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福音派の源流と歴史的遺産
C宗教改革の三大原理と福音派
16/04/13
宗教改革の三大原理と福音派
a.聖書のみ
b.信仰義認
c.聖徒の交わりとしての教会
プロテスタント
福音主義の問題―16世紀のプロテスタント宗教改革でクローズ・アップ
「プロテスタント」の名称―not only抗議する者 but also公に告白・証言する者
エラスムスーキリスト教人文主義者「痴愚神礼賛」―ローマ教会の腐敗を風刺,「ストラスブールの偽福音派を駁す」―宗教改革運動批判
カトリック主義―・ecclesiasticus・(教会的)、福音派―・evangelicus・(福音主義的)
[参考文献]「宗教改革教会史」丸山忠孝、PP.
カトリック
一般の話題―第二バチカン公会議・1962-65・―適応、変容の問題
カトリックの世界―聞き慣れない多くの教理・習慣
J.H.ニューマン事件・1945・オックス・フォードの指導者→カトリックに改宗
・カトリック信仰→「もう一つの宗教」
「もう一つの宗教」をつくりあげている三つの根本問題
聖書の福音理解の核心にふれる問題
[参考文献]
『対話の中の聖書信仰』「現代カトリックの革新運動が意味するもの」宇田進、PP.96-117
カトリック体制とルター
改革者ルターの叫びー16世紀の実情に抗議
ヴォルムスの国会での証言・1521.4.18・最高の権威―not教皇中心の教会・カトリック・but聖書のみ・sola
scriptura・
聖書のみ=信仰と生活の唯一の無謬の規範・・宗教改革者たちの共通の確信
トレント公会議・1545-63・−カトリックの立場の規定・・表看板と中身
・プ・not啓示資料としての伝承but伝承観の否定
外典の問題−外典を正典視
・プ・正典と外典をはっきりと区別−not主観的選択but外典の内容
教皇を中心とする“教える教会”の問題
・プ・not教会の権威とその決定but聖書の自己証言
すべてのクリスチャンの所有物
内容の明瞭さ
聖書を解釈し理解する資格
聖書が聖書を解釈する
プロテスタント福音派の根本的確信−“聖書のみ”の原理
唯一の神のことば、唯一の指導者、唯一の源泉、唯一の資格ある審判者
[参考文献]「ウストミンスター信仰告白」
「基督教綱要」J.カルヴァン
「聖書の霊感と権威」B.B.ウォーフィールド
- ルターの言明−“義認の条項”の問題
罪人はいかにして神に義と認められ、神との正しい関係に入ることができるか」-「ただ恵みによる」・sola gratia・、「ただ信仰によって」・sola fide・
- トレント公会議の宣言−“信仰義認の教理”を異端視−9,11,12条
トレントの主張・・人間の側の状態いかんによって、義認は変化、動揺→義認の一回的完結性と救いの確かさの喪失
- 救いにおける「神人協力説」の問題
の問題−アダムの堕落以前に不穏な性向→抑制のために“原義”の追加→堕落においては“原義”の喪失
人間観
- は大丈夫(教令:第5章)-「恩恵に自由に同意し、協力して、彼ら自身の変化に心を向けるように準備する」
自由意志・自然的理性
アベ・マリヤ(聖母崇敬)神の恵みと人間のすべての協働のモデル=教会の原型
宗教改革者たちの「人間観」
全的堕落性、全的無能性
アダムの罪を引き継ぎ・ローマ 5:12-19・
神に敵対す る者・コロ 1:21・
神を愛さず、みこころを喜ばず・ローマ 3:11・
律法成就する能力 なし・ローマ 3:12・
自由意志も全く罪に縛られ罪の奴隷・ヨハ 8:34・
アウグスティヌスの立場−「告白」神の恵みにたよるしかない=信仰の根本
B.ウォーフィールド−「アウグスティヌスは、“エバンジェリカル”をあかしした宗教的天才である」
教皇を中心とする教職位階制の問題
C.ホッジ「プロテスタントとカトリックの相違点のほとんどすべては、“教会とは何か”という問いに対する決定にかかっている」
カトリック要理「救いの普遍的秘跡、神の民、キリストの神秘的からだ、キリストの定めた役職制度をもつ信者の集まり」
ドミニコ会修道士「普遍的教会は・・ローマ教会・・名目上、枢機卿・・実質的、法王」
C.ホッジ「キリストの代理としてのローマ教皇に服従する外形的社会」
ザッセ「もう一人のキリスト」「神と罪人との間の唯一の仲保者」-カトリックの教会観の中心=教皇を頂点とする聖職位階制
岡田稔−仲保者としてのキリストの贖罪事業高く評価せず→ギャップを埋める役割を教会が担う[参考文献]・Systematic Theology・, Charles Hodge
キリストの代理としての不可謬な教皇の問題
教皇制−グレゴリウス1世・590-604在位・創設
第一バチカン公会議・1869-70・−“教皇の不可謬性”の決議
ローマ教皇=・Pope・=父,・Pontiff・=橋+作る・・「橋をかける」仲保者の意
一個の人間=霊の父、仲保者←非聖書的
聖書の証言−父はただひとり、天にいます父だけ・マタ 23:9・
仲介者も唯一、キリスト・イエス・Tテモ 2:5・
教皇=イエス・キリストの代理
聖書の証言−聖霊こそイエスがいなくなった時の・イエスの現臨・・ヨハ 14:16,26・
[参考文献]「ゆるぎなき権威?−無謬性を問う」ハンス・キュンク
「キリストの教会」岡田稔教会の使徒性(使徒的福音、使徒的使命、使徒の交わりと礼典の継承)
二つの仮定(教皇制の歴史的根拠)→「使徒継承」の主張(聖書的根拠なし)
ペテロが主イエスによって全教会の首長として立てられた。
ペテロは、司教座をローマに定めた。
ゆえにローマの司教なる教皇は聖ペテロの相続者
ニカイア・コンスタンティノポリス信条−「使徒的教会を信ず」使徒性の大切さ
教会の使徒性
使徒たちが宣べ伝えた福音と教えた教理
使徒たちの使命
使徒たちの交わりと礼典
改革者たちの教会観
ベルギー信条、アウグスブルク信仰告白−「キリスト者の会衆また集会」
使徒信条、ハイデルベルク信仰問答「聖徒の交わり」
ルター「万民祭司」
信仰者はすべて神の御前で祭司である←聖職者の特権的位置に対して
信仰者はすべて平等に神に接することができる←霊的階級性に対して
人間の職業はすべて神より召された職域である←聖俗という優劣の考え方に対して
まとめ
「聖書のみ」「信仰義認」「聖徒の交わりとしての教会」
フィリップ・シャッフ−客観的、主体的、社会的要素
ラム−「福音主義キリスト教はこの三大原理を忠実に継承するゆえに、宗教改革 のすえである」