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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール 2007/10/01-10/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
夏終り、秋過ごし、冬来たらん!短い秋の後に、急ぎ足で
寒気が到来した気配のする今日この頃です。環境問題も
あり、季節感がだんだんとなくなっているような気がします。
十月は、ふたつの神学校での集中講義があり、その準備
で忙しくしていました。また、来月の「セカンド・チャンス論
をエリクソン神学の視点から神学的に分析・評価する」
発題講演を牧師会にて依頼されていますので、このテーマ
を扱っているエリクソンの書籍数冊を繰り返し熟読し、部分
的に翻訳したりしていました。
「セカンド・チャンス論」そのものは、五年前に一宮基督教研究所
の教師会シンポジウムで講演と資料配布をしましたので、
今回はそれに加えて、なぜ繰り返しこのような議論が湧き起
こってくるのか、という背景と聖書における啓示が沈黙してる
領域に関して神学的思索をしていく上でのガイドラインについ
て幾つかの提案をしていけたらと考えています。
この問題を扱いますときに、私たちは神学的思索をしていく
上での基本的な留意事項を再確認させられることと思います。
それは、私たち御言葉の奉仕者にとっての基本事項だと思い
ます。
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2007.10.28 Yamasaki Chapel Short Message
キリストへの自覚的信仰と宣教の必要性
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新改訳 ロマ 10:1-16
10:1 兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。
10:2 私は、彼らが神に対して熱心であることをあかしします。しかし、その熱心は知識に基づくものではありません。
10:3 というのは、彼らは神の義を知らず、自分自身の義を立てようとして、神の義に従わなかったからです。
10:4 キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
10:5 モーセは、律法による義を行なう人は、その義によって生きる、と書いています。
10:6 しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを引き降ろすことです。
10:7 また、「だれが地の奥底に下るだろうか、と言ってはいけない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
10:8
では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。
10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
10:15
遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」
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2007.10.23-24
Ikoma Bible College
集中講義 紹介
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『キリスト教神学』−神のみわざ論
『福音主義神学研究』
近世における四つの流れ
071024_i_et05a_Four_Stream_intro.wmv
「教会と国家」の関係理解の三類型
071024_i_et05b_Four_Stream.wmv
『比較宗教学』
*講義の最初の十分間等をストリーミング形式で
無料で紹介しているものです。講義の全体を
学びたい方がありましたら、メールにてご連絡
ください。ストーリーミング形式とDVD形式の
二つの提供形式があります。
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2007.10.21 Yamasaki Chapel Short Message
聖霊の内的働き:デコマイ(歓迎)のスピリット
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新改訳 Tコリ2:1-16
2:1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
2:3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
2:5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
2:6 しかし私たちは、成人の間で、知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でもなく、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれひとりとして悟りませんでした。もし悟っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」
2:10
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
2:11
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
2:12
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
2:13 この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れ〔デケタイ:デコマイ=受け入れる〕ません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
2:15 御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
2:16 いったい、「だれが主のみこころを知り、主を導くことができたか。」ところが、私たちには、キリストの心があるのです。
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2007.10.15-16
Kansai Bible Institute
『キリスト教神学:啓示論』集中講義 紹介
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神の普遍的啓示
071016_k_icd03_ct08a_intro.wmv
071016_k_icd03_ct08b_intro.wmv
071016_k_icd03_ct08c_intro.wmv
啓示の保存:霊感
071016_k_icd05_ct10_intro.wmv
神の言葉の信頼性:無誤性
071017_k_icd06_ct11a_intro.wmv
神の言葉の力:権威
071017_k_icd07_ct12_intro.wmv
*講義の最初の十分間等をストリーミング形式で
無料で紹介しているものです。講義の全体を
学びたい方がありましたら、メールにてご連絡
ください。ストーリーミング形式とDVD形式の
二つの提供形式があります。
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2007.10.14 Yamasaki Chapel Short Message
『聖書はすべて、神の霊感によるもので』
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新改訳 Uテモ3:15-17
3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
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2007.10.07 Yamasaki Chapel Short Message
『死後の回心と救いのチャンスについて』
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新改訳 ルカ 16:19-31
16:19 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
16:20 ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、
16:21 金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
16:22 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。
16:23 その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
16:24
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
16:25
アブラハムは言った。『子よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは苦しみもだえているのです。
16:26 そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』
16:27 彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。
16:28 私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』
16:29 しかしアブラハムは言った。『彼らには、モーセと預言者があります。その言うことを聞くべきです。』
16:30 彼は言った。『いいえ、父アブラハム。もし、だれかが死んだ者の中から彼らのところに行ってやったら、彼らは悔い改めるに違いありません。』
16:31 アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』」
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2007.11.13 の JEC牧師会 討議資料として
『死後の回心と救いのチャンスについて』
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いわゆる「セカンド・チャンス」論の書籍が諸教
会に送りつけられているという事態を深刻に
受けとめ、JECでは牧師会でこのテーマに
ついて討議する方向になっています。
このテーマに関しましては、2002年9月17日
にKBI教師会シンポジウムで講演・討議し、声明
を発信したところです。
すでに二、三百部が資料として求められて発送
してまいりました。すでに下火になっていたと安心
していましたが、再び燃え上がっているようです。
そこで今回は、そのときの資料を無料で公開させ
ていただくこととしました。それは、ひとりでも多く
の方に誤った教えから、その信仰を守っていただ
けたらと願うからです。下記のサイトに資料を掲載
していますので、ご自由にプリントアウトして、学び
にご利用ください。意見・感想等いただけたら感謝
です。
一宮基督教研究所理事会・教師会合同シンポジウム資料
ICI_PME_020917.pdf
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2007.10.02
秋季JEC拡大教職者会レポート
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「神の最高傑作 男と女−性の諸問題:同性愛・
性同一性障害−」と題してセミナーが開催された。
この領域に関する今日的情報と分析、リベラルと
福音派におけるこのテーマに関する聖書箇所に
おける聖書解釈、性同一性障害に関する法律等、
分りやすく、実践的な内容であった。
また講師の方のこの領域に取り組まれている情
熱を強く感じさせられたセミナーであった。
インターアクトのアジア地区代表のスウェーデン
宣教師からは、スウェーデンの状況と教会の取り
組みが紹介され、多くの示唆をいただくことができ
た。
春季JEC拡大教職者会では、うつ病とかパニック
症候群についての取り組みであった。今回の内容
は、その続編的な意味においてもよいセミナーで
あった。教会を取り巻く状況の変化を教えられる。
神学教師として考えさせられた今後の課題として、
講師の資料の中にあった「同性愛擁護派のよくあ
る主張への反論」の箇所にある創世記19:4-5、
レビ記18:22, 20:13、ローマ1:24-27、Tコリント
6:9-10, Tテモテ1:9-11 の聖書解釈を伝統的視点
からだけではなく、医学や心理学の今日的進展と
の慎重な対話を伴った聖書解釈の再検討は必要
とされているのではないだろうか。
結論的に、伝統的な結論と同じものになったとし
ても、テーマを今日的な進展のコンテキストの中
で扱うというプロセスは欠かしてはならない部分
であると思う。
スウェーデン宣教師の語られたメッセージの第一
は「神学的に正しい立場に立つ!」であった。
あまり大きすぎる罪として取り扱うことも問題であ
り、しかし弱さとか個性というかたちで罪でないと
扱うことはできない。これらのものは諸々の罪の
中のひとつである。ゆえに、このテーマは広い面
から全体的な視野から扱うことが必要である。
このテーマをきちんと扱う神学を握ることが必要
である。
グループ・ディスカッションで、「ホモ・セクシャル
の問題を扱っている組織神学書はないのですか」
という質問を受けた。
リチャード・ケヴェドーは「ヤング・エヴァンジェリ
カル」という著書の中で、福音派における「ホモ・
セクシャル」を扱っている組織神学者のひとりとし
て、フラー神学校の組織神学者であるポール・ジ
ュウィットを紹介している。
“Who We Are : Our Dignity As Human” Paul K.
Jewett 『私たちは何者なのか:人間として尊厳』
という書物は、組織神学の書物であり、人間論
の領域をかなり掘り下げた書物である。概要を
以下に紹介する。
@導入、
A人間であること:キリスト教的視点、
B人間の尊厳と人種的偏見、
C像と性的両性:彼はかれらを男と女に創造した、
A. 導入
B. 男女の関係
C. 人間の性別の神秘
D. 性、愛、結婚
@導入
Aエロス的な情熱としての性
Bロマンティックな愛
C結婚の契約
D離婚:結婚の結びつきの破綻
Eホモセクシャルに関して:付録
a.導入
b.教会の教えにおけるホモセクシャルに反対する伝統的事例
c.教会生活においてホモセクシャルに対して示されてきた伝統的態度
d.ホモセクシャルに関する今日の事例
1)性的方向性と性的行動の相違
2)市民権と医学的意見に関して
e.教会とホモセクシャルに関する今日の事例
1)性的方向性と性的行動の再開
2)ホモセクシャルに関する聖書の証言
a)創世記19
b)レビ記18:22, 20:13
c)ローマ1:26-27
d)Tコリント6:9-10, Tテモテ1:10
e)ホモセクシャルに関して肯定的な聖書の言葉を見つけようとする試み
3)解決の試み
a)方向性の転換
b)委ねられたホモセクシャル関係
c)禁欲
4)いい加減な「結論」
D神の像と人間の支配
以上のような構成となっている。
エリクソン著『キリスト教神学』では、第五部
第26章 人類の普遍性 の中で「全人種、両性、
あらゆる経済的立場の人々、高齢者、胎児、
未婚者」という主題の中で、約五ページの範囲
で男と女の関係、特に女性差別が扱われてい
る。
エリクソンの著書で「ホモセクシャル」の問題を
扱っているのは、「今日におけるキリスト教倫理
における相対主義」の書籍である。その中では、
八ページにわたって記述がなされている。
この書籍では、婚前セックスと婚外セックスも扱
われている。スウェーデンのインターアクトの教
会では、ホモセクシャルの問題よりも、婚前セッ
クスの問題が深刻な問題であると報告された。
ジュウィットの著作では、神の像の問題、男女
の関係の問題、結婚・堕胎・離婚の問題、ホモ
セクシャルの問題、文化命令に関して環境問
題への対応等が記述されている。
主題への多層的な取り組みの豊かさからは
多くのことが教えられる。
組織神学の学びと伝道・教会形成現場との
ギャップが語られることの原因のひとつに、
組織神学の各領域における多層的な取り組
みの貧困という事柄があるのではないかと
思う。
神学校での講義においては、いずれの神学校
においても時間数の関係で、概論的に教える
にとどまっているのではないかと思わせられる。
そのような意味で、ICIの継続神学教育の取り
組みにおいて、果たすべき役割が明らかにな
ってくると思う。