第八部 キリストの御業
36.キリストのみわざへの導入
37.贖いについての諸論
38.贖いの中心テーマ
39.贖いの範囲
11/07/19
宇田進 「岐路に立つ十字架の贖罪」
R.H.カルペッパー 「贖罪を理解すること」
H.G.ペールマン 「恵みについて/B.現代の論争」
36.キリストのみわざへの導入
37.贖いについての諸論
38.贖いの中心テーマ
39.贖いの範囲
参考文献・資料等
ジョン・マーレー「聖書の贖罪観」オランダ・キリスト教文庫
贖罪に関する歴史上の諸説
古典的あるいは劇的理解
神秘説
道徳感化説
統治説
現代神学における贖罪観
J.A.T.ロビンソン「神への誠実」
問題提議−ポンヘッファー”成人した世界”に生きる
教会の直面している三つの問題”宇宙時代”に住む人間にいかにして信仰の意義を伝達しうるか
(伝道の問題)科学と技術の時代に信仰の実践をどのように推し進めて行けるのか
(実践の問題)伝統的教理は、今日の時代にも適用しうるものであるかどうか
(信仰内容の問題)解答@−キリスト教の
根本的かつ全面的な”つくりかえ”が必要ティリッヒ、ブルトマン、ポンヘッファーの三人の神学の配合
伝統的受肉理解は、
「古代神話(ブルトマン)」のひとつ「超自然主義的」な受肉理解の破棄
解答A−真理は
二者(超自然主義と自然主義)の中庸にありティリッヒのキリスト論の援用−イエスは神に対して全く「透明(Trasparency)」であった
イエスは一個の人間にすぎない
イエスは自己を神にささげきった
それによって、神(存在の根底)との一致を経験し、さらには神と一体化することによって単なる人間以上のキリストになった
イエスは、いわゆる”神格化”された人間
我々もイエスとの出会いにおいて同様な「超越の経験」をもつこによって、「本当の人間」のあり方に方向づけられる。(隣人への愛=ヒューマニズム)
日本の教会と贖罪の教理
岡田稔教授の論文
「植村・高倉神学の行方」福音主義は、救じょう論的用語てはなく、「神なるキリスト」を承認すること
贖罪論において、神学的表現見出し難い
一定の贖罪論が権威を有すると考えず
植村が代表した
日本初期の福音主義の問題的体質の行方ブルトマンの非神話化の洗礼
野呂芳男教授の贖罪論の実存論的理解−
代償的贖罪は「古代神話」岡田稔教授−「
法的、代理的、満足の三語こそ正統贖罪論の骨子であって、二性基督論との論理的均衡を持つ唯一の聖書的信仰である」
宇田進「プリンストン神学とジョン・マーレー教授」前著補論
序
贖罪論 その
旧約的基盤イスラエルの選びと契約
犠牲−贖罪の方法して
メシヤなる王
ヤーウェの僕
贖罪論に関する
新約聖書の証言救じょう史の統一性
イエスの宣教における神の国
僕の概念とその重要性
贖罪と神
贖罪の目的
贖罪論解釈の範疇
贖罪の
歴史的解釈最初の一千年
アンセルムス−
充足説アベラルドゥス−
道徳感化説ルター−
刑罰と勝利カルビィンとカルビィン主義−
犠牲と刑罰の代償説ソッツィーニ−
模範説グロティウス−
統治説現代−十九世紀と二十世紀
特殊問題
贖罪の範囲
客観的要素と主体的要素
贖罪論の
建設的叙述解釈の原理
三位一体の概念
に基づき、それを表現する正しいキリスト論
に基づき、それを表現するただ
聖霊のみ業によってこの贖罪は人間の経験の中に生かされるこの主題に関する聖書の証言がもつ
大きな多様性を表現する贖罪の事実は無限に重要である。しかしあますところなく、簡潔な一つの神学的枠内に盛ることは不可能である。
十字架の意義
罪人に対する
神の愛の驚くべき深さを最高度に啓示したもの人間の
罪に対する神の裁きである罪は、十字架でその本性を完全にさらけ出されたのであるから、そこで裁かれている
罪は、本質的な悪に対するイエスの態度によって、十字架において裁かれている
そこでは罪と苦難の関係が完全に明らかにされるので、罪はイエスの十字架によって裁かれている
我々を虜にするあらゆる悪の力、罪、律法、死および悪魔から我々を
解放する神の決定的な行為であるキリストは罪に対する勝利を得た
キリストは我々を律法から解放した
キリストは死に打ち勝った
キリストは、悪魔とあらゆる悪霊の力に対して決定的に勝利した
我々の大祭司として、罪のために
完全な代表的犠牲を捧げている
○文献・資料の項目
H.G.ペールマン「恵みについて/B.現代の論争」『現代教義学総説』1982
「二元的か」それとも「一元的」恵みの理解か?
宇宙的か、あるいは個人的恵みか?
恵みと予定説
恵みと自由[協動]
報いと恵み
信仰と行為
義認、法的かそれとも成果的か
聖霊の機能(救いの取得におけるキリストと聖霊)