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ICI Daily & Diary Lectures
2010年05月 ICI日誌
2017/03/20
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2010/05/01-05/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
いよいよ六月に入りました。わたしくしごとで申しますと、この五ヶ月間は『教会論研究』に没頭させていただいた期間でした。それは、5/31に「関西聖書塾での福音主義教会論:再考の講演奉仕」と6/1に「JEC拡大教師会での教会政治論セミナーでの総括奉仕」があったからです。その直前には「生駒聖書学院でのエリクソン著キリスト教の神学の教会論」の集中講義もあり、全体をひとつの奉仕として位置付け、机の上に三百冊くらいの教会論の書籍を積み上げ、早朝の時間帯において集中的に勉強させていただきました。そのひとつの結実が、『福音主義教会論:再考三部作』です。かなり充実した内容で仕上がっていますので、学ばれる皆さんにはきっと満足していただけると思います。内容は、@教会論の鳥瞰図と争点(関西聖書塾講演と質疑:180分=3000円)、A福音主義教会論の争点の整理(生駒聖書学院「エリクソン教会論講義」:180分=3000円)、B福音主義教会論の適用の実際(JEC拡大教職者会総括講演部分のみ:20分=330円)と配送料・手数料: 340円からなっています。定価で個別に購入していただくこともできますが、三点セットで購入される場合は、合計額6330円+配送料・手数料: 340円=6670円×0.7=4670円の特価(三割引き)にてお分かちします。現在、編集中です。今月中旬には、注文された方の順番に配送させていただきます。支払いは品物到着後一週間以内に同封します郵便振替用紙にてお振り込みください。注文・問い合わせは下記のICI安黒までメールにてお申し込みください。よろしくお願い致します。
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Evangelical Ecclesiology:
Construction→Deconstruction→Reconstruction
「福音主義教会論:再考」
案内させていただいていました下記のセミナー、祝福のうちに終了しました。主催者の了解を得て、上記の通りこのセミナーの講演部分のみのDVD講演録を販売させていただくことになりましたので、案内させていただきます。その概要は以下の通りです。
関西聖書塾:“福音主義教会論:再考”60分
神の民としての教会
霊性と秩序としての教会
職務の階層制の形成
カトリック教会観の脱構築としてのプロテスタント教会観
福音主義教会観の破滅としての自由主義教会観
神学の問いしての教会観
エキュメニカル運動における教会観の三期にわたる変遷
方向性−エディンバラ会議からバンコク会議まで
対比−エキュメニカル派と福音派
肯定面と否定面−聖書的伝道の四つの要素
一般文化史への解消か?、自己の根源への問い直しか?
生駒聖書学院:エリクソン“福音主義教会論:争点の整理と掘り下げ”180分
教会の本質…Changing World の中で、Essential Ecclesiology の“変質”が深刻な問題となっている今日、神によって霊感された誤りのない言葉を基盤として建てられた「福音主義的教会論」のあり方、絶対死守すべき教会論の本質とは何かについて学ぶ
教会の役割と政治…宗教改革における個人の聖書解釈の権利と自由は、必然的に聖書が許容している範囲内での多様な教会政治論をも生み出すこととなった。そのような多様性の聖書的基盤を検討しつつ、今日の宣教と教会形成においてどのような教会政治の原則がよりベターなのかを探求する
教会の儀式:洗礼と聖餐…洗礼論と聖餐論においても、多様な捉え方がある。それらの主張を丹念に学び、その支持聖句の丁寧な解釈を通して、より聖書的な洗礼論・聖餐論のあり方をもさくし、提言する
JEC拡大教職者会:安黒−総括講演“福音主義教会論:適用の実際”20分
教会論の鳥瞰図のエッセンス
教会論における争点のエッセンス
教会における実際的問題−教会の本質の変質、教会政治の恣意的変容、礼典論の崩壊等
『福音主義“教会論”:再考』 講師:安黒 務
●日時:2010年5月31日(月)午前10:30-午後2:30
●場所:近畿放送伝道事務所(Tel.06-6767-2558)、〒543-0013
大阪市天王寺区玉造本町9−1松屋ビル201(Tel.06-6767-2561)
●参加費:3000円、●申し込み・問い合わせ:Tel/Fax.072-444-7650(岸和田東聖書教会内事務局)
●主催:
関西聖書塾(KBJ)運営委員会[清水昭三(長)、小林久実、鈴木健之、高橋博、中野博誉、森田悦弘]、協賛:近畿放送伝道協力会(近放伝)
■テーマ『福音主義“教会論”:再考』について
昨年、日本福音主義神学会(西部部会秋期神学研究会議)において、『福音主義神学:再考―聖書・伝統・文化の中で―』というテーマで、基調講演させていただいた。そして市川康則氏(神戸改革派神学校校長)より「宇田=エリクソン路線(私の専門研究分野)は、根本的な聖書信仰と聖霊信仰に堅く立つ限りで幅広い教会と神学の伝統の交流と協力が可能となるような意味での福音主義神学である」との総括をいただいた。次の課題として、この基盤の上に構築されている「神論」から「終末論」までの“各論”の福音主義的再考があげられる。今回は、その中のひとつ、“教会論”を宇田=エリクソン路線において再考する機会とさせていただきたい。詳細に関しては、ICI日誌の「福音主義教会論:再考」準備ノート・シリーズ−3月、4月、5月に記述しているので参考にしていただきたい。
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Evangelical Ecclesiology:
Construction→Deconstruction→Reconstruction
「福音主義教会論:再考」準備ノート 22
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関西聖書塾の講演「福音主義教会論:再考」の時間的構成は、午前の部と午後の部からなっており、それぞれ約60分の講演と約30分の質疑と聞いている。現段階では、午前の講演で「@教会論についての歴史的鳥瞰図とその変遷から生ずる問題意識」、そして午後の講演で「Aそれらの問題意識へのレスポンスという視点から見た“宇田・エリクソン神学における教会論”」というかたちはどうだろうか、と考えている。
「A宇田・エリクソン神学における教会論」は、福音主義のスタンダードな指標を示す、ひとつの教会論である。一見目を通すだけでは、普通の福音派の教会論である。ロウソクの灯は、昼間はあまり目立つことはない。しかし、深夜にはその意義を発揮する。「宇田・エリクソン神学における教会論」は、「@教会論についての歴史的鳥瞰図とその変遷から生ずる問題意識」の中に正しく位置付けてはじめて、その意義を明らかにするものと思うのである。
宇田師は、ローザンヌ会議のレポートの中で、20世紀のWCCにおける教会論の変遷と宣教との統合に積極的な意義を見出しておられる。とともに聖書的宣教からの逸脱ともとれる課題を指摘しておられる。教会論の動向と展開においても、積極的に学ぶべきポイントを評価するとともに、否定的な課題を含むポイントを識別・分析・ろ過していく力量が求められているのではないか。WCCとローザンヌをマクロな視点から対比しつつ、福音主義教会論を再考していくことは重要、そう思うのである。
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関西聖書塾の講演「福音主義教会論:再考」の構成を、絵画でいうクロッキーないし、スケッチ調の感じで何度も描いている。今日も1枚の下絵を描いてみたい。
宇田進著『総説福音主義神学』は、わたしの神学的営為を刺激する内容に満ちている書物である。何をどのように考えるべきなのか。特に、神学的思索の道筋や手順のあり方を懇切丁寧に教えてくれる書物である。昨年の神学会の「福音主義神学:再考」においてもそうであったが、今回の関西聖書塾の「福音主義教会論:再考」についても、どのように神学的に思索していくべきなのか。どこに問題意識の焦点を置くべきなのか。そして着地点はどこを目指すべきなのか、を照らしてくれる。我が足のともしび、我が道の光である。
この著作の著者の意図は、「16世紀の宗教改革に根差す歴史的な福音主義キリスト教の視点を尊重する立場から、@今日の神学的状況と動向に関する分析と情報の提供、A注目すべき問題点と主要な争点の指摘、Bそして、福音主義を標榜する諸教会の“核”を成すその“信念体系”の確認と、それに関するより一層の掘り下げへの一つの呼びかけと、そのための一つの材料になればという思いがある」ところにある。
この基本的考え方が大切である。@は鳥瞰図とその分析、Aはその全体図の中で問題意識の焦点、Bは福音主義の立場に立つべき位置の確認、の三点である。「福音主義教会論:再考」においても、この三点を基本的構成として論を組み立てていきたい、そう願っている。宇田師の『福音主義キリスト教と福音派』と『総説福音主義神学』、エリクソンの『新福音主義神学』と『キリスト教神学』がそれぞれ歴史神学軸、また組織神学軸である。そしてその長年講義し使い慣れ、親しんできた基本的フレームワークの中に、H.G.ペールマンやL.ベルコフの鳥瞰図的資料、斎藤正彦のシュライエルマッハーの教会論、C.ウィリアムズ等の二十世紀のWCCにおける教会論の動向分析等を通して、福音主義教会論に関し、@鳥瞰図、A問題意識、B立つべき位置、について現段階における考察をまとめていきたい。
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Evangelical Ecclesiology:
Construction→Deconstruction→Reconstruction
「福音主義教会論:再考」準備ノート S
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エリクソンの処女作『新福音主義神学』に、エリクソンの神学的営為の青写真が描かれていることは、昨年の神学会の基調講演で述べた。さて、その青写真の細部の項目「教会」におけるエリクソンの言及をみることとしたい。
「救いの経験は論理的に、クリスチャンが単に孤立した個々人として存在するものではないゆえに、教会の教理へと導く。新福音主義者たちは、直接的に教会に関する大著を書き記すことはなかった。主だった貢献のひとつは、カーネルの論稿である。教会の第一義的定義において、カーネルは、改革派の伝統に従っている。教会は、あらゆる時代の、すべての贖われた人、また彼が書き記しているように、制約とか環境に関わらずアブラハム契約をともにするすべてのの人々からなっている。それは新約聖書で始まるのではなく、彼と彼の子供たちが神の特別な民であり、彼の救いと祝福を受け取るというアブラハムへの契約をもって始まる。新約聖書と新約聖書以後の時代において、このことは広げられていった。パウロはガラテヤ3章において、アブラハムの子孫とはアブラハムの血縁的子孫ではなく、むしろ彼の信仰を共有する人々であると語っている。カーネルは、ギリシャ語のエクレシアつまり教会が、セプチュアギンタつまり旧約聖書のギリシャ語訳においてイスラエルの民の集まりに使われている。教会は単純に神の民である。」
「私たちは、まず外的また経験的なかたちにおいて教会と出会うのであるから、私たちは時々それをその方法で定義するという誤りをおかす。むしろ、教会は霊的な現象であり、神的に創造された、同じ救い主を信じる罪人の交わりである。教会は、教会との結びつきによって定義されているクリスチャンよりむしろ、救われた人々を包括することにおいて定義される。教会は、そのメンバーが礼拝・交わり・奉仕において集まるときにのみ見えるからだとなるところの見えないからだである。」
「しかしながら教会は、具体的な現実となる。多様な地方性において、信仰者はお互いを建て上げ、主の命令を遂行するために集められる。このことは、彼らが個々別々にあるよりもより効果的になしうるためである。ひとつのピアノをそれぞれが別々にひと続きの階段の五分の一ずつを持ち上げようとしている五人の人より、五人全員が一緒にずって運ぶほうがまさっている。同様に、地方教会はばらばらな個々人よりもすぐれたかたちで神の国の働きを促進することができる。これは実際に、コリントにある教会、ローマにある教会、テサロニケにある教会とっいたかたちで、新約聖書にきわめてしばしば言及のある、教会の第二の意味である。」
「理想的、普遍的な見えない教会と、地方にある見える教会はコインの両面である。地方教会の外側にクリスチャンはいるべきではない。地方教会の内側に未信者はいるべきではない。しかしながら実際には、その理想は決して実現されることはない。ただ再生したクリスチャンのみが教会のメンバーシップに加えられるよう、すべての努力が確実になされたとしても、なおイエスの教えの現実的な考察では、穀物の間の雑草に結び付けられ、それらは最後の審判まで取り除かれないと啓示されている。」
「キリストのからだの地方的な現われにおいては、評議委員会、委員会、役員を伴った組織的な構造を必要とする。それは、教会の仕事をきちんと秩序をもって保持する実際的な必要、そして主の下に教会の責任遂行を容易にするための便宜上の事柄である。カーネルは、聖書が教会政治の形態について特別な事柄を詳述しているとは信じていない。私たちは政治形態について、詳細にではなく幾つかの一般的な諸原則を与えられている。」
「新約聖書は、いろいろなタイプの務めが存在することを示唆している。仕えること(執事)の務めは、祈りと御言葉の奉仕という、彼らの主要な務めの遂行を妨げるありふれた仕事から解放するために設立された。今日でもなお、より一般的な仕事の幾つかを信徒に委ねることは牧師にとって必要なことである。そのことによって、彼はより十分なかたちで失われた魂に伝道することができ、信仰者たちを建て上げるために自身を提供できる。」
「教えることと治めることの務めは、実に最初から教会の中に存在していた職制である長老の職務である。すでにキリストの時代においてユダヤ人のシナゴグに長老は存在していた。そして新約聖書時代の会衆は、そのその存在している組織的構造を発展させた。パウロは、彼が教会を設立したそれぞれのところで長老を任命した。このようにして、同じ政治形態が異邦人諸教会に広がっていったのは明らかであった。」
「今日の教会における職務の性質はどうあるべきなのか。カーネルは、使徒行伝20章の箇所は監督(bishop or overseer)、長老(presbyter or elder)、牧師(pastor or shepherd)という用語は交換可能なかたちで使用されていることに留意している。それゆえ、それらの職務相互の相違は原則にではなく、便宜性に由来するものである。さらに、彼は治める務めはその時代時代の必要に従って発展する自由が与えられていると主張している。教会政治の多様な形態は異なった文化的諸要素とか便宜性に関わる諸状況の結果として生み出される。」
「職務の正確な呼称は決定的重要性をもつものではない。ある教派は監督(bishop)と呼ばれる監督的職務をもつ。そしてもうひとつの教派は(executive secretary)と呼ぶ同様の職務をもっている。その呼称は問題ではない。決定的な問題は、これがその交わりを増進し、促進させるかどうかである。教会の組織的構造に関する第一義的機能は、聖書が何を教えているのかを決定することであり、第二に教会の働きを遂行することについての実際的問題である。」
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Evangelical Ecclesiology:
Construction→Deconstruction→Reconstruction
「福音主義教会論:再考」準備ノート R
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ルイス・ベルコフ著『キリスト教教理史』も、大変すぐれた書籍である。第八章「教会とサクラメントの教理」は、教理史における「教会論」が簡潔明瞭にまとめられていて分かりやすい。そのp.251「プロテスタントの考え方はローマ・カトリックの教会観を背景にして見たとき、最も良く理解される」とある。福音主義教会論とは何か。それは、宗教改革時代におけるプロテスタント教会論をみるときによく分かる。そしてそのプロテスタント教会論は、@堅固に構築されていた“カトリックの教会論”の、A聖書の啓示にそうかたちでの脱構築(分解)という背景において理解されなければならない。その使徒的継承をどのように理解するかは、ひとつの鍵である。「宗教改革から生まれた教会観はローマカトリック教会のそれとは全く異なっていた。」プロテスタント諸派は、ローマカトリックの教皇主義的教会観から離れていった。アウグスブルグ信仰告白は、目に見える教会を「福音が正しく伝えられ、サクラメントが正しく執行される聖徒の群れ」と定義している。この後、プロテスタント諸派における共通性と多様性をどのように捉えるのか、という課題を抱えたまま歴史は展開している。このあたりの課題をエリクソンはどのように考え、扱っているのかをみていきたい。
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日本福音主義神学会・西部部会春期神学研究会議DVD講演録のご案内
主題研究「福音主義聖書論:再考」と部門別研究発表
西部部会特別価格:1000円(送料別)
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■2010年4月19日(月) 10:00am−16:00pmに、福音聖書神学校
http://www.wombat.zaq.ne.jp/auaig108/
〒563-0038 大阪府池田市荘園2−1−12 072−761-1397(代表)において、開催されましたDVD講演録です。西部部会会計からの補助があり、できるだけ安価で提供させていただいています。「DVDとレジュメ・ブックレット」のセットで、西部部会特別価格1000円(送料別)で提供させていただいています。
■問い合わせ・注文・支払い:一宮基督教研究所(あぐろ)まで、メールにてお願い致します。振替用紙を同封して送付させていただきます。
■テーマ:「聖書論再考」
昨秋の「福音主義神学再考」の流れを受け、2011年の全国研究会議とも繫いでいく点でこのテーマを掲げました。16世紀の「宗教改革」の大きな旗印は「聖書のみ」でありました。聖書こそが信仰と実践に唯一絶対の指針を与えるものでありました。しかしながらこの立場は、「主知主義」、「人本主義」、「科学主義」、「主観主義」、「相対主義」等の攻撃にさらされながらも、今日まで古今の福音主義的陣営によって摂理的に守られてきたと信じます。ポストモダニズムの極端な相対主義の荒波が押し寄せている21世紀、私たちは、自分たちのIdentity
の原点である「聖書のみ」を、もう一度検証し始める必要を感じています。
■プログラム:
10:00−10:30 受け付け
10:30−11:00 開会礼拝:福音聖書神学校のスタッフ
11:00−12:30 部門別研究会議
(T部:10:00−11:45;U部:11:45−12:30)
@歴史・組織神学:黒川豪氏・崔榮九氏
A歴史・組織神学:野崎浩二氏・仲井隆典氏
B聖書神学 :竹内茂夫氏・眞鍋献一氏
12:30−13:30昼食
14:00−15:00 主題研究会:司会進行(大田氏)
■以下の神学校の聖書論の把握と特徴を発表していただき質疑応答に入ります。
@神戸改革派神学校
A大阪キリスト教短期大学神学科
B神戸ルーテル神学校
C福音聖書神学校
15:00−15:40 質疑応答
15:40−16:00 総括と閉会の祈り(滝浦氏)
コーディネーター:大田氏、滝浦氏、眞鍋(文責)
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Evangelical Ecclesiology:
Construction→Deconstruction→Reconstruction
「福音主義教会論:再考」準備ノート Q
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宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』より
「エバンジェリカル」−融通無碍な呼称
福音派の源流と歴史的遺産−@神学的・教理的要素、A歴史的要素、B社会的・文化的要素
宗教改革の三大原理と福音派−@聖書のみ、A信仰義認、B聖徒の交わりとしての教会
Why does deconsruct the Evangelical Ecclesiology ?(啓蒙思潮〜現代)
宇田進著『総説福音主義神学』「第八章 教会の理解と誤解−第一節 教会の一般文化史への解消」より
「教会は月のよう」(アンブロシウス)か?:ピーター・フォーサイス『教会とサクラメント』、D.ブローシュ『教会の改革的形成』、ロバート・ネルソン『贖罪の領域−現代ブロテスタント神学における教会論研究』、ハンス・キュンク『ゆるぎなき権威?−無謬性を問う』
「福音主義教会観の破滅」?:リチャード・R・ニーバー『シュライエルマッハーのキリストと宗教』、斎藤正彦『イエス・キリストと教会』
“世俗的宣教”を担う“政治的教会”?:『アウグスブルグ信仰告白』、『スコットランド信条』、『ベルギー信条』、J.C.ホーケンダイク『明日の社会と教会』、C.W.ウィリアムズ『教会』、ジョージ・ウェーバー『宣教における会衆』
“潜在的教会”と「教会の外の教会」(D.ゼレ):パウル・ティリッヒ『組織神学』、D.ゼレ『教会の外の教会』
無教会主義と「ひとり一教会」?:ブルンナー『教会の誤解』、岩隈直『無教会主義とはなにか』
「自己の根源について徹底的に」:ユンゲン・モルトマン『聖霊の力における教会』
How do we reconstruct the Evangelical Ecclesiology ?(ポストモダン)
M.J.エリクソン著『キリスト教神学』第四巻「第十一部 教会」
教会の本質
教会の定義
@教会に関する混乱、A教会の経験的−動態的定義、B教会の聖書的−言語的定義
教会の聖書的イメージ
@神の民、Aキリストのからだ、B聖霊の宮
特別な問題
@教会と御国、A教会とイスラエル、B見える教会と見えない教会、C教会の始まりの時期
教えられること
教会の役割
教会の機能
@伝道、A建徳、B礼拝、C社会的関心
教会の働きの中心:福音
教会の特徴
@喜んで仕えること、A順応性
教会の政治
教会政治の形態
@監督制、A長老制、B会衆制、C非統治制
今日のための教会政治の構築
教会の入会儀礼:バプテスマ
バプテスマに関する基本的な諸見解
@救いに至る恵みの手段としてのバプテスマ、A恵みの契約のしるしおよび証印としてのバプテスマ、B救いのしるしとしてのバプテスマ
問題の解決
@バプテスマの意味、Aバプテスマの対象、Bバプテスマの様式
教会の継続儀礼:主の晩餐
意見の一致する点
@キリストによる制定、A繰り返しの必要性、B福音告知の形態、Cあずかる者への霊的福益、Dキリストに従う者への限定、E水平的次元
一致しない点
@キリストの臨在、A儀式の効力、B適切な執行者、Cふさわしい受け手、D使用されるパンとぶとう酒
主要な見解
@伝統的ローマ・カトリックの見解、Aルター派の見解、B改革派の見解、Cツウィングリ派の見解
問題の処理
@キリストの臨在、A儀式の効力、B適切な執行者、Cふさわしい受け手、D使用されるパンとぶどう酒、E行う頻度
教会の一致
教会の一致を支持する論証
@信仰者の一致に関する聖書の教え、A一般的な神学的考察、B実践的考察:共通の証しと効果性
一致の本質についての考え方
@霊的本質、A相互認識と交わり、B協議会的一致(Conciliar Unity)、C有機的一致
エキュメニズムの歴史と現状
@神学上の問題、A教会論上の問題、B方法論上の問題、C目的論上の問題
福音主義者が提起する諸問題
行動の指針