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神戸ルーテル神学校 教授会シンポジウム セミナー

ネット社会における神学教育の可能性

2000年 2月


山崎チャペル内一宮基督教研究所:安黒務

■序  

  「ネット社会における神学教育の可能性」と題して、ルーテル神学校教授会シンポジウムの講演を依頼されました。このようなセミナーにおきましては、初心者の方からかなりインターネットをされている方まで対象が広いかたちとなりますので、私の経験をベースに、インターネットの基本的な事柄からハイレベルなテクニックまでを網羅し、その輪郭とエッセンスを押さえるような話をさせていただきたいと思います。

■キリスト教史におけるインターネットの歴史的意義 

  まずは、キリスト教史におけるインターネットの歴史的意義というものをはじめに考えてみましょう。技術革新とキリスト教の展開に関して、「クーベルタンの印刷術」が宗教改革に、そして「航海術の発展」が世界宣教に大きな影響を与えたことがあげられます。また、専門技術とキリスト教宣教の関係をみてみますと、19世紀の宣教師は「伝道者」でありましたが、20世紀は宣教の働きが「多様化」し、医療宣教・翻訳と言語学・放送伝道・飛行宣教など、専門技術の応用の時代でありました。このようにみていきますと、歴代の教会は、その時代の「最先端のテクノロジー」を主の栄光のために活用してきたということができます。では、21世紀の宣教(神学教育・教会形成・世界宣教)にはどのようなことが可能とされていくのでしょうか。「ネットの世紀」ともいわれる21世紀、教会はどのように対応していくのでしょうか。

■学ぶより、慣れろ! 

  先日の朝日新聞で、パソコンとファックスは「三世帯に一台」になったと総務庁の消費実態調査で報告されていました。パソコンはすでにわたしたちの日常生活の必需品となっています。パソコンは私たちに何をもたらしてくれるのでしょうか。それはしなくてもよいいろんな雑務から私たちを解放し、本当に「人間にしかできない仕事」に集中できる環境を与えてくれます。それは、まるで私たちの周りに事務に優秀な秘書を数人用意してくれるかのようなものです。時々、パソコンは難しいと考える人がありますが、最近はそうでもありません。それは英語の学びと同じです。英語は「学ぶより、慣れろ!」と言われます。実際に、アメリカ人の子供であれば幼児でも英語を話しています。同様に、子供は幼くてもゲーム機を器用に使いこなしています。今日のパソコンは、ゲーム機よりもはるかに簡単に操作できるようになっており、少しパソコンに慣れておられる先輩の指導の下、マニュアル本を片手に30分もパソコンにさわられますと、あなたはいとも簡単にかなりの水準にまで達している自分を見出されることでしょう。

■インターネットとは?  

  インターネットとは何でしょうか。それは世界中のパソコンをつないでいる「世界をおおう情報の蜘蛛の巣(ワールド・ワイド・ウェッブ)」のことです。ごく最近まで情報は、紙・フィルム・磁気テープなどのバラバラの素材で運ばれていました。これを「アナログ情報」と言います。それに対して、今日知られるようになった「デジタル情報」とは、数値による表現であり、電子的には電流のオン・オフに対応させた1と0の二つの値をもつデータの集まりです。この方式によって、「異なる種類のデータ」のすべてを一緒にして、コンパクトに記録し、一瞬のうちに伝送できるようになったのです。インターネットとは、このデジタル情報を世界中で自由に交換、共有するための「インフラストラクチャー」なのです。この秋くらいから、テレビもデジタルの時代に入ります。そうなれば、テレビがインターネット化されるのも時間の問題と思われます。21世紀は、私たちの所有しています車も、時計も、手帳も、家電の機器も、さらに個人も教会も教派も神学校もすべてネットで結ばれる世紀となるでしょう。

■21世紀の研究者のクリヤーすべき最低ライン  

  私は聖書学校での講義の準備などに「Jバイブル・シリーズ」というソフトを使っています。聖句の抜粋・引用がきわめて簡単で、ギリシャ語・ヘブル語が大変身近なものになりました。また、実用聖書注解・新聖書辞典・新キリスト教辞典の入っています「聖書の達人」というソフトを通して、辞典・論文類からの抜粋・引用・コピーがスピーディにできるので、研究生活・講義準備がとてもスムーズになっています。(もちろん、著作権への配慮も忘れることはできません。)神学研究に側面から役立つソフトとしましては、洋書などをスキャナーで読み取り、文字分析・翻訳させる機能をもつDr.Surfなどの英文翻訳ソフトがあります。それは、英文ホームページなども自動的に翻訳してしまいます。さらにマルチメディアの「MSエンカルタ」や平凡社の「世界大百科事典」全三十五巻が一枚のCDになったものもあります。その他、コーリネリウス・ヴァンティルの全著作がはいったCDなども出版されています。21世紀においては重要な神学書籍が次々とデジタル化されていくことでしょう。これらを使いこなせるかどうかが、21世紀の研究者のクリヤーすべき最低ラインになると思われます。

■今日、地上で手に入れることのできない書籍はない  

  これまでの研究者・学者の世界といいますと、情報を収集してそれを分析することが主な仕事でした。これまでの日本の学者は、“タネ本”を抱えて離さず、海外の資料の翻訳だけで通用している向きもありました。しかし新しい研究対象の場合、未出版の論文・資料掲載の“空間”でありますインターネットに頼らざるをえません。今日、情報のごくごく一部が図書館にあるのであり、日々拡大している“ネット空間”という無限ともいえる情報宇宙こそ、情報の宝庫だという認識が広まっています。実際に、この春にインドネシアに赴任された高橋めぐみ宣教師が、共立基督教研究所で派遣先のカリマンタンの「ダヤク族」の研究に取り組まれましたときに、あちこちの大きな図書館でも資料・文献がありませんでした。高橋宣教師はパソコンを購入されて間がなかったので「資料収集で困っています」と電子メールで相談を受けました。さっそく、その日のうちに"AltaVista"というネット上の検索マシンで「dayak」を検索させていただきました。その瞬間、12194のホームページがヒットしました。高橋めぐみ先生はそれらのネット上の資料をもとに研究をすすめられ、「インドネシア・カリマンタン、ダヤク・カナヤン族の宗教体系と村落構造:宗教学的一考察」という論文を書き上げられました。そして「インターネットを始めていて良かった」と感謝のメールをくださいました。大学や研究機関において、かなりの情報の世界的規模での共有が猛烈なスピードで進んでいます。つまり、インターネットを通して世界のほぼすべての情報が手元にある、という時代なのです。以前は書籍リストを手に入れることにも苦労しました。しかし今では、インターネット上のアマゾン書店などから、著者名を入力するだけで一瞬のうちに著作一覧が手に入ります。定価の三割引くらいの価格で短期間にて世界の各地から送られてきます。絶版本ですら、ネット上の中古本市場から“定価”で手に入れることができます。また、中古市場にでてこない書籍は、世界各地の図書館の蔵書をネットで検索し、見つかれば、大きな図書館経由で世界各地の図書館から借りることができます。私個人の経験としましては、M.J.エリクソンのほとんどの著作をネット上のアマゾン書店から購入しました。絶版の何冊かは中古本市場から定価で購入しました。しかし彼の処女作であります"The New Evangelical Theology"のみを長い間手に入れることができませんでした。そこで、ネットを通して英国の図書館の蔵書を検索してみましたところ、そこにありましたので母校の関西学院大学の図書館を通して借りることができました。そのときに、今日地上で手に入れることのできない書籍はない時代になったと確信しました。

■“自分の頭脳の中での出来事”のごとく  

「ネット宇宙」というべき膨大な情報空間から必要な情報を取り出すためには、情報検索能力が求められます。検索エンジンを使いこなし、世界のあらゆる情報を瞬時に、あたかも“自分の頭脳の中での出来事”であるかのごとくに入手する能力です。ネット上の検索エンジンには、ディレクトリ型(登録型:Yahooなど)とロボット型(キーワード・全文検索型:AltaVistaなど)があります。以前、アメリカに行きましたときに義理の父親から「地球の歩き方:アメリカ合衆国篇」をすすめられました。その本には、シアトル・サンフランシスコ・ロサンジェルスなどの大都市のめぼしい観光スポットやおいしい料理の店などが解説されていました。たとえば、おいしいイタリア料理を食べようと思って電話帳をみても膨大なリストの中からひとつを選択することはとても難しいことです。それゆえに、今日のネットの時代、膨大な情報の時代には、編集者・情報の選別者・解釈を提供できる人・大枠の判断を示すことのできる人やガイドブックなどの重要性がますます高まっているのです。

■神学研究全体の見取図の必要性  

エリクソンは、今日の神学界の特徴を「神学者の生命・活動期の短命化」「代表的学派の消滅・神学の多様化」「神学的巨星の不在」「知識の爆発的増大」と指摘しています。今世紀における広範囲な領域での学問研究の発達は、専門分化を促し、多岐にわたる学科目を生み出してきました。このような状況において「神学諸科解題」「神学研究序説」「神学入門」と呼ばれる神学研究全体の見取図を教える科目の重要性が増してきています。神学研究におきましては、その全体を眺望する鳥瞰図をしっかりとたずさえ、その上で「聖書学」「歴史神学」「組織神学」「実践神学」の各部門の任務・課題・目的を明確に認識し、個々の科目の学びに入っていくことが大切です。このようにしますとき、各部門での学びは部門相互間の関係・全体の組織だてを踏まえて学ばれますので、“鹿を追う者、森を見ず”というような、神学研究の迷路に入り込んでしまうようなことはなくなります。  H.G.ペールマン師は、知識の爆発的拡大を続ける時代において、神学教師は「論議の見通しのきかない原始林に林道をつけてやる責任がある」こと、そして21世紀の組織神学教育には「教会的・実存的機能」「要約的・再生産的機能」「生産的・新理解機能」「合理的・学問的機能」の四機能が要請されると主張しています。教会や個人の実存的関わり、聖書や伝統的神学の整理・継承とともに、今日の人々の必要とするコンテキストへの語りかけ、そして学問との整合性への新たなチャレンジが求められているのです。

■御足の跡をたどりつつ  

  圧倒されるばかりの神学情報と氾濫する書籍群の中から私たちは一体何から手をつけていけばよいのでしょうか。わたしの経験から申しますと、まずは“傾倒するに値すると確信できる神学者とその神学”を特定することが大切だと思います。そしてその神学者の著作や資料や講義を通して、その神学者の神学的思索のプロセスを「発想」「議論」「結論」と丁寧にたどりつつその神学者、あるいはその著書を通して徹底したディスカッションを重ねていくことです。そのような神学研究の取り組みは無用な試行錯誤をさけさせ、研究の「広さ」「深さ」「高さ」「長さ」を格段に充実したものにすると思います。わたしの場合神学研究におきましては、“宇田進師”との出会いが全てであったといってもよいくらいに、先生に心酔しています。宇田先生は講義の中で「キリストの次に尊敬しているのは、ヴァンティル先生です。」とよく話されました。私ももし許されますならば、「キリストの次に宇田先生を…」と申し上げたいと思います。宇田神学に魅せられて、宇田門下に入門した三年間の共立基督教研究所での生活でありました。そこで、神学のバックボーンとして「キリスト教哲学(春名師・稲垣師)」をしっかりと学ばせていただきました。そしてそれを背景にして基本軸となる「福音主義神学(宇田師)」を聖書神学(宮村武夫師)や歴史神学(丸山忠孝師)などのかなりの数の諸科目との関連の中で学び、「福音主義神学とバプテストの伝統」を表現しているM..J.エリクソンの組織神学とその著作集に行き着いたのでした。エリクソンは私の所属教派「日本福音教会」の宣教団体「インターアクト(旧オレブロ・ミッション)」のルーツでありますスウェーデン・バプテスト系に所属する神学者です。

■“プロジェクト型(Project Based)”の学習  

まもなくおとずれる21世紀に、神学教育はどのようになっていくのでしょうか。ここで一般教育の世界の動きをみてまいりましょう。ここでは、従来の「教え込み」による知識・理解ではなく、具体的な課題に取り組みつつ、情報手段を活用する総合的な能力が求められています。言い方を変えますと、実践力を養うために“プロジェクト型(Project Based)”の学習、小・中・高校で大学の卒業研究のミニ版が考えられています。それは、ひとりひとりの子供が自ら課題を持ち、長期にわたって課題を追求し、その結果をみんなの前で発表する、というものです。そこでは当然、教師の役割も変わらざるをえません。これまでのように「正解を知っていて、それを与える」のではなく、「どのような情報を与えれば、さらに情報の追及が促進されるのか」、あるいは「どのようにアプローチしていけば、単なる興味から真の知識にたどりつけるのか」、その方法や道筋を支援してあげること、へと変わっていくのです。子供たちには、「主体的な問題意識のもてるテーマを設定」させ、「試行錯誤の時間」をたっぷりと提供し、失敗しつつ自分で学んでいくところの学習です。神学校でも必ずそのような方向がでてくると思います。先日の聖書学校での宣教学レポートに「アフリカの中でひとつの国を選んで、その国の宣教状況をレポートしなさい」というものがありました。ひとりの学生は、最も困難な国を選択しました。しかし近年の宣教情報はほとんどありませんでした。そこでインターネットで、その国に入ってホームページをいろいろと検索していると数日前に起こった「宣教師への迫害の記事」を見つけ出しました。その神学生はそこからレポートをまとめたのでした。

■新理解的機能

  充実したネット環境で教育のあり方を実践している代表的な大学に慶応大学湘南キャンパスがあります。このキャンパスは、「受信型」の学問・教育から「発信型」へ、「知識伝授型」から脱却し「創造型教育」へ、「学問のセクショナリズム」を廃止し「総合化」への取り組みをしています。この大学はある意味で24時間・365日開講しているハイテク・キャンパスで、「マス」から「個人」へ、「画一型教育」から「個性・多様性尊重」へ、「双方向」へと変貌を遂げようとしています。電子メールやPCプロジェクターなどの情報テクノロジーを駆使したかたちで先進的な教育に取り組んでいます。カリキュラムは、時代・世界の動きを見つめ、自ら問題を発見し、テーマを設定し、解決を模索する“問題解決型”で構成されているとのことです。このように、「新しいカリキュラム」の傾向としての情報教育・問題解決学習においては、インターネットや道具としてのパソコンは不可欠の道具となっています。 同様に、神学は、その規範たる聖書と結びついて「実存的」「再生産的」「新理解的」「学問的」機能を発揮します。それは聖書の使信を要約し、私たちの時代に対し新たに理解していこうとする、神についての教会的学問です。そして、この「新たに理解していこう」というのは、今日のコンテキストにおける「問題解決学習」でもあります。エリクソンの組織神学の各章末尾にあります「神学的意味合い」の個所にはその取り組みが如実にあらわれています。例えば、神論の「神の内在性」を扱った章では、「クリスチャンは奇跡的な神の介入を祈るが、神の働きは超越性においてだけでなく、医学の知識や外科医の熟練を通してもなされる」、また人間論の「神の像」を扱った章では、「堕胎は殺人なのか、人間はいつから人間存在であるのか」と生命倫理のあり方を問いかけています。「オウム返し」の神学の限界を克服しようとする、コンテクスチュアルな神学の傾向は、今日の若手福音主義神学者の一大特徴です。

■“Small CTE Home CTE”の時代

  ネット時代の特徴のひとつは、“場所の制約”が消滅したということです。以前は株取引の中心はニューヨークのウォール街にいないと仕事にならなかったわけですが、今日、ディーリングルームはコネチカット州の森の中、湖の側に立つ古めかしい館の二階ということが可能なのです。つまり今日の神学教育機能は、ネットワークに接続されていれば、いまやどこにいるか、つまりポストとか場所とか所属教派とか組織とかは問題ではなくなってきているのです。神学教育の“実質”を提供できる者が“学習者”という世界市場によって評価される、ある意味で公平な時代が到来したといえるのです。オフィスに集まっていた仕事を、在宅で電子メールを通してする“Small Office Home Office”の世界の到来は、私にとっては“Small CTE Home CTE”の時代の到来と写っています。それは教会でも、神学校でも、出版書籍でもない、新しいタイプの継続神学教育(Continual Theological Education)の“機能”を担う働き、いわばベンチャー企業ならぬ“ベンチャー神学校”のような働きが展開される時代になっています。私の取り組んでいます「一宮基督教研究所オンライン」では、米国の福音的なキリスト教大学や神学校で教派を超えて“基準的”組織神学書と評価されていますM.J.エリクソンの組織神学書をテキストにして段落単位の電子メール講義をほぼ毎日配信していて好評です。生徒の層は大学生・OL・ビジネスマン・主婦・医者・BSテレビ関係者・牧師・宣教師・他校神学生などあらゆる層にわたっており、地域も日本各地からアメリカ・オセアニア・アジア(香港・バングラディッシュ・インドネシア)などの各地に点在しています。そこでは、Q&A機能などを駆使しての親切で丁寧なフォロー、そして必ずしも詳細な解答を提供するのではなく、ヒントとか参考文献の紹介など、解答に至る道筋のガイド役を果すようにしています。「一宮基督教研究所オンライン」は、年間数千万もかかる神学校運営経費は必要ありません。セルフ・サポートで運営しておりまして、一生涯“無料”での継続神学教育の受講が可能となっています(一部、有料の資料もあります)。また、現在は、NTTドコモの「iモード携帯電話」でも受講したり閲覧したりできるようになっています。わたしの夢は、特別な人が対象なのではなく、すべての年代、すべての階層のクリスチャンに提供される、いわば"太陽の熱(詩篇19:6)"のような恵みとしてのインターネットを通しての継続神学教育です。あらゆる人に提供されているこの機能を生かして、電車・車・バス停・喫茶店・道端のどこにいても、一生涯無料で"世界的スタンダードな神学の学び"を受講してもらうこと、またCS教師、各会のリーダー、聖職者の方々が、地球のどこにおられても携帯電話片手にメッセージの準備の助けを受けられる"教理的説教の材料の宝庫"を提供することです。また近い将来には、光ファイバー網の敷設や衛星通信網の展開によって、大容量・高速通信のブーロードバンド時代が到来します。そのときには、神学校での私の講義をデジタル・カメラで実況中継し、全世界の家庭のデジタル・テレビで学べるようにしたいと考えています。

■日本と世界に向けての神学教育の発信基地

  メッセージは適用から始まると言われます。以上の講演を踏まえまして神学校への具体的な提案として、ルターの宗教改革以来のすぐれた神学的遺産を保有しておられるルーテル神学校で「空間と時間を越える、この時代の最先端のテクノロジー」を活用されていくことをおすすめしたいと思います。まずは「ルーテル神学校」のホームページを作成し、学校紹介・歴史・カリキュラムを、次に過去の論文や記念誌を和文・英文で掲載し、神学研究の受信地域から日本と世界に向けての発信基地となられることです。そしてこの一歩は、次々とつながるネット時代の歩みの第一歩になると思います。

●参考文献

 ・村井純「インターネット」岩波新書 ・野口悠紀雄「パソコン超仕事法」「インターネット超活用法」講談社 ・窪田秀友「慶応義塾大学」栄光教育文化研究所 ・H.G.ペールマン「現代教義学総説」新教出版社 ・熊沢・野呂編「総説現代神学」宇田進『現代の福音派神学』 

(*この原稿は、神戸ルーテル神学校神学誌「宣教と神学」 No.22、AD 2000記念号に掲載させていただいたものです。)