組みが、ポストモダンの時代における神学会、
そして神学校における神学教育の”ひとつの
青写真”づくりの機会となれば幸いです。
*************************************************
山崎チャペル礼拝
2009.05.10
Yamasaki Chapel Short Message
「良い働きを始められた方は、それを完成に」
*************************************************
問題意識
識別力
選択肢
*************************************************
090422_GEL_G.E.Ladd
研究シリーズ
A
G.E.ラッド 略歴紹介
*************************************************
ジョージ・エルドン・ラッドについては、
最も簡単な略歴は、
G.E.ラッド著、榊原康夫・吉田隆共訳『新約聖書と批
評学』聖恵授産所、1991に、『キリスト教人名辞典』
日本基督教団出版局の宇田進師の紹介とのことわ
りつきで、下記の引用されている。
「1911年7月31日−アメリカのバプテスト派の
新約学者。ゴードン・カレッジ、ゴードン神学校、
ハーヴァード大学に学び、ハイデルベルク、
バーゼルに留学。アメリカ・バプテスト同盟の
教会で牧会に従事(1933-45)、またゴードン・
カレッジのギリシア語教授(46-50)を歴任、
1950年以後フラー神学校新約学教授。特に
現代の聖書学研究をふまえながら福音的立場
の聖書解釈の可能性を示した研究家のひとり
として注目されている。『神の国に関する重要
問題』(1952)、『幸いな希望』(1956)、『神の国
の福音』(1959、島田福安訳、1959)、『イエスと
神の国』(1966)、『新約聖書と批評学』(1967)、
『新約聖書の真理の型』(1968)、『ヨハネの黙
示録』(1972)、『新約聖書神学』(1974)など多く
の著作・論文がある。」
フラー神学校新約学教授の時期についての記述は、
George M. Marsden“Reforming Fundamentalism
−Fuller Seminary and the New Evangelicalism−”
の中に、数多くの記述がされている。インデックス
から、その輪郭を紹介したい。
Ladd, George Eldon, 128, 250n, 9, 301;
background of, 120;
and Edward J. Carnell,149, 203;
view of dispensationalism, 189;
and Fuller Seminary, 238;
relation to fundamentalism,121;
view of inerrancy, 213;
and Harold Lindsell, 280;
view of premillennialism, 150;
view of RSV translation,137.
Works: The Blessed Hope, 151-52;
Jesus and the Kingdom: The Eschatology of Biblical Realism, 249-50
John A. D'elia“A Place at the Table
−George Eldon Ladd and The Rehabilitation of
Evangelical Scholarship in America−”,
Oxford University Press, 2008
に、伝記的で詳細な記述がなされている。
内容構成(本文182ページ)は、以下の通りである。
初期の生活と学究的準備(1911-1950)
戦略の出現(1950-1954)
古き戦いと部分的勝利(1954-1959)
領域を越えて(1959-1963)
交戦の代価(1963-1966)
探究に身を任す(1966-1982)
*************************************************
山崎チャペル礼拝
2009.05.03
Yamasaki Chapel Short Message
「イサクのために妻を迎えなさい」
*************************************************
取り計らってください。恵みを施してください(v.12)
それで今、恵みとまことを施してくださるのなら(v.49)
朝になって、彼らが起きると、そのしもべは(v.54)
*********************************************************
2009.05.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
*********************************************************
D 大きなのっぽの古時計
“アニミズム的”世界観は聖書的なのか?
大きな振り子の原理の中で
“アニミズム的”世界観の克服の歴史
*********************************************************
2009.05.01 A series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
*********************************************************
JECの「教会観」における特徴
聖なる公同の教会・聖徒の交わり
“信仰者のみ”の洗礼
埋葬を表す“浸礼”の象徴性
旧約の過ぎ越し、新約の聖餐“死の記念”
“会衆制”:神の会衆としての教会政治
────────────────────────────────
[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/04/01-04/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
冬と夏が交互に、あるいは朝昼夕に繰り返すような天候で、
少々驚かされています。四月は、例年通り、神学校の入学式
があり、奉仕させていただいています神学校に思いの外、新
入生が多く与えられたことに感謝しています。教えさせてい
ただく側としましても、力が入るゆえんです。
日本福音主義神学会でも、毎年のように教えています神学
生が卒業論文発表させていただく機会とさせていただき、神
学校、神学生、教師としましても、大きな励ましとなってい
ます。
今年の日本福音主義神学会秋期神学研究会議は、生駒の関
西聖書学院にて、11/16(10:00am-4:00pm?)に開催される予定と
なっています。紅葉の美しい風景の中で、充実して中身の濃
い研究会議がなされることを期待しています。また、早めに
インフォメーションを提供させていただきます。コーディネ
ーター委員のひとりでもありますので、いろんな構想を練っ
ていきたいと考えています。
今日は、椅子をひとつ買ってまいりました。四月は下記に
記述していますように、ラッドの書籍の翻訳のために、早朝
の時間帯に二、三時間あてています。バロック音楽を聴きな
がら、「ワン・モア・センテンス!」と一節ずつ丁寧に辞典を
ひきながら、翻訳を楽しんでいます。
あと、エリクソンの『キリスト教神学』の要約版の翻訳も
並行して進めています。これは、講義の進度にあわせて昼の
時間帯に、モーツァルトを聴き、ブルックスという一袋25円
くらいのおいしいコーヒーの香りを楽しみながら、講義準備
の片手間に取り組んでいます。
秋期には、他にICI教師会主催シンポジウムに関連して、
フラー教授会がまとめたバランスのとれた「癒しのミニスト
リーに対する神学的・実践的ガイドライン」の翻訳にも取り
組みたいし、他にも、ICIクラス・ルームでワン・パースン・
レクチャーという“ひとり芝居”をイメージしたかたちで、
G.E.ラッドの終末論講義や、J.D.G.ダンの『イエスと御霊』に
関する一考察論文からの講義等、神学校のカリキュラムの枠
外の領域のDVD講義録を次々と作成していきたいと構想を
練っている最中です。クラス・ルームには、“ワン・パース
ン・レクチャー”用に、ホワイト・ボートやビデオ・カメラ
のワイド・レンズ等も買い揃え、いつでも「ゴー・サイン」
を出せる段階にまで、きています。あとは、諸奉仕との兼ね
合いで、時間のとれる時期に向けて、内容のある講義ができ
るよう、余念なく講義下準備を仕上げていきたいと思ってい
ます。講義等の一部は、ストリーミング・レクチャーとして
公開していく予定です。お祈りください。
あぐろ
*************************************************
山崎チャペル礼拝
2009.04.26
Yamasaki Chapel Short Message
「凶暴な狼、いろいろな曲ったことを」
*************************************************
益になることは、少しもためらわず
神の計画の全体をあますところなく
神とその恵みのみことばに委ねます
*************************************************
090422_GEL_G.E.Ladd
研究シリーズ
@
G.E.ラッド著『最後の事物』の翻訳・出版(予定)の意義
*************************************************
現在、G.E.ラッド著『最後の事物』の翻訳にチャレ
ンジしています。今年中に翻訳と推敲が終了し、
来年には出版できたらと考えています。その前哨
戦の意味合いも含め、G.E.ラッドとその著作集に
ついて紹介させていただきます。
私が、G.E.ラッドの著作に一番最初に触れたのは、
『神の国の福音』でした。そのときの印象は、「神の
国の概念について分かりやすく解き明かす人だ
な」というものでした。
一宮基督教研究所での卒論レポートでは『祝福の約束
と律法−海面下のガラテヤ3・4章−』というテーマ
で、KBI三年間で学んだエーリッヒ・ザウアー著
『世界の救いの黎明』と『旧新約聖書研究ベテル』
の祝福の約束と律法に対する視点の相違を比較
研究しました。祝福の約束の内容は、土地と子孫
であり、その目標は「神の国」でありました。
その意味で、旧新約聖書神学は、「神の国の神学」
といえます。聖書神学を本格的に学びましたのは、
共立にいましたときに、東京基督神学校(TCTS)で
宮村武夫先生より、「新約聖書神学」の科目を学ん
だときでした。G.ヴォス著『聖書神学』と『パウロの
終末論』を背景にしたG.E.ラッド著『新約聖書神学』
の学びでした。
この学びも素晴らしいものでしたが、さらに本格的
に、G.E.ラッド研究に入っていくのは、M.J.エリクソン
著『キリスト教神学』『基督教教理入門』を翻訳し、
教えていく中で、エリクソンの終末論の教えの背後
にG.E.ラッドの著作があり、エリクソンはラッドの著
作を資料源にしていることを知ってからでした。
最初は、エリクソンの終末論を深く学んでいくために
エリクソン著『終末論における今日的選択肢』という
著作を部分的に翻訳しつつ、『基督教教理入門』
の電子メール講義に取り組みました。そのときに、
『終末論における今日的選択肢』の内容のかなり
部分が、G.E.ラッドの著作からの引用であることに
気がつかされました。
そのとき以来、私はG.E.ラッドの著作集を収集して
きました。そして、日本福音主義神学会西部部会
神学研究会議で『G.E.ラッドの歴史的前千年王国
・大患難後再臨説』を以下の内容で紹介させてい
ただきました。
このような内容と方向性をもって、KBI等で神学
教育に十数年取り組んでこさせていただきました。
ただ、近年いくつかの課題に直面し、「この課題を
克服するためには、やはりこのテーマで翻訳本を
欠かすことはできない」と確信するようになりました。
直面するようになった課題とは、@「歴史的前千年王
国・大患難後再臨説」を身につけた卒業生が現場
で、他の諸説と直面していったとき、わたしは何を
なすべきなのか、ということです。もちろん、赴任先
の立場が他の諸説であれば、それに対する配慮は
必要でしょう。「しかし、そのままで良いのか」という
疑問も残ります。エリクソンとラッドのテキストにそっ
て、「歴史的前千年王国・大患難後再臨説を教えた
教師として、“援護射撃”の役割を果たすべきでは
ないのか」と考えさせられました。そのために最も
効果的な方法のひとつとして、G.E.Ladd“The Last
Things”の翻訳を導かれている、ということなのです。
また、わたしの教えさせていただいている神学校の
教師間にも、このテーマでさまざまなグラテーション
があります。このことで神学生の間にはとまどいや
混乱も見られます。また、外部からの講師や場所を
借りてなされるセミナーへの対応においても、この
テーマが内包している課題について神学教師の間
でコンセンサスが必要なのではないかと考えるよう
になりました。それは、口頭の質疑応答のみでは、
対話はできたとしても、お互いの主張を述べ合った
だけということになる場合が多いからです。
この問題の解決のためにも、じっくりと丁寧に、包
括的な視野からこの問題のどこの何に本質的な
問題が存在するのか、またそれに関連した個別の
聖書解釈の丁寧な比較研究を通して、聖書から
明確な確信を得ていくことの大切を学ぶ必要があり、
そのためには、その必要にこたえる書籍を欠かす
ことができないからです。
ダラス神学校を牙城としたディスペンセーション主義
は、種々の段階を経て、プログレッシブ・ディスペン
セーション主義となり、その距離は縮まってきたと
言われています。それとともに、別の方向からは、
ディスペンセーション主義を広めようとする動きも
見受けられるようです。
これらの問題をクリヤーしていくために、改革派系
の立場の「無千年王国説」「後千年王国説」とディス
ペンセーション主義の立場の両極に分かれ、その
両極の出版書で占められている日本のキリスト教会
の出版事情の中で、中庸の立場で、きわめて自然な
かたちで聖書的な立場を説明している、エリクソンと
ラッドの「歴史的前千年王国・大患難後再臨説」の
書籍が出版され、よりベターな終末論の選択肢のひ
とつとして登場するということには、歴史的な意義が
あるのではないかと思っています。
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山崎チャペル礼拝
2009.04.19
Yamasaki Chapel Short Message
「なぜ、わたしを打つのか」
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大祭司の尋問
ピラトへの告発理由
イエスの応答
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2009.04.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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C 百聞は一見にしかず !
“超自然性”-脚色なのか、真実なのか ?
過去の事実にすぎないのか、今日的現実でもあるのか ?
宗教的カリスマ的経験の規範としての聖書
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山崎チャペルイースター復活祭礼拝
2009.04.12
Yamasaki Chapel Short Message
「キリストの十字架と復活へのレスポンス」
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090412_yc_ag_Jn19_34-20_29.wma
アリマタヤのヨセフとニコデモ
マグダラのマリヤ
デドモと呼ばれるトマス
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山崎チャペル受難週礼拝
2009.04.05
Yamasaki Chapel Short Message
「神を信じ、またわたしを信じなさい」
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備えに行き、備えたら迎えます
わたしは道であり
わたしの行うわざを行い
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2009.04.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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B 悪霊追い出しと解離性同一性障害
悪霊の追い出し
解離性同一性障害
残されている研究領域
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2009.04.01 A series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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聖霊論の学びの大切さ
二十世紀の聖霊運動の変遷
「霊の戦い」の教えでの論争
真理と偽り−識別のための原則
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/01/01-03/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
三ヶ月ぶりのマンスリーICIです。大晦日に危篤で
ありました家内の父が、臨終の時期に救われ、阪
神大震災の十四年目、一月十七日の朝に天に
召されていきました。その後、二つの神学校での
講義、 “ICI for JEC”という所属教派教職者対象
の神学誌(季刊)の編集・刊行、和歌山ECでの
礼拝奉仕、三日間風邪で寝込み、神学校の教師
会、牧師会、「福音主義神学」誌編集委員会で
東京へ、またその間に所属団体の機関紙への原
稿と「リバイバル・ジャパン」誌への原稿書き、等々。
超多忙なスケジュールに追いまくられていました。
そのようなことで、ICI日誌への書き込みも少なく
なり、マンスリーは三ヶ月まとめてということになり
ました。
所属団体で課題のひとつとして話し合われまし
た「聖餐論」についての情報、これは福音派教会
全体としての課題でもありますので、少し編集し
一般化した内容で掲載させていただきます。
皆様の所属団体での話し合いの一助としていた
だけたら幸いです。
また、一番下の部分で、この十数年の神学校
での講義の集大成である「誰にでも分かるDVD
講義録全集」
●『キリスト教神学(組織神学)』
●『福音主義神学(歴史神学)』
●『比較宗教学(宗教の神学)』と、
昨年の取り組みである
●『霊の戦いに関するナイロビ声明』
の案内をし、リンク先に資料を掲載しています。
関心のある方は、問い合わせまたご注文ください。
あぐろ
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山崎チャペル礼拝
2009.03.29
Yamasaki Chapel Short Message
「被造物世界と聖書:神は二冊の書物を書かれた」
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初めに、神が天と地を創造した
神は人をご自身のかたちに創造された
こうして、天と地とそのすべての万象が完成された
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ICI for JEC
インフォメーション
090321
『まことの聖餐を求めて』芳賀力編、教文館
― 「未受洗者配餐問題」に関し、
JEC聖餐論のひとつの基礎資料の紹介―
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主の御名を崇めます
「ICI
for JEC インフォメーション
090305」号にて、
2008年11/30のクリスチャン新聞に掲載されました
日本基督教団の未受洗者配餐問題の記事をPDFファ
イルで添付して紹介させていただき、今年度の「ICI
for JEC」の課題のひとつとして「聖餐論」の基礎
資料づくりに言及させていただきました。
これは、昨年度の牧師会にてJECにおける
「未受洗者配餐問題」が話し合われ、そのままに
なっていることを受け、KBIにて組織神学を教え
させていただいている一教師として、聖書的・歴史
的・組織神学的な総合的な視点から、きちんと整理
しておく必要を感じたことからきています。
神学教師として、無責任で曖昧な発言はできません
ので、まず「聖餐論」に関する主要な著作の収集に
取り組みました。それらには、以下の書籍があります。
●「未受洗者配餐」に賛成の立場の本
・『聖餐―イエスのいのちを生きる57人の発言―』
高柳富夫編、新教出版社
・『聖餐の豊かさを求めて』山口雅弘編著、新教出版社
●「未受洗者配餐」に反対の立場の本
・『聖餐―福音主義教会における聖餐の理解と実践のための指針―』
ドイツ福音主義教会常議員会、教文館
・『主の晩餐―現代アメリカにおける聖餐への問い―』
ロバート・リーサム著、一麦出版社
・『洗礼から聖餐へ―キリストのいのちの中へ―』
芳賀力著、キリスト新聞社
・『なぜ未受洗者の陪餐は許されないのか―神の恵みの手段としての洗礼と聖餐―』
赤木善光著、教文館
●両方の立場を考慮に入れ、議論を尽くした後、「未受洗者配餐」の
問題性を明らかにし、この問題の焦点を明らかにし、「未受洗者配餐」問題を
克服する手順までも示しているすばらしい書物。JEC拡大教職者会や牧師会
で、「JECの聖餐論のあり方」を話し合っていく「基礎資料」のひとつとして
推薦される書籍です。
・『まことの聖餐を求めて』芳賀力編、教文館
【内容】
○旧約学の立場から
1.「契約」概念から聖餐問題を考える―聖餐をめぐる聖書神学的考察―
○新約学の立場から
2.「聖餐」の歴史的三つのルーツを探る
3.パウロにおけるサクラメント理解
○教会史と諸伝統の中で
4.ローマ・カトリック教会における聖体祭儀
5.未受洗者の陪餐−聖公会の立場から
6.キリストにあって神の真実を受け取る―福音の説教と聖餐―ルーテル教会の理解と実践から
7.改革教会の伝統の立場から
○組織神学の立場から
8.荒野に供えられた主の食卓
○実践神学の立場から
9.すこやかに教会を生かす聖餐を祝おう
○各国の現状
10.ドイツ福音主義教会の現状
11.アメリカ合同メソジスト教会の現状
○教会の実践の中から
12. 神の宣教とキリストの教会
13.取れ!キリストの命を
○おわりに
14.それが「聖餐の豊かさ」なのだろうか
と、13人のすぐれた神学者や牧師たちが執筆しており、.
「未受洗者配餐」問題が
何であり、どのように考え、どのように解決していくべきかを丁寧に解説しています。
■特に、教えられる点をあげますと、
1.聖書が教えている「愛餐」と「聖餐」とを混同してはいけない。
2.聖書は、「洗礼」から「聖餐」への順序を明確に語っている。
3.教会の歴史において、「受洗者配餐」が守られてきている。
4.「開かれた聖餐」の議論は、教派を超えての合同聖餐式の議論であって、「未受洗者配餐」の議論ではなかった。
5.「未受洗者配餐」問題が、欧米の教会において議論され、それを許容する流れになっているという主張は、故意による情報操作とも思われる「歪曲された情報流布」であり、そのような流れにはなっていない。
6.欧米の教会を含め、キリスト教会は「受洗者配餐」が守られている。
7.求道者への配慮を主張し、「未受洗者配餐」を推進しようとする牧師の問題には、「聖書観」の弱さからくる「教会観」の弱さ、そして「聖餐論」の本質の喪失という問題が内包されている。
8.求道者等、「未受洗者」への配慮は、「未受洗者配餐」というかたちでなされてはいけない。洗礼や聖餐についての説明やパンフレット作成等、もっと別の分野で配慮されるべきである。
9.明確な悔い改めと信仰を経て、洗礼を受け、聖餐式にあずかるという聖書的な順序を無視してなされる「未受洗者配餐」は、洗礼への決心をしなくても、聖餐共同体としての教会の交わりの一員として認められているという意味で、救いの機会を遠ざけることにもなっている。
10.その他、pp.338-349には、「日本基督教団西宮教会」の前任牧師が「未受洗者配餐」を推進されてきた後に赴任された岡本知之牧師が数年の時間をかけて、教会をあげて聖餐の意味を学び続け、「受洗者配餐」の聖書的姿に教会を戻していった、丁寧な取り組みの紹介が掲載されており、現在JEC内で、「未受洗者配餐」をされている教会にとって、参考になるのではないかと思います。
11.日本基督教団は、「未受洗者配餐」問題で苦闘している最中にあり、牧師の資格問題が議論になったりしています。これらの情報はまわりまわって、JECの教職者や信徒の人々の間にも話題になっていくことと思います。聖書的にも、歴史的にも、組織神学的にも、今日的のキリスト教会の実践においても、基本的な教会の在り方としての「受洗者の陪餐」という原則のもつ意味を、牧師会等にて話し合っていくことができたら、将来起こり得るかもしれない大きな火種を未然に消すことができるかもしれません。
12.これらの課題を整理して、今年の“ICI for JEC”神学誌にて取り扱っていきたいと思っています。お祈りください。
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山崎チャペル礼拝
2009.03.22
Yamasaki Chapel Short Message
「その人は、水路のそばに植わった木のようだ」
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幸いなことよ
主の教えを昼も夜も口ずさむ
時がくると実がなり、その葉は枯れない
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山崎チャペル礼拝
2009.03.15
Yamasaki Chapel Short Message
「良い働きを始められた方は、義の実に満たしてくださる」
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真の知識に根ざし
識別力を豊かにし
真にすぐれたものを見分けつつ生きる
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2009.03.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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A天上で神の右の座にいますキリスト!
臨終伝道への挑戦
人は死後どうなるのか?
神の国とは
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山崎チャペル礼拝
2009.03.08
Yamasaki Chapel Short Message
「人の子は安息日にも主です」
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安息日にしてはならないこと
ダビデがひもじかったとき
安息日は人間のために設けられた
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山崎チャペル礼拝
2009.03.01
Yamasaki Chapel Short Message
「強くあれ、雄々しくあれ」
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このヨルダン川を渡り
恐れてはならない、おののいてはならない
律法の書を口から離さず、口ずさみ、守り行う
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2009.03.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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@ 古池や、蛙飛び込む水の音
静かに広がる波紋
私の霊的系譜
怒涛の落水のごとく
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2009.03.01 A series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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B「私は、その独り子、私たちの主イエス・キリストを信じます」
讃美歌を共に歌う礼拝そのもの
御言葉は砂、体験は水、教理はセメント
客観的立場に立脚して主観的体験を求める
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山崎チャペル礼拝
2009.02.25
Yamasaki Chapel Short Message
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、
まだ見ていない事実を確認すること」
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家族の救いのために
召しを受けたとき
天の故郷にあこがれて
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山崎チャペル礼拝
2009.02.15
Yamasaki Chapel Short Message
「人がもし監督の職につきたいと思うなら」
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それは素晴らしい仕事を求めること
よくもてなし、家庭を治め、教会の世話をする
務めを立派に果たし、良い地歩を占め、
強い確信をもつ
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山崎チャペル礼拝
2009.02.08
Yamasaki Chapel Short Message
「人間、その生きることの尊厳」
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世界の基の置かれる前から
罪の赦しを受け、一つに集められ
聖霊は御国を受け継ぐことの保証
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2009.02.01 A series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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神主さんの息子さんですか?
裸電球が宙を舞い、コンクリートに潰れる
「アバ、父」意識が、深みから溢れる
●2月1日は、JEC和歌山福音教会の礼拝奉仕でした。
●『リバイバル・ジャパン』誌の連載記事ンイフォメーション
コーナー名:Theological Essay
年間テーマ:『宗教的・カリスマ的経験の座標軸』
副題を毎回つけさせていただきます
第一回目「@古池や、蛙飛び込む水の音!」は
2月6日下版(13日発送)の3月1日号掲載の予定
日本三大随筆は、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』、吉田兼好の『徒然草』です。「つれづれなるままに」で始まる『徒然草』は、吉田兼好が暇な毎日に、だらだらと硯(すずり)とにらめっこしながら、心の中を通り過ぎてゆく思いを書き残したものです。また、「随筆(エッセー)」とは、筆者の体験や見聞を題材に、感想をも交じえ、記した文章で、現在は、新聞・雑誌から求められて掲載する、書き流しの肩の凝らない短章を指します。今回、一年間24回の原稿は、神学的内容も交え、御霊の風に吹かれるままに随筆(エッセー)風に、書き綴らせていただきたいと願っています。一年間、ご愛読いただけたら感謝です。
今年「リバイバル・ジャパン」誌での一年間の連載予定の構想の中には、
イエスの宗教的・カリスマ的経験
初代教会のクリスチャンたちの宗教的・カリスマ的経験
20世紀初頭からの、異言を伴う聖霊経験を発端とした「ペンテコステ運動・カリスマ運動・第三の波運動」等の中における宗教的・カリスマ的運動
20世紀末からの、「第三世界での宣教の進展における霊の戦いの運動」、それらの「米国や日本等の宣教における応用の取り組み」
の四つの円の、水紋のような同心円的関係性を、エッセイ風に描いていこうとしています。「宗教的経験」と「カリスマ的経験」という用語の相違は、カリスマ的経験が聖霊の“カリス(恵み)”の顕現であるのに対し、宗教的経験とは聖霊の働きなのか、人間の霊の働きなのか、天使の働きなのか、堕落した天使である悪魔・悪霊・諸霊の働きなのか、不鮮明な領域というものがあると思います。それゆえ、両極端の反応も生まれやすい領域ともなっています。個人的重荷としまして派、シンポジウムで残された課題として「霊的体験の中心性と周辺性の霊性と対決すべき異教性の霊性の領域の識別には、明確な神学的規範のみでは判断できない事柄があり、そのあたりのグレイゾーンの霊的経験や教えを判断していく霊的経験の本質的規範を明らかにしていく」という課題がつきつけられているのだと思います。このあたりの課題を少しでも明らかにすることに貢献できたらと祈りつつ、一年間24回のシリーズを書き綴っていきたいと考えています。お祈りくたさい。
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山崎チャペル礼拝
2009.01.25
Yamasaki Chapel Short Message
「あなたは今日、私と共にパラダイスにいます」
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090125_yc_ag_Luke23_32-24_8.wma
御言葉とともに記憶してゆく生涯
事態を理解できない人々との葛藤
イエスさま、私を思い出してください
●1月20〜21日は、生駒聖書学院・一宮基督教研究所での集中講義でした。
『キリスト教神学:キリスト論』−神性・人性・人格の統一性
『福音主義神学』−自由教会の伝統・リベラリズムと福音派
『組織神学』−贖罪論の中心的主題
年末の大晦日に危篤状態でありました妻の父親が、
阪神大震災から14年目の1/17の午前中に召さ
れました。その間、ばたばたしておりまして、今月は
ホームページにあまり書き込めませんでした。
ただ、わずかに与えられたチャンスを生かさせて
いただいて、私たちをずっと支えてくださった義父を
救いに導き、病床洗礼を施し、天国に見送ることが
できました。感謝!
● 1月18日は、家内の父親の前夜式・告別式のため、
西宮ECでの礼拝に合流しました。
● 1月11日は、テープ録音に気を取られ、PC録音のスイ
ッチを入れ忘れていました。
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新年礼拝
2009.01.04
Yamasaki Chapel Short Message
「あなたがたは心を騒がしてはなりません」
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鶏がなくまでに、三度知らないと言います
心を騒がしてはなりません。神を信じ、わたしを信じなさい。
場所を備えに行きます。わたしのもとに迎えます。
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2009.01.01 A series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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とんでもないことを信じている人々だ
祈ってみられたら、いかがですか
クリスチャンは恥じるべきです
【 ご案内 】
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2008.12 ICI Video Lectures 3 Sets
「ICIビデオ講義録三点セット」のご案内
DVD版と BD版の両方があります。同額。
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ICIビデオ講義録三点セット 発売記念特価:各科目単位 30% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円→39200円
『福音主義神学』770分=12800円→8960円
『比較宗教学』811分=13500円→9450円
発売記念特別価格:三点セット一括購入の場合のみ 50% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円
『福音主義神学』770分=12800円
『比較宗教学』811分=13500円
定価合計82300円→半額41150円
各シリーズの中の資料をカタログに従って、小単位で
分割購入される場合は、定価(60分1000円)です。
ICIビデオ講義録三点セット・チラシ(PDF)印刷可
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2008 Nairobi Statement Set
「ナイロビ声明三点セット」のご案内
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「霊の戦い-その聖書的・包括的理解に関するナイロビ声明」小冊子 =定価 500 円(税込)
「ナイロビ声明」解説講演・質疑応答DVD(80分) =通常価格1300円を特価 500 円(税込)
「悪の問題」「天使論」(6時間)+「ナイロビ声明」解説講演・質疑応答(80分)計7時間20分
BD-R(ブルーレイ・ディスク)=通常価格7300円を
特価 1000 円(税込)
(ブルーレイ版でみることのできない方のための「DVD特別版」は、通常価格6000円を3000円にて)