Part 1
第1章 岐路岐に立つ現代のキリスト教と教会−D.ウェルズの分析をめぐって
2011/07/19
○「岐路に立つ現代のキリスト教と教会」は、P.フォーサイスの言葉をもって始められ、その文章の解説のためにひとつの書籍が参考にされている。「D.ウェルズの分析をめぐって」とあるので、この章の構成はゴードン・コンウェル神学校の組織神学教授 D.ウェルズの“No Place for the Truth”からのもののようである。P.フォーサイスの文章は、短いものであるが、『総説現代福音主義神学』のエッセンスを凝縮したメッセージを内包している。ここにある種子≠ェ蒔かれ、芽をふき、大木へと成長していっているようである。
P.フォーサイス−「温かい心をもった熱烈な霊性−but−使徒的・福音的な信仰内容の欠如=教会にとっては死を意味。」
D.ウェルズ−『真理のための場所はない』
米国のキリスト教の主勢−元来、カルヴァン主義神学とピューリタン的霊性
教会のアイデンティティ≠ニその信念体系≠示す神の客観的啓示に基づく「信仰告白的要素」
それに関する注意深い考察
聖書を中心とした神の啓示全体、神の経綸(聖定・計画)全体に関する考察。
過去の戦闘の教会≠ェ残した歴史的遺産の考察と吟味
教会の信仰告白と、教会自身とが今置かれている世界および社会において規範的≠ニみなされている事柄や思想にどう対応するかについての慎重な検討。
以上の検討・考察に基づいたキリスト者の「霊性と倫理の構築」。
以上のような特色をもった神学の原型−十六世紀の宗教改革時代の教会
以上のような特色をもった教理的神学→「近代性への順応」の過程において後退の一途。
G.マーズデン『ファンダメンタリズムとアメリカ文化』−1870年−福音主義キリスト教の立場→自由主義化への分岐点
D.ウェルズ−十九世紀中葉〜二十世紀中葉までの時期−教理的神学の解体。
G.メイチェン『キリスト教とは何か』
二十世紀初頭のリベラリズム−「神学抜き」、「教理について無感動な」、「形態のない」、「身軽な非教理的」キリスト教の台頭。
当時のリベラリズムのスローガン−「キリストに帰れ!」、「キリスト教は教理ではなく、生活である!」
否定的な面−伝統的な根本教理、歴史的な諸信条の否認・再解釈。
積極的な面−時代精神に受け入れやすい「一般的真理にだけ基づく」キリスト教。
ハルナック流の倫理教
神=万人の父
人間=四海同胞
人類の博愛と進歩向上という理想
当時の状況下で−反教理的神学=A反信条主義=A「プラグマティズムの害悪」の傾向が教会の中に醸成。
結果的に−リヒャヒルト・ローチ−キリスト教の『一般文化史への解消』という事態。
H.R.ニーバー『アメリカにおける神の国』−「神学が宗教改革的伝統のルーツから徐々に身を引いていく過程」
アメリカ神学におけるリベラリズム=|自由主義神学運動の問題
ナサニエル・テイラー「ニュー・ヘイブン神学」
ホレイス・ブッシュネル「ドイツ・ロマン主義的な感情の神学」のアメリカ版の提唱
アンドーバー神学校『進歩的正統主義』
ウォルター・ラウシェンブッシュ「社会的福音」
ハーヴィ・コックス「世俗的キリスト教」
ウェルズ−自由主義化の現象の大局的観察
神・超越的世界に関する確実な理論的認識の否定−実践理性の要請による単なる内実なき統制概念≠ニしたカントの認識論。
信仰と生活の唯一の規準としてきた聖書の信頼性を崩壊させた近代の歴史的・批評的研究。
キリスト教の絶対的独自性の立場を不合理とした文化と宗教における近代の多元主義。
真理問題そのものよりも、同時代的な実利・実益の追求を主眼とするプラグマティズムの哲学の影響。
教理的神学の後退・消失の現象
not only リベラルな教会 but also 福音派教会−福音主義≠ニいう呼称の不透明化の危険
福音の「文化脈化」の試みの中で−神学の再構築という形をとる場合が多い
スタンレー・グレンツ『福音主義神学の改訂』−not 信条、教理、客観的・命題的真理中心 but 独比な福音主義的霊性中心≠フポストモダン的福音主義神学をめざす動き
G.マーズデン『改革しつつあるファンダメンタリズム』−フラー神学校における「新福音主義」の動き
教理的神学の後退と消失の事態
教会のアイデンティティ=i自己同定)と、教会のレーゾン・デートル=i存在理由)の不透明化・欠落という状況。
新しい牧草
エドワード・ファーレー「実践のテクノロジー」、R.ベラー「二十世紀アメリカ文化の輪郭…理想…エートス」
外的公共的領域を扱う「経営管理者」と内的私的領域を扱う「セラピスト」の二者からの成る意識枠。
経営管理者(マネージャー)…仕事の本質は、雇われた組織の市場における地位を改善するために、用いうる人的・非人的資源を組織化すること。
セラピスト…もろもろの資源を効率的に行動へと動員する特殊技能者であり、精神の健康の専門家−「自己解明の過程」、「自己の再統合」、「人間関係の範型」を提供する。
「経営者とセラピストの文化」
それなりに人生の規範的秩序とその理想的人物像
良い人生のイメージ
その達成方法を提示
ウェルズ
神学教育の現場−牧師職も「アメリカ文化の輪郭…理想…エートス」を範型として再構成。
牧師職−現代の中流層中心の消費社会の市場(マーケット)主導で「専門職化」・キャリア化。
宗教−not 真理という角度 but 『ナルシシズムの文化』の影響下で有用性・実益性中心に考え、
「マネージャー」かつ「セラピスト」としてのスキル=i手腕)とユーティリティー=i実益・効用)が決め手。
説教−この世の諸思想・心理療法の中に共鳴。
牧会カウンセリング−ケース・ワーカーの処方術に共鳴。
教会の儀式・典礼−法律・法廷で用いられる形式・手法の中に共鳴。
教会の諸活動の計画・運営・管理−この世の無数の企業組織の経営管理術の中に共鳴。
今日の神学教育
「消費者第一主義」のマーケット・メカニズムに対応するかたちで編成・運営。
典型的事例−「牧会学博士」、「宣教学博士」課程
医師・弁護士等の専門職との比較−牧師のリーダーシップへの信頼度は急落。
信頼度の下降現象への対策−アメリカ社会におけるステイタス・シンボルとしての博士号≠ヨの需要。
その中身−アメリカ流の「実践のテクノロジー」−神学的な厚み・深さ、教会の歴史的伝統との連続性の欠如。
『クリスチャニティ・トゥディ』により発刊された『リーダーシップ』誌−聖書と神学、信仰告白関連の論文・記事−1%以下。
ジェームズ・ハンター『アメリカの福音主義−保守的宗教と近代性の当惑』、『福音主義−台頭しつつある世代』
次世代を担う福音派の若い層−歴史的な正統主義キリスト教離れ=E真理問題への関心の低下。
一部−物語≠フ名のもとに、命題的真理を過小評価。
ある者たち−多元化≠フ名の下に、対話を強調し、絶対的真理を回避する傾向。
ある者たち−「パースペクティズム」の名の下に、普遍的妥当性をもつ認識の不可能性の主張に賛同。
最近の傾向−神学的サイドからの状況分析
フランシス・シェーファー『福音派の大惨事』
ミラード・エリクソン『福音派の左翼−ポスト保守主義の福音主義神学』、
『信仰のポスト・モダン化−ポスト・モダニズムの挑戦に対する福音派の諸反応』
○宇田進「総説 現代福音主義神学」いのちのことば社、の要点を整理したものです。詳細は、資料源をお調べください。