ICI日誌

2016/07/08

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 『キリスト教神学』第四巻ついに刊行されました!

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待ちかねていました、エリクソン著『キリスト教神学』の
第四巻が、いのちのことば社から直送されてきました。
そのときのお礼のメールの一部です。わたしの気持ち
を知っていただけたら幸いです。

主の御名を崇めます

『キリスト教神学』第四巻を送っていただきありがとうご
ざいました。なにか、ひとつの大きな事業の完成式典に
立ち会えたようで、大変感激しています。

今後は、エリクソンが取り組んだエバンジェリカル・セオ
ロジーの路線が日本の福音派全体のひとつの共通項と
して広げられていくことに、微力ながら尽力していきたい
と思ってます。

                     安黒 務

第四巻の翻訳を担当してくださいましたのは、仙台バプ
テスト神学校の森谷正志先生です。翻訳ご苦労さまでし
た。また、第一巻から第四巻まで監修してくださいました
恩師の宇田進先生には、あらゆる点において感謝しても
しきれないものがあります。ダビデに対するヨナタンの気
持ちといえば、少し分かっていただけるでしょうか。宇田
先生に出会うことなしに、今日のわたしはないと思います。

 以下、この翻訳事業の一端に関わらせていただいた
喜びを、その経緯もふくめ、ひとつの証しとして書かせ
ていただきます。

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   わたしと『キリスト教神学』との出会い

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3/30

ミラード・J・エリクソン著『キリスト教神学』第四巻、つい
に刊行されました。今日は、まだ乾ききっていないイン
クの匂いのする、待望していた第四巻を手でさわり、
頬擦りし、ページを一ページずつ開いて匂いをかいで
いました。

『キリスト教神学』は、共立基督教研究所に三年間内
地留学させていただきましたときに、その当時の所長
でありました宇田進先生より、じきじきに教えていただ
いたものです。講義が待ち遠しく、教室に入ると、席に
座ると、家内が赤ちゃんのおむつをいれていた象さん
マークのカバンからおもむろに、“Christian Theology”
を取り出し、講義の始まる前から、その時間に学ぶ箇
所を、モーツァルトの音楽に聴き入るかのように、読み
ふけっておりました。講義が始まりますと、宇田先生の
講義を耳で聞きながら、目では“Christian Theology”
のテキストをたどり、多色ボールペンでアンダーラインを
ひいたり、書き込みをしたりしておりました。

いつも思いましたことは、「日本語よりも、分かりやすい
英語だ!」という印象でした。渇いた砂に水がしみこむ
ように、わたしの知性に、いや人格の本質に神学のエッ
センスがしみこんでいくのを感じていました。「人生は出
会いで決まる」といいますが、本当にすばらしい師に巡
り合い、すばらしい書籍に巡り合ったと思いました。そこ
がわたしの人生のいわば、アルキメデス点≠ナあった
ように振り返ります。

共立基督教研究所を修了しますころ、導きを求めて祈り
ました。伝道・牧会の現場に復帰することに責任を感じ
ていたのです。ふたたび、Generalな牧師の道を導かれ
ていくのかと思っておりましたが、神さまはSpecialな神
学教師の道を切り開いて進むように計画しておられまし
た。紆余曲折はありましたが、振り返ってみますと、共立
基督教研究所での学びを終えましたとき、牧師としての
歩み方をささげて、神学教師としてフルタイムの再献身
に導かれたのだと思います。そのときは、なにも見えなく
て、アブラハムのように「行くところを知らずして」、神さま
の用意しておられるフロンティアにすすむことだけが分か
っていました。そのときは、常に安易な道に安住すること
を許されない身であることに「不遇をかこっている」と思い
ましたが…。そうではなかったことを神さまは証ししてくだ
さいました。真実な神は、真実を語り、その真実を人生の
中で実証してくださることを、後に知ることになりました。

その当時、ひとつの御言葉を示されていました。

ルカ

14:28 塔を築こうとするとき、まずすわって、完成に十分
な金があるかどうか、その費用を計算しない者が、あなた
がたのうちにひとりでもあるでしょうか。
14:29 基礎を築いただけで完成できなかったら、見ていた
人はみな彼をあざ笑って、
14:30 『この人は、建て始めはしたものの、完成できなか
った。』と言うでしょう。
 

共立での内地留学を終えようとしていたときに、示された
みことばです。共立の三年間での学びで神学教師として
の奉仕の生涯の基礎を築かさせていただきました。

そこで、オーソドックスな牧師に戻る道筋と、スペシャル
な神学教師としての新しいフロンティアを切り開く道が
見えました。わたしは悩んだ後、第四子に「拓人(フロン
ティア)」と名づけて、後者の道を進みました。困難では
ありましたが、後悔のない祝福の道筋でした。

マタイ

25:14 天の御国は、しもべたちを呼んで、自分の財産を
預け、旅に出て行く人のようです。
25:15 彼は、おのおのその能力に応じて、ひとりには五
タラント、ひとりには二タラント、もうひとりには一タラントを
渡し、それから旅に出かけた。
25:16 五タラント預かった者は、すぐに行って、それで商
売をして、さらに五タラントもうけた。
25:17 同様に、二タラント預かった者も、さらに二タラント
もうけた。
25:18 ところが、一タラント預かった者は、出て行くと、
地を掘って、その主人の金を隠した。
25:19 さて、よほどたってから、しもべたちの主人が帰っ
て来て、彼らと清算をした。
25:20 すると、五タラント預かった者が来て、もう五タラン
ト差し出して言った。『ご主人さま。私に五タラント預けて
くださいましたが、ご覧ください。私はさらに五タラントも
うけました。』
25:21 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実な
しもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私は
あなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜
んでくれ。』
25:22 二タラントの者も来て言った。『ご主人さま。私は
二タラント預かりましたが、ご覧ください。さらに二タラン
トもうけました。』
25:23 その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実な
しもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私は
あなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜
んでくれ。』
25:24 ところが、一タラント預かっていた者も来て、言った。
『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散ら
さない所から集めるひどい方だとわかっていました。
25:25 私はこわくなり、出て行って、あなたの一タラント
を地の中に隠しておきました。さあどうぞ、これがあなた
の物です。』
25:26 ところが、主人は彼に答えて言った。『悪いなま
け者のしもべだ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさ
ない所から集めることを知っていたというのか。
25:27 だったら、おまえはその私の金を、銀行に預け
ておくべきだった。そうすれば私は帰って来たときに、
利息がついて返してもらえたのだ。
25:28 だから、そのタラントを彼から取り上げて、それを
十タラント持っている者にやりなさい。』
25:29 だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、
持たない者は、持っているものまでも取り上げられるのです。


このみこちばも、忘れることができません。通常は「一粒の
麦死なずば」と、自我に死ぬことが祝福の道と教えられる
のですが、わたしはこの箇所から、「一タラントを土の中に
埋めず」と聞き取りました。当時のJECの先生方はいくつ
かの教会を提示してくださり、普通の牧師に戻るように
道を用意してくださいました。しかし、わたしにとっては、
そのように歩むことは「周囲の思惑に配慮して、神学教師
としての一タラントを土の中に埋める行為」のような気がし
たのです。

郷里に帰りまして、小さな開拓伝道にたずさわりながら、
所属団体の神学校で再び教えさせていただくことになり
ました。最初は、宇田先生の『福音主義キリスト教と福音
派』をテキストにして、歴史神学のエッセンスを数年間教
えさせていただきました。やがて、その当時の高橋院長
から、「組織神学を教えてもらえませんか!」と声を掛け
られました。わたしは、そのときに迷うことなくエリクソン著
の“Christian Theology”をテキストとして選択させていた
だきました。それは、その神学校でどのような組織神学書
をテキストとして使用するかによって、その神学校、そして
それにつらなる所属団体、諸教会の群れの神学的体質に
50年間にわたって深い影響を与え続けると確信していた
からです。

洋書しかありませんでしたが、ためらいはありませんでした。
「これしかない!」「これが今日、ベストの組織神学書である。」
との絶対的な確信がありました。洋書を使って教え始めました。
そのときに、アマゾン書店を通して、要約版の“Introducing
Christian Doctrine”があることを知り、さっそく取り寄せました。

内容といい、分量といい、日本の聖書学校では適切なもの
と判断できました。ひと夏かけて、すべての段落のヘッドラ
インを翻訳しました。英語は文頭で結論が明らかになります。
英語の神学書も段落の最初のセンテンスにおいて、その
段落におけるメッセージがかなり読み取れると思っています。

そして、教えているうちに、感じましたことは、講義時間量の
相対的な不足でした。「もっと丁寧に教えたい!」と思います
のに、要点をひろいながら、説明を入れていくかたちで推移
してゆきました。それがとても残念でしたので、「一段落ずつ
丁寧に翻訳し、それを解説していく。」電子メール講義を配信
するようになりました。これは、元々は教えたりなかったと思
いました卒業した神学生たちを「インターネットを通しての継
続神学教育」の中でフォローしていくためのものでした。

しかし、この取り組みは「私の思いをはるかに超えて」、教え子
にとどまらず、教派をこえ、団体をこえ、海外の日本語のできる
人々へと受け入れられていきました。日本各地から、米国、
カナダ、オーストラリア、香港、タイ、シンガポール、バングラデ
ィッシュ、フランス等々から、「電子メール講義」の受講の申し
込み、そしてレスポンスが届くようになりました。

その当時、そのような状況に驚嘆したわたしでしたが、しかし
それは神さまがなそうとされていたことの、ほんの序章にしか
すぎないことを後に知るようになります。(続く)

3/30

3/23 「日本福音主義神学会 西部部会 2006年度 春期研究会議」のご案内

3/18 『千年王国の意味』−ラッドの「歴史的千年王国説」について

3/17  ジョン・マーレー『ローマの信徒への手紙』について

3/16  G.E.Ladd "The Presence of the Future"「未来の臨在」について

3/15 ベスト・モーツァルト 100

3/13 チャイコフスキー

3/10 2006年度の予定表を更新しました。

3/9 テキストにブルーマウンテンの香りが…

今日は、論文指導をさせていただきましたK神学生から送っていただきま
した「ブルーマウンテン・コーヒー」をいただきながら、G.E.ラッドの

  • 第1章「預言的聖書箇所をどのように解釈するのか?」
  • 第2章「イスラエルについてはどうなのか?」

を翻訳・解釈、ページの余白に多色のボールペーンで要点を整理しながら
精読していました。テキストにブルーマウンテンの香りがしみ込んだかも
しれません。耳には、ステレオ・ヘッドフォンを差し込んで、モーツァルトの
調べが流れています。軽快なオペラは神学的思考を刺激し、重たくなり
がちなわたしの思いに翼を与えてくれます。
 

3/7 「アンナ・パブロワ」の生き方から

わたしには、好きなビデオが二つあります。ひとつは、「ゴッドファーザー」
のTUVのシリーズで、もうひとつは「アンナ・パブロワ」というロシア・バ
レリーナの公演・旅行を映画化したビデオです。両者とも、映像と音楽は
ピカいちです。またそのストーリーの中に流れるメッセージも心に響くもの
があります。

「アンナ・パブロワ」は、共立基督教研究所の家族寮で生活していました
ときに、テレビから録画していたもので、かなり映像が汚くなっていました。
そこで、ここ十年くらいいろんなルートを通して探していました。ロシア・バ
レエのDVDもいろいろ集めました。そのような中、ついにそれを見つけ、
昨夜注文しました。

エリクソンは、神学の営みは芸術だと語っています。芸術に親しむこ
とは、神学者にとって大切なことと思います。バルトもモーツァルトの音楽
に親しみました。わたしも、バロック音楽を中心にクラッシック音楽に、また
絵画に映画に、バレエに、いろんな領域で一流の人たちから刺激を受け
ことはわたしたちの召しに対してモチベーションを高めることにつながり
ます。

「アンナ・パブロワ」の生き方は、わたしの目指す生き方と重なり合う部分
をみせられるようで、いつも深い共感をいだきながら見させていただいて
いるのです。
 

3/3 カール・バルトについての資料について

最近、宍粟市一宮町の図書室に行く機会がありました。そして、そこで
「モーツァルト」の伝記を借りて読みました。そのときに、「図書館経由で
日本各地、世界各地からいろんな書籍を借りることができないか。」を
尋ねました。すると「近隣の図書館や県立図書館等からは借りれる。」
ことが分かりました。

それで、夏の集中セミナーのときに、収集しきれなかった

をお願いして、借りることができました。宇田進先生の講義の
中で、「バルト神学」についての入門書として紹介されていた書籍の
中の一冊です。バルト神学からは、学ぶべきポイントと葛藤を覚える
ポイントの両方がありますが、それらのひとつひとつを丁寧に精査して
いきたいと思っています。


3/2 ジョージ・E・ラッドに関する資料について

先日、関西学院大学時代の、絵画部弦月会時代の親友のTくんより、
頼んでいた資料が届きました。G・E・ラッドに関する下記の資料です。

そのときに書きましたことを紹介させていただきます。わたしがラッドを
どのように見ているか、理解していただけると思います。

「内容と概略をおおざっぱに読み通しました。 福音主義にたちつつ、
今日の学問との相互対話を大切にするラッドのスタンスをもう一度
教えられました。また、同じ志をもたれている多くの同僚たる神学
者に囲まれていることを再認識しました。

「ヘブル 12:1 こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように
私たちを取り巻いている
のですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわ
りつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り
続けようではありませんか。」

わたしも同様の志を抱いておりますので、わたしを取り囲んでくださって
いる、この時代のバランスのとれた福音主義神学者たちの文献を効果
的に読み進めてまいりたいと思います。

歴史神学、組織神学の領域は、宇田先生やエリクソンから多くの指針を
得ております。課題としてありました聖書神学部門ではラッドとその周辺
の神学者たちの文献の研究
を深めていきたいと願っています。

神学研究者にとりまして、文献収集はもっとも大切な部分です。
将来、関西学院の図書館にこもって、ネットを通して世界各地の図書館
から文献を収集し、召される日まで、研究生活を続けたいですね。
わたしの夢です。
 

3/1  ジョージ・E・ラッドの著作について

先月は、ジョージ・E・ラッドの著作集を読みふけっておりました。
そのことを記述した“ Monthly ICI ”を配信しましたところ、共立基督教
研究所で学んでいましたときに、家族寮でとなり同士でありました、
わたしの尊敬する先生であり、友人である関野祐二先生からメールを
受け取りました。そして、ラッドの著作について記述された論稿のある
サイトの紹介を受けました。その内容はわたしがめざし、取り組んでいる
ものと同じでしたので、ここに紹介させていだたきます。