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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/06/01-06/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
今月は、M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第四巻の「救
済論」の続きの予定でしたが、三年生の神学生のうたの二人が
「終末論」、それも「ディスペンセーション主義聖書解釈」の
問題を扱うことをしり、急遽「終末論」を先に講義することと
しました。といいますのは、私たちの関係諸団体また諸教会で
は、戦後の宣教師の伝道と教育の中で、ファンダメンタルな福
音理解、そして終末論においては「ディスペンセーション的終
末論」の影響が残っています。洋書の神学書を読める先生や日
本福音神学会の神学研究会議、また福音主義神学誌、そして日
本福音同盟の神学委員会における取り組み、またブックレット
等でも明らかな、諸議論の推移・展開についての情報に目配り
できる学生の場合は、広い視野からの判断が可能なのですが、
「ファンダメンタルな福音理解」や「ディスペンセーションの
終末論理解」に関しては、“鹿を追う者、森を見ず”の状況は
変わっていないのが現実です。
そのために、最終学年の終わりに扱う「終末論」の、“鳥瞰
図”的な視点からの見方を、論文のテーマ、つまり“鹿”を追
いかけて、森の中で迷子になってしまう前に、キリスト教史全
体(歴史神学)、聖書全体(聖書神学)、神学全体(組織神学)、今日
の教会への洞察(実践神学)の四つのマクロ的視点から、このテ
ーマの扱い方を学ぶときを持たせていただきました。一年生に
対しても、M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第一巻の「神
学方法論(聖書解釈方法論)」の範疇で、ディスペンセーション
主義聖書解釈方法論の内包する課題を扱いました。
また、秋の日本福音主義神学会西部部会・神学研究会議に向
けて、宇田進先生の「モダニティと現代教義学」の集中講義を
i-podに入れて聴いています。『総説現代福音主義神学』の講義
のような内容です。ポストモダンについての見方についても、
宇田先生らしい物の見方、神学的洞察を教えられます。今日の
“使徒”とか“預言者”とか、新しい運動がまた流行しつつ
あるようですが、私自身の捉え方では、過去・現在・未来を
見通し、真に聖書的な神学的洞察を提供できる人こそ、そのよ
うな“呼称”にふさわしいと思いますが、いかがでしょうか。
あぐろ
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2009.06.28 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい」
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耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい(7節)
自称使徒を試し、偽りを見抜いた。
しかし、あなたがたには非難すべきことがある(2, 4節)
いのちの木の実、いのちの冠を与えよう(7, 10節)
神学書岡山英雄著『小羊の王国』:今年8月に増刷 !
−黙示録は終末について何を語っているのか−
黙示録の幻を解釈するための五つの原則
黙示録の世界からの理解
…幻は、黙示録の中でどのように描かれているのか、
黙示録全体の中で何を意味するのか。黙示録の幻
は、それぞれが緊密に結び付けられているので、個
々別々ではなく、黙示録全体の構造から解釈される
べである。
聖書の世界からの理解
…幻は、聖書全体、旧約や新約の他の文書との関係
において、何を意味するのか。黙示録は、旧約のさ
まざまな幻を用い、それらを「小羊」キリストの新しい
光の中で、統合している。それゆえ幻は、創世記、
出エジプト、旧約の預言書、そしてイエスやパウロ
の終末論などとの関係の中で解釈されなければなら
ない。
歴史的状況からの理解
…幻は、どのような歴史的状況の中で書かれたのか、
執筆された当時の、一世紀のユダヤ社会、ローマ
帝国において、何を意味するのか。最初の読者は
どのように幻を理解したのか。
未来の来臨からの理解
…幻は、キリストの来臨に関わる未来の出来事の予言
として、何を意味するのか。
現代の世界からの理解
…幻は、私たちの生きる現代において、何を意味する
のか。
これまで、@からCのプロセスを経ずに、いきなりDの現代
における適用が論じられ、そのために終末論の議論が混乱
することが多々あった。@とAとは、聖書の統一性に関する
ものであり、BCDは、過去、未来、現在という時間性に関係
するものである。(『小羊の王国』pp.66-68)
神学書:エリクソン著『キリスト教神学』第四巻
「神学者、牧師が終末論をどう扱っているかを調べると、二つ
の対照的な傾向が見られる。一方に終末論への没頭がある。
神学的に保守的な人たちはこの主題に非常な興味を強調して
きた。ある牧師が毎週日曜日の夜、ヨハネの黙示録からの説
教を19年間行ってきたという報告がある!終わりの時を詳しく
描いた図表を用いて、教えを増大することもある。現在の政治
的、経済的出来事、特にイスラエル民族に関係したことが、聖
書の預言と同一視される。その結果ある説教者たちは、一方
の手に聖書を、もう一方に新聞を持っている姿で風刺漫画に
描かれる。ハル・リンゼイの『地球最後の日』は、この手の
“終末論狂い(エスカトマニア)”の注目に値する例である。」(pp.353-354)
近年では、ティム・ラヘイ著『レフト・ビハインド』も同類の著作
である。フラー神学校の新約神学教授のジョージ・エルドン・
ラッドは、上記の岡山英雄師の視点をもった多くの著作集を
書き記した。このあたりの神学資料を日本の福音派諸教会の
ために、翻訳・消化して流していくことは大切な使命だと思う。
この黙示録講解説教シリーズでも、岡山師の論文と著作ととも
に、ラッドの著作集、とくに“A Commentary on the Revelation of John”
を参考にしていることを書きそえておきたい。来年、岡山英雄
師が出版予定されている『黙示録注解書』は、ラッドの注解書
をベースにしつつ、ボウカム師の視点や日本というコンテキスト
を視野に入れた豊かな注解書になるのではないかと大いに
期待している。まさしく、「耳ある者は、御霊が諸教会に言わ
れることを聞きなさい」という内容である。
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2009.06.25
一宮基督教研究所
−今、“カデシュ・バルネア”に立って、終末論・黙示録を望み見る−
新版「千年王国と大患難の見方」DVD講義録
180分集中講義:3000円(税込・送料込)
主要資料:岡山英雄著『患難期と教会』
参考資料:エリクソン著『新福音主義神学』、岡山英雄著『小羊の王国』、
関野祐二著『原理主義と福音主義』、A.マクグラス著『キリスト教の将来と
福音主義』、改革派世界会議終末論研究委員会報告『改革派の終末論』、
J.マーレー著『ローマ信徒への手紙』、エリクソン著『キリスト教神学』第四
巻、C.バス著『ディスペンセーション主義の背景』、R.クラウス編『千年王国
の意味:四つの見方』、S.ガンドリー編『携挙に関する三つの見方』、他
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6/24、一宮基督教研究所で「終末論」で意見の分かれる
テーマである「千年王国と大患難」について学ぶ時を
もちました。昨年までは、エリクソン著『キリスト教神
学』第四巻中心でしたが、今回は岡山英雄論文『患
難期と教会』の資料にそって学び、その中にエリクソ
ンやラッドの著作集や関連諸資料を挿入していくか
たちとさせていただきました。
一世紀から三世紀までの「大患難後・歴史的千年王
国前再臨説」が、四世紀のコンスタンティヌス帝の
「キリスト教公認」以後、地上における千年王国完成
が視野に入る「千年王国後再臨説」に変わっていく
経緯がよく分かります。
また、リベラリズムによる旧約預言の「極端な象徴的
理解」に対する反動として、19世紀の英国のJ.N.ダー
ビー牧師による“ディスペンセーション主義聖書解釈”
が生まれ、聖書、特に旧約預言の「極端な字義的解
釈」の結果、旧約におけるイスラエルに関する預言
は、すべて「民族としてのイスラエル」に対する預言
である解釈し、「イスラエル民族とキリスト教会」を
峻別し、終末論理解また黙示録解釈を「神の二つの
民、神の二つの計画」とする聖書解釈のあやまちに
陥っていった経緯が教えられます。
1955年のダラス神学校の校長ワルブードとフラー神
学校の新約神学教授ラッドの有名な論争の後、この
テーマで多くの出版物がだされていきます。歴史は
流れ、ダラス神学校のディスペンセーション主義は、
古典的ディスペンセーション主義→改訂ディスペン
セーション主義→プログレッシィブ・ディスペンセー
ション主義と変遷していきました。
そして、ダニエル・フラーという神学者は、これらの
経緯を振り返って、「ダラス神学校は、1955年に
ラッドが立っていた場所に、2000年になってようやく
追いついた」と書きとめています。
私は、この文章を読みましたときに、民数記13:25を
思い起こしまた。「四十日がたって、彼らはその地の
偵察から帰ってきた。」この後、カレブのすすめに
従わす、イスラエルの民は約四十年間荒野を放浪
することになるのです。
歴史には、「もしも…」という言葉は禁物といわれま
すが、「もしも、ワルブードが、ラッドと真摯な対話を
重ね、半世紀前にラッドの立場の“聖書的”である
ことを確信するに至っていたら…」その後の歴史は
どのように展開していだろうと。
そして、半世紀を経て、終末論また黙示録に関する
書物としては、ディスペンセーション主義の書物と
改革派系の書物しかない日本の出版界に、両極
を避け、穏健で中庸な、エリクソン著『キリスト教神
学』第四巻が出版され、「大患難後・千年王国前再
臨説」の立場を日本語で読めるようになりました。
また、同じ立場の岡山英雄論文『患難期と教会』は
日本福音主義神学会の下記サイトに公開掲載され
ています。
http://www.evangelical-theology.jp/jets-hp/jets/paper_in_printable/031-2_in_printable.pdf
またエリクソンやラッドの立場に立った黙示録講解
書である岡山英雄著『小羊の王国』は、この八月に
増刷されます。また、来年に向けてこの立場の黙示
録注解書やラッドの終末論の翻訳にも取り組まれ
ています。
こうした経緯をみますと、日本の福音派もようやく、
米国に比して半世紀送れてではありますが、終末論
と黙示録の理解において「カデシュ・バルネア」に立つ
ことになったのだな」と感慨ひとしおです。
一宮基督教研究所でのDVD講義録で、私の所属団体の
JEC教職者に配布を予定しているものですが、希望
される方には、60分1000円の通常価格で、180分です
ので、3000円(送料・税込)でおわけ致します。メール
にてお申し込みください。代金はDVD到着後一週間
以内に、同封します「郵便振替用紙」にてお振込み
ください。
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2009.06.21 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「私ヨハネは、パトモスという島にいた」
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常にいまし、、昔いまし、後に来られる方から(v.4, 8)
私ヨハネは、苦難と忍耐にあずかっている者であり、
パトモスという島にいた(v.9)
七つの金の燭台(教会)の真ん中には、
人の子のような方が見えた(v.12-13)
神学書:岡山英雄著『小羊の王国』
−黙示録は終末について何を語っているのか−
「二十年ほど前のことである。神学校二年の
夏、卒論準備のために終末論に関する文献
を読んでみて、この分野の研究の立ち後れ
を痛感した。そしてこのような脆弱な終末論
に基づいて、果たして教会は、終末の時代
に、本当にキリストの証人として立つことが
できるだろうかという強い危機感を覚え、終
末論をより深く学びたいと願った。…
1996年の夏、牧師を辞し、イギリス・スコット
ランドのセント・アンドリュース大学、ボウカム
教授のもとで博士論文に取り組むことになった。
42歳の私費留学、大きな決断だった。さまざ
まな幻に満ちた黙示録の構造的美しさ、思想
の深さは、筆者を圧倒しイギリスにまで導いた
のである。」(『小羊の王国』「あとがき」pp.235-236)
本日のメッセージの中でも語っていますが、終末論
また黙示録関係の書籍は、和書・洋書を問わず数
えきれないくらい収集してきました。それらを読んで
いて、概要、諸説、議論等々の多くの知識を身につ
けてきました。しかし、今日の教会に対する生きた
メッセージを聴きとることはできませんでした。
そのような中で、岡山英雄著『小羊の王国』は、本当
に素晴らしい本です。黙示録理解の“座標軸”が何
であるのかを明確にしてくれます。それは、「患難と
教会」というテーマです。ディスペンセーション的な解
釈では、「患難期には、教会は携挙されて地上には
いません」ので、そのメッセージは聴き取れなくなります。
しかし、@黙示録全体から、A聖書全体から、B1世
紀の歴史的状況から、C未来の来臨から、D現代の
世界から−包括的視点から丁寧に解釈される中から、
黙示録から今日の教会に向けてのメッセージをさやかに
聴きとることができます。
岡山英雄著『小羊の王国』の助けを得て、私自身が、
ヨハネの黙示録から聴きとったメッセージを、黙示録
講解連続説教として、お分かちしていきたいと思います。
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日本の福音派の「黙示録」理解の決定版 !
岡山英雄著『小羊の王国』
この八月に五百部増刷(第三刷)決定・予約注文受付中!
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それと、2002年に初版、2004年に第二刷が刊行された
後、版元在庫切れの状態でありました岡山英雄著
『小羊の王国』が、この八月に新たに五百冊増刷(第三刷)
されることになりました。私も「委託販売」を依頼されて
います。希望者は、下記の「あぐろ」までメールにて
ご注文ください。若干の送料はかかりますが、この委
託販売に合わせまして、作成します「黙示録講解説教
CD集の中の第一CD」を差し上げます。
書籍は税込定価1890円+送料です。「CD集第一」は、
ICIからの購入者全員に同封して送らせていただきます。
また、岡山英雄先生と同じ立場であるG.E.ラッド著
『最後の事物(終末論−大患難後・千年王国前再臨説−)』
(洋書:現在翻訳中)DVD講義録や
エリクソン著『キリスト教神学』第四巻の「千年王国と
大患難」DVD講義録も販売リストに揃え、紹介させて
いただきます。
岡山英雄先生も記されていますように日本の福音派
諸教会の「終末論」また「黙示録」理解が、「二十世紀
後半、アメリカのファンダメンタリズム運動の特殊な終
末論、“患難期前携挙説”に強く影響されていた」(p.63)、
「前世紀の特殊な“神学”に縛られる必要はない」(p.64)
とありますように、それぞれの教会・教派の良き伝統を
継承しつつ、誤った終末理解、間違った黙示録理解から
解放されるべき時期が来ているように思います。
そのような意味で、「終末論」、また「黙示録」の理解が
より聖書的な方向に改善さされていく、ひとつの資料源
を形成させていただければと願っています。
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2009.06.15 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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G 異なる神学的言語体系間の対話のあり方
聖書解釈の四つの要素
異なる神学的言語体系
パウロの本質化・普遍化
聖霊経験の同心円的構造
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2009.06.14 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「神のみこころに従って、神のご計画に従って」
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私たちは御霊によって「アバ、父」と呼びます(v.15)
私たち自身も、心の中でうめきながら、待ち望んでいます(v.23)
御霊が深いうめきによって、とりなしてくださいます(v.26)
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「神の計画は建築家の設計のようなもの
である。最初は心の中に描かれ、次に
意図とデザインにしたがって紙の上に
描かれ、それから初めて実際の建築に
かかる。」(第二巻、第四部「神は何をなさるのか」p.108)
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2009.06.07 山崎チャペル・一宮基督教研究所
Ichinomiya Christian Institute Chapel Short Message
「聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。その栄光は全地に満つ」
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聖書:090607_yc_ag_旧約聖書イザヤ書6章1-8節
高くあげられた王座に座しておられる主を見た。
ああ、私はもうだめだ。燃え盛る炭が唇に触れた。
誰を遣わそう。ここに私がおります。
神学書:M.J.エリクソン著『キリスト教神学』
「多くの聖書箇所が神の超越性という概念を
主張している。特にイザヤ書はそれを主題に
している。6:1-5には、主が『高くあげられた王
座に座しておられる』と描かれている。セラフ
ィムは神の超越性を示して『聖なる、聖なる、
聖なる、万軍の主』と叫びつつ、『その栄光は
全地に満つ』と内在性に関する言及を付け加
える。」(第二巻、第三部「神はどのようなお方か」p.68)
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ICI for JEC
インフォメーション
090602
エリクソンとラッドの問題意識の背景
―岐路に立つJEC終末論、ディスペンセーション
主義聖書解釈の誤りをいかに認識するか―
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今年の“ICI
for JEC”で扱うテーマは、聖餐論や洗礼論、
また教会政治論あたりかなと書籍収集し、分析研究し、
下準備を重ねてまいりましたが、JECだより六月号で、
JECのよりベターな終末論への選択肢の紹介をさせて
いただいていますので、その方向をさらに詳しく解説して
いくことが良いのではないかと“ICI
for JEC 6-8月号
Summer”を作成させていただき、本日の牧師会にて
配布させていただきます。この資料をより深く理解する
ための情報を、以下に提供させていただきます。
近年のすぐれた福音主義神学の「組織神学」
教科書には、「ディスペンセーション主義聖書
解釈の誤り」という項目が含まれているものが
多くあります。ラッドの著作集やエリクソンの
著作集においても同様です。しかし、日本の教
会の神学教育においては、それらの基本的視点
があいまいなように受けとめています。
神学教育をする基本的視点として、「リベラ
リズム(自由主義神学)に対する反動として、
ファンダメンタリズム(根本主義神学)が生まれ、
その中の特殊な、誤った聖書解釈方法としてデ
ィスペンセーション主義聖書解釈があります。
そのファンダメンタリズム(根本主義神学)が
内包する多くの諸課題の克服を目指して、
取り組まれてきた神学研究と神学教育の流れが
エヴァンジェリカリズム(福音主義神学)と呼ば
れているものです。
ディスペンセーション主義の牙城といわれる
ダラス神学校は前者にあたり、ラッドやエリク
ソンは後者にあたります。その意味で、今後
なされていくであろうJECの牧師会等の話し合
いの予備知識として、下記の資料をお勧めしま
す。
●アリスター・マグラス著、島田福安訳
『キリスト教の将来と福音主義』いのちのことば社、pp.34-59
(内容)
・福音主義と根本主義(ファンダメンタリズム)
・米国における福音主義の公の登場
この箇所を繰り返し熟読されると、今日取り
組まれている神学研究と神学教育、また福音
宣教のメッセージの方向性の鳥瞰図がみえて
くるものと思います。多くの福音派の諸教派
が長い取り組みの後に、ファンダメンタリズム
が内包する問題に取り組み、それらを克服し
つつある中で、一部の特殊なセミナーにおいて
は、ファンダメンタリズムの中の誤った聖書
解釈法であるディスペンセーション主義に逆
戻りする傾向も見受けられます。これは、山
中で暗闇がせまる中、岐路に立ち看板を見誤
り、誤った道を選択することに似ています。
JECも終末論理解において、岐路に立っている
と思います。ここは慎重になって、置かれて
いる状況を正しく、客観的に認識する必要が
あると思います。“ICI for JEC”では、その
ために必要とされる情報や資料をタイムリー
なかたちで提供させていただきたいと願って
います。お祈りください。
* ここでディスペンセーション主義という
場合、古典的ディスペンセーション主義と
改訂されたディスペンセーション主義が
念頭にあり、最近の漸進的ディスペンセーシ
ョン主義については視野に入っていません。
このあたりは今後さらなる研究・検証が必要
とされていると思います。岡山英雄氏論文に
よれば、「漸進的ディスペンセーション主義で
は、大患難前携挙説を不可欠なものとは考え
ない」とのことです。
*参考になるディスペンセーション主義に関す
るサイト
●古典的ディスペンセーション主義 & 改訂版ディスペンセーション主義
http://en.wikipedia.org/wiki/Dispensationalist_theology
…これらの立場では、黙示録四章一節で教会は
天に携挙され、四章以下は地上に残されたイス
ラエルのためのものであるとするが(ワルブー
ド)、現代の主要な注解者で、このような解釈
を支持する者はいない。(福音主義神学31 岡山
英雄「患難期と教会」p.38)
●漸進的ディスペンセーション主義
http://en.wikipedia.org/wiki/Progressive_dispensationalism
★ディスペンセーション問題に関する日本語で、
最良の論文は、福音主義神学31
岡山英雄「患難期と教会」
です。ぜひ、プリントアウトしてお読みください。
また、黙示録の四章以下を「天上に携挙された教会、
地上に残されたイスラエル民族」の視点で読み込む
ディスペンセーション主義聖書解釈ではなく、
黙示録四章以下を「患難の只中で守られる教会」と
いう視点で正しく解釈する「大患難後・千年王国前
再臨説」の立場での黙示録解釈で最良の本は、
岡山英雄著『小羊の王国−黙示録は終末について何
を語っているか−』です。現在版元品切れですが、
八月に増刷されます。ICIは委託販売をさせていた
だいています。現在、注文受付中です。岡山氏の貢
献で、日本の福音派の「終末論理解」、「黙示録解
釈」は、健全な方向に改善されていくものと確信し
ています。岡山氏の取り組みに、ささやかながら
“援護射撃”を行いたいと考えています。
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2009.06.01 Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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F 科学と神学・聖書と宗教
科学と神学の関係
聖書と宗教の関係
キリストの独自性と世界性
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2009.06.01 A
series of Expositions of JEC Confession
What JEC?
−使徒信条に沿いつつ、エリクソン著『キリスト教神学』にみるJECの信仰の特徴−
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E「私は、 罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信じます」
多様性生まれる患難・再臨・千年王国
多様性の中での、より優れた選択肢
根本的に異なる二つの聖書解釈
旧新約の神の民:霊的・本質的一体性
関連聖句全てに最も自然な解釈
【 ご案内 】
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2008.12 ICI Video Lectures 3 Sets
「DVD講義録三点セット」のご案内
*************************************************
ICIビデオ講義録三点セット 発売記念特価:各科目単位 30% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円→39200円
『福音主義神学』770分=12800円→8960円
『比較宗教学』811分=13500円→9450円
発売記念特別価格:三点セット一括購入の場合のみ 50% OFF
『キリスト教神学』3360分=56000円
『福音主義神学』770分=12800円
『比較宗教学』811分=13500円
定価合計82300円→半額41150円
各シリーズの中の資料をカタログに従って、小単位で
分割購入される場合は、定価(60分1000円)です。
ICIビデオ講義録三点セット・チラシ(PDF)印刷可
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2008 Nairobi Statement Set
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