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N日本福音教会あれこれ(安黒試論)

JECまたICIの「新しい価値共創プロセス」を創出することについて

16/07/08


 朝日新聞の「読書」欄を読むことは、日曜のひとつの楽しみである。いつも神学書ばかり読んでいるわたしであるが、ときどき「掘り出し物」の本に出会うことがある。今朝は『日本型クリエイティブ・サービスの時代』が紹介されていた。きわめて斬新な経営学書であり、先進国経済の中で重要性を増す「サービス」に直目している。それは、非物質的な「創造的価値」の創出過程を説き明かしている。この本の最大のメッセージは「日本型の創造的価値の本質は、『価値共創』にある」ということである。世界市場を相手にする製品とサービスは「標準化」と「普遍性」を追及する反面、「場所性」、「歴史性」、そして「文化性」を削ぎ落とす。対して、日本型クリエイティブ・サービスは、サービスの提供される「場」、そして生産者と消費者が共有する「歴史・文化」等の「コンテクスト」を重視する。そして創造的価値は、「生産者」と「消費者」の長期にわたる「相互作用」から生み出され、「両者の切磋琢磨」を通じて高められる。

 そして、「日本茶の伊藤園」、「“香”の松栄堂」、「高品質ウイスキーのサントリー」が紹介されている。重要なのは、日本人には「暗黙の了解事項」であった「コンテクスト」を言語化し、海外の文脈にあわせて移転することである。そして「コンテクスト」を理解し、「その価値を評価できる消費者」を育て、現地で彼らとの「新しい価値共創プロセス」を創出することが、製品・サービスを鍛え上げる〔朝日新聞、2015.1/11 「読書」〕、とある。

 これを読んで思うことは、JECまたICIもまた、同様の文脈で考えることができるのではないかと言うことである。スウェーデン・オレブロ・ミッション宣教師を通して開拓された諸教会は、やがてJEC日本福音教会という群れとして形成され、この群れを基盤としてICI一宮基督教研究所は生まれた。この群れと神学校は、塩屋の関西聖書神学校とも、ペンテコステのアッセンブリー教団とも別個の、ユニークな道筋を歩むこととなった。

 JECまたICIも、第三世代から第四世代の教職者に移行しようとしている。この時期に、JECまたICIの「広義のルーツとアイデンティティと狭義のアイデンティティ」を確認しておくことは大切なことではないかと思う。それが、上記の「場所性」、「歴史性」、そして「文化性」であり、教職者と教会員の「長期にわたる相互作用」であり、「切磋琢磨」すべき領域である。これらの「暗黙の了解事項」であった「コンテクスト」を神学化していく試みである。

 わたしが、ここ数年来取り組んできている“ICI for JEC”の季刊誌とストリーミング・ビデオのシリーズの意図と目的と重なる事柄である。海外から洪水のように押し寄せるさまざまな運動の教えや実践にも学ぶところはあるとは思うが、まずは自らがルーツまたアイデンティティとして保有している「JECまたICIのの価値を評価できる教職者と教会員・求道者、また神学教師と神学生諸教会」を育て、彼らとの「新しい価値共創プロセス」を創出していくことがたいせつなのではないだろうか。

 「広義のルーツとアイデンティティ」というのは、わたしが『福音主義神学』講義で扱った「使徒的キリスト教➡古代の正統的公同的信仰➡宗教改革の三大原理➡正統主義神学➡英国の会衆派ピューリタン➡バプテスト➡スウェーデン・バプテスト諸教会➡オレブロ・ミッション宣教師➡JEC諸教会」の流れにおいて共有している「神学的・教理的要素、歴史的要素、文化的社会的要素」のこである。そして、その中心に流れてきた「福音理解」を「聖書的滝覚醒、正統的公同性、今日的適用性、学問的自己革新性」において芸術的な「組織神学書」をまとめたM.J.エリクソン著『キリスト教神学』であり、その要約版『基督教教理入門』である。前者は教職者版であり、後者は信徒版といえる。JECまたICIの教職者は、このあたりを深く理解し、「新しい価値共創プロセス」を創出することが、JECまたICIの「福音理解」を鍛え上げ、教職者と会衆、また神学教師と神学生、双方において魅力あるものとすることが必要とされている時代なのではないかと思うのである。

 「狭義のアイデンテイティ」とは、ここ五十年間の足跡である。特に、神学的・教理的な面においては、スンベリ師、我喜屋光雄師、高橋昭市師の影響が大である。この三人の「福音理解」のあり方を確認することが大切である。わたしは、この三人の先生方は、上記の『福音主義神学』と『キリスト教神学』に示されている、福音派のセンターラインに沿った「福音理解」であると確信している。わたしたちは、それを継承・深化・発展させるべきなのであって、これらの「福音理解」から“逸脱”してはいけないと思うのである。それは、これら三人の先輩を悲しませる以上に、主ご自身を悲しませることになるのだと思う。