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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2009/09/01-09/30
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
九月に入り、朝夕めっきり冷え込むようになりました。
九月は、神学校で二回の集中講義と月末に向けて、秋期
の神学研究会議の基調原稿の下準備に時間をとっていま
した。集中講義においては、終末論補講として、岡山英雄
論文『患難期と教会』の特別講義の続編として、岡山英雄
著『小羊の王国』の解説講義をしました。そして10/6の牧
師会研修においては、『ディスペンセーション主義聖書解釈
の問題』と題して、C.B.バス著『ディスペンセーションの背景』
にも焦点をあてて、この教えの歴史的背景をも含めて、
この課題に取り組みたいと考えています。
現在、団体と神学校の必要を感じ、黙示録の講解説教
に取り組んでいます。このメッセージは、岡山英雄先生の
論文と著作を通して、私自身が聞きとれるようになった黙
示録からのメッセージの証しです。わたしの所属している
団体と神学校だけでなく、それを超えて多くの教会、クリス
チャンの方々が関心を寄せてくださり、各地の教会で黙示
録の聖書研究が始められていると聞き及んでいます。
岡山英雄先生の優れた取り組みが、いろんなかたちで
実を結んでいくことを祈っています。わたしのささやかな
取り組みもその援護射撃になればと願いつつ…。
あぐろ
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2009.09.27 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「わが民よ。この女から離れなさい」
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一瞬のうちに、大バビロンが倒れた(v1-3)
彼女を裁く神である主は力強い方(v.4-20)
預言者や使徒たちの血がこの都の中に見出された(v.21-24)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.134-149
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.201-210
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.47-52,163-174,199-204
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.235-243
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.338-383
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.283-292
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.961-1012
「大バビロン」は、その巨富にによって、「自分を
誇り」、王や商人たちを富ませるが、最後には
神によって打倒される。「大バビロン」の虚飾の
富によって豊かになった「地上の商人たち」や、
「海で働く者たち」は、彼女の裁きを嘆く。
「ストゥレーノス」(18:3,7,9)という語が好色と贅沢
という二つの意味を持つように、富と淫行、経
済的繁栄と性的堕落とは深く結び付いている。
「大バビロン」は、その富と繁栄によって、全世
界を経済的、文化的に支配しつつ、地の住む
人々を、道徳的退廃へと誘い込む。
この幻が象徴しているのは、一世紀のローマ
帝国の、そして地上のすべての繁栄した国家
の物質的な豊かさと道徳的堕落、すなわちその
経済的また倫理的な側面であり、さらには私た
ちの内に潜む、自己中心的な物欲と肉欲である。
黙示録17-18章の「大バビロン」への裁きの幻
は、バビロニヤ帝国の裁きの預言(イザヤ47章、
エレミヤ50-51章)を原型にしている。バビロン
は「王国の女王」であり、「祝福」「魔術」によって、
国々を欺き、「金の杯」で酔わせたが、その「罪
は天に達し」、破滅は「一日のうちに、一瞬のう
ちに」やってきて、その「裸は現れ」、「火」によっ
て「焼き尽く」される。
神に反逆する国家としてイスラエルを攻撃した
バビロニヤ帝国、繁栄を誇ったツロ、教会を迫
害したローマ帝国、そして終末の「大ハビロン」
は、すべて、富による高ぶり、その結果としての、
淫行と堕落のゆえに、裁かれ、滅亡する。
「大バビロン」による富の蓄積は、単に経済的な
利潤追求の問題にとどまらない。それは真に価
値あるものは何か、礼拝されるべきものは何か
と、私たちに問いかける。
富や物質的な豊かさは、神の祝福の結果である。
しかし富、金、モノに、神以上の価値が与えられる
なら、それは自己の欲望を神とする偶像礼拝と
なる。
「大バビロン」の虚飾の繁栄の内側には、深い
汚れがあった。これに対し、神の都とその民に
関して、強調されているのは、その「聖さ」である。
「大バビロン」の汚れを離れ、「聖く」生きるように
神の民は求められている。
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2009.09.20 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「獣に乗っている大淫婦への裁き」
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大水の上に座っている大淫婦(v.1-6)
七つの頭と十本の角をもつ獣(v.7-14)
淫婦は裸にされ、火で焼きつくされる(v.15-18)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.134-149
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.191-201
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.47-52,163-174,199-204
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.220-234
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.343-344,431-450
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.271-283
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52C”pp.905-961
「大水の上に座っている大淫婦」は、大河ユー
フラテス川沿いに建て上げられたバピロン帝国
の首都「大バビロン」をイメージさせられる。
「女」は、神から離れ文明化されした人間、組織化
された不信仰な共同体を指している。
旧約の比喩は、無礼で偶像礼拝的な世を、売春
婦として描く。ヨハネは、旧約の象徴に沿って再
解釈し、多くの属国を支配する世界規模の帝国
を描きだす。
「女」は、ローマ帝国の首都ローマとも同一視され、
「七つの頭」は「女が座っている七つの山」と説明
される。「ローマの七つの丘」は古典文学でもしば
しば言及されている。
大きな都の象徴的意味は、個々の都を超えたもの
であり、どの時代にもあらわれ、歴史のあらゆる時
代の誘惑の中心地としての世界である。
「淫婦」「バビロン」は、常に「花嫁」「新しいエルサレ
ム」に敵対する。
ローマでは、冒涜的なことが広まっており、全力で
神と敵対するような都であった。
「王たち」は、ローマの皇帝を指す。「五人」は、アウ
グストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、
ネロである。六人目はヴェスパシアヌス、七人目は
ティトゥスである。八人目はドミティアヌスとなり、「再
び現れたネロ」とも言われる。
象徴的表現は、常にひとつ以上の意味をもつ。七人
は、「歴史全体としてのローマ帝国の権力」を表す。
八人目は、皇帝、帝国、象徴のいずれであっても、
七人のうちのひとりと同一視される。七は獣の頭なの
で、悪の根源である獣は、七人それぞれに、ある程度
具体化している。「底知れぬところから上ってくる」獣
の頭であるサタンとの関連も考えられる。
獣はすでに言及された「八人」だけでなく、「十本の角」
「十人の王」がおり、パルテヤの太守のような地上の
王たちが意味されている。
旧約では、売春婦からすべてを剥ぎ取る(淫婦オホリ
バへの罰:エゼキエル23:25-30参照)。バビロン、ロー
マ、そして反神的で不道徳な文明・文化への審判が
予告されている。
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2009.09.15
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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M 聖書は、回心と召命の物語である
聖書は召命の物語
宣教命令と文化命令
個性の多様性に対応
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2009.09.13 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「神の激しい怒りの七つの鉢」
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あなたの裁きは真実な、正しい裁きです(v.1-11)
ハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた(v.12-16)
御座からの大きな声が「事は成就した」と言った(v.17-21)
神学書:
岡山英雄著『小羊の王国』pp.182-184
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.182-190
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.133-137
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of
John”pp.209-219
R.Bauckham“The Climax of Prophecy”pp.2-23
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.263-270
D.E. Aune“Word Biblical Commentary 52B”pp.882-903
三つの審判シリーズ:七つの封印された巻物・
七つのラッパ・七つの鉢の審判は、警告的・救
済的な審判から総括的な審判へと至る。
十字架は、救いと裁き、代償と刑罰、神の愛と
義の二面性をもつ。
出エジプトの十の災いは、イスラエルの民を区
別したように、七つの鉢の裁きは神の民を区別
し、そのただ中で保護する。
裁きは、もはや悔い改めに導くのではなく、その
正反対に獣礼拝に固執するものと結びついていく。
16章から19章の審判は、神を呪って悔い改め
ない者たちの最終的運命、神とその義に逆らい、
獣、偽預言者、バビロン、地上の王たちに象徴
される体制である「政治・経済・宗教」の破壊と
なる。
黙示録における二つの終末的世界戦争は、患
難期末のハルマゲドンの戦いと千年王国期末
のゴグとマゴクの戦いである。それは、地上の
国々の間で行われるいかなる戦争とも異なる
ものであり、天による軍勢と地の軍勢との戦い、
天から白い馬に乗って下ってくるキリストとその
軍勢と獣と地上の王たちの軍勢との戦いである。
戦いの武器は、武力や軍事力、核兵器や生物
兵器以上のものとしての、神のことば・キリスト
の権威による戦いである。
ハルマゲドンの戦いの後、地上のすべての汚れ
や不義、不正、悪は滅亡し、神の義と平和の世
界、キリストとその民との結婚、永遠の歓喜と祝
福がもたらされる。
黙示録には、19章前半にみられるように、花嫁
である教会を迎える花婿としてのキリストの描写、
19章後半にみられるように、悪の軍勢を滅ぼす
神の軍勢の将としてのキリストの描写とが併存
する。
14章16節にみられる大地の収穫と14:17-20に
みられる葡萄しぼりが併存し、前者はあらゆる
国民を悔い改めと信仰に導く教会の忠実な証し
を、後者は証しを拒み、最終的に獣と癒着して
悔い改めず、最終的審判を被る。
それゆえ、獣やバビロンと一体化して、運命を
ともにせず、死の極みに至るまで勇敢かつ忠実
に、イエスの証しをし、召命を全うするよう励まし
ている。
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2009.09.06 ヨハネの黙示録講解説教シリーズ
− エリクソン・ラッド・岡山英雄の立場:
大患難期後携挙・歴史的千年王国前再臨説に立脚した −
「モーセの歌と小羊の歌を歌って」
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神の激しい怒りは窮まる(v.1)
打ち勝った人々がガラスの海の
ほとりに立っていた(v.2-4)
天にあるあかしの幕屋の聖所が開いた(v.5-8)
神学書:
レオン・モリス著『ヨハネの黙示録』pp.178-182
R.ボウカム著『ヨハネの黙示録の神学』pp.130-137
G.E.Ladd“A Commentary on the Revelation of John”pp.203-208
R.Bauckham“The
Climax of Prophecy”pp.296-306
W.ヘンドリクセン著『ヨハネの黙示録講解』pp.260-262
佐竹明著『黙示録の世界』pp.60-72
この章句において、諸国民に向けられた教会の
証しの効果を描くために用いられるのは、新しい
出エジプトのモチーフである。
殉教を通じて天へと至る彼らの道は、紅海を通る
イスラエル人の道にたとえられる。天上の水晶の
海(4:6)は今や神の審判の火と混ぜられる。
彼らは海辺に立ち、ちょうどイスラエルの民がモー
セに導かれて、神によるファラオの軍隊からの
救出(出14:1-15:19)に対して、神をたたえる歌を
歌ったように
歌う。
ヨハネは、出エジプト記15章の讃歌を終末論的
エジプトに関連させて時、明らかに五つの重要な
点を同定した。
神の敵に対する神の強大な審判行為。
これはまた神の民の救済でもある(出15:1-10,12)。
神の強大な審判行為は、異教の神々に対
する神の比類のない優越性を示威した(出15:11)。
神の強大な審判行為は、異教諸国民を恐
れで満たした(出15:14-16)。
それは神の民を神殿へと導いた(出15:13,17)。
歌は締めくくる、「主は代々限りなく統べ治められる」(15:18)。
モーセの歌の意義は、新しい出エジプトの意義の
強調点を、神が彼の民の敵を裁くことによって
彼らを救済するという出来事から、諸国民に真の
神を認めさせる出来事に移すことである。
新しい出エジプトのイメージ表現を用いることに新
鮮な意味を与える。このあらゆる諸国民からの特
別な民の贖いは、それ自体が目的なのではなくて、
それ以上の目的があるのだということが今や判る。
すなわち、あらゆる諸国民に神を認め礼拝する気
にならせることである。小羊の第一段階において、
彼の血の犠牲は民を神のために贖った。第二段
階において、この民は小羊の犠牲に参与し、殉教
を通じて、あらゆる諸国民を神のために獲得する。
これが、神の普遍的な王国の到来の仕方である。
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2009.09.01
Revival Japan : 「宗教的・カリスマ的経験の座標軸」
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L “真正なる自分自身”への召命
聖霊の満たしの目標
受け取る物の本質となる
真正なる自分自身となる
Evangelical Theology , Re-evaluation : in the Bible, Tradition and Culture
1.日時:2009年 11月16日(月)10:00am−5:00pm
2.場所:一宮基督教研究所
(Kansai Bible Institute)
http://www.ICIwave.com/
〒630-0266 奈良県生駒市門前町 22-1 【.0743-70-8600】
3.主題:『“福音主義神学” 再考: 聖書・伝統・文化の中で』
16世紀の「宗教改革」、その遺産を体系化した17世紀の「正統主義神学」の後、18世紀の啓蒙思潮に適応・適合の道を選んだ19世紀の「リベラルなキリスト教」の流れに対し、その反動として20世紀前半の「ファンダメンタルなキリスト教」のあり方があり、それが内包する課題の克服への取り組みとして20世紀中期からの“福音主義神学運動”が位置づけられます。
そして、20世紀末より時代が「ポストモダン」に移行する中、福音主義神学が内包する諸課題の“再考・再吟味”が必要とされており、また神学校では神学教育における新たな“鳥瞰図”、また伝道・教会形成の現場では健全な聖書解釈のための新たな“ガイドライン”が求められています。
今回は、福音派組織神学の大著、M・J・エリクソン『キリスト教神学』を訳され、長年、これに基づいて神学校で講じてこられた安黒務氏に『福音主義神学−再考』討議のための基調講演を、そして金井由嗣氏・坂井純人氏・正木牧人氏の三つの神学校の教師にそれぞれの取り組みを踏まえたレスポンスをお願いしています。そして、フロアーから宣教現場の牧師・教師・神学生等からの自由な質疑がなされます。今回の会議において“ポストモダン時代における福音主義神学のあり方”にそれぞれ方向性を見出すことができたら幸いです。
4.プログラム 司会:午前(安黒氏)・午後(市川氏)
10:00−10:30 開会礼拝:賛美・祈り・歓迎の言葉:大田裕作氏
10:30−12:00 基調講演『福音主義神学−再考』:安黒務氏(一宮基督教研究所)
12:00− 1:00
昼食(近くに食堂はありません。各自ご持参ください)
1:00− 1:40 応答@:金井由嗣氏(関西聖書神学校)
1:40− 2:20 応答A:坂井純人氏(神戸神学館・神戸改革派神学校)
2:30− 3:10 応答B:正木牧人氏(神戸ルーテル神学校)
3:10− 4:30 ディスカッション
4:30− 5:00 閉会礼拝・総括:賛美・献金・総括・祈り:市川康則氏
5.参加費: 無料(自由献金の時あり)