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啓 示 と 聖 書
○このページ「啓示と聖書」は要点の簡単な整理とさせていただきました。
霊感とは
神の霊感による
霊感の働き
霊感の範囲
十全霊感
啓示の漸進性
言語霊感
正しい理解のための留意点
正しい理解のための留意点天のコンピューターから一語一語が機械的に電送?
近代の懐疑主義的見解
近代の懐疑主義的見解と、聖書の宗教における言語観近代の懐疑主義的見解
近代の懐疑主義的見解聖書における言語観
not 「仮現的な(docetic)聖書)」but・・・
「有機的同流」「二重著作性」
類比の関係
−「人となられた言葉」と「聖書となった神のことば」福音主義諸教会の理解−ローザンヌ誓約・シカゴ声明
人間の応答
聖霊の
内的証明教会の証言−
聖書の数々の卓越性聖霊の内的証明
教会における
聖書の不可思議な沈黙聖書と教会の
正しい関係教会の
形成と改革の基盤聖書の守り手・実践者
教会=神の民、聖徒の共同体−使徒と預言者の上に建設(エペソ2:20)
「使徒」(ギ:アポストロス)−キリストの使者、神の大使、神より特別な使命を帯びて派遣された者
「預言者」(新約の預言者の意)−しかし、聖書における預言者の基本的概念(申命記18:18)
「使徒と預言者」の働きの背景−神の啓示活動
聖書・教会−神の啓示の証人、宣布者(使徒1:8,4:31,33,Tテモテ3:15)
教会が有するもののすべて−いただいたもの、贈り物、恵与されたもの=神からの啓示に依存し生かされている
神からの啓示の実在性−「主はご自身を知らせ」(詩篇9:16)、「主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し・・・」(エゼキエル12:25)
聖書全体
啓示
ローマカトリック教会
自然神学の伝統
特別啓示の輪郭
神の救済的な特別啓示活動−「神の語りかけ」「言葉による啓示」=中心的様式(modality)
神=「語る神」(ヘブル1:1‐2)・・・聖書の神観の一大特色(G.ヴォス)
聖書の誕生−not 宗教史上の自然偶発的な事象 but
長期間にわたる神の語りかけの延長(Uサムエル23:2)
基本的視点=啓示は聖書を生む
啓示的文書としての聖書−誕生の妥当性と必然性・・・
「啓示の概念」を巡る近代の論議とのミラード・エリクスン「特別啓示の主要な結実は
神知識である。啓示には
「命題的真理」(propositional truth)が含まれる信頼できる啓示的文書
聖書観の問題
アードルフ・シュラッター
”自律性(Autonomie)”
「批判」(Kritik)
「類比」(Analogie)
「相関関係」(Korrelation)
宗教社会学者ピーター・パーガーのブルトマン批判『異端の時代−現代における宗教の可能性』
ブルトマンのバラダイムの出発点−「現代意識に参与することが必要と考え
・・・現代の世俗性に拠って伝統を再解釈すること」
現代的な知的手段の採用−近代の歴史学的方法、近代哲学の認識論に基づく
権威の交換−「現代意識とそれが持ち込んだ範疇とが宗教的反省にとって唯一
の妥当性をもつ規準となる」
ブルトマン的パラダイム
問題性をはらんだ想定
ブルトマン的パラダイムの結末
ブルトマンの立脚点−近代世俗性のコスモス
すべての人は、法廷において、自己証言の権利
歴代の教会の「聖書の権威」の立証−聖書の自己証言に依存してきた
”アウトピストス”(ギ)−砂糖はそれ自身で甘いことを示す、聖書はそれ自身で神の言葉であることを証しする
「聖書はすべて、神の霊感による」(Uテモテ3:16)・・・聖書論全体の基本的宣言
霊感とは、「聖書原典を記した聖書記者たちに与えられた聖霊の超自然的影響」であり、それによって彼らの文書が神的信頼性と神的権威とを帯びるものとなった。
神の霊感による
(ギ)セオプニューストス−セオス「神」とプネオー「息を吐く」
not
聖書が人間的著作者の中への神的な「吹き込み」(inbreathing)の所産 but 聖書は「神によって吹き出された」=神の創造的息の所産
霊感の働き
啓示(revelation)
・・・歴史における出来事(行為)と言葉とによる神御自身と救いの計画の開示・伝達の現実照明(illumination)
・・・神の啓示(聖書)の意味を理解し、それを悟らせ、確信へと導くために信仰者の心と理性を啓明する聖霊の働き霊感(inspiration)
・・・啓示的文書としての聖書の形成に対してなされた聖霊の働き。霊感の機能は、神の啓示的文書としての聖書を純正にして信頼できる形で形成した。
霊感の範囲
歴史的見解
霊感は「創世記から黙示録まで」の聖書正典全体
価値論的な視点−歴代志とローマ書には価値の度合いに差 but ともに霊感された書物
旧約聖書全体
パウロ「聖書はすべて」(Uテモテ3:16)
「預言」(Uペテロ1:19-21)−霊感に結び付けている、「律法」(ヨハネ10:34-35)
−神的権威の強調「モーセおよびすべての預言者」(ルカ24:25-27)−聖書全体の意
「律法と預言者と詩篇」(ルカ24:44-45)−聖書と同一視
当時読まれていた一つのまとまりを持った文書の全体
が念頭にあった
以上のことにより、「律法」と「預言者」=旧約聖書全体
新約聖書
パウロの文書の扱い(Uペテロ3:16)−ペテロはパウロの文書を聖書と同一視
ヨハネの文書の扱い(Tヨハネ4:6,黙示録22:18-19)−ヨハネが彼自身の文書を
聖書と同一視以上のことにより、新約の記者たちは、聖書は旧約の時代から彼ら新約の時代に
わたって続いて書き記されてきているとの自覚十全霊感
部分霊感(partial inspiration)
−霊感はある特定の書、ある特定の部分
十全霊感(plenary inspiration)
−聖書全体に働いた聖霊のわざ啓示の漸進性
神の啓示内容−神の救済の歴史の展開
潜在的段階→顕在的段階へ、約束→成就、部分的→全体、不完全→完全
累進的(cumulative)、漸進的(progressive)
な進展過程
言語霊感
思想霊感
・・・聖書の中の思想だけが霊感されているという説
言語霊感(verbal inspiration)
・・・「神が我々に語ろうとし、事実語られるのは、聖書の
み言葉を通してであり、それ以外ではないので、言語霊感以外の霊感観は考えられな
い」(ジェームズ・スマート)思想と言語は不可分一体である。言語霊感の正しい理解のための留意点(シェッド、カイパー、ラム、パッカー、エリクスン)
言語霊感を主張する場合、意味(思想)から切り離された個々別々の単語、独立した一
つ一つの言葉に対する霊感とか、あたかも天のコンピューターから一語一語が機械的に
電送されてきたかのような形の霊感を意味してはいない。超越的な永遠の真理を伝達する上での人間の言語に関する近代の懐疑主義的見解と、
聖書の宗教における言語観についての基本的視点を確認しておくこと。
近代の懐疑主義的見解
- カント「純粋理性批判」
信仰と確実な認識の切断、信仰の立場と理性の立場の峻別
確実な理論的認識−現象の世界に限定
神や霊的世界−確実な理論的認識は不可能
懐疑主義的傾向→論理実証主義、分析哲学、構造言語学の言語観
(F.ソシュール)
「超越的な神の性質を記述しようとしているいかなる文章も字義上の
意味をもちえない」「神についての発言はすべて無意味である」
言語はすべて象徴的なもので、字義通りの真理を表現できない
言語はすべて、可視的世界の感覚的経験から由来するものである故
に、霊的・超越的世界の事柄には不適当
キリスト教神学における不可知論的傾向
神と人間との間の真理伝達の不確実さの風潮
「神が存在されるとしても、もはや神がいかなる方であるかを知ること
はできない」
神はまさに言語を用いて語られた
創世記最初の数章
言語のもつ豊かな機能(パッカー)
not 「天から降ってきた神の託宣」「仮現的な(docetic)聖書)」but・・・
「有機的同流」「二重著作性」
神的側面と人的側面−相互の関与、両者の協動(Uサムエル 23・2)
主の言葉の伝達と文書化における預言者の主体的関与
諸資料の収集と選別、諸伝承の価値判断、自ら最終的な決定
聖書の「人間性」
○カルヴァン−「神はご自身をわれわれ人間に適合(順応)させた」(accommodatio
Dei)
類比の関係
−「人となられた言葉」(受肉のキリスト)と「聖書となった神のことば」聖書の神性と人間性
聖書は全く神的であり、神の言葉である。同時に、全く人間的であり、人間によって書か
れた言葉である
○H.バーフィンク「また、我々は聖書における弱くかつ卑しいしもべの形態を認めなければならない
。しかし、キリストにおける人性が弱くかつ卑しいものでありながら、一切の罪から離れていたよ
うに、聖書もまた汚れなしで生まれたのである」
「直接的同一性」を認める立場・・・福音主義の伝統
「全く人間の書」とみなす立場・・・自由主義の伝統
「聖書は神の啓示に関する証言」=バルトの聖書観の根本命題
聖書−not 神託の書物、直接的伝達の器官 but 証言(誤りを犯す人間)
歴史的文献的批評の適用
言語霊感−伝統的方法の拒否
行為主義(activism)、現実主義、出来事主義(actualism)
信仰による出来事、神の奇跡−秘儀的・神秘的説明に帰着
聖書の信頼性
旧約の詩人の告白(詩篇119・86,160,172)
箴言30・5-6
救い主(ヨハネ17・17)
改革者カルヴァン「神から来るものは、ことごとく神聖・かつ不可侵な真実である」
(キリスト教綱要V・2・6)
教会の歴史−古代の教父、中世のスコラ主義者、16世紀の宗教改革者、17世紀の
正統主義者、近代の福音主義諸教会・・・聖書の霊感・権威・信頼性に関して驚くばか
りの一致
「無謬性」の使用について
「無誤性」の使用について
カトリック側
○「聖書の教授にあたって従う規範」
「無謬性」と「無誤性」は、使われた時の文脈によってニュアンスの違いは認められる
が、実質的には同義的、互換的なもので、「信頼できる」「全く正しい」「誤ることがあ
り得ない」「誤りがない」が両者に共通した意味である
無誤性を巡る議論
バルトの立場−無誤性は論外の事柄
福音派の立場
無誤性論は不毛な論議とかんがえる動き
無誤性を重要視(大多数)・・・無謬の聖書=「認識上の橋」
福音主義諸教会の理解−「聖書のみ」の大原則
聖書中に見出される問題は問題として認めつつ
ローザンヌ誓約
第二項「旧新両約聖書全体が、神の霊感による、真実で、権威ある唯一の書聖書の無誤性に関するシカゴ声明
注意事項の慎重な吟味
と聖書の生成に関する一層の研究人間の応答
聖書自身−神のことば
人間の応答−信仰や服従を快くささげようとはしない
人間の状態−
罪のゆえに、心は暗く、理解力は歪められ、意志は悪に隷属聖霊の
内的証明教会の証言−
聖書の数々の卓越性聖霊の内的証明
カルヴァン−キリスト教綱要
T・7・4「預言者の口を通して語りたもうこの同じ御霊も、パウロ−Tコリント2章
「神のあかし(1)」は「十字架につけられたキリスト(2)」であり「隠さ人間の反応
教会における
聖書の不可思議な沈黙−「主のことばを聞くことの飢饉」(アモス8・11)説教の弱体化
教会教育の崩壊
信仰のやせほそり
聖書研究熱の低下
宣教の情熱の喪失
福音の中心「イエス・キリスト」が見えなくなる
○二千年の教会史の法則−
「聖書のみ」の大原則の意味する全体像に注目すべき聖書と教会の
正しい関係教会の
形成と改革の基盤神の言葉−信仰と生活の
規範、生命と組織を形成する基盤・原動力(使徒2・42、御言葉と御霊による刷新とリバイバル
聖書の
守り手・実践者教会全体と信徒の心と興味を聖書に(使徒17・10-12,詩篇119・103,127,174)
not only 聖書の
”本質論” but also 聖書の”目的論”(Uテモテ3・15,16)聖書の「保存・活用」、「理解・解釈」そして「翻訳・伝播の責任」(ヤコブ1・22-25,
Tヨハネ1・6,2・3,5)
○宇田進「啓示と聖書」『実用聖書注解』いのちのことば社、の要点を整理したものです。詳細は、資料源をお調べください。