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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/08/01-08/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
衆議院議員選挙の興奮も、まださめやらない今日で
あります。日本にも、ついに二大政党制の時代が到来
したのかもしれません。前回の郵政選挙の後には、
教育基本法の改悪とか、憲法の改悪の手続きの明確
化がなされてきました。ただ、前回の参議院議員選挙
と今回の衆議院議員選挙で、その動きは一時とん挫
したかのように受けとめています。ただ、今黙示録の
連続講解をしています。黙示録13章3-4節には、教会
の迫害者皇帝ネロの自殺の混乱の後に、ドミティアヌ
ス帝が出てきて、さらに徹底した迫害を行い、ネロの再
来と思われたとの記述があります。
朝日新聞に「小泉政権以降、タカ派色が強い最大派
閥・町村派に押し込まれてきた古賀派には、これを機
にリベラル路線の復権を目指し、谷垣禎一郎元財務相
ら独自候補擁立を求める声もある。加藤紘一元幹事長
もリベラル派の再結集を目指して出馬に意欲を見せて
いる。
これに対し、安倍氏らは『リベラルでは民主党と違い
を出せず、保守を訴える必要がある』と反発。小泉改革
を批判して離党した平沼赳夫元経済産業相らとの連携
に意欲的とみられ、小泉改革を抜本的に見直したうえ
で『保守再生』を掲げそうだ。」との記述があり、目をひ
かれました。“油断大敵”と申します。
安倍氏や平沼氏は、これまでの十戒・主の祈り解説
シリーズで研究しましたように、今日の日本政界で右寄
りの政治行動をリードしている政治家です。靖国、日の
丸・君が代、教育基本法改悪、そして憲法改悪へ、
世論の右傾化がすすみ、福音宣教の妨げとならないよ
うに祈っていきたいと思います。狭いナショナリズムの
道に進むのではなく、アジアに開かれたインターナショ
ナリズムの道に、靖国の道にではなく、あらゆる宗教者
、またアジアの人々、世界の人々に開かれた無宗教の
国立墓地が整えられていくことを祈っていきたいと思い
ます。今後とも、二大政党の間で振り子のように、政権
交代を繰り返すのかもしれませんが、今回の選挙が、
日本民族がそのような道に進む一里塚になればと願っ
ています。
すでに案内していますが、ヨハネの黙示録を学びな
がら、日本の政治・経済・文化とキリスト教会のあり方
を考えることは有益なことです。岡山英雄著『小羊の
王国』をテキストとして、九月から聖書研究会を始めら
れる教会があることも聞きました。現在、再版されて
いますので、キリスト教書店ないし、ICIにメールにて
ご注文ください。よろしくお願い致します。
あぐろ
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2009.08.30 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである」
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144000人は、童貞であり、初穂である(v.1-5)
雲に乗っておられる方が刈り取られた(v.14-20)
今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである(v.6-13)
神学書:
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.246-255
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.188-202
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-129
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.283-296
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.166-177
山崎ランサム和彦著『平和の神の勝利』p.64
山崎師の著作に、黙示録に関する記述がある。
「黙示録の幻は時間的順序が複雑に交錯して
おり、また同じ出来事を違うかたぢて繰り返し
述べたりしていることがあるので注意を要する」
とある。限定的二元論の視点で、神とサタンの
戦いという新約聖書神学がもつ枠組みの中で、
黙示録の解釈についての解説がある。この種
の著作しては、大変すぐれた、またバランスの
とれた書物である。山崎師はボウカム師のUペ
テロとユダ書のWord Biblical Commentaryを参考
にしておられる。山崎師の視点とボウカム師の
視点に共通するところがあるように思われる。
このあたりは、福音派の新約聖書神学において
掘り下げられていくべき領域ではないかと思わ
せられる。ボウカム師の著作はたくさんあるが、
ヨハネの黙示録の関係の著作の卓越した洞察
からは多くのことを教えられている。黙示録に
続いて、ボウカム師のヨハネによる福音書の
神学についての著作を注文している。パウロ
神学に関しては、J.D.G.ダンの著作集から多く
のことを教えられてきた。ヨハネの神学について
は、ボウカム師から多くのことを学びたいと願っ
ている。
「144000人」について、7:4-5の解説で言及した
ように、ボウカムは「神の民の軍隊」とみている。
14章においても、ボウカムは竜や獣との戦いに
ある神の民をそのように見ている。
この文脈の流れにおいて、「童貞」という言葉を
解説している。これは軍事的イメージであり、成
人男子の軍隊の「儀礼的な清浄」(申命記23:9-14、
Tサムエル21:5、Uサムエル11:9-13)、性交渉
によって被る祭儀的な汚れを避ける意味への言
及である。ただこの箇所におけるヨハネのイメー
ジは、「性的禁欲」を示すものではなく、「道徳的
清純」を示すものである。そのことが彼らの口に
は「偽りがなく」「傷のない」ものであった、との言及
から読み取れる。
「初穂」とは、特種の犠牲のことである。「すべて
の収穫」がなされる前に、収穫物から取り分けられ、
神に犠牲としてささげられる「ひと束」のことである
(レビ23:9-14)。
ヨハネは「軍事的」用語と「犠牲と証し」としての
用語を交錯させて用いている。
小羊の軍隊は、シオン山上で、攻撃を成功裏に
撃退し、天上で勝利を祝う。
しかし、それは「軍事力」によるものではない。小
羊の軍隊は、カルバリの十字架においてほふら
れた小羊にならい、忠実な証しと殉教をも恐れな
い生きざまを通して、リバイバルを誘発する。
後半の「地の穀物」は、キリストの再臨における
信者の救いを象徴し、「地のぶどう」は悔い改めず
裁きに直面する不信者を象徴する。穀物の収穫は
一度だけであり、キリストの再臨と携挙がそれに
あたる。ぶどうの収穫は二段階であり、刈り集め
られて、酒ぶねに投げ入れられて踏まれるのであ
る。これらは最後の審判を象徴している。
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2009.08.26
「使徒信条」講話
− 神・キリスト・永遠のいのち −
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8/26 老人保健施設むつみ園にて、キリスト教講話を
依頼され、「使徒信条」から、神・キリスト・永遠のいの
ちを軸に、人生の意味や価値、貧しさ・苦しみ・死の
問題、そして死後の永遠のいのちについてともに教え
られるときを持たせていただきました。職員を含め、
約百人の方が出席してくださいました。
そのときに作成しました『使徒信条講話−神・キリスト
・永遠のいのち−』のキリスト教講話メモを公開してい
ます。完成した説教原稿ではありませんが、今回の
説教メモに関心のある方はご覧ください。
この奉仕が終わりましたので、先日録音ミスしました
黙示録13章のメッセージを再録しました。
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2009.08.23 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「ここに聖徒の忍耐と信仰がある」
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090823_yc_ag_黙示録13章1−18節(8/27に再録)
海から一匹の獣が上って来た(v.1-6)
地からもう一匹の獣が上がって来た(v.11-14)
ここに聖徒の忍耐と信仰がある(v.7-10. 15-18)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.11-13,112-133
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.234-246
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.176-187
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-123
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.384-452
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.159-166
村瀬俊夫著『ヨハネの黙示録講解』pp.182-192
岡山英雄著『小羊の王国』の中で、特筆すべき
記述は、黙示録13章を国家神道時代の日本と
その時代のキリスト教会のあり方への反省の視
点で講解しているところにある。
「それは日本の教会によとって、避けることので
きない重要な問題である。なぜなら、かつて私た
ちは、歴史の本質を見きわめることができず、
善を偽装した悪に欺かれ、時流に翻弄され、キリ
ストの証人として立つことができなかったからで
ある。」
「限られた情報に惑わされることなく、教育によっ
て植えつけられた先入観にとらわれず、国民的
熱狂のうねりに呑み込まれることなく、冴えた目
で事象の根源にあるもの、世界を動かしている
闇の力の本質を洞察し、真に価値あるものを識
別して、的確な判断を下すことは、何と難しいこと
だろう。」
「あの頃、多くの人々は、国家神道とキリスト教信
仰、天皇の神格化と教会の礼拝とが矛盾するも
のとは考えなかった。むろんその問題に気づいて、
弾圧に屈しなかった少数の人々もいたが、大多数
の日本のキリスト者は、両者の統合を良いことと考
えて、積極的に協力したのである。」
「しかし、もしあのとき、黙示録13章の幻の意味、
『海から上って来た獣』を礼拝させる『地から上って
来た獣』の幻の意味を理解していたなら、国家と
宗教の一体化の意味を教会が悟っていたなら、日
本の教会の国家神道への対応は異なっていたこと
だろう。」
「この幻は、一世紀の教会が直面していた、ローマ
帝国の支配権と皇帝崇拝の本質を明らかにしてお
り、それは時代を超えて、教会と国家の歪んだ関係
を照らしだす。宗教的権威によって絶対化した国家
が、どのように破滅的な結果をもたらすかを、私た
ちは体験した。」
私は、上記の岡山師の聖書講解の視点から、黙示
録から今日の日本の教会がメッセージを聴きとる視
点を深く教えられた。このことが、私の所属団体の
牧師会における研修において、『小羊の王国』を研修
テキストとして活用する意味であり、「ディスペンセー
ション主義聖書解釈法の誤り」克服への取り組みと
ともに、二重の意味で有益であると受けとめている。
2009.08.23の礼拝録音は、PCの録音デバイスの自動
更新の関係で録音できませんでした。今週は、他の奉
仕もありますので、週の後半にデバイスを以前のもの
に戻した上で再録させていただきます。
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2009.08.16 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「竜は子を産もうとしている女の前に立っていた」
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竜は女が産んだ子を食いつくそうと
女の前に立っていた(v.1-6)
竜は激しく怒り、男の子を産んだ女を
追いかけた(v.13-18)
兄弟たちは、小羊の血と証しをもって打ち勝ち、
死に至るまでもいのちを惜しまなかった(v.7-12)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.112-115
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.165-175
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.116-123
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.185-198
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.149-158
この章、また黙示録を理解する原則を教えられ
た。レオン・モリスの著作の聖書解釈のバランス
の良さを教えられた。
「太陽を着た女」、この象徴は、選ばれた民であ
るイスラエルを示している。「女は光を反射する
旧約の啓示の上に立ち、輝く太陽のような新約
の啓示を着ている」(トーランス)。「十二の星」は、
十二人の族長か、その子孫である部族となる。
それはヨセフの夢(創世記37:9)を象徴している。
この象徴に注目すれば、異教神話への言及を
考える必要はない。
「みごもっていた」イスラエルはメシヤを産もうと
している。初代のキリスト者にとって、旧約のイス
ラエルと、真のイスラエルである教会には重要な
連続性があった。この女は、疑いなくメシヤを産む
イスラエルだが、本章の後半では、女は信仰の
ゆえに迫害される教会である。
キリストの生涯への言及がないことを問題にする
人々もいる。ヨハネは、誕生と昇天の間に起こった
すべてのことを省いている。それゆえヨハネは、
この箇所を自由に書いているのではなく、異教
神話を引き継いでいるだけである、と議論されて
きた。しかし、この説はヨハネの書き方の特徴を
見落としている。ヨハネは一度に一つのことに集
中し、直接関係しないことは、重要であっても省く。
ヨハネの黙示録のこの章に見るものは、ヨハネの
旧約聖書に対する透徹した見方である。「天にお
ける戦いと地上における戦い」、「暗黒の王国の
根源的支配者」についての理解、「神とサタン」、
「クリスチャンとローマ帝国」、「神に逆らうすべて
の原始的・超自然的源としての古い蛇」、「竜の激
しい怒りから派生する憎悪の連鎖と小羊の血から
派生する赦しの共同体の和解の福音」…。パウロ
書簡とは一味違う深い神学的洞察がある。
・2009.08.16 は、午前の礼拝、午後の同窓会、夜の前夜式
と続きますので、「ヨハネの黙示録講解説教シリーズ」の掲載予定
は、月曜夜にさせていただきます。
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2009.08.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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K 「聖霊の満たし」の方向性−“召命”
生きることはキリスト
義認・聖化・聖霊の満たし
聖霊論の第三次元:召命
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2009.08.09 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「エリヤとモーセのような二人の証人」
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神の聖所と祭壇を測れ(v.1−2)
ふたりの証人は預言をする(v.3−6)
底知れぬ所から上って来る獣が殺す(v.7−13)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.84-110、
R.ボウカム著『黙示録の神学』pp.105-115、
G.E.ラッド“A Commentary on the Revelation”pp.121-164、
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52B”pp.480-632
M.C.テニイ著『ヨハネの黙示録』pp.89-103
L.モリス著『ヨハネの黙示録』pp.117-149
聖なる都には、神殿があり、神殿は神の臨在
の場所であり、その象徴てある契約の箱が
ある至聖所と聖所がある。その周囲には外庭
があり、ユダヤ人のために外庭、女性のため
の外庭、異邦人のための外庭があった。
「測る」のは、聖書では破壊か保護のためであ
った。ここで神によって測られるものは、神の
正統的な支配と保護の下にある教会は、来る
わざわいの中でも、殉教を超えて、守られる。
小羊の民の二つのあり方
苦難 | 保護 |
踏みにじられる場所 | 守られる場所 |
聖所の外庭 神に敵対する者による迫害 |
神の聖所・祭壇 神による守り |
女の子孫と二匹の獣 迫害 |
女と竜 守り |
殉教の覚悟 スミルナの教会への手紙 黙示録 2:10 |
神の守り フィラデルフィアの教会への手紙 黙示録 3:10 |
苦難 | 保護 | 証言 | 殉教 | |
福音書・黙示録 | マタイ 24:11 | ルカ 21:12-18 | マタイ 10:28 | マタイ 24:14 |
ダニエル書 3:13-19 | 金の像 | 炉の中 |
エジプト | バピロン | 大患難期 |
430年 | 70年 | 3年半 |
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2009.08.02 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「旧新約の真の神の民の軍隊」
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地上:額に印を押された十四万四千人の軍隊
…旧新約の真の神の民、真の十二部族
天上:数えきれないほどの大群衆による礼拝
…あらゆる国民、部族、国語
大きな患難から抜け出て来た者たち
…衣を小羊の血で洗って白くした
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』pp.66-86、
R.ボウカム著『黙示録の神学』pp.87-105、
G.E.ラッド“A Commentary on the Revelation”pp.110-120
七章四節〜八節は、解釈の分かれるところ
である。
ディスペンセーション主義聖書解釈では、教会
は大患難直前に携挙され、天にある。地上で
患難を通過するのは民族としてのイスラエル
であると解釈する。
しかし、黙示録のこの箇所は、黙示録全体から
解釈する必要がある。黙示録3:7において「見よ。
サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人
だと自称しながら実はそうではなく嘘を言ってい
る…」と、ヨハネは、パウロと同じく「肉による」
民族としてのユダヤ人が“真のユダヤ人”なの
ではなく、旧新約の“真の信仰者”のみが“真
のユダヤ人”であると主張している。このことは、
ヨハネの黙示録の基本的枠組みとして認識して
おく必要がある。
また、ヤコブも「神と主イエス・キリストのしもべ
ヤコブが、国外に散っている十二の部族へ挨拶
を送ります」(ヤコブ1:1)と旧約用語を用いて、
新約の神の民であるクリスチャンたちに手紙を
書き送っている。
また、ペテロも「イエス・キリストの使徒ペテロ
から、…散って寄留している、選ばれた人々」
に旧約用語を駆使して、新約の神の民クリス
チャンに適用して励ましている手紙を書き送っ
ている。
ゆえに、一世紀末に書かれたヨハネの黙示録が
新約文書全体が基本認識として内包している
旧新約の神の民の一体性を前提として書かれ
ていることを解釈の前提としなければ、黙示録
理解は、“混乱”し“迷路”の中に入り込んで
しまうのである。
三節の「神のしもべたちの額に押される印」は、
14:1にあるように「十四万四千人の人たちがいて、
その額には小羊の名と、小羊の父の名とがしる
してあった」とあるように、その対象は旧新約の
“真の神の民”の全体を指していると考えられる。
旧約における真の神の民は、十字架のキリスト
を歴史の遠景の中に“望み見て”いるのであり、
新約における真の神の民は同様に十字架のキリ
ストを“返り見て”いるのである。
「十四万四千人」は、12X12X10X10X10で、象徴
的な意味であり、“真の神の民の総数”と考えら
れる。神は真の神の民をひとりも取りこぼすことなく、
救われ、守られるのである。しかし、患難から取り
去ることによつてではなく、患難の只中において、
そしてその中では殉教すらもいとわれはしないの
である。3:10の意味はそういう意味なのである。
ボウカムは、これらの箇所は、イスラエルの人口
調査に関連し、その調査は常に20歳以上の男性
という軍事要員の数の把握であったと指摘している。
ボウカムは、黙示録全体の背景として、神と悪の
霊的戦いを念頭に見事な解釈を提示していて
大変参考になる。
ボウカムの視点は、黙示録解釈に益するのみな
らず、新約神学全体における“霊の戦い”の神学
の研究と展開に益するものである。
四節「十四万四千人」、九節「数えきれないほどの
大勢の群衆」、十四節「大きな患難から抜け出て
きた者たちで、その衣を小羊の血で洗って白く
した」との記述は、同じく“真の神の民である旧新約
を通じての信仰者、真のユダヤ人また異邦人信仰
者”を指している。
地上においてはユダ族からのダビデ的メシヤたる
キリストに救われ、災難下にあったエジプトで小羊
の血によって患難の只中で守られた神の民は、一
世紀、歴史を通じての患難とともに、終末における
大患難期においても、小羊の血によって額に印を
つけられた“真の神の民”として保護されるとともに、
死に至るまで忠実な民として生かされ、また殉教を
通して証しし続ける。
真に大切なことは何か、ということが問われており、
それは「私たちの“生死”ではなく、キリストを礼拝
するのか、反キリストを礼拝するのか」ということ
である。
黙示録を理解するためには、時間性と空間性の
交錯、旧約と新約の交錯、天上と地上の交錯、
軍事的描写と霊的描写の交錯、過去・現在・未来
の交錯、患難期の苦悩と永遠の祝福の交錯、等々
を繊細に識別し、織物の裏側の混沌としたカラフル
な糸から生み出される美しい表生地を洞察するこ
とが大切である。
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2009.08.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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J 静寂の祈り・運動の祈り
救いの確信:御霊の証し
祈り−“アバ”の繰り返し
静寂の祈り・運動の祈り
我と汝−「アバ、父」