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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール 2007/07/01-07/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます。
今月は、月はじめにJEC〔日本福音教会〕の牧師研修会が
あり、「憲法改訂問題」についての発題と質疑のセミナーが
開催され、その関連の書籍の研究にあけくれていました。
それらの数多くの書籍研究の中から、参考になる文献を紹
介しています。日本人の特徴のひとつとして「のどもと過ぎ
れば熱さ忘れる」というところがあるように思います。戦前
の強制・弾圧等の今日的意味をよく考えることが必要と思
います。安倍政権の方針は、小泉政権からの「新自由主義」
と安倍政権の新しい特徴としての「新保守主義」があるとの
ことですが、「新保守主義」の中身を、歴史的背景から踏ま
えて研究しておかないと、「学校現場」をはじめとして、大変
な事態が起こりつつあるように思います。「学校現場での
強制」は、やかでそう遠くない時に「社会のさまざまな局面
での強制」へと発展していく潜在性を秘めています。それら
のことは「明治・大正・昭和の時代」に起こったことです。
そして、事の本質からして、この問題の行き着くところは
「クリスチャンの信仰の内心の自由の侵害」に至る可能性
をもつ問題と思います。また、広くは国民全体に対する
「基本的人権」に甚大なる侵害をもたらす事柄と思います。
今回の参院選挙の大敗北で、若干のブレーキはかかった
と思いますが、「その政策は国民に支持されている。」と
いう始末です。ナショナリスティックで画一的で、天皇制に
関わる部分では皇室神道との問題を潜在的に内包してい
ます。戦前のクリスチャンは、妥協を強いられていった歴史
があります。戦後のクリスチャンは、それらの歴史的経験を
心に刻み、戦前の反省の上に「内心の自由」を尊重する国
のあり方を人生のさまざまな局面において戦い、守り抜い
ていかなければならないと思います。そのような生き方を
することこそ、「真の愛国心」につながる生き方と思います。
自民党のみならず、民主党の中にも新保守主義の改憲論
者がいますので、選挙においてもクリスチャンの視点から
どのような議員に投票すべきなのかよく考えて投票行動を
とることが求められている時代だと思います。
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2007 Yamasaki Chapel Short Message
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四月より小集会のメッセージの録音を紹介しています。
音楽の部分の録音はよくないのでカットしました。
ショート・メッセージの部分のみの紹介です。
小さな「家の教会」の貧しい説教ですが、関心のある方
は、ご視聴ください。
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2007.07.29 Yamasaki Chapel Short Message
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新改訳 マタ 7:13-14
7:13 狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
7:14 いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Hローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔F〕
堀尾輝久著『日本の教育』【学問・教育の自由】紹介
*************************************************
「教育勅語がつくられ、天皇制教育体制が固まって
いく。…天皇制国家においては、精神の自由という
市民社会のもっとも根源的な自由が抑圧されている、
大きく制約されている、という構造になっているわけ
です。その当然の帰結として、学問や教育の自由は
存在しなかったと言っていいと思います。」
明治時代と今日の時代を比較してみていますと、
「元号、建国記念日、日の丸・君が代、改訂教育基
本法、…」の流れは、精神の自由という市民社会の
もっとも根源的な自由を抑圧する社会を再到来させ
ることはないのだろうかとの懸念を抱かせます。
【学問・教育の自由】
「一般的に思想・信条の自由が明治憲法下でどういう
扱われ方をしたかというと、その二十八条で、信教の
自由というのをいちおう認めているわけです。しかし、
それは『安寧秩序を妨げず、および臣民たるの義務に
そむかざる限りにおいて』思想・信条の自由を認める
ということでした。」
要するに「国体に反するような思想・信条の自由はな
いということですが、この規定にはもう一つ意味が含ま
れていて、日本の国体の弁証〔正統性の論証〕にとっ
て不可欠な神道は『宗教にあらず』ということがあるの
です。」
「神道は宗教ではないから思想・信条の自由の対象
ではない、むしろ、国民すべてが神道の徒でなければ
ならないと説かれていたのですが、このことは天皇制
の国家イデオロギーの一つの重要なポイントです。」
「万世一系の天皇制と不可分に結びついている神道、
この神道は宗教ではなく、日本国民たるすべてが神
道の徒でなければならないということになり、神道の
大本は天照大神ですから、これに対してはキリスト教
徒といえどもすべての者が崇拝の念をもつことを求め
る、こういう構造になるわけです。」
「そのことを逆に言えば、神道は実質的には国家宗教
なのです。『国家宗教』という言葉が使われてもいます。
しかし『神道は宗教にあらず』というフィクションが同時
に用意されている。」
「思想・信条の自由、信教の自由ということをいちおう
憲法に書いているわけですから、もつ神道が宗教の
ひとつであるならば、それを信じるかどうかは自由とい
うことになるわけですが、そうではなくて、神道は国民
すべてがそれに服さなければならないものと考えるか
ぎりにおいて、それは宗教ではないと言わざるをえな
い。」
「そういうフィクションを含んで、ある意味で矛盾を含ん
で、天皇制国家は疑似宗教国家であると言えます。」
敗戦後、日本は「日本国憲法」により「象徴天皇制」の
国家になりました。「天皇主権」から「国民主権」に変わ
りました。「国家神道」は廃止され「国家」と「神道」は
分離されひとつの宗教となりました。人権の蹂躙され
ていた時代は終わり、「人権尊重」の時代となりました。
しかし、法律が変わると国民の意識が一夜にして変
わるということではありません。戦前の考え方が変え
られていくためには、「古い考え方」と「新しい考え方」
との現実の戦いの中で、日本社会の中に実体化され
ていく長い過程が必要とされています。それが幾つか
の裁判闘争の中に明らかにされています。
日本国憲法と教育基本法をもとに、日本の「古い土壌」
が変えられつつありましたのは、戦後十年間ほどでし
た。朝鮮戦争が起こり、反共の防波堤としての役割を
担わされた日本は、再び「古い日本」を大切にする人
々が復帰してきました。
そして、政府の教育政策はそのような方向性をもって
導かれてきました。
「日の丸・君が代」の強制の問題をクリスチャンとして
どう捉えたらよいのか。これが、今回のシリーズの中
心テーマです。この問題に関しては、多様な視点、
多角的なものの見方が必要にされているように思い
ます。つまり、あまり単純ではない、ということです。
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Gローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔E〕
堀尾輝久著『日本の教育』【教育勅語の背景】紹介
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明治政府が「教育勅語」をつくる過程をみていますと、
現在の政権が「日の丸」「君が代」、それ以前からみ
ますと「元号」「建国記念日」、昨年には「教育基本法」
改訂、そして「憲法」改訂の前提としての「国民投票法」
の制定等の取り組みの本質が見えてくるような気がし
ます。
【教育勅語の背景】
「明治二十年前後は、自由民権運動のあと、キリスト
教が入ってきて、他方で儒教的な復古主義的な議論
も盛んに行われたのですから、この時代は世論が非
常に混乱したようなところがありました。」
「政府は、条約改正問題をにらみながら近代的な法体
系をつくらなければならないという課題を負っている。
ヨーロッパのお雇い学者をたくさん呼び、自分たちも外
国へ行って研究しながら憲法をつくり、民法をつくり、
刑法を整えて近代国家の装いをつくらなければならな
い。」
「さらに日本の風物あるいは慣習も、鹿鳴館という
ような形で、文明開化が進んでいるのだとということ
を大きく外に示さなければいけない。しかしそれは伝
統を壊すことになるわけで、これ自体、大変危険なこ
とです。」
「そこで、一方で外向きに前に進みながら、他方で古
い秩序をどう維持するかということが、当時の政治家
たちのいちばん大きな課題だったのです。」
「…当時は憲法を頂点に、刑法や民法など近代的な
法体系が整えられていくわけです。…日本でもフラン
ス民法の思想を軸に民法をつくろう、ということになっ
たのです。」
「ところがこの民法はまさに市民社会の法典です。
それが出てくると、忠孝という伝統的なタテ社会の秩
序を壊すことになる。穂積八束〔帝国大学の憲法学
の初代教授〕はそのことを憂慮して『民法出でて忠孝
滅ぶ』といった。」
「権利を軸にした法秩序は好ましくない、民法はでき
るだけ保守的な形で押しとどめなければいけないとい
うので、民法草案をめぐる議論が激しく行われて、民
法法典はなかなかまとまらなかったわけです。」
「…当時、各県の地方長官〔知事〕会議というものが
何回か行われ…。そこでも国民道徳の混乱について
…なんとか道徳の大本になるようなものがほしい、
という議論が出て、『かくなるうえは教育で始末をつ
ける』という有名な発言が…出てきています。」
「つまり、社会全体としては近代法的な体制をつくら
なければいけない、そこで伝統を維持するために教
育に期待する、ということです。」
「では、国民道徳の機軸になるものをどこに求める
か。それは日本の国体、そして忠孝一本の道徳
が望ましい、ということになるのです。」
「そして教育勅語的なるもの…の草案づくりが始ま
ります。…その草案は、中村正直という啓蒙期に活
躍した思想家と、井上毅という近代官僚の軸になる
人と、そして元田永ざね」という儒学者が関与し、そ
れらの人の合作でできたという経緯が克明にたどら
れています。」
「その教育勅語を、民衆は、天皇が国民のために
下したもうた尊いお言葉である、というふうに受けと
めていたのです。…国民は、天皇の示されたありが
たい道徳律としてそれを受けとめたわけです。」
「なぜ道徳の基準を天皇に求めたか。…修身の教
科書の編纂の責任者だった西村茂樹という儒学者
が…なぜ道徳の根源を天皇に求めることになったか
ということを、次のように回想しています。」
「…ヨーロッパは道徳の基準をキリスト教に求めてい
る。ところでロシヤ帝国は皇帝ツァーが同時に宗教
的な権威をもっている、その体制が非常に参考にな
る、世界無双の大国の中にも政治と宗教との体大権
を一身に集めたものが多い、我が国においては皇室
をもって道徳の源となす、というふうに西村は書いて
いるのです。」
「冒頭に、天皇制国家における天皇の位置を、世俗
の権力の保持者であると同時に精神的権威の体現
者だった、と言いましたが、いまの西村の話に重ね
て言えば、その精神的権威というのは、いうなれば
宗教になるわけです。これを大いに参照しながら天
皇制国家が構築されたということがわかると思いま
す。」
このように見ていきますと、「教育勅語」というものが
天皇陛下からのありがたい「道徳律」ではなく、明治
国家形成のプロセスにおいて、自由民権運動やキリ
スト教的な価値観に歯止めをかけるためにつくられた、
政治的意図をもった「人工的な創作物」であることが
分ります。
江戸時代の幕藩体制から、薩長による明治政府へ
の移行における「天皇」の政治利用がそこにみられ
るように思います。
「…その当時、勅語が出ても勅語がなんだ。大事
なのは法律だ≠ニいう議論が当然あるわけです。」
「それに対してそうではないのだ。勅語は聖者あ
るいは賢者の言葉というようなレヴェルの問題では
ない。天皇の国家大権の行使として出されている
のだ≠ニいうことです。」
「帝国憲法ができ、帝国議会ができて、立法府とし
ての議会が法律をつくるわけですが、その法律とい
うのは時の政治勢力の力関係を反映をしているもの
である、しかし教育や道徳に関するものはそういう
政治勢力によって左右されるものではない、だから
天皇が統括するのだ、という論理構造になっている
わけです。」
「…したがって勅令は法律ではないが、しかし単な
る聖人の言葉ではないのであって、法律的な効力
をもっているのだ、いうなれば勅語は法律を超えて
法的な効力をもっている、超法規的存在なのだ、と
言っているわけです。」
ここの段落は、「…この教育勅語の超法規的な性格
が、戦後改革でどういうふうにとらえられていくのか、
変化していくのか、という問題が残っています。」と
いう言葉で締めくくられています。
改訂教育基本法において、「郷土を愛し、国を愛す
る」心を育てるというソフトな言葉の中に含まれてい
るものは何か。
学校現場のさらなる混乱を無視してまで「日の丸」
「君が代」を強制する文科省が長期的に意図して
いるものは何か。
「日の丸」「君が代」は、文科省がなそうしている事
柄の氷山の一角であって、その水面下にはその本
体が隠されているのではないだろうか。
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Fローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔D〕
堀尾輝久著『日本の教育』【天皇制国家と教育】紹介
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「日の丸・君が代」と「内心の自由」の問題を扱っている
わけですけど、この問題は単に「日の丸」の歴史、また
「君が代」の歴史という表層的な扱いをしますと、国家
神道時代のクリスチャン同様、大変な間違いを犯すこと
になると思います。この問題は、クリスチャンの信仰に
とって最も中心的な部分にふれる問題であると思いま
す。この問題は、「内心の自由」を侵害する問題です。
この問題は、ドイツのワイツゼッカー大統領が申しまし
たように「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目になる」
類の事柄です。
前回は、「明治の前期と後期」から学びました。明治前
期の「自由民権運動」が「国家の権威的な抑圧により
鎮圧」されていく中で「帝国憲法」「教育勅語」がつくられ、
教育を通して「天皇制」が確立させられていくのです。
「天皇制」的なものを中心にして強圧的に国民同化の
プロセスがすすめられ、それらが民衆の信条体系と
されていくために「教育」が用いられた経過を以下にみ
ていくことにしましょう。
【天皇制国家と教育】
「天皇制教育体制の理念やその教育の目的は何だっ
たのでしょうか。また、教育というものはどのように考え
られていたのでしょうか。」
「まず、天皇制国家をどういう精神構造としてとらえる
かということで、…『天皇制国家は、大日本帝国憲法
〔1889年〕と教育勅語〔1890年〕および軍人勅諭
〔1882年〕をその精神的支柱とし、天皇は、統治権の
総攬者、統帥権の保持者として、政治的権力の王者
であると同時に、皇祖皇宗の遺訓に基づく道徳の大本
を指し示す精神的価値の体現者であった。』」
「帝国憲法、教育勅語、そして軍人勅諭。帝国憲法は
天皇の位置を、一つは統治権の総攬者としているの
です。天皇は統治権をもっている主権者である、と。
もう一つは天皇は軍隊の頂点に立ち、軍隊を統括する
力をもっている。これが統帥権です。これを帝国憲法
と軍人勅諭で規定しているわけです。そしてもう一つ、
教育勅語が精神的な領域における権威者としての天
皇を規定しているということです。」
「政治および軍事をとおしてのまさに世俗の権力の保
持者としての天皇が、同時に、国民の精神的な領域
における権威者でもあるということ。世俗の権力と精
神的な権威、この両方をもっているのが天皇制国家
における天皇の位置なのです。…」
「天皇を国民道徳と国民教育の中心に置くという発想
は、明治のステイツマン〔国家をつくった人たち〕の苦
心の策でもあったわけです。」
「明治政府は拡がり盛り上がった自由民権運動を危険
なものとして弾圧し、異端として排除したのですが、
このことは、民権を切り捨て、国権を中心に国民の
統合をはかる道を選んだということであり、その国権
の統合の中心に何をもってくるかというと、天皇を中心
とする国体への共順の念を国民道徳の軸に据えよう、
ということになったわけです。」
後にみていくことになりますが、今日の「教育基本法」
の改悪、「日本国憲法」の改悪を目指している人々の
深層にあるものは、明治国家を築いた人々をひとつの
模範としているように思います。
その方向は、「内心の自由」への侵害をなんとも軽く
みる方向であり、そのことのゆえに多くの犠牲者を
生み出していく道筋であると思います。クリスチャンの
立場からみますと、宗教的な意味での「不品行」「姦淫」
を強要される時代の再到来への危惧であります。
旧約時代においては、ダニエルたちがバビロン帝国で
戦い、新約時代においては、ペテロやヨハネがローマ
帝国の皇帝崇拝強要を予測し、警戒心をといてはな
らないと語りかけているところです。
「内心の自由」の問題は、クリスチャンにとって死活的
重要性をもつ問題であると思います。この問題は、空
気や水などの汚染の問題と似ていると思います。多く
の人にとって多少の汚染は気にもならない事柄です
が、ある生き物にとっては非常に敏感な問題である
場合があります。
すっかりと汚染されて、環境が戻らない状態になって
深刻な事態に気づく人々もあります。そのような意味
で、「内心の自由」の問題に最も敏感なクリスチャン
がこの問題に警鐘をならしていく責任があると思いま
す。
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Eローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔C〕
堀尾輝久著『日本の教育』【明治の前期と後期】紹介
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ここ数週間、堀尾・右崎・山田著「『日の丸・君が代』と
『内心の自由』」新日本出版社、を読んでから、堀尾輝
久氏の記述に深く教えられるものがありましたので、
堀尾氏の著作集を数多く収集し、目を通してまいりまし
た。
それらの著作から教えられたところを、「ローザンヌ誓
約『第13項 自由と迫害』解説の意味」と関連させな
がら、分かち合いたいと思います。堀尾輝久著『日本
の教育』東京大学出版会、の概略は以下の通りです。
【 堀尾輝久著『日本の教育』 】
序:思想の座標軸−現代はどんな時代か
戦後改革をどうとらえるか−その断絶と連続の構造
戦後改革が否定したもの−天皇制教育体制
天皇制教育体制とは
天皇制国家と教育
教育勅語の背景
学問・教育の自由
義務教育の観念
教育行政の特徴
学校制度
改革の過程−憲法・教育基本法の成立
憲法・教育基本法の原理
断絶と連続の構造
改革の主体性と原理の普遍性
改革の参照対象としてのヨーロッパの近・現代
日本の中の自由・人権・平和の伝統
保守的なるものの連続
改革の断行
新学制の発足と新教育
私の戦後史
民間教育運動の展開
国家と教育
国家の復権と教育の再編
教育の正常化と教員統制
教育内容の統制
国民教育運動の展開
教育裁判が提起したもの
経済と教育
経済成長と能力主義
能力主義の問題性
低成長下の教育再編
教育の自由と公共性
教育の自由とは何か
教育の公共性とは何か
学校化社会と学校知をどう超えるか
この著作から教えられたことは、「『日の丸・君が代』と
『内心の自由』」のテーマの詳細です。それらの幾つか
を紹介していきたいと思います。
【明治の前期と後期】
pp.16-17 には、「明治の前期と後期」についての記述
があります。「1890年以降、天皇制国家が確立するわ
けですが、これを区切りとして、時代をその前後に分け
ていいと、わたし自身は考えているのですが、最近出
た丸山真男先生の『忠誠と反逆』〔筑摩書房、1992年〕
という本…の中につぎのような記述があります。」
「天皇制的な『正統性』が原則的に確立したのは、自
由民権運動を強力に…鎮圧した土壌の上に帝国憲法
の発布・市町村制の施行・教育勅語の渙発などが相
次いで行われた明治二十二、三年以降のことであり、
ほぼこの頃から社会的規模で開始された日本帝国的
信条体系への『臣民』の同化過程は、明治三十年代
の中頃までに一応のサイクルを完了する」。
「つまり丸山さんは、天皇制的な『正統性』が原理的
に確立する時期を明治二十二、三年にとっているわけ
です。その前提として、自由民権運動を権力的に抑圧
し、そのうえで帝国憲法をつくり、市町村制を整え、そ
して教育勅語を出した。帝国憲法が明治二十二年
〔1889年〕、その翌年が教育勅語です。」
「ほぼこのころから天皇制的なものを中心に国民の同
化のプロセスが進む。つまり、帝国憲法がつくられ、
教育勅語が出たからといって、それがすぐに民衆の信
条体系〔belief-system〕にはなりません。そのために
こそ教育が使われるのです。…」
私たちJEC〔日本福音教会〕が、「でき得る限り国民の
良心」となり、「為政者たちに神が制定された彼らの役
割を銘記させるつとめ」を果たしていく上で、天皇制、
日の丸、君が代と「内心の自由」の問題の歴史的な背
景に留意することは大切なことだと思います。この問題
は、表層的な取り扱いにとどまらず、深層にふれる取り
扱いを丁寧にすることが、特にクリスチャンにとって重要
なことだと思います。これらの事柄を丁寧に扱うことによ
り、私たちはクリチャンとして生きる、日本という異教文
化のコンテキストの中で、エヴァンジェリカルなクリスチ
ャンとして生きるということは、どういうことなのかを教え
られるように思います。
7/20
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Dローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔B〕
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「ローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説」の中に
以下の記述があります。
「だが、、教会は祈るだけで止まることはできない。それに
加えて教会は、でき得る限り国民の良心にならなけれ
ばならないし、為政者たちに神が制定された彼らの役割
を銘記させるつとめを持っている。
ゆえに、私たちは為政者たちのために神に祈り求める
だけでなく、私たちの為政者たち自身に『思想と良心の
自由を保障するように呼びかける』のである。」
私たちJEC〔日本福音教会〕は、どのようにして「国民の
良心」たりうるだろうか。私たちはどのように振舞うこと
により「私たちの為政者たち自身に『思想と良心の自由
を保障するように呼びかける』」ことができるだろうか。
殉教したキリシタンたち、そして国家神道時代に殉教し
たアジア諸国のクリスチャンたちが、私たちに問いかけ
ているメッセージとはそのようなものではないだろうか。
7/19
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Cローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説の意味〔A〕
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【 ローザンヌ誓約 『第13項 自由と迫害』解説 】
「悪魔は、罪と誤謬とを教会の中に導入するだけでは
満足せず、さらに肉体上の迫害か、もしくは教会の働
きを阻止するための法的規制によって、教会を外側か
ら攻撃する。
ゆえに『自由と迫害』と題する第十三項は、教会と国
家の関係という大変むずかしい問題に勇気をもって取
り組んでいる。
教会と国家はそれぞれに対し果たすべきつとめを持
つことを確認し、特にTテモテ2:1-4 との関連でのその
つとめを解説する。」
新改訳 Tテモ2:1-4
2:1
そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。
2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。
2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
「『神がすべての政府に託されたつとめは、平和と正
義と自由のための諸条件を確保することである。』なぜ
なら、そのようなときに私たちは『敬虔に、また、威厳
をもって、平安で静かな一生を過ごす』〔二節〕ことが
できるからである。
そのような状態において『教会は神に従い』(敬虔に)、
主キリストに従うことができ〔コロサイ3:24、『イエスを主』
と告白したキリスト者はだれも『カイザルは主である』と
宣言できない-マルコ12:17 参照〕、『干渉を受けること
なく…福音を宣べ伝えることができる』〔三、四節で暗
示されている。使徒4:19,5:29 参照〕」
新改訳 コロ 3:24
3:24 あなたがたは、主から報いとして、御国を相続させていただくことを知っています。あなたがたは主キリストに仕えているのです。
新改訳 マコ 12:17
12:17 するとイエスは言われた。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」彼らはイエスに驚嘆した。
新改訳 使 4:19
4:19 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、判断してください。
新改訳 使 5:29
5:29 ペテロをはじめ使徒たちは答えて言った。「人に従うより、神に従うべきです。
「他方、教会は国家に対し責任を持っている。特に『国家
の為政者たちのために祈る』責任を持っている〔一節〕。
だが、、教会は祈るだけで止まることはできない。それに
加えて、教会は、でき得る限り国民の良心にならなけれ
ばならないし、為政者たちに神が制定された彼らの役割
を銘記させるつとめを持っている。
ゆえに、私たちは為政者たちのために神に祈り求める
だけでなく、私たちの為政者たち自身に『思想と良心の
自由を保障するように呼びかける』のである。これらの自
由は、1948年12月に開かれた国連総会で、九票の棄権
を除き大多数の支持を得て可決された『世界人権宣言』
の中に示されてきた。」
「その第十八条は次の通りである。『何人も、思想、良心
および宗教の自由を享有する権利を有する。この権利は、
その宗教または信念を変更する自由、および、単独に
または他人と共同して、公的にあるいは私的に、教育、
行事、礼拝および儀式によってその宗教または信念を表
明する自由を含む』」〔岩波文庫『人権宣言集』p.405〕
「だが、より重要なことは、これらの自由の保障が『神の
み旨にかなって』いるということである。というのは、神は、
合法的な自由を奪い取ったり、無実なものを虐げるため
ではなく、犯罪者を罰し、善良な市民に報いるために
<統治者のための権威>を設けられたからである
〔ローマ13:1 以下〕。」
新改訳 ロマ 13:1-14
13:1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
13:2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
13:3
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
13:4
それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。
13:5 ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。
13:6 同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。
13:7
あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
「教会と国家の相互のつとめを概述したあと、本項は、
抑圧の犠牲者たちに注意を向けている。『私たちは、
さらに、不当に投獄されているすべての人々のために
…深い心の痛みを覚える。』私たちは彼らを<良心の
投獄者たち>と呼ばない。なぜならある人たちの良心
は信頼できる手引きになるには、あまりにも堕落して
いるからである。
私たちはむしろ、何の害悪をはかることも、また実際に
行うこともしなかったのに、ただその主張のゆえに、あ
るいは前述した自由の枠の中で行ったある行動のゆ
えに、投獄されてきた圧政の犠牲者たちのことを考え
ている。
そのような犠牲者たちのうち、私たちは『特に主イエス
のあかしのために苦しめられている私たちの兄弟姉妹』
をあげたい〔黙示1:9〕。私たちは彼らを覚え、あまつさえ
『牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで
思いやる』〔ヘブル13:3〕ようにすすめられてきた。
だが、同情するのみでは十分とはいえない。『私たちは
ここに、彼らが自由にされるために、祈りかつ労すること
を約束する。』〔ルカ4:18 参照〕」
新改訳 黙 1:9
1:9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた。
新改訳 ヘブ 13:3
13:3 牢につながれている人々を、自分も牢にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい。
新改訳 ルカ 4:18
4:18
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
「もう一つのことが言われねばならない。それは『私たち
は、彼らの苦境をみて決しておじけづくものではない』
ということである。圧政者たちはいつも、自己の意志を
主張し、教会を倒すために暴力を使うことができると思
いこんでいる。
しかし、彼らは決してそうできなかったし、これからもそ
うすることはできないであろう。私たちは人間につきまと
う弱さを知っているが、『神の助けによって、私たちも、
代価がどんなに大きくとも、断固として不正不義に立ち
向かい、福音に忠実に生き続ける』。
ところで、このことを主張したとしても、私たちほとんどの
者には今すぐ何の代価も要求されないかもしれない。
しかし、少なくとも圧政と迫害とは、現在自由である国々
にも広がる可能性があるということは認めなければなら
ない。なぜなら『迫害は必ず起ると警告されたイエスの
ことばを忘れない』からである〔例 マタイ5:10-12〕。
新改訳 マタ 5:10-12
5:10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
5:11 わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
5:12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。」
【ローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』解説のもつ意味】
『自由と迫害』と題する第十三項の解説は、教会と
国家という大変むずかしい問題に勇気をもって取り
組んでいる、という言葉をもって始められています。
この項目において、取り扱われている事柄を私たちは
現在の日本の状況に当てはめていくことを求められて
います。
「教会と国家の関係」を考えていく上で、西欧のキリス
ト教会と国家との関係の歴史を学ぶことはひとつ大切
なことだと思います。共立基督教研究所で学ばせてい
ただいていましたとき、東京基督神学校でも学ばせて
いただき、そのとき歴史神学の多くの科目を担当され
ていましたのは丸山忠孝先生でした。
先生は、教会史の学び方として多くの学び方がある中
で、「教会」と「国家」という二つの概念の関係を軸に教
会史の学びを導かれました。そのときは、あまり深く考
えが及びませんでしたが、今日そのことの重要性を深く
かみしめているところです。
この件は、宗教改革者たちの「抵抗権」というテーマと
も深く関係するものです。西欧キリスト教世界における
「教会」と「国家」との関係から多くのことを学べると思
います。
それとともに、「日本国」と「キリスト教会」との関係の
歴史にも目を留める必要があります。
大和朝廷による国内統一、貴族社会、武家社会を経て
明治、大正、昭和の時代、敗戦により「日本国憲法」
をもとに、「基本的人権」の保障された新しい日本国
のあり方がスタートしました。
「キリスト教」との関係においては、織田・豊臣・徳川
時代のカトリックによる宣教とキリシタンへの弾圧、
そして殉教がありました。また、明治・大正・昭和の
時代においてはプロテスタントによる宣教も始まりま
したが、「大日本帝国憲法」「教育勅語」「国家神道」
等により、特に戦争が激しさを増した時期には、信教
の自由は一段と厳しく制限され、「愛国的行為」との
名目で「神社参拝」「天皇崇拝」を強要された時代で
ありました。敗戦後、キリスト教会は「日本国憲法」
のもとで新しい歩みを始めましたが、その思考は戦前
の延長の要素が強くあり、戦争協力への責任、愛国
心の名目での信仰面での妥協等についての「総括」
は長い間行われなかったようです。
今日、「国旗・国歌法案」や「改訂教育基本法」により、
学校現場において「日の丸」と「君が代」の強制がなさ
れています。
私たちは、キリスト教会として「日の丸」と「君が代」
の問題をきちんと総括するとともに、「21世紀の日本
国のあり方」を提唱していくことが大切と思います。
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
Bローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』採択の意味
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ローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』には、以下の誓
約がなされており、JEC諸教会がこの誓約を採択した
意味を、日本の文化と歴史というコンテキストを踏まえ、
エヴァンジェリカルな生きざまを証しするということとは
どういうことかについて考えてみたいと思います。
ローザンヌ誓約『第13項 自由と迫害』
「神がすべての政府に託されたつとめは、教会が干渉
を受けることなく神に従い、主の仕え、福音を宣べ伝え
ることができるように、平和と正義と自由のための諸条
件を確保することである。
ゆえに、私たちは、国家の為政者たちのために祈ると
ともに、彼らが神のみ旨にかなった、そして国連の『世
界人権宣言』〔1948年〕に打ち出されているような思想
と良心の自由、宗教的諸活動の自由を保障するように
呼びかける。
さらに、、不当に投獄されているすべての人々のため
に、また、特に主イエスのあかしのために苦しめられて
いる私たちの兄弟姉妹のために、深い心の痛みを覚える。
私たちはここに、彼らが自由にされるために、祈りかつ
労することを約束する。とともに、私たちは彼らの苦境
をみて決しておじけづくものではない。
神の助けによって、私たちも、代価がどんなに大きくと
も、断固として不正不義に立ち向かい、福音に忠実に
生き続けるものである。
私たちは、迫害は必ず起ると警告されたイエスのこと
ばを忘れない。」
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
A『日の丸・君が代と内心の自由』の問題
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7/3のJEC牧師研修会を終えて、ひとつの宿題が
与えられたように感じていました。それは、「日の丸」
と「君が代」の問題です。
憲法九条問題では、このテーマに参考となる書籍とし
て、ピーター・C・クレイグ著、村田充八訳『聖書と戦
争−旧約聖書における戦争の問題−』すぐ書房、と
村田充八著『戦争と聖書的平和−現代社会とキリス
ト教倫理−』聖恵・神学シリーズ34、があげられます
とし、その内容を紹介させていただきました。
ただ、「日の丸」と「君が代」の問題においては、かな
り多数の書籍を読みあさりましたが、教育現場におけ
る深刻な軋轢を扱った書籍は多数あるのですが、聖
書の啓示、クリスチャンの信仰と「日の丸」と「君が代」
問題をきちんと扱った書籍は見当たりませんでした。
もし、そのような書籍、この問題を神学的、かつ包
括的な視点から扱った書籍がありましたら、ぜひ紹介
していただきたいと思っています。
そのような中で、この課題に間接的に触れている良書
として紹介させていただける書籍として、堀尾輝久・右
埼正博・山田敬男著『日の丸・君が代と内心の自由』
新日本出版社、があります。
以下にその概略を紹介します。
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「国旗・国歌を考える」堀尾輝久
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国旗・国歌をどう考えるか
日の丸・君が代は国旗・国歌たり得るか
大きく変わった天皇の意味
国民主権にふさわしい歌
日の丸と君が代を区別して考える
侵略性のシンボル
内面の自由の問題
戦前の反省から生まれた十九条
教育の本質と国家の関係
教育現場に与える影響
職務命令の根拠とは
教育という仕事
教育行政のあり方
転機の八十九年の指導要領
「君が代」を教える
「君」とは何か
式典での扱い方
問題は画一的な押しつけに
「国旗及び国歌に関する法律案」の審議に
関する見解と要望
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「日の丸・君が代と思想・良心の自由」右埼正博
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はじめに
思想・良心の自由の憲法的保障が意味すること
思想・良心の自由の保障の意義
思想・良心の自由の保障の具体的内容
国旗と憲法−アメリカでの議論を参考に考える
国旗敬礼強制事件
国旗損傷処罰事件
「日の丸・君が代」と思想・良心の自由
結びに代えて
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「日の丸・君が代問題と自民党政治」山田敬男
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「日の丸・君が代」の法制化
「国民定着」論の破綻と法制化
「天皇在位十周年記念式典」の挙行
歴史の中の「日の丸・君が代」
戦前戦中の「日の丸・君が代」
「明治時代」の「日の丸・君が代」
十五年戦争と「日の丸・君が代」
戦後の「日の丸・君が代」
新憲法の制定と「日の丸・君が代」
「逆コース」と「日の丸・君が代」の復活
高度成長期の「日の丸・君が代」問題
軍事大国化への転換と「日の丸・君が代」問題
法制化のねらいとその背景
新ガイドライン体制と九十年代
九十年代の改憲策動
改憲を正当化する「国際貢献」論
軍事大国化とナショナリズム
危険な歴史見直し「運動」
終わりに
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「資料:国旗・国歌法案に対する国会質問と政府答弁」
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衆議院本会議での法案の趣旨説明
反対論を封じて教育現場の混乱を抑える
世論は法制化について理解していないことを認める
矛盾と混迷の「君が代」の解釈
「君が代」斉唱指導は内心に立ち入る−文部省初等中等教育局長異動前の答弁
「沈黙の自由」を認める
内心の自由を認めつつ教師への処分も容認する
東大では「日の丸・君が代」入学式・卒業式はやらなかった
「子供への強制」具体的には?
「心理的強制」も内心の自由侵害
「君が代」解釈 国民は自由だが教育では別
特別権力関係とはとらえない
法案賛成議員でも「君が代」伴奏拒否教師への処分には反対
法制化で教員の考えを変えるつもりはない
「日の丸・君が代」の過去には、反省すべきことがあった。
ゆがめられた事実も教える。
「日の丸・君が代」で何を教えるのか?
アジアの人々は「日の丸」をどう見ているか
7/16
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“How JEC ?”シリーズ【No.3】
基本的人権問題とJEC
@『第四巻 基本的人権−人権はどこまで保障されるか−』紹介
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1999年8月9日、「国旗・国歌法」が、強行成立されました。
また、昨年には学校教育の憲法といわれる「教育基本
法」が改悪されました。そして、今参議院選挙では、
「日本国憲法」の改悪がテーマのひとつにあげられて
います。
“How JEC ?”シリーズ【No.2】では、憲法九条の改悪に
焦点をあてたかたちで、「聖書と戦争と聖書的平和」に
ついて考えさせていただきました。
“How JEC ?”シリーズ【No.3】では、日本国憲法の第
三章「国民の権利及び義務」に焦点をあて、特に今般
学校教育の現場で深刻な軋轢を生み出している『日の
丸・君が代と内心の自由』の問題が、いかにクリスチャ
ンの信仰の自由の問題と密接な関係にあるのかを丁
寧にみていきたいと思っています。
この問題の経緯につきましては、すでに紹介させてい
ただきました「シリーズ 日本国憲法・検証:1945-
2000 資料と論点」の『第四巻 基本的人権−人権はど
こまで保障されるか−』の中で簡潔に取り扱われてい
ます。
その内容の一部は、以下の通りです。
第四章 政教分離原則はどうして必要か
「個人の宗教」と「公の宗教」とは何か
旧憲法下で「信教の自由」はどう保障されていたか
「信教の自由」と政教分離原則が保障されたのはなぜか
靖国神社国家護持法案はどうなるか
第五章 「日の丸」「君が代」はなぜ人権問題か
思想・良心の自由はなぜ必要か
沈黙の自由はなぜ認められなければならないか
「日の丸」「君が代」はどう扱われてきたか
「日の丸」「君が代」は戦後どう扱われたか
沖縄「日の丸」旗焼却事件は何を象徴するか
国旗・国歌法は何を目的としているか
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2007.07.15 Yamasaki Chapel Short Message
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新改訳 詩篇
119:71 苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
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2007.07.08 Yamasaki Chapel Short Message
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新改訳 ガラ 5:1
5:1 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
7/4 JEC〔日本福音教会〕 拡大牧師会研修会
「憲法改訂」問題とJEC
「憲法改正」の概要等 吉野尚文先生
「憲法改訂」問題の神学的視点からの検証 安黒務
ストリーミング・ビデオ
〔後半はトラブルのため画像に乱れがあります。
資料とレジュメを参考にしながらご覧ください。〕
質疑応答は、約三時間半熱心な質疑がなされました。
こちらは、非公開です。悪しからず。
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2007.07.01 Yamasaki Chapel Short Message
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15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。
15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「おとうさん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』
15:20
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。