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メッセージ・パンセ(断片)
チャペル・タイム

1998年度 9,10,11,12月版

 


 

11月22日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、第二コリント人への手紙です。
8:9 キリストの貧しさによって富むものとなる…

不景気の風が世界に吹きまくっています。わたしたちの常として生活の水準が高くなることは好ましく、低められることは苦しいことです。あたかもわたしたちの耳には不幸の調べしか聞こえないかのようです。貧しさの中には、失うことの中には幸はないのでしょうか。キリストは栄光に富んでおられた天の高みから、この底である地上に生まれてくださいました。それも貧のきわみの馬小屋の中に。わたしたちの身代わりとして死んでくださいました。苦のきわみである十字架において。キリストを思うときに、わたしたちの価値観は逆転します。

11月15日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、第二コリント人への手紙です。
4:7 この宝を土の器の中に入れ…

クリスチャンになる前はひとつの意識の中で生活しているが、クリスチャンになると二重の意識のもとで生活するようになる。以前は心の中の罪はあまり意識しなかったが、今は微妙な自我の意識にも神の聖い光が注がれる。古い自我に対して聖霊の死にふさせる働きがあり、新しい自我において聖霊のよみがえりの力が働く。いつも二重の意識のもとで生活している。土の器(人間性)だけではない、宝(キリスト)だけでもない。土の器の中に宝をいれているのである。

11月8日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、マタイによる福音書です。
25:21 あなたはわずかなものに忠実だったから…

最近、ミラード・エリクソンについてのエッセイを読んだ。「教会のための神学者」と紹介されていた。エリクソンの福音主義神学とバプテストの神学への貢献の輪郭が記述されている。クラスルームで形作られ、教会においてテストされる。エリクソンの書籍は学者の知性と牧師のハートを効果的に結び付けている。わたしもエリクソンの神学的思考の足跡を丁寧にたどり、JECとKBIの神学教育と神学形成に側面から貢献していきたい。

11月1日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、コロサイ人への手紙です。
2:6 キリストの中に根差し、また建てられ…

(高校生と小学生がいるので…)数学の問題をすばやく解くには、例題に習熟することである。テスト問題をみたときに、その問題のタイプを見抜くことができたら勝利はかたい。野球の基礎はひじの使い方である。投球フォームはタオルを使ってシャドウーピッチングの練習を繰り返すことでフォームをつくることができる。信仰生活も基本の習得が大切である。十字架の意味(罪の赦しと自我の取り扱い)を知り、認め、明け渡して生きて行くことである。

10月25日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、創世記です。
[新改訳] 創世記
28:11 ある所に着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。28:12 そのうちに、彼は夢を見た。

  ヤコブの「石の枕」として有名な箇所である。メッセージを始めると小学生の息子が「石が枕なら頭が痛いんとちゃーうん。」と言った。「そうやね、布か服かなにかを石の上に置いたんやろね。」と答えた。家庭礼拝型の小さな開拓教会の礼拝のひとこまである。ちいさいからの祝福がある。なごやかで対話形式も可能な集会である。
  ノーベル賞学者の湯川秀樹博士は、いつもメモ帳をそばに置き、いいアイデアが浮かんだときには、夜中でも起きてメモをしたとのことである。わたしも寝入るとき、そして起き出す間際のうつらうつらとしているときに、おおくの知恵・知識が与えられる。特に聖書学院での講義をどのようにするか、その準備をどのようにするか、について多くの思いがふつふつと湧きあがってくるのである。モルトン・ケルジー師は、わたしたちが抱く雑念を大切にしなさいと教えておられる。肩の力の抜けた状態で思いの中を行き交う無駄とも思える雑念の中に主の語りかけを聞き取ること、主からの知識・知恵が含まれていることがあるからである。わたしは自分の枕をいつも石の枕と思うことにし、メモ帳をいつもそばに置いている。

10月18日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、 エペソ人への手紙 です。
4:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

聖霊はどのようなお方でしょうか。この方は単なる力や影響力のようなお方ではなく、人格をもっておられる方です。ダビデの詩篇にありますように、道徳的な霊的な聖い資質をわたしたちのうちに形作ってくださる方です。わたしたちの内に住み、教え、とりなしてくださるお方です。御父、御子とともにこの方に尊敬と感謝をささげることはふさわしいことです。

10月11日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、第一コリント人への手紙です。
3:16 あなたがたはの神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。

聖霊はどのようなお方でしょうか。三位一体の神なるお方です。父なる神は旧約聖書時代において、御子イエス・キリストは福音書と昇天まで最も顕著でありました。聖霊はペンテコステ以来、使徒行伝と書簡と教会史を通して今日まで顕著であられます。このお方が三位一体の神であられることは、上記のパウロの議論において「神」と「神の御霊」が交換可能に表現されていること、また聖霊が「全知 1コリント2:10-11」、「 ルカ 1:35」、「永遠性 ヘブル 9:14」などの神の属性をもっておられること、また「神に帰するみわざ 詩篇104:30」、「人間の上に内における働き ヨハネ 3:5-8、テトス 3:5、ローマ 8:11」、「聖書を与えること Uテモテ 3:16」そしてTコリント13:13の祝祷にみられる「御父、御子、御霊の同等性」において明らかです。手で触れることができるかのように身近に個人的に臨在を明らかにされるこのお方を知り、認め、親しく交わりをさせていただきましょう。

10月4日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、ヨハネによる福音書です。
16:7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
16:8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
16:13 しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
16:14 御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。

神による天地創造、人間の堕落、そしてイエス・キリストによる救いの恵みが聖書に記されています。十字架が聖書の中心です。そしてその十字架による救いの恵みは聖霊を通してわたしたちの経験とされるのです。聖霊はわたしたちの罪を示されます。悔い改めに導き、十字架による罪の赦しの真理を明らかにされます。そして聖霊はひきつづきイエス・キリストについてのあらゆる真理に目を開いていってくださます。この現実を知り、認め、自分自身を献げ、聖霊に導かれ、十字架を負って前進してまいりましょう。

9月27日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、哀歌です。
3:26 主の救いを黙って待つのは良い。
3:27 人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
3:28 それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
3:29 口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。
3:30 自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
3:31 主は、いつまでも見放してはおられない。
3:32 たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。

イスラエルの民は捕囚となり、首都エルサレムは荒廃し、エレミヤは座して泣き、哀歌をつくりました。しかしそれは単なる嘆きの歌ではなく、祈りの歌であり希望の歌でありました。クリスチャンの人生は見えるところに右往左往する人生ではありません。見えない方に目を注ぎ、手を上にあげて祈りつつ前進する人生であります。

9月20日
こんにちは、山崎チャペルの安黒務です。今日の聖書の箇所は、テモテへの第二の手紙です。

3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

わたしたちが聖書を開きつつ人生を生きて行くということはどういうことなのでしょう。わたしが神さまを知る前は、聖書など知ることもなく、ただ周りの友達が生きているように歩んでいました。小学生の時は一宮の野山や揖保川でかけまわり、魚をとったりして遊んでいました。中学と高校では野球にあけくれ、受験勉強の後大学では油絵に打込みました。しかし神さまを知ってからは、聖書を開くこと、祈りをもって一日を始め閉じることが日課となりました。聖書、それは神さまからのわたしたちへの語りかけなのです。祈りはわたしたちから神さまへの問いかけであり、感謝であるのです。そしてクリスチャンの人生、それは御言葉を体験する生涯であるのです。

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