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宗教の神学の座標軸
オウム事件に関連して
11/07/19
「オウム事件は既成宗教、殊に仏教の咽喉(のど)元につきつけられた刃である」と瀬戸内寂聴さんが説いている。 また「既成諸宗教は、我が身に火の粉が降りかかるのを恐れ、無関係とだんまりをきめこんでいる」ともいわれる。
このような状況において、ひとつの取り組みであり、諸宗教を評価する座標軸を提供してくれるものがある。それは、今日の神学の動向において注目を集めている「宗教の神学」である。以下、宗教の神学の要点について、その輪郭を描いてみる。
T.宗教の神学とは
宗教の神学とは、「数多くある諸宗教とは一体何なのか」をキリスト教信仰の立場から問い研究する神学である。わが国のキリスト者のあいだにはキリスト教を自分の信仰というすぐれて主体的、実存的な問題との関わりにおいてのみみるという傾向が強く、キリスト教を一つの宗教として客観的、科学的にみるということは何か非信仰的であるとする風潮がかなりみられる。しかし信仰が深く主体的、実存的なものであればあるだけ、信仰のいとなみを宗教学の対象でもある宗教として、いやさらに一つの文化現象として広く客観的、科学的に理解する視点が必要となってくる。そうでなければ信仰はそれこそ主観的、わるい意味での主観的、独善的な独断や熱狂に堕してしまう。
U.神学的視点と社会学的視点
なぜ、宗教の神学が必要か、ということは宗教の神学において神学的視点と宗教学的視点がどのような働きをするかを見ることによって明らかになる。
バーガーは「聖会の騒音」において、神学的視点と社会学的視点の両方をもってアメリカの宗教状況を分析し、発言している。彼にとって神学と社会学は矛盾するどころか、かえって相互補完的な関係にあり、「教会の教理をもつだけでは十分ではない。経験的に存在している諸教会の社会学ももたなければならない。したがって、神学的教理と社会学的診断の間の緊張から、状況に対するキリスト教的視点は出来上がってくる。教理なき診断は諦念に至る。これは悪い。しかし、診断なき教理は、ほとんど幻想に至る。これはもっと悪い。」
「宗教的状況の社会学的分析は、結局は、教会に委任されている神の愛のメッセージ、すなわち福音とは一体何かということをわれわれがより明らかに見るのに役立つ。」と述べている。
事実、バーガーのこの書物はアメリカの教会に役立つ書物となった。すでに黒人牧師マーチン・ルーサー・キングによって開始されていた公民権運動、すなわち人種差別撤廃運動への白人教会の参加と支持を促進する役目をはたしたからである。たとえ毎日曜日、神の愛と隣人愛を説教していても、その礼拝の時間がアメリカ社会でもっとも人種差別が行われている時間であることを、客観的な社会学的データで見せつけられたとき、多くの白人キリスト者は悔い改めに導かれ、そして運動に参加するために立ち上がったのである。今日、アメリカの学校、役所、会社などが人種差別のみならず、性差別もしないで入学や就職させることを
Affirmative Action
と呼んでいるが、バーガーの書物は人種差別に対する批判および抵抗として役立っただけではなく、より積極的な平等共存の確立と形成に役立った。
宗教の神学はどの宗教にも属さないいわゆる客観的・科学的、価値中立的立場からの比較研究をしようとするものではない。はっきりとキリスト教神学の立場からの比較研究である。
V.宗教批判と宗教形成
宗教の神学が志向していることを二つの方向にまとめて要約することができる。第一は宗教批判としての宗教の神学、第二は宗教形成としての宗教の神学である。
宗教の神学とは宗教とは何か、宗教の実態とは何かを徹底的に明らかにする神学である。「批判的に取り組むというのは、宗教を宗教としてのみ扱うことはしない。・・人間のいとなみの全体が、あるいはそこからはらまれる矛盾、よじれ、断絶、痛みが、宗教と呼ばれるものを時として噴出させるのである。だから、我々にとって必要なことは、宗教を宗教として知ることではなく、なぜ、どのようにして、人間が宗教を生み出し、維持してしまうのかを知ることである。」
宗教の神学の第二の課題とは、宗教形成である。宗教をただ否定するだけではなく、宗教の正しい形成をめざす神学である。宗教批判は、正しくない偽りの宗教の批判であるが、宗教形成は正しい真の宗教とは何か、どうしたらそのような宗教は形成されるかを問い答えることである。
以上のべた、二つの課題をもつ宗教の神学がいかにいま必要であるかを示す一つの例として、南アフリカのオランダ系改革派教会の問題をとりあげてみよう。
周知のように南アフリカはいわゆる「アパルトヘイト」の国であったが、その政策を宗教的にも政治的にも支持してきたのが、オランダ系の二つの改革派教会である。これまで何回かにわたって世界改革派教会連盟はその差別政策をやめるように勧告してきたのであるが、その反省のないのをみて、遂に1982年オタワの総会で、その政策を「神学的異端」であると批判し、その会員資格を停止することを決定した「オタワ宣言」を採決した。
このオタワ宣言を支持し、アパルトヘイトを撤廃しようとした南アフリカのキリスト者たち、黒人と英語系の教会の白人たちは、ナチスと戦ったドイツの告白教会のいわゆる教会闘争にならって、南アフリカの教会闘争を展開した。
自分の宗教だけではなく、他の宗教をも研究するとき、宗教として人種および社会階級の問題は無視することができない問題になってくる。たとえばヒンズー教の「カースト制度」が当然問題になってくる。
↑
神学的規範度
B規範は厳格で @しっかりとし
あるが、社会性 た規範があり、
日常性に欠ける 社会性もある宗
宗派 派
← 反社会性 + 社会性
→
C規範はないに A規範はゆるい
等しく、社会性 が、社会には適
にも著しく欠け 合している世俗
る宗派 的宗派
神学的規範の喪失
↓
オウム問題も、宗教の神学の視点から、つまり神学的教理の縦軸と社会学的診断の横軸とから評価できる。
梅原氏の指摘によれば、オウムの教理は仏教、ヒンズー教、キリスト教等の合成であるらしい。しかしそれぞれの宗教にはゆがめてはならない「方程式」ともいえる規範があるのにいとも簡単にそれをすりぬけてしまう「規範喪失の事態」と「アイデンティテイの希薄化現象」が指摘されている。
また、社会学的診断においては、新聞報道等で明らかになってきたところによれば、目的のためには手段をえらばない歴史上類例をみない反社会性をもった犯罪集団であったことである。
私たちは、以上のようなかたちで宗教の神学の視点から諸宗教を評価し、また自分たちの信仰を吟味していくことが必要とされる時代に生かされているのではないだろうか。
「宗教の神学」古屋安雄、ヨルダン社よりの抜粋・編集