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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール 2006/06/01-06/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI E-Mail Lectures Headline Digest
主の御名を崇めます
四月初旬から六月下旬まで、かなりハードスケジュー
ルで推移してきました。六月を終えるにあたって、よう
やく区切りがついたような気がしています。
十数年前、内地留学の機会を与えられて、人生で最も
貴重な時期の三年間を共立基督教研究所で宇田進
先生の膝元で福音主義神学≠フ薫陶を心ゆくまで
与えられたことは、わたしの生涯で最も幸いな季節で
した。そして、その学びを終えようとしていましたときに、
ひとつの祈りが与えられました。それは、ソロモンの
祈りの箇所です。
「その夜、ギブオンで主は夢のうちにソロモンに現われ
た。神は仰せられた。『あなたに何を与えようか。願え。』」
1列王記3:5
わたしは、すでに三十台の半ばを過ぎようとしていまし
たので、「後半生をどう生きるのか?」を問われていた
ように思います。
「 14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に
十分な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、
あなたがたのうちにひとりでもあるでしょうか。
14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見て
いた人はみな彼をあざ笑って、
14:30 『この人は、建て始めはしたものの、完成でき
なかった。』と言うでしょう。
私は、宇田先生のもとで、「福音主義神学研究」のイ
ントロダクション、パースペクティブ、エッセンスを学ば
せられたように思いました。私の目の前には、ふたつ
の道が見えました。それは、「Generalな牧師の道に復
帰して後半生を生きるのか、あるいはSpecialな神学
教師としての道に献身して後半生を生きるのか」という
選択肢でありました。それは、具体的な奉仕場所とか、
ポジションという意味でありませんでした。私の生き
る≠ニいうことの原理的な召命の問題でした。
私は、「行くところ知れずして」、『福音主義神学研究』
の神学教師としての道に自分をささげるべく導かれま
した。その頃は、どういうわけかすべての導きが閉ざ
されたように思いました。しかし、神さまは私のために
「後半生をどう生きるべきか」のシナリオを用意してい
てくださったのだと、後に少しずつ知るようになりました。
私におけるソロモンの祈りは「神様、神学研究に打ち
込める自由な時間を与えてください。」というものでした。
私は諸教会からのすべての導きと機会を失いましたが、
神学教師として最も大切なもの≠与えていただい
たと思います。それは時間≠ナす。これは、なにもの
にも代えがたい代物です。
神さまがわたしに与えてくださった時間≠フおかげ
で、わたしは「基礎を築いただけ」で終わることなく、
この十数年間の時間≠フ間に、いくばくかの建築物
わ構築することができたのではないかと神さまに感謝
しています。宇田先生が築いてくださった基礎の上に、
その神学に共鳴する人々とともに、福音主義神学研究
の建築物を生涯をかけて建設していきたいと願っていま
す。
七月と八月は、神学校も休みとなりますので、ゆったり
とした空間ができるようで嬉しいです。この時間は、奉
仕中心の研究生活ではなく、自分の好きなテーマに
したがって、あれやこれや≠ニ書物を広げることが
できるからです。
以下にあるものは、六月のICIの取り組みのレポートで
す。もし興味・関心のある資料等ありましたら、お問合
せください。
6/27 春名純人著作集研究
関西学院大学神学部特別講義『現代における福音派の神学』において、
導入的、輪郭的、エッセンシャルなかたちでお話しした講義の「続編」的
な位置づけで、どうしても詳しく掘り下げていかなければならない事柄とし
まして、『春名純人著作集』研究があります。
それは、哲学者カントを起点とします「近代的思惟」によって規定されている
近代神学・新近代神学」、つまりリベラル派の近代的プロテスタント主義と、
聖書を絶対的規範として福音主義諸信条に基づく「聖書的思惟」によって
根本的に規定されている福音派の歴史的プロテスタント主義の前提主義
(presuppositionism)%Iな研究の重要性です。
関学の講義のときでも、原理的にしか触れることができませんでした。
いろいろと熱心な質疑もあったことでもあり、このホームページ上でそのあた
りを詳しく記述することで、その質疑へのレスポンスの一助としたいと思い
ます。
6/26 ALCOE '06 アルバム
アジア・ローザンヌ宣教会議のスナップ写真のアルバムを掲載しています。
会議のレポートのページ等もいれて、編集したかったのですが、時間が
ありません。そのままにしておくのも、もったいないのでスナップ写真を通して
一週間の会議と交わり、レクレーションの様子をご覧いただけたら幸いです。
6/25 洗礼準備礼拝メモA:我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。
「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。」
新改訳 マタ 11:28-30
11:28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来
なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしの
くびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが
来ます。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。
ある哲学者は、「神は二冊の書物を書かれた。」と申しました。「一冊は、被造物
世界であり、もう一冊は聖書である。」というのです。私たちは、被造物世界の
有り様を通して、神の全知全能であられることを理解します。
しかし、神はどのような人柄のお方なのでしょうか。力があっても恐ろしい人格の
持ち主もあります。私たちは、神の人柄をその御子イエス・キリストを通して知る
ことができます。イエス・キリストを知るには、新約聖書の福音書を読むことです。
心のこもった手紙を読みますときに、書き手の人の心が伝わってきます。誤解が
解けたり、喜びに満たされたり、時には涙を流すことさえあります。太宰治は三年
半をかけて「マタイによる福音書」を読んだとのことです。渇いた心をもって、聖書
を読みますとき、神さまはあなたの心に語りかけてくださいます。聖書を通して、
神さまとの生きた人格的な交わりが、そこにあります。
神はいかなるお方なのか、その人柄は福音書のイエス・キリストのうちに凝縮さ
れています。「人生は出会いで決まる」と申します。あなたも、イエス・キリストとの
深い出会いを経験してください。
6/24 嬉しい悲鳴!
いつもながら、奉仕が終わってからの方が忙しい毎日です。ホームページの編集と、
DVD講義録の編集、そして今回は案内直後から注文が殺到して、マスターDVDの
コピーでフル回転の毎日です。Co-Worker の方には、一段落して心落ちつけてから、
送らせていただきます。しばらくお待ちください。
注文の方、また送りました方から下記のメールいただきました。心のこもったメールに感謝!
「尊いお働きに感謝申し上げます。」
「先生が関西学院で現代福音主義神学のご講義をされたとのこと、メールニュースで
興味深く読ませていただきました。福音派、リベラル派双方にある「隔ての壁」を取り
除いていくための、貴重なお働きだと思います。また、最近の福音派の動向について、
私も学ばせていただきたく存じます。」
「いつも貴重な内容のニュースレたーをお送りいただき感謝です。」
「安黒先生、さっそく受取らせていただきました。
ありがとうございます。力作続きで素晴らしいですね。
今日、郵便局にて振り込みましたのでご確認ください。主にあって。」
6/21 関西学院大学神学部特別講義 『現代における福音派の神学』のDVD講義録案内
スナップ写真のサイトも作成しました。ご覧ください。
関西学院大学での特別講義『現代における福音派の神学』のDVD講義録が
できあがりましたので、案内させていただきます。(講義の著作権につきましては、
関西学院大学神学部事務室から、講演者に帰属するとの了解を得ています。)
関西学院大学 神学部 特別講義 DVD講義録(90分)+レジュメ(23p、簡易製本)
テーマ:『現代における福音派の神学』
レジュメ:パワーポイント・スライドの詳述版・参考文献リストつき
価格:DVD1500円+レジュメ330円+エクスパック送料500円=2330円
希望者は、aguro@mth.biglobe.ne.jp に「関西学院大学 神学部
特別講義 DVD講義録+レジュメを送ってください。」とメールください。
注文後、マスターDVDよりコピーし、レジュメを印刷・製本し、エクスパ
ック500で送らせていただきます。郵便振替用紙を同封しますので、
到着後一週間以内に、
郵便振替口座番号:
01110-0-15025 加入者名: 一宮基督教研究所
にお振込みください。
主要参考文献
『総説 現代神学』熊澤・野呂編、「現代における福音派の神学」宇田進
『キリスト教神学』第一巻 ミラード・J・エリクソン著、安黒務訳
『キリスト教の将来と福音主義』アリスター・マグラス著、島田福安訳
『哲学と神学』春名純人著
今回の講義は、関西学院大学神学部の「専門専攻科目」の『現代神学の諸問題 A』
の「現代アメリカ神学の冒険」【春学期週二時間 二単位】担当者:栗林輝夫教授
【講義目的】
現代のアメリカ神学の最新情報を紹介する。60年代以降、アメリ
カのキリスト教はダイナミックに展開する社会を反映して、いっそう
多元的になりつつある。この講義ではとくに「アメリカ的」な諸潮流、
ポストモダン神学、ポストリベラル神学、修正主義神学、「神の死」
神学、フェミニスト神学、宗教右派神学などを概観する。
【教科書】
栗林輝夫『現代神学の最前線(フロント)−「バルト以後」の半世紀
を読む』新教出版社
上記の講義スケジュールの中で、「第11項 福音派神学とエヴァンジェリカルの伸
張−リベラル崩壊後の戦略はどこに?−」の講義予定に関して、栗林教授は
「福音派の重鎮である宇田進先生の指摘(『キリスト教神学』の監修者の言葉の
中で言及されている)によれば、『関西学院の栗林輝夫先生と同志社の森孝一先
生の福音派理解≠ノは、ファンダメンタリズムと関係理解に混乱があり、誤解と
偏見がある』との評価があるので、この章に関して、福音派の中の適切な先生に
一度お聞きしたい。」ということがあったとのことでした。
私自身の中にも、宇田先生のような見方がありましたので、栗林先生から「『現代
における福音派の神学』というテーマで講義をお願いしたいのですが?」との依頼
を受けましたとき、意外な印象を受けました。ただ、「現代における福音派の神学」
について、母校の大学で、またリベラルな神学部で紹介の時が与えられるというこ
とは、大変光栄なことと思いましたので、講義日程の都合のつく日時に引き受けさ
せていただきました。
わたしの栗林先生についての印象は、「大変謙遜な先生だな。」というものです。
栗林先生の書籍も十冊程度入手しまして、栗林先生からも学ばせていただきました。
基本的なスタンスとしましては、解放の神学′nの神学者だと思います。米国
のバルト以後の半世紀の研究を手がけられる関係等もあり、アメリカの宗教右翼の
研究を手がけられたということのようです。ですから「福音派に関しましては、学ばせ
ていただきたい。」という謙遜なスタンスの持ち主という印象を持ちました。「関西中心
の「日本福音主義神学会西部部会の春期と秋期の研究会議にも、オブザーバー
として出席させていただきたいので、案内をください。」とのことでした。
私自身の重荷としまして、神学部の20名前後の出席者(将来の日本基督教団を
担っていかれる教職者予備軍)に「現代における福音派の神学」について正しい
理解を深めていただくということとともに、現在日本のリベラル派のキリスト教会に
影響力をもっておられる栗林先生等に「現代における福音派の神学」についての
バランスのとれた理解をもっていただきたい、ということが主眼でした。
「現代における福音派の神学」についての講義、ディスカッション、諸資料、文献紹
介等々を心を開いて受けとめてくださっていましたので、その目標はある程度達成
されたと思い、感謝しています。
今回は、約10万円くらいをかけて、ファンダメンタリズムとエヴァンジェリカリズム関
係の洋書を世界各地から収集し、研究してまいりましたので、今回の特別講義は、
わたしの「福音主義神学研究」の新たな扉を開く出来事であったように思っています。
今回の特別講義は、DVD講義録としてお分かちしていきますが、それとともに、
今回かなりの時間をかけて集中して取り組みました「現代福音主義神学研究」は、
一宮基督教研究所・生駒聖書学院・福音主義神学会西部部会研究会議とともに、それ
らの守備範囲を越えて、用いられていくのではないか、そのような予感がします。
どのような展開になるかは、わかりませんが、宇田先生から学んだ福音主義神学の
神学的座標軸≠ヘ、エリクソン神学において、さらに広範囲な組織神学的展開を
教えられてきました。私はエヴァンジェリカルな神学≠フエヴァンジェリストのひとり
として導かれているのかもしれません。その前途のためにお祈りに覚えてください。
6/21 to My Co-Worker
昨日は、関西学院大学の神学部に、『現代における福音派の神学』の特別講義に、
行っておりました。四月から続いていました一連の集中講義や諸会議のスケジュ
ールを大きな祝福のうちに終えることができたことを大変感謝しております。
お祈りに覚えてくださった方に心よりお礼申し上げます。
今回の母校の大学での特別講義は特に感慨のあるものでした。夢に描くことは
ありましても、「本当に関西学院大学で講義する栄誉にあずかれるとは…!」
信じておりませんでした。
今ひとつ、心に浮かぶ聖句は、「私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて
豊かに施すことのできる方に、…栄光が、世々にわたって、とこしえまでありま
すように。」(エペソ 3:20,21)です。謝々!
6/18 洗礼準備礼拝メモ@:我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。
中国人の求道者の方がおられますので、日中バイリンガル礼拝です。
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」
創世記1:1「太初、上帝創造天地。」
=「初めに、神が天と地を創造した。」
ローマ書1:20「上帝那看不見的特性。就是他永恒的大能和神性。其實
従創世以来都看得見。是由他所造的萬物来弁認出来的。」
=「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、
世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっ
きりと認められる。」
Uテモテ3:16「全部聖経是受上帝霊感而寫的」
=「聖書はすべて神の霊感による」
クリスチャンの兄弟の奥さんが、中国の方で求道し洗礼を希望しておられますので、
キリスト教信仰の基本的な事柄を簡潔に理解していただき、洗礼式に備えたいと思っ
ています。
芸術作品を通して作者が理解できるように、被造物世界を通して創造者で
ある神さまを理解することができます。精密な時計をみますとその背後に人
間の存在をみます。天体の正確な運行をみますとそこに創造神をみます。
マクロの世界のみならず、ミクロの世界、DNAの中に、遺伝子の設計図を
みます。
中国に二人の娘さんを残して来日されているお母さんにとっては、手紙は
心通わせる大切な手段のひとつです。娘さんたちは、手紙を通してお母さん
の心に溢れているものを理解できるでしょう。同様に、聖書は天の神さまか
らの手紙のようです。1600年間かけて40数人の手を経て、人間の手によ
って編集され、文書化されましたが、その著者は神さまです。それは、オー
ケストラの演奏に似ています。多くの種類の楽器と演奏者がいますが、指揮
者はひとりです。個々の演奏者が楽器を演奏していますが、それは指揮者
によって統率されて、ひとつの曲がかなでられ、聴衆を感動の世界に引き込
んでいきます。天高く、私たちを超越しておられる神さまは、心のこもった手
紙を人間の手を経て書き届けられました。それは、暗闇の世界に生きる私た
ちに差し込む一条の光です。
6/14 昨日は…!
昨日は、一宮基督教研究所に講義に出かけておりました。一年生は、『キリスト教神学』
の要約版である『基督教教理入門』の第1章「神学の性質」と「神学の方法」を学び
ました。二・三年生は、同様に第28章「聖霊の人格」,29章「聖霊の働き」を学びま
した。
特に、聖霊の今日的働きにおいては、さまざまな議論について、歴史的経緯を説明
しました。20世紀初めのペンテコステ運動、中期のカリスマ運動、後期の第三の波
の運動について、「聖霊のすべての実と聖霊のすべての賜物」を求めることを求めた
ローザンヌ誓約と「聖霊論に関する継続会議であるオスロ会議」において「世界宣教
の包括的視野から聖霊の働きの多様性を認める」とのレポートについて、等々。
聖霊論に関する、さまざまな出来事の節目を画する重要参考文献の紹介と私の作成
してきました論文・論稿の紹介等々。充実した一日でした。もしゆるされましたら、徹夜
で講義をしてしまいかねない勢いでした。聖霊論に関しましては、三百冊以上の和書・
洋書を蔵書として所有しております。貴重な溢れるほどの内容を、選択的にエッセン
シャルに語ることは、容易なことではありません。ただ、主は語りかけてくださり、神学
生ひとりひとりに、それぞれのこれからの学びの指針と方向性を提供してくださった
ように思います。「何を、いかに、どの程度話すべきか。」それは、教える者として、
いつも心のうちに抱いている課題です。
朝、昼、夜と講義しましたので、少しハイ・テンションとなり、なかなか寝付けませんで
した。いつものように、クラシック音楽を高性能イヤ・フォーンで聴きながら眠りにつきま
した。ただ、蒸し暑く寝苦しくて夜半に目が覚めてしまい、来週の関学神学部の講義
の下準備にと、アリスター・マグラス著『キリスト教の将来と福音主義』を丁寧に読み通
すことにしました。深夜というのは、読書にひたるのに最適な時間帯だと思いました。
二時間ほどで読み通しましたら、読み疲れて、その後は眠りに入ることができました。
米国と英国の福音主義の動向について、思いを潜めながら…。
次週の奉仕のためにお祈りください!
6/11 教理的礼拝説教メモ
使徒行伝
8:35 ピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
8:36 道を進んで行くうちに、水のある所に来たので、宦官は言った。「ご覧なさい。
水があります。私がバプテスマを受けるのに、何かさしつかえがあるでしょうか。」
8:37 そこでピリポは言った。「もしあなたが心底から信じるならば、よいのです。」
すると彼は答えて言った。「私は、イエス・キリストが神の御子であると信じます。」
8:38 そして馬車を止めさせ、ピリポも宦官も水の中へ降りて行き、ピリポは宦官
にバプテスマを授けた。
この箇所には、洗礼の意味・対象・様式への言及があります。
新生の手段としての洗礼ではなく、「イエス・キリストへの明確な信仰の
表現」としての洗礼である。
幼児洗礼とか成人洗礼ということではなく、「信仰者の洗礼」である。
洗礼には、水が使用されている。滴礼か浸礼か、明確ではないが、
ローマ書の解説からして、信仰内容である「キリストとともなる死・葬り・
復活をもっとも美しく表現する浸礼形式」がベターであるだろう。
聖書学校において、「組織神学」の講義をしています。その講義の中でアドバイス
していますことのひとつに、「組織神学」で学んだ内容をアレンジして「礼拝説教」
の中に、隠し味として織り込んでいくように、ということがあります。私自身は、
そのようなかたちで「礼拝説教」を常に教理的な味わい≠フあるものにする
ことを目指しています。神学生たちの「教理的説教」への励ましになることを
念頭に、私自身の教理的説教のメモを少しずつ書きとめていきたいと思います。
6/10 JECの歴史と神学についての講演
日本福音教会(Japan Evangelical Churches)のDブロックのT先生から、
「JEC拡大教職者会を10/3に関西学院大学同窓会館で開催しますので、
JECの歴史と神学についての講演をお願いします。」と連絡がありました。
「JECの源流と歴史的遺産」につきましては、すでにJECニュースに一年間
かけて連載させていただいたものがあります。また、すでにJEC正教師・
補教師セミナーや西宮ECや奈良ECのセミナー、KBIアイデンティティに
関する特別講義においても、講演させていただき、すでに聞いておられる方
もあるかと思いますので、「JECの組織神学的ルーツとアイデンティティ」に
ついて、ここ50年間の「JECの福音理解のあり方」を、エリクソン著『キリス
ト教神学』における理解と対話させるかたちで、次の50年間に向けての
JECの組織神学的アイデンティティを模索する機会となればと考えています。
JECとKBIの流れには、「十字架と聖霊、そして宣教」というすばらしい特徴
があります。ウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』で描写されている
“Normal Christian Life”とJ・ハーバート・ケイン著“World
Christian”で描写
されている“World Christian Life”の二つの特徴です。それらのすばらしい
特徴を継承・深化・発展させていくことがひとつの課題だと思います。
もうひとつは、歴史神学的視点と組織神学的視点から、JECの源流と歴史
的遺産をみていきますときに、課題にも目を留めることが大切と思っています。
それは、16世紀の宗教改革の遺産を体系化しました17世紀の正統主義神学
の後に、18世紀の啓蒙思潮の時代、その流れに適応・適合の道を歩んだ
19世紀の自由主義神学、20世紀の新正統主義神学の展開における戦い
の中で、形成されていったファンダメンタリズム(根本主義)の内包する課題
のことです。20世紀の多くのバイブル・スクールは、このファダンメンタリズム
の影響を受けており、JECとKBIも同様の影響下にあると思います。
そのような中で、いろいろな名前で呼ばれていますがリフォーミング・ファン
ダメンタリズム(根本主義の修正)の流れが生起してきました。現在では、
エヴァンジェリカリズム(福音主義)と呼ばれている流れです。JECは、摂理
により、その名前の真ん中にエヴァンジェリカル≠置いています。
私は、歴史神学また、組織神学を教える教師のひとりとして、所属している
JECまたKBIの流れの内包している神学的課題のひとつひとつに丁寧に
取り組んでいきたいと願っています。ドイツの大統領はナチス問題を抱える
ドイツ国民に対して「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる。」と語り
掛けました。私はJECとKBIの流れに属する人々に、宗教改革、正統主義
神学以降の神学の流れに目を開き、現在のリフォーミング・ファンダメンタリ
ズム(根本主義の修正)≠フ流れの中に身をおいて、最近の課題と傾向を
直視できるよう、神学的な手助けをすることができたら幸いと思っています。
エリクソンが来日講演しましたときは、同じ関西学院大学同窓会館にて、
午前をエリクソンが講演し、午後の時間に私が、エリクソン著『キリスト教神学』
の神学方法論を、JECの脈絡に適用して「JECの神学方法論」、菅神学生の
聖化論に関する論文に関連して「JECの聖化論」について、解説的な講演を
させていただきました。ただ、そのときの反省としましては、「神学校の講義の
ように話してしまったかな。」ということがあります。今年の秋の講演では、
もっと噛み砕いた内容を、JECの今日的脈絡に密着したかたちで提供してい
かなければならないと思っています。つどってくださった牧師・伝道師・宣教師
ご夫妻に、「バッハやモーツァルトの音楽の流れている雰囲気のあるレストラン
で御馳走を召し上がっていただいた」そのような印象の残る教職者会でなければ
ならないと考えております。フルコースのフランス料理の食材を仕込むシェフの
ように、余念なく準備に取り掛かりたいと思っています。お祈りください。
6/9 “Don't Worry about it !”
“Great Smile !”ですか、次は是非そのような笑顔をみせていただきたい
ですね。
「大地が癒されるときがくる」という話を聞いたことがあります。
今回の奉仕は、関係が癒されることにより、大地が癒され、
神さまが閉ざされていた門を開いてくださった結果なのかも知れません。
そのような気がします。今や同じ道をつき進む同労者に、心より謝々!
6/6 「水彩画のギャラリー」のページを作ってみたいですね!
生駒聖書学院に一泊二日で集中講義に来ています。講義は午前中のみで、
一日目は『キリスト教神学』で、「神学入門」と「神学の性質」について学び
ました。午後はいつものホテルに移動し、軽い昼寝をした後、明日の講義の
準備にかかります。夕方は、散策をかねて近くのイトーヨーカドーに買い物に
出かけます。パソコンのアダプターが断線しているようなので、アダプターを
購入しました。また、バッハのCD、水彩画の本、画材等も購入しました。
学生時代に油絵を描いていましたが、イエス・キリストを信じたときに、「それ
まで価値あるとしていたことをちりあくたのように」というパウロにならって、
すべてを捨てていたのですが、最近は文化や芸術の大切さも知るようになり
ました。また、時間をみつけて、いつでも描けるように画材とスケッチブックだけ
でも揃えておこうと思った次第です。いいものが描けましたら、ホームページの
中に、「水彩画のギャラリー」のページを作って、またみていただけたらと思って
います。明日は、『福音主義神学(歴史神学)』と『比較宗教学(宗教の神学)』
の講義です。お祈りください。
それと、朗報としましては、ホテルの部屋にランの設備が整えられていまし
たので、これからは奈良のホテルでも、インターネットを通しての作業ができ
ます。ありがたいことです。
6/3 F先生よりのメールを紹介させていただきます。
6/2 一宮基督教研究所 組織神学講義 DVD講義録のご案内
キリスト教神学 第六部 『罪論』 60分講義×3回
「罪の性質と起源」「罪の結果」「罪の重大性」の三つの章
の分かりやすい講義です。
キリスト教神学 第七部 『キリストの人格』 60分講義×3回
「キリストの神性」「キリストの人性」「キリストの人格の統一性」の三つの章
の分かりやすい講義です。
キリスト教神学 第八部 『キリストのみわざ』 90分講義×2回
「キリストのみわざへの導入」「贖いの中心的主題」の二つの章
の分かりやすい講義です。
60分講義×3回 or 90分講義×2回
60分講義=1000円と決められていますので、送料・レジュメを
サービスしまして、3000円でお分かちしています。希望者は、
下記メール・アドレスに「…のDVDを送ってください。」
と記述してお申し込みください。申し込み後、編集された「オリジナル・ディスク」から、コピーさせていただき、
「郵便振替用紙」を同封して、郵便局のエクスパック500にて送らせていただき
ます。品物の到着後、一週間以内にお振込みください。郵便振替口座番号: 01110-0-15025 加入者名: 一宮基督教研究所
6/1 関西学院図書室にて、講義資料の収集
今月の関学神学部での奉仕に向けて、準備を始めています。「現代神学の諸問題A:
現代アメリカ神学の冒険」の講義の中で、栗林先生は御自身の著書『現代神学の最前線
(フロント)−バルト以後の半世紀を読む』をテキストにしておられます。その中で「現代にお
ける福音派神学について講義してほしい。」ということのようです。
基本的には、『総説 現代神学』の中で、宇田進先生が「現代福音派教会の神学」について
簡潔明瞭に紹介しておられますので、そのあたりを分かりやすく説明し、質疑応答を受けたい
と考えています。
その論稿を何度も読み返している中で、社会学者のピーター・バーガーの『異端の時代』の
引用で現代意識が詳しく扱われていましたので、KBIの帰り途中に関学の図書館に
立ち寄り、絶版書籍から今回の講義に必要な箇所のコピーをさせていただいたということです。
その後、KGに勤めているT兄とS兄に会い、レストラン・ポプラでドリンクを飲みながら、神学談義
に花を咲かせました。帰り際に、ランバス礼拝堂で聖歌隊が練習していました。30年前の青春に
時計が戻ったような錯覚におそわれました。