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ミラード・J・エリクソン「キリスト教神学」についての書評・紹介・引用等
J.I.パッカー、L.R.ブッシュ、D.S.ドッケリー、C.チェイニー、W.パネンベルク
泉田
昭、宇田 進、安黒
務 @、安黒 務 A
2018/05/26
ミラード・J・エリクソンについて良く知っておられる方は多いと思いますが、あまりご存知でない方のために、ICIの中心的な働きとしてすすめています「キリスト教神学」とその縮小版「キリスト教教理入門」について、著名な神学者がどのように評価しているのかを紹介したいと思います。もちろん、そのような書評がなくても、「翻訳と解説」の内容を味わっていただけたら、その真価のほどをよく分かっていただけると思います。
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『キリスト教神学』刊行紹介パンフレット
(パンフレットPDF)
- J.I.パッカーによる書評
- 過去10年間の間、ミラード・エリクソンの「キリスト教神学」は、それ自身でキリスト教の真理についての現代のプロテスタントの概要の、最も広範に用いられ、最も一般的に役に立つものとして実証されてきました。強壮な福音主義者、本質的に保守的、一貫して現代的、確固としてバプテスト的、穏健にカルヴァン主義的、慎重な大患難後再臨説で前千年王国説に立ち、選択肢に対しては偏見をもたない広範さ、細部まで正確に分析する力は、それに対する一貫した賞賛を勝ち取ってきました。今回、研究への助言を加えて、改訂され、増補されました。学生の教科書として、牧師と信徒リーダーの資料としての有益さはさらに豊かなものとなるでしょう。要するに、それは名匠のたくみのわざなのです。
- L. Russ Bush, Southwestern Journal of Theology
- 私は、学生、教師、聖職者、そして教会のリーダーたちに、[キリスト教神学]を通読する時間を取るようにと推奨しています。[それは]、実際的でありつつ、しかも真に実質をもつものです。ほとんどすべてのページにおいて貴重な洞察が見出されます。エリクソンが要約した「キリスト教神学」を推薦することは、私にとって喜びです。
- David S. Dockery, Grace Theological Journal
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エリクソンの書籍は、組織神学の領域へ喜びをもって迎えられた追加本です。それは一時的な流行を追ったものでも、過度に革新的なものでもありません。主要な問題の扱いにおいて、それは聖書的で、古典的なものです。それは煩わしさなしに歴史的な資料についての優れた概観を提供しています。その書籍は、確かにその価格の価値があります。すべての学生はこれが必読書であることに気づくでしょう。
- Charles Chaney, Review and Expositor
- ミラード・エリクソンの神学研究における真摯な学生に役立っている貢献は測り知れません。‥福音主義者であり、バプテストである者によって書かれた最良の組織神学書です‥。それは21世紀における福音主義者にとっての組織神学の最初の主要な教科書として運命づけられています。[それは]、牧会者としての味わいを宿し、聖徒を啓発し、教える一連の説教の資料であるように入念に仕上げられています。
- Wolfhart Pannenberg
- この書籍は、聖書を基盤とし、しかも現代の哲学的かつ神学的業績と同様に、教会の伝統との対話を継続しているところの、真に学究的なキリスト教教理の提示です。聖書における神の霊感と無誤性を主張しつつ、その議論の形式はファンダメンタリストのようではなく、キリスト教の教理の諸問題に関心をもつすべての人々に開かれており、有益です。著者は、歴史的批評的解釈に注意を払っています。彼の書籍は、キリスト教信仰に関する福音主義的概略の優れた実例と他の神学的立場との対話のための基盤を制定しています。
- 泉田昭、基督神学 No.2
- この夏、幾冊かの本をじっくりと読むことができた。その一冊が、M. J. エリクソンの「キリスト教神学」第一巻であり、現代の神学状況をよくふまえた、わかりやすい神学書である。エリックソンは、かつてはホイートン大学で教鞭をとっていたが、現在はセントポールにあるベテル神学校で教えている。第一巻では、神学とその方法論、啓示と霊感、神論がその主な内容となっている。英文ではすべてが美しい表現で纏められている‥。
- 宇田進師、新聖書辞典、福音主義神学、共立モノグラフ
- ミラード・J・エリクスンは,「特別啓示の主要な結実は神知識である.ここで神知識という場合,ただ神の本性に関する知識だけではなく,神がなされたみわざ,創造,人間の本性と現実の状況,神と人間との関係に関する知識をも指している.そして,この知識は神から人間へ伝達された真実な,客観的な,そして合理的な情報であることに注目すべきである」(Christian
Theology,p.191,1986)と言っている.[啓示と聖書]
- こうした福音派内部における神学上の多様化傾向は、いわゆる聖書の“無誤性”論議を通しても明らかになってきています。たとえば、ミラード・エリクソンの分析によると、今日アメリカ福音派内部に次のような見解が存在しています。‥こうした多様化の状況は、七十年代においてアメリカの福音主義神学をして福音主義のアイデンティティの探求へとかりたてて行く強い要因となったのであります。[聖書論]
- 他方、エリックソンは、今まで提示されてきた一元論にも二元論にもそれぞれ難点があるとして、“conditional
unity”(「条件付き統一性」)、‥という立場が、より聖書の証言に即した理解になると主張している。‥[人間論]
- さて,教会とは何か.レスリ・ニュービギンは,*改革派の伝統においては教会を神の民として,サクラメンタルな教会においては教会をキリストのからだとして,聖霊派の間では教会を聖霊の交わりとしてそれぞれ見る傾向が強い事実を興味深く指摘している(The
Household of God, 1953).一方,アーサー・ウエンライトは,三位一体論的視点がパウロの思考とパウロの手紙の構成そのものとを貫いている事実に注意を喚起している(The
Trinity in the New Testament, 1962).われわれは,こうした指摘の意義を尊重しつつ,ミラード・エリックソンとともに三一的視点から聖書の教会の本質の理解に向かうのが妥当と思う(Christian
Theology, 1986,第4章).具体的には,神の民としての教会,キリストのからだとしての教会,聖霊の御住まい・交わりとしての教会という3点から考察することとなる.[教会論]
- 安黒務:一宮基督教研究所ニュース「組織神学が私たちに必要な理由」と「その授業を通して学生に期待していること」
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「組織神学が私たちに必要な理由」と「その授業を通して学生に期待していること」。それはコインの両面の関係にあると思います。組織神学の必要性≠ヘ、即学生に期待≠オていることです。
- その第一は、すぐれた御言葉の料理人となるため料理のレパートリー≠増やすことです。料理は野菜・魚・肉などで作られ、説教は御言葉で作られます。そのレパートリーの豊かさは、聖書の真理を主題別・立体的に掘り下げる組織神学の学びによって培われます。予習・復習ノートづくりは料理の下ごしらえ≠ナす。手抜き料理は、肥えた舌にはたえられません。
- 第二は、教派の伝統の継承・深化・発展≠はかることができる奉仕者づくりです。教派の伝統とか体質は歴史性や文化性を宿しているものです。これらをオウム返し≠キるのみではいけません。それは最も悪い意味での弟子≠ナす。それらを識別しろ過し、福音の本質を抽出し、古き衣を脱ぎ捨て新しい時代にあった衣装を身にまとう力が求められています。菅神学生の論文≠ヘその一つの実例です。私は神学生一人一人にこのような取り組みを期待しています。
- 第三は、偽札を見分ける力です。「死後伝道、すなわちセカンド・チャンス」のメッセージを聞いたある牧師たちが感激して「素晴らしいメッセージを聞かせていただきました」と賞賛し握手を求めたとのことです。この話を聞いたとき「この牧師たちの神学教育はどのようなものであったのだろう?」と愕然としました。「盲人が盲人を手引きする」(マタイ15:14)の通りです。銀行員が偽札を見分ける技術は、偽札を研究することによってではなく、本物を見、手で触り、綿密に調べつくす≠アとで身につくとのことです。組織神学のスタンダード、エリクソンの「キリスト教神学」はまさしく、それなのです。
- 安黒務:リバイバル新聞「書籍紹介」ミラード・J・エリクソン著『キリスト教神学』第一巻
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神学生に「先生、神学書の読み方を教えてください。」と聞かれる時があります。そのとき私は「まず、目次を読む。次に序論と結論をよむ。そうすれば、著者の意図と神学書の概容を把握できる。その後に関心のある章から順に丁寧に読むとその箇所の読み≠ェ深くなる。」と答えます。エリクソン博士の『キリスト教神学』は各章の最初に「本章の目的」「本章の概容」「研究課題」が記されていて、内容豊かな各章の学びの道標となっています。
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書評の目的は、その書籍の道標を提供することです。マクロ的な視野からこの書籍の歴史的意義を評価しますと「ファンダメンタリズムの分離主義・反知性主義・他界主義などの諸問題を克服しながら登場した、より公同性と現代性を具備した福音主義の流れ」の中の組織神学の代表作と位置づけられます。
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この書籍を理解するキーワード≠ヘ、真正な福音主義神学の特質である@聖書的適格性、A正統信仰の公同性、B現代的適応性、C自己革新性の四つをあげることができます。そこで四つの特質との関連で、第一巻の内容を紹介させていただきます。
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第1章において神学を「第一義的に聖書を基盤とし、文化一般の文脈の中で、今日的な表現を用いて、生の諸問題に関連づけながら、キリスト教信仰の諸教理についての首尾一貫した言明をするべく努める学である」と定義しています。これはこれまでの福音派の組織神学の「実存的機能」と「要約的機能」に限られる傾向から脱して「新理解的機能」と「学問的機能」を加えることを意味しています。
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第2章では「神学と哲学」の関係を歴史と今日の中で説明し健全なあり方を提示しています。
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第3章では、明確な手順と権威の度合いの認識の大切さを提示することにより「神学の方法」を明らかにしています。これはこじつけ♂釈、読み込み♂釈を克服する助けとなります。
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第4章「神学と聖書の批評的研究」では、さまざまな形態の聖書批評学を解説し、その否定的側面と肯定的な批評学的方法のガイドラインを提示しています。過去、福音派はこの領域に対して門前払い≠ノ近いスタンスを取ってきましたが、真に聖書的であろうと探求の手をとめないためには今日この領域に無知であることは許されません。
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第5章「キリスト教のメッセージの今日化」では、聖書の普遍的メッセージを変貌し続ける今日の世界にコンテクスチュアライズする基準を明らかにしています。この基準は「時代性と文化性」を抱えるそれぞれの教派のメッセージの今日化の原則としても有効です。
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第6章「神学とその言語」では感覚的経験を超える宗教的言語の問題が取り上げられ、
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第7章「ポストモダンと神学」では、合理主義から非合理主義へと振り子のように振れる℃梠繧ニ思想の推移、ポストモダン時代における神学の諸類型を解説し、急進的なものを批判し、建設的なあり方の原理を提示しています。
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以上、ごく簡単に第一巻の前半部分の「第一部 神を研究すること」、つまりエリクソンが提示している神学方法論≠みてまいりました。その根幹に流れているものは、「真正な福音主義神学」を探求してやまないエリクソンの情熱であり、上記の四つの特質を結実させるために欠かすことのできない神学方法論の積極果敢な提示です。
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このような姿勢こそが、福音派陣営で教派を超えた高い評価を得ているのであり、さらに来日されたエリクソン博士自身が「今日の世界における最高の神学的知性をもつ神学者」と評価されるリベラル派神学者のパネンベルク博士もまたミラード・J・エリクソンの『キリスト教神学』を「聖書を基盤とし、現代の哲学的・神学的業績とともに、教会の伝統との対話を継続している、真に学究的なキリスト教教理を提示したもので、聖書の霊感と無誤性を主張しつつ、その議論はファンダメンタリストのようではなく、すべての人々に開かれており、歴史的批評的解釈にも関心を払い、福音主義的概略のすぐれた実例と他の神学的立場との対話のために基盤を据えています」と賞賛されている所以です。