「いのちのことば10月号」コンコルダンス特集
「組織神学的瞑想」のススメ
2000年度
日本福音教会山崎チャベル牧師:安黒務
静思の時、聖書通読、そして…
「私はクリスチャンなのにこのような罪を犯しています。」とKGK夏季キャンプのキャンプ・ファイヤーで、ひとりのクリスチャンが溢れる涙をもって心の罪の赤裸々な告白をしました。当時、求道者であった十九歳の私はその姿に強い衝撃を受け「神さまの光に照らされて、心の奥底まで真実に生きる世界があるのなら自分も求めてみたい。キャンプから帰ったら必ず毎日聖書を読もう。」と決心し、それ以後毎日いわゆる“静思の時”を持つようになりました。
四ヶ月後のクリスマスに洗礼受けて半年ほどたったとき、ある先生が礼拝で「一日一章ずつ読むと三年間で聖書は通読できます。クリスチャンになって三年以上たつのに聖書を一度も通読したことがない人は恥じるべきです。」とチャレンジされました。そのときはH.H.ハーレイの「聖書ハンドブック」を片手に丁寧に聖書を通読しました。
これらは大きな恵みの経験でした。そしてその後も、静思の時を用いて何度も聖書を通読してきました。しかし、ある時から“通読以上のもの”を求めて渇きはじめました、それが何であるのかを知らずに…。
師、そして神学書との出会い
ある時期、私は導きを得て共立基督教研究所の宇田進師の下で三年間学ぶことができました。宇田進師はM.J.エリクソンの組織神学書を用い、神学を定義して「第一義的に聖書を基盤とし、文化一般を踏まえつつ、今日的なことばで言い表し、生の諸問題に関わりをもつ、キリスト教信仰についての諸教理の首尾一貫した陳述を与えんと努力する学問」であると教えてくださいました。その分りやすさその意味深さに圧倒されて、講義が始まる前から教室の席でいつもその書籍を読みふけっていました。
後に所属団体に属する聖書学校で組織神学を教えるようになりましたとき、迷うことなくM.J.エリクソンの組織神学書を教科書として選ばせていただきました。洋書でしたので英語が苦手な神学生のために「おおまかな翻訳資料」を作成しました。やがて講義時間数の関係で概略的な扱いしかできないことが分ってきたので、一段落ずつ翻訳して解説を加える「独習用資料」を作成するようにしました。
通読以上のものとしての「組織神学的瞑想」
そのようにしているうちに、従来の概観的・平面的に聖書を読み進む「静思の時」や「聖書通読」の生活習慣から、いわば“油田を掘削するボーリング作業“のように主題別・立体的に聖書を掘り下げる「組織神学的瞑想」の生活習慣に変わっていきました。
私は今毎朝、エリクソンの組織神学書を開き、ひとつの段落を翻訳し、コンコルダンスで関連聖句をチェックし、それらを瞑想し、教えられることを導かれるままに書き綴っています。そしてそれらをインターネットで「電子メール講義」として日本と世界の各地の希望者に毎日発信しています。長年生活習慣の一部でありましたあの「静思の時」の組織神学版です。あらためて勉強をするという感じではなく、呼吸する空気を神学的素養が含まれたものにする、毎日の知らず知らずの積み重ねのうちに、神学的成長・成熟をはかるという感じのものです。
コンコルダンスがもつ可能性
コンコルダンス(聖書語句辞典)に関して申しますと、私が教えています一宮基督教研究所(KBI)の神学生に対していつも願っていますことは、組織神学書において思想や概念を学ぶのみでなく、重要聖句として個所が明示されている聖句のひとつひとつに直接あたってほしいということです。コンコルダンスはそれを容易に助けてくれます。そして聖句の検索、思想の流れの把握という一般的な活用とともに、さらなる活用法としまして原語やその語義の確認、組織神学書の関連個所との結びつき、説教エッセンス・メモなどを書き込んでいきますと、コンコルダンスは説教材料集ハンドブック、重要聖句暗誦リスト集としても活用していけると思います。
繰り返して申します、組織神学の学びに聖書語句辞典を欠かすことはできません。なぜなら組織神学は主題別聖句辞典の解説書なのですから。これを機に是非あなたも、コンコルダンス片手の「組織神学的瞑想」にチャレンジしてみてください。恐縮ですが、参考までにその助けとなるインターネット上の私のサイトを記しておきます。