ICI ホームページ表紙 宇田進著作集 神論 啓示論 啓示と聖書(簡略版) 啓示と聖書(詳述版) 序説・啓示論・聖書論
啓 示 と 聖 書
○このページ「啓示と聖書」は要点の簡単な整理とさせていただきました。
霊感とは
神の霊感による
霊感の働き
霊感の範囲
十全霊感
啓示の漸進性
言語霊感
正しい理解のための留意点
正しい理解のための留意点天のコンピューターから一語一語が機械的に電送?
近代の懐疑主義的見解
近代の懐疑主義的見解と、聖書の宗教における言語観近代の懐疑主義的見解
近代の懐疑主義的見解聖書における言語観
not 「仮現的な(docetic)聖書)」but・・・
「有機的同流」「二重著作性」
類比の関係
−「人となられた言葉」と「聖書となった神のことば」福音主義諸教会の理解−ローザンヌ誓約・シカゴ声明
人間の応答
聖霊の
内的証明教会の証言−
聖書の数々の卓越性聖霊の内的証明
教会における
聖書の不可思議な沈黙聖書と教会の
正しい関係教会の
形成と改革の基盤聖書の守り手・実践者
教会=神の民、聖徒の共同体−使徒と預言者の上に建設(エペソ2:20)
「使徒」(ギ:アポストロス)−キリストの使者、神の大使、神より特別な使命を帯びて派遣された者
「預言者」(新約の預言者の意)−しかし、聖書における預言者の基本的概念(申命記18:18)
「わたし」と言われている神によって立てられ、用いられる者
「同胞のうちから」と記されているように、神の民の内から召された者
「彼らのため」とあるように、神の民のために起こされた者
「ことばを授けよう」と言われているように、上からの言葉、神のメッセージを代弁する者
「命じたことをみな、彼らに告げる」とあるように、神から命じられた言葉のすべてをそのまま恐れずに民に伝える者
以上のように定義されている。
「使徒と預言者」の働きの背景−神の啓示活動
聖書・教会−神の啓示の証人、宣布者(使徒1:8,4:31,33,Tテモテ3:15)
教会が有するもののすべて−いただいたもの、贈り物、恵与されたもの=神からの啓示に依存し生かされている
神からの啓示の実在性−「主はご自身を知らせ」(詩篇9:16)、「主であるわたしが語り、わたしが語ったことを実現し・・・」(エゼキエル12:25)
聖書全体
キリスト教自ら「啓示宗教」(revealed religion)と認識
神の啓示−信仰と教会の基盤、神学の出発点、キリスト教のアキレス腱
「キリスト教は、神の啓示のリアリティ(実在性)とともに、立ちもし倒れもする」(H.バーフィンク)
啓示
ローマカトリック教会
自然神学の伝統
特別啓示の輪郭
神の救済的な特別啓示活動−「神の語りかけ」「言葉による啓示」=中心的様式(modality)
神=「語る神」(ヘブル1:1‐2)・・・聖書の神観の一大特色(G.ヴォス)
聖書の誕生−not 宗教史上の自然偶発的な事象 but
長期間にわたる神の語りかけの延長(Uサムエル23:2)
基本的視点=啓示は聖書を生む
神の啓示行為、神の語りかけの行為の事実
「啓示された」(Tコリント2:9-10)、「知らせてくださいました」(エペソ1:9)、「受けていた」
(ルカ2:26)、「あかしされた」(Tペテロ1:11)、「明らかにされた」(ローマ1:19)、
「語っておられる」(ヘブル12:25神の啓示活動によって生み出された客観的な堆積物
「福音」(マタイ4:23)、「みことば」(ヨハネ17:14)、「教え」(使徒2:42)、「啓示」(ローマ16:25)、
「言い伝え」(Uテサロニケ2:15)、「あかし」(Tヨハネ5:9)最終的に「聖書」・・・一定の公的文書として結晶(ローマ1:12)
新約聖書の旧約聖書観−啓示の結晶としての聖書の出現の事情
(B.Ramm,Special Revelation and the Word of God)特色づけ、比類のない書物・・・聖なる書(ローマ1:2、Uテモテ3:15)、
神与のもの(ヨハネ10:35)、固く立てられて動かない(ヘブル2:2)新約における旧約引用−何の躊躇もなく、書かれた神の啓示のことば
「グラフェー」として(ガラテヤ3:8)繰り返し、旧約は成就した(ギ:プレロオー、テレオー)と
聖書、「グラフェー」の出現−聖霊なる神によるもの(マタイ22:43、使徒28:25)
御霊は聖書を通して語られる(ヘブル3:7.9:8,10:15)
啓示的文書としての聖書−誕生の妥当性と必然性・・・
「啓示の概念」を巡る近代の論議とのミラード・エリクスン「特別啓示の主要な結実は
神知識である。ここで神知識という場合、ただ神の本性に関する知識だけではなく、神がなされたみわざ、創造、人間の本性と現実の状況、神と人間との関係に関する知識をもさしている。そして、この知識は神から人間へ伝達された真実な、客観的な、そして合理的な情報であることに注目すべきである。」(Christian Theology, p.191,1986)啓示には
「命題的真理」(propositional truth)が含まれる情報・命題的真理=神の啓示のすべて(主知主義)ではない
啓示=生ける神(大主体)と生きている人間(小主体)との出会い、歴史的出来事
幸せな夫婦間の豊かな愛の関係−人格対人格の命がけの出会い・・・
相互に対する深い認識と理解を伴った状況の中で初めて起こる人格的出会い−相手に対する確かな知識=不可欠な要素
信仰の正しい理解−神への
生きた実存的決断・信頼の行為+確かな知解真に意味ある神との出会い−not 名状しがたい神秘 but
確かな神知識が随伴確かな神知識の欠如→信仰の内実・アイデンティティの不鮮明さ→「暗黒における飛躍」
神の啓示の構造−「出来事と
解釈」「出会いと情報(概念的知識)」・・・両者の間に有機的一体の関係Tコリント15:3「キリストは死なれた」(歴史上の出来事)+「私たちの罪のために」
(出来事の意味)→人間は福音の真相に触れうるリベラル派諸教会−not 情報の伝達 but 実存的出会いの出来事(E.H.ブルンナー、R.K.ブルトマン)←一面的な啓示概念、主観主義への道
信頼できる啓示的文書
神の啓示の不可分の要素−
「概念的情報・命題的真理」当然
「保存」可能・文書化しうる「文書」=神の
オリジナルな啓示の再生
聖書観の問題・・・いかなる方法・視点で構築するのか
アードルフ・シュラッター・・・正しい観察に基づかず「ある種の予断」をもつ”神学的合理主義”の誤り←批判
”自律性(Autonomie)”
精神・・・歴史的研究において、いかなる教義的な外的前提も拒否「批判」(Kritik)・・・歴史的認識の土台=伝承・記憶←常に歴史批評、繰り返し破壊、変更、修正/聖書といえども例外ではない
「類比」(Analogie)
「相関関係」(Korrelation)
ヴォルフハルト・パネンベルク・・・「トレルチュの歴史的方法」批判
神学にとって破壊的
伝統的なキリスト論の諸教理(神性、復活)の否定
宗教的偉人のひとり
歴史的方法の本質的構造−「人間中心主義的な世界観」とひとつ=誤った前提・予断(『組織神学の根本的問題』)
宗教社会学者ピーター・パーガーのブルトマン批判『異端の時代−現代における宗教の可能性』
ブルトマンのバラダイムの出発点−「現代意識に参与することが必要と考え
・・・現代の世俗性に拠って伝統を再解釈すること」
現代的な知的手段の採用−近代の歴史学的方法、近代哲学の認識論に基づく
権威の交換−「現代意識とそれが持ち込んだ範疇とが宗教的反省にとって唯一
の妥当性をもつ規準となる」
ブルトマン的パラダイム
「聖書自身の認識論的前提」と「現代の世俗性の認識論的前提」
宗教意識に対するこの世の世俗性の「認識論的圧力」
「認識論的な取り引き」
「多くの妥協」「超自然的な装飾を剥ぎ取る」
問題性をはらんだ想定
ブルトマン的パラダイムの想定
世俗性−先だって存在したいかなる世界観よりも優越
・・・「認識論的想定」への飛躍
真理認識の方法−時代が下がるほどすぐれたものへ
バーガー・・・宗教社会学の観点からの指摘
「この想定が正当であるという根拠は大抵の場合全然示されない」
「ある点については、現代人は過去の人間に比べて認識の面で
劣っていることがありうるという考えはない」
ブルトマン的パラダイムの結末
ケリュグマ(福音)全体→人間実存の「歴史性」(Geschichtlichkeit)というハイデガー
的概念に還元
超越の喪失という貧困化
ケリュグマ−この世の文化的哲学的所与以上の何物でもなくなっている
現代人に受容されやすくなった but 誰もそれを特別に欲しないものへ
あらゆる宗教の中心経験
「人間の日常生活の現実の中に侵入してくる別の現実の浸透の経験」
「このような相互浸透の相における世界観をすべて無効としてしまうことは、
事実上すべての宗教経験そのものの否定」に帰着
ブルトマンの立脚点−近代世俗性のコスモス
「いかなる超自然なものも、かなたの世界も、またそのような世界からの来臨も
含まないコスモス」
「このコスモスを信じるのであれば、・・・そのありうべき帰結の一つは、これ以外
の異なるコスモスに基づくような比喩の使用を断念する」
「現代人はリアリティに対する一定の有効な洞察を獲得した一方で、彼はまた
同じような有効性のある別の洞察を失った」
「歴史は、一つの意識構造を生み、そして他を消滅させる」
どの意識構造も慎重に受けとめられ、可能な限りの洞察をもって理解の
必要
現代意識−歴史的有効性のある多くの意識構造の一つ
すべての人は、法廷において、自己証言の権利・・・特定の人に関する真相とか真実と
いうものは、ある特定の人自らが口を開いて初めて明らかになる場合が多い
歴代の教会の「聖書の権威」の立証−聖書の自己証言に依存してきた・・・聖書の権
威の問題−キリストの神性、信仰義認、代償的贖罪などとならぶ、主要教理
”アウトピストス”(ギ)−砂糖はそれ自身で甘いことを示す、聖書はそれ自身で神の言葉であることを証しする・・・カトリックは「教皇を中心とする教会の権威とその決定に依存」
聖書の全体−「自己証明的性格」(Self−authenticating)性格の見方・・・
「ヒッタイトの宗主権条約と十戒及び申命記の契約思想との比較研究」からの指摘
◎
M.G.クラインの指摘(Meredith G.Kline,
The Structure of
Biblical Authority)
十戒と申命記は聖書正典の核の部分
聖書の他の部分は、性格と内容の両面から、それの延長拡大
十戒と申命記の契約思想−ヒッタイトの宗主権条約と同じジャンル
のもの
歴史的いきさつに関する「権威ある諸問題」(契約の相手で
ある属国あるいはしもべは、契約締結にまで至ることがで
きた歴史的状況に関する寛大な宗主国あるいは主なる神
の記述に反対する権利をもたない)
「権威ある忠誠の要求」
「権威ある諸義務の負荷」
服従に対する祝福と不服従に対するのろいを内容とする
「権威ある処置」をその内容としている
「聖書はすべて、神の霊感による」(Uテモテ3:16)・・・聖書論全体の基本的宣言
霊感とは、「聖書原典を記した聖書記者たちに与えられた聖霊の超自然的影響」であり、それによって彼らの文書が神的信頼性と神的権威とを帯びるものとなった。
神の霊感による
(ギ)セオプニューストス−セオス「神」とプネオー「息を吐く」
not
聖書が人間的著作者の中への神的な「吹き込み」(inbreathing)の所産 but 聖書は「神によって吹き出された」=神の創造的息の所産
霊感の働き
啓示(revelation)
・・・歴史における出来事(行為)と言葉とによる神御自身と救いの計画の開示・伝達の現実照明(illumination)
・・・神の啓示(聖書)の意味を理解し、それを悟らせ、確信へと導くために信仰者の心と理性を啓明する聖霊の働き霊感(inspiration)
・・・啓示的文書としての聖書の形成に対してなされた聖霊の働き。霊感の機能は、神の啓示的文書としての聖書を純正にして信頼できる形で形成した。
霊感の範囲
歴史的見解
霊感は「創世記から黙示録まで」の聖書正典全体
価値論的な視点−歴代志とローマ書には価値の度合いに差 but ともに霊感された書物
旧約聖書全体
パウロ「聖書はすべて」(Uテモテ3:16)
「預言」(Uペテロ1:19-21)−霊感に結び付けている、「律法」(ヨハネ10:34-35)
−神的権威の強調「モーセおよびすべての預言者」(ルカ24:25-27)−聖書全体の意
「律法と預言者と詩篇」(ルカ24:44-45)−聖書と同一視
当時読まれていた一つのまとまりを持った文書の全体
が念頭にあった
以上のことにより、「律法」と「預言者」=旧約聖書全体
新約聖書
パウロの文書の扱い(Uペテロ3:16)−ペテロはパウロの文書を聖書と同一視
ヨハネの文書の扱い(Tヨハネ4:6,黙示録22:18-19)−ヨハネが彼自身の文書を
聖書と同一視以上のことにより、新約の記者たちは、聖書は旧約の時代から彼ら新約の時代に
わたって続いて書き記されてきているとの自覚十全霊感
部分霊感(partial inspiration)
−霊感はある特定の書、ある特定の部分
十全霊感(plenary inspiration)
−聖書全体に働いた聖霊のわざ啓示の漸進性
神の啓示内容−神の救済の歴史の展開
潜在的段階→顕在的段階へ、約束→成就、部分的→全体、不完全→完全
累進的(cumulative)、漸進的(progressive)
な進展過程
言語霊感
思想霊感
・・・聖書の中の思想だけが霊感されているという説
言語霊感(verbal inspiration)
・・・「神が我々に語ろうとし、事実語られるのは、聖書の
み言葉を通してであり、それ以外ではないので、言語霊感以外の霊感観は考えられな
い」(ジェームズ・スマート)思想と言語は不可分一体である。言語霊感の正しい理解のための留意点(シェッド、カイパー、ラム、パッカー、エリクスン)
言語霊感を主張する場合、意味(思想)から切り離された個々別々の単語、独立した一
つ一つの言葉に対する霊感とか、あたかも天のコンピューターから一語一語が機械的に
電送されてきたかのような形の霊感を意味してはいない。
機械的、原子論的な「書き取り」「口述筆記」(dictation)?
言語と意味(思想)と記述全体に関係
意味(思想)と言葉との関係−一連のことばのかたまり、意味・思想を表す言葉
のかたまり同一の意味・思想−種々の違ったことばによって表現が可能=動的な関係
意味(思想)と言葉との関係−生きたダイナミック(動的)なもの
両者の関係−「伸縮性」「融通性」には一定の制限・限定
ある限定された種類の可能性内において表現された意味(思想)
霊感の作用−聖書の言葉がそれらの可能性の範囲内にあるように、聖書のこと
ばを備え確保させた。超越的な永遠の真理を伝達する上での人間の言語に関する近代の懐疑主義的見解と、
聖書の宗教における言語観についての基本的視点を確認しておくこと。
近代の懐疑主義的見解
- カント「純粋理性批判」
信仰と確実な認識の切断、信仰の立場と理性の立場の峻別
確実な理論的認識−現象の世界に限定
神や霊的世界−確実な理論的認識は不可能
懐疑主義的傾向→論理実証主義、分析哲学、構造言語学の言語観
(F.ソシュール)
「超越的な神の性質を記述しようとしているいかなる文章も字義上の
意味をもちえない」「神についての発言はすべて無意味である」
言語はすべて象徴的なもので、字義通りの真理を表現できない
言語はすべて、可視的世界の感覚的経験から由来するものである故
に、霊的・超越的世界の事柄には不適当
キリスト教神学における不可知論的傾向
神と人間との間の真理伝達の不確実さの風潮
「神が存在されるとしても、もはや神がいかなる方であるかを知ること
はできない」
神はまさに言語を用いて語られた
創世記最初の数章
人間の言語活動−神意識と神と語り合うために「神のかたち」の一部
分として与えられた最初の言語使用者としての神−人間の思想と言語はその究極の原
型を神のうちにもっているスピーチ・パートナー
−創造者と人間の関係言語のもつ豊かな機能(パッカー)
informative−情報の提供
imperative−命令・戒律と行動への召命の伝達
illuminative−人の想像力を照明し深い洞察へと導く
performative−告知されてきた事態を実際に引き起こす
celebratory−救済史の回顧と祭儀的な言辞
not 「天から降ってきた神の託宣」「仮現的な(docetic)聖書)」but・・・
「有機的同流」「二重著作性」
神的側面と人的側面−相互の関与、両者の協動(Uサムエル 23・2)
主の言葉の伝達と文書化における預言者の主体的関与
エレミヤ(エレミヤ36・6,8,10,11)
イザヤ(ローマ9・27,10・20)
諸資料の収集と選別、諸伝承の価値判断、自ら最終的な決定
ルカ(ルカ1・1-4)
ペテロ(Uペテロ1・21)
パウロ(Tコリント14・37,2・13)
聖書の「人間性」
神の啓示が人間の思想と言語を通して人間に伝達されたという事実は、「制約」
(limitation)を含む
イエス・キリストの啓示は目撃証人を含む多様な証人たちを通して我々に届けら
れたということから理解される、聖書の「証言的性格」にも注目すべきである
○カルヴァン−「神はご自身をわれわれ人間に適合(順応)させた」(accommodatio
Dei)
類比の関係
−「人となられた言葉」(受肉のキリスト)と「聖書となった神のことば」聖書の神性と人間性
聖書は全く神的であり、神の言葉である。同時に、全く人間的であり、人間によって書か
れた言葉である
○H.バーフィンク「また、我々は聖書における弱くかつ卑しいしもべの形態を認めなければならない
。しかし、キリストにおける人性が弱くかつ卑しいものでありながら、一切の罪から離れていたよ
うに、聖書もまた汚れなしで生まれたのである」
「直接的同一性」を認める立場・・・福音主義の伝統
歴代の教会−神の霊感によって与えられた聖書=神のことば(マルコ7・13)
新約聖書−マタイ1・22、使徒4・25,26,28・25,ガラテヤ3・8
カルヴァン−「使徒は聖霊の確実で、正式の公証人のようなものであり、したがって彼ら
の書いたものは神の託宣として受けとらねばならない」キリスト教綱要W・8・9
B.B.ウォーフィールド「聖書は神の言葉である」という理解は、歴代の教会の共通した告白
「教会教理」
「全く人間の書」とみなす立場・・・自由主義の伝統
聖書=「人間の作品」,「直接的同一性」=前近代的,
ジェームズ・バー「人の信仰、人が経験したもろもろの出来事、人が聞かされてきたもろもろ
の物語等などに関する[人間]の叙述である。聖書を神の言葉とか啓示と同列に置くこと
が長い習慣となってきた。そしてその結果は、聖書を[神から人間へ]の運動と同列に置
くことであった。しかし、聖書の伝承を発達させたのは人間であり、いつそれを適切に固
定化し得るかを決め、正典に定めたのも人間である。もし<神の言葉>というようなたぐ
いの表現を望むなら、聖書に対する適切な表現は、<イスラエルの言葉>、<ある初期
の指導的なクリスチャンたちのことば>ではあるまいか」
聖書=全面的に人間の宗教書
「聖書は神の啓示に関する証言」=バルトの聖書観の根本命題
聖書−both 神の啓示と不可分の関係 and
啓示の認識に不可欠(関係性)
聖書−not 神の啓示と同一 but 区別されなければならない(区別性)
神の啓示=神の自由な行為、実存的に生起する出来事、ハプニング
聖書=生起する啓示を指し示す証言
○聖書生成上の具体的問題−聖書のこの世性、人間性
罪に堕落したこの世の被造物を媒介にして与えられている
決定的な制約性と被覆性とを有している
聖書−not 神託の書物、直接的伝達の器官 but 証言(誤りを犯す人間)
歴史的文献的批評の適用
古代
という過去に属する世界観と人間観独自の歴史観・・・聖書は史実と歴史物語もしくは口碑および伝説との間
の区別を知らない
宗教的神学的な矛盾
や交錯の問題ユダヤ精神
の産物言語霊感−伝統的方法の拒否
言語霊感の教理=「逐語的に霊感された状態」の意味に変質
人間のことば=神のことばとして固定化
not 繰り返し”今ここにおける”恵みとして与えられる確実性 but
人間が
所有する確実性
現臨する神のことばの自由の秘儀を見失った
行為主義(activism)、現実主義、出来事主義(actualism)
not スタティック(静的)な事実 but ダイナミックな(動的な)働き
我々が我々に迫りくる神の語りかけに信仰によって耳を傾ける
人間的な制約性と被覆性を突破して、聖書は我々にとって神のことばと「なる」
信仰による出来事、神の奇跡−秘儀的・神秘的説明に帰着
霊感−not 聖書に帰属 not
実存的な恵みの出来事
繰り返し、繰り返し神のことばに「なる」
どのようにして神のことばを正確に認知しうるのか
どのようにして神のことばを聞いていると確信しうるのか
「なる」というのはいかなる事態のことであるのか
一連の重要問題への回答
人間の内側にはそれを聞き分けるための能力や接触点がない
聖書のテキストが神のことばに実体変化しない
信仰による出来事・神の奇跡
聖書の信頼性
旧約の詩人の告白(詩篇119・86,160,172)
箴言30・5-6
救い主(ヨハネ17・17)
改革者カルヴァン「神から来るものは、ことごとく神聖・かつ不可侵な真実である」
(キリスト教綱要V・2・6)
教会の歴史−古代の教父、中世のスコラ主義者、16世紀の宗教改革者、17世紀の
正統主義者、近代の福音主義諸教会・・・聖書の霊感・権威・信頼性に関して驚くばか
りの一致
「無謬性」の使用について
14世紀のウィクリフ「信仰の無謬の規準」・・・クランマー、リドリ、ジェウェルも
ベルギー信条第7条−「聖書の完全なることについて」
ウェストミンスター信仰告白−「聖書について」の第9項
「無誤性」の使用について
19世紀後半、歴史的文献的批評→聖書の信憑性を疑問視する傾向
「無誤性」の使用
カトリック側
○「聖書の教授にあたって従う規範」
「無謬性」と「無誤性」は、使われた時の文脈によってニュアンスの違いは認められる
が、実質的には同義的、互換的なもので、「信頼できる」「全く正しい」「誤ることがあ
り得ない」「誤りがない」が両者に共通した意味である
無誤性を巡る議論
バルトの立場−無誤性は論外の事柄
福音派の立場
無誤性論は不毛な論議とかんがえる動き
無誤性を重要視(大多数)・・・無謬の聖書=「認識上の橋」
目的の無誤性
(J.ロジャーズ)・・・聖書の中心的目的は人々を救い主イ限定的無誤性
(D.フラー)・・・無誤性を聖書の救済的、教理的部分(聖キリストと使徒たち
旧約の細かな点を重視(ヨハネ10・34)
「救済的/歴史的」「啓示的/派生的周辺的」の二分化
−かな聖書のどの部分が救済と教理に関わり、どの部分がそ
れと無関係か
誰が、どのような基準で選別するのか
福音主義諸教会の理解−「聖書のみ」の大原則
聖書中に見出される問題は問題として認めつつ
ローザンヌ誓約
第二項「旧新両約聖書全体が、神の霊感による、真実で、権威ある唯一の書聖書の無誤性に関するシカゴ声明
「聖書の用法や目的とは異質の真偽基準によって聖書を評価するのは正当であると
する考えをわれわれは否定する。
また、無誤性は、現代の学問でいう精密さを欠いているとか、
文法上あるいはつづり字上の変則、
観察者の立場からの自然に関する記述、
虚偽に関する報知(注・サタンの虚言)、
誇張法や概数の使用、
主題を中心とした資料の配列、
平行記事に見られる資料選択上のの異同、
自由な引用法
などのいわゆる聖書の外象によって否定されるという考えを退ける」
注意事項の慎重な吟味
と聖書の生成に関する一層の研究人間の応答
聖書自身−神のことば
人間の応答−信仰や服従を快くささげようとはしない
人間の状態−
罪のゆえに、心は暗く、理解力は歪められ、意志は悪に隷属聖霊の
内的証明教会の証言−
聖書の数々の卓越性取り扱う事柄の天的性格
その教理の有効性
全体の驚くべき統一性
預言の成就
すべての栄光を神に帰する全体の目的
良心をとらえる不可抗的な力
キリストをはじめ預言者や使徒たちによってなされた奇跡
サタンや反対者たちの弾圧に耐えた持久力
歴史を通しての長期にわたる保存の事実
聖霊の内的証明
カルヴァン−キリスト教綱要
T・7・4「預言者の口を通して語りたもうこの同じ御霊も、パウロ−Tコリント2章
「神のあかし(1)」は「十字架につけられたキリスト(2)」であり「隠さ人間の反応
霊の世界の大原則
−「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け聖霊が内に働くとき
−「心の目がはっきり見えるようになって(エペソ1・18)」、霊教会における
聖書の不可思議な沈黙−「主のことばを聞くことの飢饉」(アモス8・11)説教の弱体化
教会教育の崩壊
信仰のやせほそり
聖書研究熱の低下
宣教の情熱の喪失
福音の中心「イエス・キリスト」が見えなくなる
○二千年の教会史の法則−
「聖書のみ」の大原則の意味する全体像に注目すべき聖書と教会の
正しい関係教会の
形成と改革の基盤神の言葉−信仰と生活の
規範、生命と組織を形成する基盤・原動力(使徒2・42、御言葉と御霊による刷新とリバイバル
謬説、背教、倫理的堕落、妥協、無感動状態、迷信、形式主義、形骸化の危険
改革と刷新が不可欠−
「改革された教会は常に改革され続けなければならない」聖書の
守り手・実践者教会全体と信徒の心と興味を聖書に(使徒17・10-12,詩篇119・103,127,174)
not only 聖書の
”本質論” but also 聖書の”目的論”(Uテモテ3・15,16)聖書の「保存・活用」、「理解・解釈」そして「翻訳・伝播の責任」(ヤコブ1・22-25,
Tヨハネ1・6,2・3,5)
○宇田進「啓示と聖書」『実用聖書注解』いのちのことば社、の要点を整理したものです。
詳細は、資料源をお調べください。