ICI ホームページ表紙 9.終末論のゆくえ 1.教義学の「笠石」 2.19世紀−脱終末論 3.20世紀−終末論の復興 4.新しき視点と危機感覚 5.先駆としてのカント主義 6.実存集中 7.歴史感覚と救済史 8.未来感覚と歴史の神学 9.最後の審判と刑罰 10.嵐の中の刑罰の教理 11.絶滅説と福音派 12.バルトのユニヴァーサリズム 13.全面的ユニヴァーサリズム 14.多元主義的ユニヴァーサリズム 15.第二バチカン公会議後 16.聖書的終末論への礎石
Part 2
第9章 キリスト教終末論のゆくえ?
7.「歴史感覚」と神の救済史
2011/07/19
オスカー・クルマン『キリストと時』−聖書的時間観と歴史観
新約聖書の時間観−永遠は終わりなき時、 but 無時間性ではなく−時と永遠の対立なし
ギリシャ的思惟(特に、プラトン主義)−時を永遠と対置、時間性の呪縛を脱し、無時間な永遠なるイデアの世界≠ノ
聖書−「この世」と「次に来る世」、「今のこの時代」と「後の世」という二つの世
not 時と永遠の対立 but 時の連続
前者−限られた時間の持続 and 後者−終わりなき時の持続
後者−限られた一定の時点をもって開始=キリストの再臨
キリスト教救済史の時間概念−初め(アルケー)から終わり(テロス、世の終わり)に向かう直線的連続的時間過程
現実的な意味での−過去→現在→未来
ブルトマンの「実存論神学」−クルマンの批判
来たるべき神の国の待望→「実存の決断」のもとにたつ
not 時の経過のうちに生起する出来事 but 非神話化
「未来」という言葉−現実的な意味での未来という性格喪失
終末論−「すでに」と「いまだなお」−終末論的待望の弁証法的緊張
「Dデー」と「Vデー」
ブルトマン−not 普遍的終末論の真理契機 but 実存的個体主義的な終末論=「本来的な意味での終末論」の廃棄