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ICI Daily & Diary Lectures
2010年07月 ICI日誌
2017/03/20
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[Monthly] 一宮基督教研究所インフォメーション・メール
2010/07/01-07/31
One More Paragraph! −組織神学的瞑想のひととき−
───────────────── ICI Daily & Diary Lectures Headline
主の御名を崇めます
六月初旬に刊行された『聖書神学事典』の初版は、発売二ヶ月足らずで完売、販売元品切れと聞いた。執筆させていただいたひとりとして、感謝なことであった。さっそく再刷の準備に入られたとのことである。この事典が大いに用いられてほしいものである。七月に入り、神学校も夏休みとなり、少し時間をとれている。それで、ローマ書とガラテヤ書の注解書に目を通させていただいている。この二つの書簡を中心にして、「義認論」を丁寧にみていきたい。特に、今回課題としているのは、愛好し、著作を集めてきたJ.D.G.ダンの神学的位置づけと評価を、下記のような視点で整理していきたいと願っている。関心のある方は、またときどきICI日誌をのぞいていただきたい。
ICIあぐろ
J.D.G.ダン著『新約聖書神学叢書 ガラテヤ人への手紙の神学』を読み終えた。なかなか迫力のある著述である。パウロのガラテヤ書がガラテヤ人に送った論争的な手紙であるように、ダンのこの書物もまた今日の私たちに宛てられた論争的な手紙であるように感じた。Guy Prentiss Waters"Justification and New Perspectives on Paul"に記述されているように、NPP(「パウロに関する新しい視点“New Perspectives on Paul”」)の立場の書籍は、学際的であり、数多くの教えられる洞察に満ちているのだが、十六世紀の宗教改革に根差す歴史的な福音主義キリスト教の視点を尊重するわたしの立場からは、「どこか肩すかしをくったような印象が残る」書物である。ダンの、このテーマに関する著作は数多く集めてきているので、詳しく目を通すのはこれからである。福音主義神学会西部部会の友人である遠藤先生からの紹介で入手していたG.P.ウォーターのこのテーマに関する、福音主義的視点からの分析と評価を参考に読めるというのは大変ありがたい。このテーマに関心のある方のために、Guy Prentiss Waters"Justification and New Perspectives on Paul"の概要を下記に記すこととする。
“How the Mighty Have Fallen” : From Luther to Schweizer
Into the Twentieth Century : Bultman, Davies, and Kasemann
Enter the New Perspective : Krister Stendahl
Ad Fontes? : E.P.Sanders on Judaism
Schweitzer Revivus : E.P.Sanders on Paul
After Sanders : Raisanen and Dunn
Enter the Church : N.T. Wright
A Critique of the New Perspective
The Hermeneutical Problems
Flawed Constructins of Judaism
Mistaken Reliance on Scholarly Reconstruction
A Priesthood of Scholars?
Old Testament versus Second Temple Literature?
The Exectical Problems
The "Works of the Law": Jewish Soteriology and Human Inability
Justification and Faith
The Death of Christ(2 Cor 5:21; Rom 3:24-26)
Universal Guilt(Rom 5:12-21) and Paul's Coscience
Theological Problems
Confusing Grace, Legalism, and Merit
Ignoring Imputation
Upsetting the Balance between Forensic and Transforming Grace
Redefining Justification
What's at Stake for Refromed Christianity?
The Doctrines in Dispute
Theological Method
The Doctrine of Scripture
What Is the Gospel?
What Is Justificatin?
What Is the Office of Faith in Justification?
Why Did Jesus Christ Die?
The Doctrine of Regeneration
How Can the Believer Have Assurance of Salvation?
What Is the Role of Baptism in the Chrsitian Life?
The NPP Within Reformed Christianity
Consequences for Reformed Christianity
J.D.G.ダン著『新約聖書神学叢書 ガラテヤ人への手紙の神学』を読み始めた。その中に、「絶えずガラテヤ書に頼ることなしにはローマ書は理解しえない」と書かれている。ダンのローマ書注解とガラテヤ書注解も目を通しておきたい。ダンの「ガラテヤ書・ローマ書研究史」に対するマクロな分析・評価も大変興味深く目配りしているところである。そして、ダンの「パウロに関する新しい視点“New Perspectives on Paul”」を福音主義視点からどのように評価すべきなのかも、また課題である。「信仰義認の教理:再考」というところである。約30年前に一宮基督教研究所の卒論レポートで『祝福の約束と律法−海面下のガラテヤ三章・四章−』を書きまとめた。一宮基督教研究所で学んでいた旧新約聖書概観関係の二冊の教科書であった、H.スィーガム著『旧新約聖書研究ベテル』の生活の座“Sitz im Leben”の視点からの「祝福の約束と律法」理解とE.ザウアー著『世界の救いの黎明』の新約神学の教理的視点からの「祝福の約束と律法」の理解の比較研究であった。「同じ旧新約聖書研究でありながら、どうしてこのように理解が異なるのか?」と疑問を抱き、将来の奉仕のために整理しておく必要を感じたのである。このときに取り組んだものは初歩的なレベルのものであったが、サンダースの議論をベースにダンが取り組んでいる問題意識とは重なり合う部分があり、ダンの著作集の関連箇所に目を通しているときに、30年前の取り組みと問題意識を思い起こした。ある意味で、今回の取り組みは30年前にはじめた「卒論レポート」の続編ということになるのかもしれない。あの頃、集めた注解書の数々は初歩的なレベルのものであったが、ダンの高度な内容の著作を読んでいて問題意識においては、恥じるところはないと思った。今回の取り組みにおいて、やり残してきたいろんな課題を整理していきたい。
書斎にある「ローマ人への手紙」関係の書籍を探してみた。意外に少ないのに驚かされた。目に留まるところからリストアップしていく。内村鑑三著『ローマ書研究』、ロイドジョンズ、J.R.W.ストット、泉田昭等、聖書講演やメッセージに関するものが多い。全巻ものの注解書としては、いのちのことば社の『新聖書注解』、実用聖書注解、ランゲの注解シリーズ等がある。各巻ものでは、ジョン・マーレー著『ローマ信徒への手紙』等がある。今回、高橋昭市先生の著書に触発されて、長年課題としていた「ローマ人への手紙」に取り組めることを感謝している。高橋師は“簡にして要を得た”小冊子を書かれた。この小冊子から教えられたことをヒントに、私自身の「ローマ人への手紙」理解を掘り下げる機会としたい。高橋師は、ローマ1:16−17を軸に、ローマ書の重要な部分をコンパクトに解説しておられる。わたしは同じことをオウムのように繰り返してもいけないので、JECやKBIで高橋師や故我喜屋師等諸先生方が教えてきてくださったコンパクトな教えの背後にあるものに挑戦することにおいて、いくばくかの貢献をしたい。
で、JECまたKBIの「ローマ人への手紙」研究におけるニュー・フロンティアとは何なのだろう。それは、私にとって、この六月に刊行された『聖書神学事典』の原稿執筆の経験が深く影響している。『聖書神学事典』は刊行後一カ月あまりで完売し、在庫なく、再版待ちと聞いた。文字文書の販売不振の時代にすごいことと思った。この『聖書神学事典』原稿執筆依頼には、キッテルの新約聖書神学事典(TDNT)とボターヴェックの旧約聖書神学事典(TDOT)のシリーズ完成を背景に、それらの研究成果と学識を福音主義神学の視点から生かすかたちで原稿を執筆してほしい旨、書かれていたように思う。僻地に住む私の手元にはTDNTもTDOTもなかったので、それらの約25巻を購入して執筆依頼された聖書用語の箇所を研究させていただいた。約1600年間40人あまりの聖書記者によって記された聖書66巻に記されているそのすべての用語において、歴史的文脈の中において、その原意と意味の変化を読み解いていくことの重要性を教えられた。
この二年間のそのような経験を、今回の「ローマ人への手紙」研究に生かすことができないだろうか、と考えていた。そのような思いをもって、関連文献の収集にあたっている中で、わたしの関心に答えてくれる文献を発見した。そのひとつは、ウルリッヒ・ヴィルケンス著『EKK新約聖書注解
W
ローマ人への手紙』である。「義人は信仰によって生きる」の豊かな解説からは、この短い聖句の立体的な意味合いについて教えられるところが多い。その他、ケーゼマン著『ローマ人への手紙』、クラウス・ハッカー著『新約聖書神学叢書
ローマ人へのパウロの手紙の神学』(洋書)、J.D.G.ダン著作集、F.F.ブルース著『ローマ人への手紙』がある。ブルースの著作は、ティンダル・シリーズのひとつであり、福音主義の視点から書かれておるとともに、ヴィルケンスやケーゼマン等への目配りがあり、聖書性・公同性・今日性・自己革新性という“真正な”福音主義聖書解釈の特性を宿す大変すぐれた注解書であると思う。
さて、ここから「ローマ人への手紙」についての研究にどう取り組んでいくのか、それが問題である。以前は、下記の記述にあるように、わたしの所属団体JECにおける福音理解に影響のあったウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』を軸に歴史的背景を含め、研究をすすめていこうと考えていた。しかし、ダナ・ロバーツ著『ウォッマン・ニーを理解すること』を読んだ時、ウォッチマン・ニーの神学教育と福音理解における古典的ディスペンセーション主義の聖書解釈方法論・人間論・教会論・終末論の歪みはあまりに大きく、この方面からの取り組みは、時間の浪費になってしまう危惧が強いと知った。古典的ディスペンセーションの内包する課題は昨年度のシリーズにおいて、かなり取り扱ったので、それらを参考にしていただきたい。
しかし、「ローマ人への手紙」の研究は、なさねばならない課題のひとつである。所属団体のJECにおいては、故我喜屋光雄師が、一宮基督教研究所(KBI)において、『パウロ書簡』をよく講じられた。また高橋昭市師も『ローマ書』を講義された。故我喜屋光雄師には「パウロ書簡講義」のレジュメがあり、高橋昭市師には「一宮基督教研究所記念誌論文」や著書があるので、それぞれ堺福音教会や高橋師本人に問い合わせて参考にしていただきたい。なかなか良くできた資料また文献なので、「福音主義神学会」のホームページで多くのすぐれた論文がそうされているように、堺福音教会に連なる教職者の先生方の尽力により、将来はなんらかのかたちで、たとえば故我喜屋師の場合は「堺福音教会」や高橋師の場合は「西宮福音教会」ホームページ等から閲覧・ダウンロード・印刷できるようにしていただければ、それらの教えを慕う多くの兄弟姉妹にとって霊的祝福となると思う。
それで、わたしのJECの群れにおいてなすべき「ローマ人への手紙」研究の領域とは一体どこにあるのだろうか。すでになしてきたことはすでに下記に記した。次の段階、新しいフロンティアはどこにあるのだろうか。それは、JECの群れにおける聖書神学的領域の取り組みへの方向性を示すことではないだろうか。ここ数年取り組んできた課題として、JECの群れにおける古典的ディスペンセーション主義の影響の払しょくということが存在していた。これは、日本の福音派の多くの教派・教会が似たような状態に置かれていることもある。ICIにおける務めとして、エリクソン著『キリスト教神学』翻訳ということがあり、その基本的視点として“リフォーミング・ファンダメンタリズム”ということがあった。もうひとつの視点としてはポスト・モダニズムの時代における福音主義神学の再構築ということである。この視点と取り組みについては、昨年秋の福音主義神学会西部部会神学研究会におけるわたしの基調講演をみていただきたい。
歴史神学の視点に関しては、宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』と『総説福音主義神学』をテキストとして講義したDVD講義録がある。次の課題として、視野においているのが、これらの包括的取り組みの一環として位置付けられる聖書神学の領域における取り組みである。すでにこれらの取り組みの先駆者としてG.E.ラッド著作集にも関心を寄せてきた。今回取り組もうとしている「ローマ人への手紙」研究は、以上に示したマクロ的な視点と問題意識にたつ聖書神学的研究であり、旧新約各書の聖書釈義の取り組みである。この取り組みをしていく上で、まずは、書斎にある「ローマ人への手紙」の文献をリストアップしていきたい。
ウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』における「ローマ人へ手紙」理解とは何であったのか。この問いは、JECのアイデンティティとは何なのか、またJECの福音理解とは一体何であるのか、問うことでもあると思う。ウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』における「ローマ人へ手紙」理解とは何であったのか、それは、Dana Robert,"Understanding Watchmasn Nee(再版書:Secrets of Watchman Nee, Bridge-Logos)"においてよく分析されている。結論から言うと、それは英国におけるケズィックの約一週間の聖会のメッセージを再構成したものである、ということである。これは、すでに別のページに記述しているので関心のある方は閲覧していただきたい。今回の「ローマ人への手紙」研究においては、さらにこれまでの研究を進めて、「英国におけるケズィックの約一週間の聖会のメッセージ」とは何なのか、を掘り下げていきたい。これらに関する優れた文献としては、“Five Views on Sanctification”(Zondervan)の中のJohn F. Walvoodの“Keswick View”である。ケズィックの実践的聖化理解に関する良書としては、Steven Barabas,"So Great Salvation"がある。また、アウグスティヌス理解、ケズィック理解、ウェスレー理解の簡潔な神学的比較研究書としてはJ.I.Packer,"Keep in Step with the Spirit"がある。
「ローマ人への手紙」と第二の大きな関わりは、名著ウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』であった。わたしの所属している日本福音教会(略称JEC)では、今から約35年前、スウェーデン・バプテスト系オレブロ・ミッション宣教師により戦後形成されてきた諸教会が、日本福音教会(略称JEC)を設立する時期に差し掛かっていた。日本福音教会(略称JEC)が形成される理由のひとつに、JECのアイデンティティの特性というものがあったと聞いている。それは、名実ともにJEC日本人教職者における第一世代のリーダーであった故我喜屋光雄牧師(堺福音教会)の説教・講演・講義・セミナー・記念誌・小冊子・JECニュース等々の中に残されている。JECにおける必要として、これらの資料をきちんと、編纂し、JECの歴史的資料として残していくことが大切であると思う。ICI電子図書館構想の取り組みの中においても、考慮していくことができたらと考えている。
さて、JECのアイデンティティとしての「福音理解」の輪郭は、故我喜屋光雄師に負っている部分が大きい。そして故我喜屋師がその福音理解において最も参考にされていたのが、上記のウォチマン・ニー著『キリスト者の標準』と『キリスト者の行程』であった。であるから、故我喜屋師が据えられたJECの福音理解の礎の上に、JECの福音理解を継承・深化・発展させながらJECの福音理解を構築していくためには、ウォッチマン・ニー著『キリスト者の標準』における「ローマ人へ手紙」理解とは何であったのかを掘り下げて理解しておくことが重要であると思うのである。
「ローマ人への手紙」の研究と講解説教シリーズという課題を自らに課した。このテーマは、長年課題としてきたところである。「ローマ人への手紙」との関わりを振り返ってみたい。関学生の二年のクリスマスに洗礼を受けてから、最初に参考になった書籍は、H.H.ハーレイ著『聖書ハンドブック』であった。ちょうど、KGKの交わりの中で教えられていたJ.C.D.アンダーソン著『静思の時』を実践していたときに、聖書各書の背景を理解しつつ読んでいく上で大きな助けとなった。『聖書ハンドブック』を活用して三カ月かけて旧新約聖書を通読したとき、聖書全体を大づかみにではあったが、明確に理解できたと確信できた。そのときの大きな喜びは忘れることができない。「キリスト教信仰というものが、なんという素晴らしい、ゆるがない岩盤の上に構築されているのか」との大きな感動があった。『聖書ハンドブック』にあるローマ書概説は、ローマ書の意義・目的を把握する大きな助けとなった。聖書全体、また聖書各書を読んでいく上で、「領域全体の見取図を示し,研究の道案内を提供」してくれる良書である。クリスチャン生活の初期には、このようなすぐれた入門的概説書を片手に、旧新約聖書そのものを繰り返し、通読することをおすすめしたい。そのことは、「かなり広範囲に及んでいる神学研究において、学問研究の発達は専門の分化をますます促してきており、その課題を掘り下げ、その任務を誠実に果すために、いろいろな部門に分れ、学科目も驚くほど多岐にわたっている」中で、“鹿を追う者、森を見ず”ということを避けるためにも重要なことである。
神学会のホームページも、一段落した。今後は、少しずつ学会誌の巻頭言・書評・会員の刊行文献リスト・事務的記述等をスキャナーで読み込みつつ、神学会活動四十年史のようなかたちにホームページ全体を仕上げていきたい。そして、必要をもって閲覧される方々にとって有益で役立つホームページとして活用されるよう、いろんな仕掛けやアレンジを加えていきたいと考えている。ICIホームページは、その間少し手を加えることができなかった。しかし一段落したので、ICIホームページ構築にも取り組んでいきたい。現在、幾つかの新たな取り組みを模索している。その中のひとつが『ローマ人への手紙』講解説教である。昨年は、所属神学校と所属団体において“古典的ディスペンセーション聖書解釈・教会論・終末論問題”があり、必要に迫られるかたちで、これらのテーマを扱った講義・講演・書籍・資料・DVD等作成とともに、それにそった「黙示録」講解説教シリーズを作成するよう導かれた。
今年は、現段階においては、特に大きな問題は起こっていないので、安息の年、ヨベルの年としたいところである。ただ、最近恩師のひとりである高橋昭市先生が『ダビデの石投げ−ロマ書の要約的研究−』を出版された。昨年のJEC一泊牧師会でも「ローマ書」を扱って講演され、そのレジュメをいただいた。そのときに、「安黒先生にも聞いていただきたかった。そしてレスポンスをしてほしかった。」と言われたことが心に残っている。7/19に出版記念講演会が開催された。なんとかして行きたかったのだが、環境がそのことをゆるさない。そこで、礼拝説教のかたちで、ささやかなレスポンスをさせていただけるのではないかと思った次第である。『ダビデの石投げ』は何度か目を通させていただいた。そして幾つかのポイントが浮き上がってきている。ただ、それらのポイントをどう扱うのかが問題である。それはひとそれぞれによって異なるのかもしれないが、わたしの場合、ローマ書理解といえば、やはり信仰初期に繰り返し熟読したウォッチマン・ニー著の『キリスト者の標準』が存在する。その後、数多くのローマ書注解書等に目配りしてきて、『キリスト者の標準』をも客観的にクリティカルに評価する視点も加えられてきた。昨年のシリーズと同様、関連文献紹介をしながら、「ローマ人への手紙」を再度、丁寧に読んでいきたい。シリーズ説教には、参考文献購入費用も多々かかるので、WMA(ウィンドウ・メディア・オーディオ)ストーリーミングは、「文字による概要紹介」とし、後日まとめて「ローマ書講解CD説教シリーズ」として販売させていただきたい。
七月は、『日本福音主義神学会』公式サイトの構築に力を傾注している。こちらのホームページも内容豊かで、今後なかなか楽しみなホームページとして成長していくと思う。ICI(一宮基督教研究所)とJETS(日本福音主義神学会)の二つのホームページに今後期待していただきたい。