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ICI Daily & Diary Lectures
2014年度 ICI日誌
2023/11/06
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2013年12月29日:
新約聖書ヨハネによる福音書1:14-18 説教: 安黒務 牧師
今日が今年最後の礼拝となった。年末感謝礼拝として,この一年を振り返る時としたい。年初に、藤本満先生の書物(kindle版)紹介を通して、キンドル版の電子書籍に今までの自分が取り組んできた成果をアップしたり、西部部会神学研究会議でのベスターマンの創造論に取り組んだりと神学の課題に次々と導かれたことに感謝したい。また、今年の夏には母が洗礼に導かれ、私が19才で救われてから40年経って、神様が大きな喜びを与えて下さったことに心から感謝したい。イエス様のことをイザヤ書では、"彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。"とあるがヨハネは今日の箇所で、"この方は恵みとまことに満ちておられた。"と書いている。私たちの人生も、取り立てて華やかで賞賛に満ちた物ではないが、深い部分での、キリストにある価値観によって人生を見て見れば、恵みとまことに満ちた人生ではないか?イエス様を通して、私たちは全き人生とは何か?を教えられる。表面ではなく、根源的価値観をしっかり持ちつつ新しい年も恵みから恵みへと歩ませていただきたい。皆様への神様の祝福を心よりお祈りしたい!
2013年12月22日:
新約聖書
ルカによる福音書2:1-20 説教: 安黒務 牧師
イエス・キリストのご降誕をお祝い申し上げます!ローマによる統治時代のパレスチナの地において、全ての人々に住民登録をする様に、という命令が下された。国を治める者にとっては税金の徴収や非常時における徴兵のため絶対不可欠な事柄である。そんな、国中がてんやわんやな状況のただ中に、マリアとヨセフも自分たちの故郷を目指して旅立っていった。交通網も整わない時代、しかも、身重のマリアを連れての旅は命をも失う危険な旅であった。どうして、神様はもっと安全な状況での住民登録を設定されなかったのだろうか?全ての状況が整い、さあ、どうぞ!というタイミングで、イエス様が生まれられても良かったのではないか?しかし、その答えはイエス様の歩まれた足跡を見ればおのずと分かってくる。人が歩む人生とは、驚きの連続である。思いもかけぬ時に思いもかけぬ事柄が次々と起こるのが人生である。そうした人間を理解し救う為に、キリストはお生まれになった。順風満帆の人生ではなく、苦しみ惑う人々のただ中に生まれて下さった、キリストこそが、どんな状況になろうと、嬰児が飼い葉桶で安心しきって眠る様に、我々に平安を与えて下さる方なのである。ベツレヘムの馬小屋には、最も貧しいが安息と静けさと神を崇める賛美が満ち溢れていた。あなたの人生も神にあって素晴らしい物であります様に!
2013年12月15日:
新約聖書
ヘブル人への手紙4:14-5:2, 5:7-10 説教: 安黒務 牧師
アドベント第三週となり、クリスマスにふさわしく、雪の舞う季節となった。先週は私達の子供達がお世話になった、音楽の尾川先生が亡くなられた。特に、娘の碧にとっては吹奏楽部の顧問として、吹奏楽やマーチングなどで全国大会に出場し、金賞を受賞するなど、子供にとっても、親にとっても忘れられない思い出を作って下さった、先生であった。お通夜に参列した娘を送る車の中で、久しぶりにゆっくり話す機会が与えられたのだが、私達クリスチャンが社会の中に置かれている意味を考えさせられた。社会には、異なった時代、異なった環境、異なった地位などいろいろな人々との出会いがある。出会う全ての人々を瞬時に理解し、適切な対応をする、というのは不可能なことである。しかし、今日の聖書箇所にもある様に、私達には折りにかなった助けを下さる方がおられる、というのである。人々と接する時、私達はごく普通に、相手の方のお話を聞き、心に浮かぶ言葉を返す。そのあたりまえの事の中に、相手の方は揺るぎない何かを感じるのかも知れない。私達が完全なのでもない、言葉が巧みなのでもない。ただ、同じように苦しみながら生きているのだが、根源的な部分が解決されている。つまり、キリストにあって、罪の問題が解決されている、というだけで人々には魅力的に見える部分がある様である。だから、私達はイエス様が言われた様に"何を語ろうか、などと心配する必要は無い"のである。言葉以上の物を神様から与えられており、その一つ一つが人々に感化を与える。あなたがもし、今、弱さ、試み、叫び声と涙の中にあるとすれば同じ環境に置かれた人々を同情し思いやる心を育まれているのかも知れない。完全な者にされる道筋を、神であられたイエス様が、人となって、私達に示して下さったのである。
2013年12月08日:
旧約聖書 創世記1:26-31,2:9-25 説教: 安黒務 牧師
アドベントの週、神であられた方が人となられた、"肉体をとられた"意味を考えてみたい。当時、ギリシャの哲学では、物質は悪であり、人間の欲望は悪い物、だから、精神的な物を求めるべきという考え方があった。しかし、今日の箇所に書かれているのは、人間は神の作品であり、最高傑作である、という事である。なぜならば、"我々に似る様に、我々のかたちに"創造したと書いてあり、人間を創造された後、"非常に良かった"と満足されているからである。エデンの園には二本の木があり、一本は"いのちの木"、もう一本は"善悪の知識の木"であった。いのちの木を食べて生きる生き方とは、神様との関係を大切にする生き方であり、善悪の知識の木を食べて生きる生き方とは、自分勝手に生きる生き方を表している。聖書が読く罪とは、肉体が自然に欲する欲望ではなく、健全な領域をこえた部分が罪だと説いている。アダムとエバにはどの木から実を取っても良い自由が与えられていた。ただ、一本だけ、"善悪の知識の木"の実さえ食べなければ、死ぬことはなかった。ここに彼らの神への不従順な心が現れた。キリストが人としてこの地上に生まれられたのは、神が造られた被造物、つまり、肉体が悪ではない事を証明するためであった。私達が神との人格的交わりを大切にする限り、豊かな人生を送ることが出来るのである。
2013年12月01日:
新約聖書ヨハネによる福音書1:1-18 説教: 安黒務 牧師
"初めに、ことばがあった。"言葉の重要性、重みを伝える最初の一言である。"いまだかつて神を見た者はいない。"が、神について我々に教えて下さる方はおられる。 我々は被造物世界の管理者として造られた。我々の全ての知力を尽くしても、造物主のことは知り得ない。スケールが大き過ぎて・・・しかし、キリストを通して、神様がどのようなお方であるかを知ることが出来る。言葉を通して、人々はその人の人柄や人間性を知る。聖書にしるされた言葉によって、キリストとはどのようなお方であるのかを見ることが出来る。本当に神がおられるのなら、キリストの様なお方に違いないと私は思った。歴史上、実際にこの地上を歩まれ、我々と同じように苦しみを体験された、この方こそ偉大な神を我々に紹介して下さる方である。この神の民になるには、何の条件もない。血縁、努力、精進など何もいらない。ただ、聖霊によって救われる。我々の周りの環境は、偶像に満ちており、その現状を見れば自分の無力さを知らされる。しかし、我々は世の光、地の塩である。どんな小さな光、ごく僅かな塩であっても、存在し続ける事が大切である。このクリスマスのシーズン、我々の生きる姿を通して、神様の存在と素晴らしさを証詞出来れば感謝である。
2013年11月24日:旧約聖書
箴言21:1 説教: 安黒務 牧師
先週は福音神学会の発表会があったり、ICIの授業があったり、大変多忙であったが、昨日、関学のホームカミングデイということで、久しぶりにポプラというサークルの仲間が数人集まった。まさしく、集まった一人一人が様々な人生を歩んで来た事を証詞しあったが、どんな歩み方をしようと全ての事柄一つ一つを繋ぐ、キリストという糸が一本通っていた、ということをみんなで感謝しあう事が出来た。本当に、人の心とは川の流れの水の様である。何事もなくスムーズに流れていた川もちょっとした石や土砂によって、いとも簡単に流れが変わってしまう様に、良い人だと思っていたのに、ちょっとした言葉や態度で嫌いになってしまったり、嫌な人だと思っていたのに、ちょっと優しい言葉をかけられたり、親切にされると、結構良い人かも、と見直したりすることがある。我々クリスチャンは神の導きという川の流れの中に生きている。先輩であられる我喜屋先生はかつてこうおっしゃっていた。人間関係の間に十字架というクッションを入れて生きて行ければ、例え、誰かに傷つけられたとしても、私とその人の間には十字架があるので、もろにその衝撃は伝わらず和らげられる。右の頬を打たれたら、左の頬を出すというのは、まさしく、神の十字架の愛の力である。神様の川の流れに身を委ねて人生を生きて行ければ、苦しみや悲しみさえも美しい真珠の粒となって、振り返ってみれば神の糸で繋がれた一本の首飾りの様になるであろう。
20131120: 組織神学「神のみわざ論:神の計画・神の特別な代理人:天使」講義ビデオ紹介 @ A B C D E F G
20131119: 組織神学「終末論U:黙示録解釈の原則・千年王国・患難期と再臨」講義ビデオ紹介 @ A B C D E F G
2013年11月17日:新約聖書 ルカ10:38-42 説教:
安黒務 牧師
めまぐるしい変化を見せる現代において、私たちの生活の中にはやりたいことなすべきことが山の様にある。何をなすべきか?何をなさざるべきか?日々選択しつつ生活している。今日の聖書の箇所にも、二人の姉妹が登場し、その選択を迫られた。このマルタがとった行動を私たちは責められるだろうか?客人を我が家に迎える、その客人がイエス様なのである。最高のもてなしをと考えるのが当然のことであろう。その当時のユダヤでの最高のもてなし・・マルタの頭の中をなすべきことが次々と浮かんで来ただろう。これこそ猫の手でも借りたい!そんな時に、妹のマリヤときたら・・・イエス様の足元でお話に聞き入っている。目を疑う様な光景であったのだろう。マルタの苛立ちがその行動に表れている。大切な客人のイエス様に直接不平をぶちまけているのだから・・・。その時のイエス様の返答は、決してマルタを責めておられるのではないところが面白い。"あなたもそんなことは止めて私の話を聞きなさい。"ではなく、"マリヤは良い方を選んだ。"要するに、"今のマリヤにとっては私の話を聞く事がベストなのですよ。"とおっしゃっているのである。ここで教えられる事は、山の様な事柄からいかに優先順位をつけて、どうしてもすべきことは一生懸命に取り組む、選択と集中が必要なのだと言うことである。全ての人間に平等に与えられた24時間を有意義に生きて行きたいものである。
2013年11月10日:新約聖書 ICIデー説教「十字架と聖霊と宣教」:Tコリント15:3-11【WMA】【WMV】、小集会
「使徒たちの旧約聖書解釈法
: 旧約の光の下で新約を再解釈したのか?、新約の光の下に旧約を再解釈したのか?」【WMV】
安黒務 牧師(ゴスペルチャーチ千里にて)
今日は、ICIを覚える日ということで、ICIを卒業し千里の方で働いておられる、仲井先生のところにメッセージに招かれているので、一宮チャペルは録音による礼拝になっている。ICIに流れる中心的なメッセージは"十字架と聖霊と宣教"である。第一に十字架のメッセージがある。自分の中に蠢く罪の現実を知ることから始めなければならない。一般的には罪人と言えば、何らかの犯罪を犯した人の事を指すように思われるが、聖書の言う罪人とはその基準とは異なる。人に対して憎しみを抱けば殺人の罪と同等であり、人を見る時に淫らな思いを抱いて見るなら姦淫の罪と同等である。こんな基準に当てはめれば誰もが罪人となるであろう。しかし、神の基準となるとこんな高い基準となる。そんな高い基準を誰がクリア出来るのか?誰一人存在しない。しかし、そこに十字架の意味がある。罪にまみれたまっ黒な人間を雪の様にまっ白に覆うものはイエス・キリストの血潮である。過ぎ越しの夜、それぞれの家にいた人々の善し悪しで裁きが行われたのではない。家のかもいに子羊の血が塗られているかどうかだけである。パウロも言っている様に"行いによらず、信仰によってのみ人は救われる"のである。第二に、聖霊のメッセージがある。イエス・キリストを救い主として歩み出したクリスチャンが、必ず通る問題として、神に罪を告白し許された自分が決してまっ白になっていない現実である。むしろ、暗闇が増しているかの様に思える。それこそ、あなたがクリスチャンとして成長している証拠である。聖書の中には、私達よりも先に歩んだ信仰の先輩の姿がはっきりと書かれている。イスラエルの王であったダビデは姦淫と殺人の罪を犯したと書かれている。また、パウロはキリストを信じ模範的な使徒として歩んでいる自分の中に、如何ともし難い罪の性質が存在する事を明らかに告白している。この姿こそ、キリストを信じるクリスチャンの姿でもある。絶えず自分の中に働く罪の力は十字架につけ聖霊に導かれて生きて行く。ここにキリストの死と葬りと復活を経験し続ける人生がある。第三に、宣教のメッセージがある。初代のクリスチャンたちはペンテコステの日に、天上の右の座に着座されたキリストに注がれた聖霊の満たしの恵みを受け、地の果てまでその証し人であるよう召しを受けた。今日の私たちも同様である。ここから地の果てまで、宣教に証し人として派遣され、地球を一周すると、今ある場所が地の果て≠ナあることを教えられる。台所が、通勤の道筋が、駅のプラットホームが…。コップの水が溢れるように、測れ知りえない十字架の贖罪の恵みと聖霊による、罪と死のからだの死と葬りと復活の恵みに生かされ、その恵みの溢れる一滴、一滴をもって証しする者とされたい。そこに生きる私たちの存在、そのものが“証し”である。生きる瞬間、瞬間≠ェ証しである。主は、髪の毛一本の証し、コップ一杯の水、慰めのひとこと、ささやかなスマイル、一粒の涙も忘れておられない。それらはすべて報いと報酬の対象である。今の時の軽い患難は、永遠に思い栄光へと変えられる時がやがて来る。
20131105: 組織神学「終末論U:ディスペンセーション主義問題」講義ビデオ紹介 @ A B
20131103:旧約聖書 列王記22:1-20 説教: 安黒務 牧師
ヨシヤは8歳で王となり、エルサレムで31年間、王であった。アブラハムとその子孫は神様に祝福されヨシヤは唯一の神から目を離さず、右にも左にもそれることはなかったが、イスラエルの民は偶像礼拝から離れられず、北と南に分断されていた。子牛礼拝を繰り返した北イスラエルはついにほろぼされ、南ユダだけが残されたのである。ヨシヤは南北の統一を目指し宮を修復しようとした。その作業の中、律法の書がヨシヤのもとに届けられた。律法の書が読み上げられた時、ヨシヤは自分の衣を裂き非常に嘆いた。唯一の神を礼拝し偶像礼拝をしてはならないと教えられたはずのイスラエルの人々が、偶像礼拝と不道徳の罪にまみれていたからである。ヨシヤは乱れきったイスラエルの民のなかでダビデの頃の強い中央集権国家を目指し、各地にあった捧げ物の拝殿を廃止し、エルサレムで中心的に宗教行事を行うようにした。その時代の中でヨシヤは、時代性、目的性をもち、歴史の中に根を張った宗教改革を成し遂げたのである。近年では、東西に分かれていたドイツが統一されたが、あの時の人々の歓喜に満ちた姿を思い出すと、分断されたイスラエルの地を嘆いたヨシヤの気持ちを察することが出来るだろう。
20131027:
旧約聖書 創世記50:15-21 説教: 安黒務 牧師
アブラハム、イサク、ヤコブに続くヨセフの生涯は素晴らしい家系に生まれながら、平たんな物ではなかった。自分自身の内にあるおごりや周りの人々に対する配慮の無さなどから、兄弟から妬まれ、憎まれ、思いもかけない人生を歩むことになる。エジプトに奴隷として売られ、やっとその資質を買われて家れいになれたと思ったら、とんでもない濡れ衣を着せられ、牢獄へ・・しかし、故郷を出てからの日々は彼の賜物を更に進化させていた。王様の夢を解き明かすというチャンスが与えられ、その預言がズバリ的中し、エジプトという大国を飢餓から救うという偉業を成し遂げる。そんな彼にも心の中に刺さったままのわだかまりがあった。兄弟との確執・・・ヨセフの人生で最初のピンチとなった、大きな負の遺産。こんな状況を、神様は食べ物を求めて兄弟をエジプトに来させるというチャンスに変えられた。昔の自分たちの仕打ちを、どの様な形で仕返しされるのかと恐れていた兄弟に対して、ヨセフは昔のヨセフではなかった。ピンチの時もチャンスの時も、見上げ続けた神様によって人を許す、心の広さを身につけていた。
20131023: 比較宗教学「自然宗教と国家宗教」 講義ビデオ紹介 @ A B
20131023: 福音主義神学「宗教改革の三大原理」 講義ビデオ紹介 @ A B
20131022: キリスト教神学「救済論」概論 講義ビデオ紹介 @ A B C D E
2013年10月20日:旧約聖書 民数記6:22-27 説教:
安黒務 牧師
イエス・キリストが生まれられた国イスラエル、旧約聖書の舞台は特定されたこの国の中での出来事であり、キリストもイスラエルの地を人として歩まれた。しかし、キリストが十字架に架かり罪の為にご自身を捧げられたのはイスラエルの人々の為だけではなかった。旧約時代に人々が罪許される為には、毎回、犠牲の動物の血が流される必要があった。が、キリストの贖いの業によって、その必要がなくなった。新約時代に生きる私たちは、幕屋も犠牲も必要ない。ただ、キリストを救い主として受け入れるのみ。地理的イスラエルは、今や、霊的イスラエルへとキリストによって広げられた。今日、ユダヤ民族主義の色合いの濃い「旧約聖書」は、新約のイエス・キリストの贖罪に根差した御霊の新時代の光の下に再解釈≠ウれなければならない。新約時代の使徒たちの示した「旧約聖書再解釈ガイドラインとしての新約聖書」はそのことを明らかにしている。新約時代において、旧約聖書この、民数記の祝福の祈りは、旧新約聖書時代を通じて有機的連続性・一体性の中において存在し続ける真の神の民≠ノあてはめられるべき箇所であり、今日世界中のクリスチャンに向けられたものとして再解釈≠ウれるべきである。
家の中はようやく光ファイバーの有線ランを自分で配線し、家中でパソコンは1GBで、スマホはWifiで33Mbpsでつながるようになりました。
ICIの働き、ICI
for JECのヒデオ・ストリーミング・サービス、ICI神学生への補講サービス、JETS(日本福音主義神学会)のホームページ等々の迅速
な編集に大きなパワーを発揮するようになりました。
兵庫の山深い谷間にあって、神学研究・研鑽・講義・情報センターとしての機能を果たせるようになりました。感謝!
2013年10月13日:新約聖書 ローマ人への手紙12:1-16 説教:
安黒務 牧師
"あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。"私たちが、初めて神の存在に気付き、自分の救い主として受け入れた時、これが最初の献身である。しかし、その後の歩みは好きな様にしても良い。という事ではない。大げさな言い方をすれば、私たちが生きているこの一瞬、一瞬を捧げる覚悟を持って歩み続けることが献身である。この世と調子を合わせず、何が神に受け入れられるのかを見極めつつ、高慢にならず、慎み深く、しかし、時には大胆に行動する。とは、なんと難しい生き方を神は私たちに求めておられるのだろう。生まれたままの私たちには、到底出来ない生き方である。が、一人で歩むのではない。共に歩んで下さる方がいつも側におられる。毎朝、その方を意識しながら、二人三脚での生活は、時に紐が引っ張られながらも、まっすぐに進めるのではないだろうか?
2013年10月6日:新約聖書 マルコよる福音書12:28-31 説教:
安黒務 牧師
すべての命令の中で、どれが一番たいせつですか?という律法学者の問いに対して、イエスは"心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。"とおっしゃった。自分こそ神の律法を知り尽くしていると自負して止まない律法学者に対して、あなたの信仰は中途半端ですよ、とイエスはおっしゃった。頭だけでいくら神を知ろうとしても、解る物ではない。すべての力を結集して知ろうとしなければ、解る物では無い。徹底して知ろうとしなさい。と教えられた。また、二番目に大切な事は、同じように徹底して、しかも、"あなた自身を愛する様に"である。人間がいかに自己中心な生き物であるかを知り尽くした神の言葉ではないだろうか?この二つより大事な命令は、ほかに無いと言われた。
2013年9月29日:新約聖書 エペソ人への手紙 4:1-16 A 説教: 安黒務 牧師
この世に生を受けると、長い様であっても人生はあっという間に終わりを迎えてしまう。これが私の天職だと言える仕事につける人はまれである。しかし、生業はどうであれ、私たちには神から与えられた賜物があるキリストご自身が量りに従って与えて下さる恵である賜物、それを磨き整え、完全な物にしていくのは私たち自身に任されている。この賜物が趣味と違うのは、この賜物がキリストの身体を建て上げるために用いられているかどうか吟味しつつ用いなければならないということである。全ての物を貫き通した神からの賜物はどんな困難が訪れようと、神の身体である集まりを結び目によってしっかりと建て上げる物でなければならない。
2013年9月22日:新約聖書 エペソ人への手紙 4:1-16 @ 説教: 安黒務 牧師
どんなプロジェクトも容易に事が進むことはまず無いと言って良いだろう。自分の意見を無理やり通そうとすれば、会議は紛糾し頓挫してしまう。 その時、この聖書が教える、謙遜と柔和の限りを尽くし、事を進めれば例え時間はかかったとしても、氷が溶ける様に頑なな心も柔らかにされる場合もある。 リーダーに立てられた人は、ただ強引に引っ張って行く強さだけではなく、この人は私が助けなければという弱さも兼ね備えていなければならない。 キリストの囚人であるパウロはそのどちらも兼ね備えていたに違いない。
2013年9月15日:旧約聖書 ゼカリヤ書14:1-11 説教: 安黒務 牧師
夕暮れ時に、光がある。神によって価値観が変わった人にとっては、人生の終焉になっても天国。人生とは長い長い神との二人三脚の旅である。
2013年9月8日:新約聖書 第一コリント人への手紙3:6-15 説教: 安黒務 牧師
コリント人への手紙の中でパウロは正直に、苦労して種を蒔いたのは自分である事を宣言している。しかし、そんな事はどうでも良い。成長させて下さる神を忘れてはならないと強調している。教会でも神学会でも、いろんなところから人が集められ、それぞれがそれぞれのバックグラウンドを抱えている。お互いが自分の意見に固執しているなら、話し合いの意味は無い。キリストという土台を基としてそれぞれの賜物を発揮すれば良い。多様化はバラバラになる事ではなく、多くの色彩が集められる事による統一性をもたらすものである。
2013年9月1日:新約聖書 第一コリント人への手紙11:23-31 説教: 安黒務 牧師
今日、9月の第一聖日、母が初めて聖餐にあずかった。感謝である。キリストが世を去られる前に、弟子たちに教えられた、聖餐の奥義。キリストの裂かれた体と流された血汐によってどんな罪をも許され、神の家族とされる。そこには血縁を越えた聖餐による共同体が存在する。
2013年8月25日:旧約聖書 出エジプト記20:1-17 説教: 安黒務 牧師
出エジプトの十戒から教えられる事はまず神様との関係を大切にして生きる事。唯一絶対の神様から目を離さず、常に神様の思いを纏って生きる事。八百万の神々に振り回されず、自分の純粋な信仰に生きる事。そうする事によって人々との関係も祝され、その恵みは千代にも至る。
20130901: スマートフォン時代の到来にあわせて、スマートフォン用サイト『ナルドの香油』、Podcast for i-tunes『ガラテヤ書講解説教録』、Video for Youtube『キリスト教神学講義録』、Kindle本出版『安黒務:キンドル本サイト』等々の取り組みを少しずつ始めています。ご利用、またご案内ください !
20130827: i-tunes
のポッドキャストにもチャレンジしています。@まだ、i-tunesのソフトをお持ちでない方は、まず“http://www.apple.com/jp/itunes/download/”から、i-tunes
を無料ダウンロードします。A右上にあります“i-tunes
store”をクリックし、B右上にあるサーチの空欄に「ガラテヤ書」とか、「安黒務」を入れてサーチしますと、D「『ガラテヤ書講解説教
with ジェームズ・D・G・ダン著作』 by 安黒務」の一覧が出てきます。すべて無料でダウンロードできます。
新約聖書のガラテヤ書を開き、お聴きになられた後で、J.D.G.ダン著『叢書
叢書新約聖書神学8:ガラテヤ書の神学』を一章ずつ、ガラテヤ書と照らし合わせつつ、繰り返し繰り返し丁寧に読まれますと、あなたのガラテヤ書理解は格段に深められると思います。ガラテヤ書は、福音の無尽蔵の富の入り口と思います。ガラテヤ書を熟読して、その後に「『ローマ書講解説教
with ウルリッヒ・ビィルケンス著作』 by 安黒務」を学ばれますと、福音の、その測り知れない富に圧倒されると思います。
20130824: ICI スマートフォン用サイト『ナルドの香油』に「火垂るの墓の物語」を掲載しました。また、ここ二十年間『一宮基督教研究所』サーバー内に蓄積してきました、膨大な量の「JEC一宮チャペル(旧:山崎チャペル)の礼拝メッセージ集(オーディオ・ファイル)」と「一宮基督教研究所(ICI)と生駒聖書学院(IBC)におけるビデオ講義録(ビデオ・ファイル)」の中から、精選したファイルの幾つかを、「ICIセレクション」として、このスマートフォン用のサイトにリンクさせていただき、少しずつ視聴していただけるようにしています。
20130811 : 我が家の母、安黒シゲノが先月、私たちがこちらに帰省して約20年、いつも礼拝に出ていた。しかしなかなか洗礼の決心がつかなかった。先月、大叔父にあたる金之助さんが101歳で召された後に、「洗礼を受けたい」と母本人から申し出があった。これまでにわたしが何度かチャレンジしたが母はガンと首を縦に振らなかった。それが自分から受洗の決心がついのだそうだ。それで、一ヶ月の間、四回にわたり洗礼準備会での学びをし、8/11の礼拝後に近くの揖保川の堰堤にて洗礼を授けた。孫もひ孫も全員揃っての洗礼式であった。感動の洗礼式のアルバムがあるのでご覧いただきたい。
それとともに、義父、大村正夫さんの分骨の納骨式もした。神戸の墓地の先行きが不透明なこともあり、いろんなことを熟慮し、分骨しておくこととした。感謝!
20130806: スマートフォン用サイト:『ナルドの香油』 New ! 家内の協力を得て、スマートフォン時代の到来にあわせ、新ホームページ http://www2s.biglobe.ne.jp/~aguro/ を作成しました。時々のぞいてみてください。
20130721: 今月のはじめに、光ファイバー移行に伴い、ICIサーバーの固定IPアドレスが光版に変更となり、さまざまな設定変更をした。そのときに、富士通のサーバー Primergy TX150 S6 を新しいバージョンに移行させるべき時期ではないのかと思案することになった。PCやサーバーの世界は日進月歩であるゆえ、遅れすぎないようについていかないと完全に取り残されてしまう。それで、調べるとすでにS8の時代に入っていた。S7は投げ売り状態であった。それで、うまくいくかどうか賭けではあったが、通常二、三十万はするサーバーが二万円弱でオークションに出ていたのを落とした。それからは、毎度のことではあるが、しばらくインストールと設定で悪戦苦闘し、本日ようやくすべての設定が終了した。最初は、Qubeなんとかというサーバーからスタートし、 Primergy TX150 S5 ➡ S6 ➡ S7 ときた。同類の機種のバージョンアップであったので、以前のマニュアル本が大変役に立った。昨日まで使用していた S6 は、二年半前の引っ越しのときに、壊れ、CDやDVDの読み込みができなくなっていたので、もし深刻なトラブルが起これば復旧は不可能だった。早い時期のバージョンアップを考えつつ経済的な理由で先送りしてきた。それを深刻な故障が起こる前に、きわめて安価なかたちでバージョンアップできたことで感謝に堪えない。これでまた、何年間が様子をみて、またイフフラ環境の変貌にあわせて、半歩遅れて安価なかたちでバージョンアップしていきたい。
20130708 : ビジュアル聖書ソフト「Glo: グロー」が、リバイバル・ジャパン誌7/21号に紹介されていた。興味深い内容であったので、さっそく入手した。特に、三時間半にわたるドキュメンタリー「み跡を踏みて」は、イエスのみ足の跡を辿りつつ、その生涯を考古学者の解説も挿入しつつ解説する内容で興味深い構成である。
20130706 :
春先からの数多くの諸奉仕にひと区切りがつき、久しぶりにMicrosoft Expression 4 を書斎として書き綴る時間がとれていることに感謝!
あまり忙しすぎるのは、「心を亡くする」ことになるので注意が必要である。
昨夜、久しぶりに、ウルリッヒ・ヴィルケンス著『ローマ人への手紙』を開きたくなった。四色のボールペンとし五色の蛍光ペンでカラフルな書き込みで満ちたEKK新約聖書註解をさらさらさらと拾い読みしてみた。「ああ、なんという深く豊かな解釈なのだろう!」と感嘆した。
そして、「このような註解書を拾い読みしつつ、教えられたことをホームページで分かち合いたいものだ!」とため息をついた。
そうこうしているうちに、秋に向けてなさなければならない諸奉仕が心に去来してきた。いつも、そうである。したいこと、なさねばならぬこと、それらが多すぎて何もできなくなっている自分に気づくのである。
はたして最近、便利なものを入手した。“スマートペン”という品物である。メモ書きが無線でネット上に自動的にアップーロードされ記録されるという便利なしろものである。
使ってみて、なるほど便利なものであると分かってきた。そのメモ帳に、日付となしたいこと、なすべきことをリストアップするようにした。そして、優先順位を調整するようにした。導かれる事柄に対して、それを成し遂げる手順をメモするようにした。朝に、昼に、夕に、そのようにメモ書きに心がけ、調整を心がけるようにした。
すると、心の負担が少し軽くなった。あまりにも多くの事柄をなしたい、なさねばならないと荷物を背負い過ぎていたようだ。メモ書きをすることは、ある面、棚に上げることをも意味する。留意することにより、それらの課題に権利を与えるのである。しかし、同時に“待合室”にて順番を待ってもらうことを了解してもらうのである。この“突き放した関係性”が私の心を軽くしたことに気づかされた。その奉仕を無視するのではなく、その意味・意義を重々尊重しつつ、その奉仕とTPO“Time, Place, Opportunity”において“間合い”を取るのである。
自分は“スーパーマン”ではないと知ることは大切である。思いの内に背負うすべての重荷を担うことはできない。またそれらの奉仕のすべてを果たすこともまたできないのである。やはり、それらの中の幾つかに絞って資源(時間、能力等)を集中すべきである。そう思うのである。そうすれば、奉仕は重荷とはならない。奉仕は喜びとなるのである。
20130702:
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JETS西部部会秋期神学研究会のご案内と分科会研究発表者の募集
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(詳細は、PDFをご参照ください)
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プログラム:
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全体司会・進行係:安黒務氏、ビデオ収録:KBI神学生
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10:00-10:30 受付:昼食申込(一般500円、学生350円−当日受付にて申込下さい)
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10:30-10:50 開会 KBI神学生賛美リード・歓迎のことば:大田裕作氏
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11:00-12:00 基調講演 市川康則氏 (50分講演、10分質疑応答)
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12:00-13:00 昼食 理事会
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13:00-14:00 研究発表 20分発表、10分質疑応答を一会場2本。発表者多数の場合会場を増設する
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14:00-15:00 応答講演 青木保憲氏、横田法路氏、遠藤克則氏 各20分講演 司会:正木牧人氏
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15:00-16:00 質疑応答 進行:正木牧人氏
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16:00-16:20 総括、献金、閉会 瀧浦滋氏
現在、分科会での研究発表者を募集しています。西部部会の会員の方であれば、どなたでも応募することができます。
★応募要項
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発表希望者は、コーディネーター長のあぐろまでメール等で問い合わせ・申し込みをお願い致します。
◇
発表希望者は、発表テーマと発表概要をお知らせください。
◇
第一次締め切り:
8月31日
◇
発表当日には、20-30名分の発表レジュメ(A4用紙、1枚から4枚程度)を各自ご準備・ご持参ください。
〒671-4135
兵庫県宍粟市一宮町安黒332
安黒務(コーディネーター長)
電話:
0790(72)0235,
FAX: 0790(72)0235
JETS西部部会秋期神学研究会コーディネーター:滝浦・正木・安黒(長)
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20140603: 日本福音主義神学会の全国理事会と全国研究会議準備委員会が名古屋市の国鉄会館で開かれ、2014年度の全国研究会議の日程と場所が決定されました。2014年度の全国研究会議は、11月4日(火)、5日(水)、6日(木)に一宮基督教研究所(奈良県生駒市のKBI)で開催されることになりました。テーマは『福音主義、もしくは福音主義神学』(準備中)です。詳細な情報はまたおって掲載していく予定です。来年のスケジュールの中に組み入れておいてください。
【 日本福音主義神学会 2014年度 全国研究会議 】
日程 2014年11月4日(火)、5日(水)、6日(木)
場所 一宮基督教研究所(Kansai Bible Institute : 略称 ICI)
〒630-0266 奈良県生駒市門前町22-1, Tel.0743-70-8600, Fax.0743-70-8601
Homepage : Http://www.ICIwave.com , Mail-Address : ICI-mark117@ares.eonet.ne.jp
ICI生駒新校舎写真・ビデオ:
http://aguro.jp.net/d/file/p/pg_ICI_at_ikoma.htm
遠方の神学生の方には、窮屈なかたちになりますが神学校内に宿泊していただける可能性があります。
ICI院長大田裕作先生(Tel.0743-70-8603)にご相談ください。
阪奈カントリークラブ・ホテル阪奈(景色は最高、ICIに隣接、複数宿泊は格安、ICIマイクロバスにて会場との送迎あり)
リッチモンドホテル東大阪 (東大阪市)
アイアイランド(四条畷市、少し距離あり、やや高価格)
奈良ロイヤル・ホテル(奈良市内、部屋により格安、やや距離あり)
テーマ: 福音主義、もしくは福音主義神学(準備中)
20140416:日本福音主義神学会西部部会の春期神学研究会議が開催され、祝福のうちに終了しました。西部部会では、遠方におられ神学研究会に出席できない方々への配慮の一環として、DVD講演録を作成しています。今回はレジュメ資料もかなりのページ数にのぼっておりますが、西部部会会計からの援助もあり、DVD四枚と簡易製本されたレジュメ・ブックレットを1500円で提供しております。送料はサービスさせていただきます。問い合わせ・注文等は、ICI安黒務までメール(aguro@mth.biglobe.ne.jp)または電話(090-5064-7313)にてご注文ください。研究会議の概要は、「閲覧用レジュメ集」をごらんください。
上記の研究会議の部門別研究発表として−『クラウス・ヴェスターマンの創造の物語』解釈(要約版発表20分・質疑10分):広義の福音主義“創造論”再考の手がかりとして…ヴェスターマンの創造の物語解釈:導入資料・Why-
Now?・What-is-It?・How-Evaluate?で構成、Pre-Critical Naivete➡Critical
Thinking Desert➡Post-Critical Naiveteの構図をもって分析・評価
20140412: 『クラウス・ヴェスターマンの創造の物語』解釈(詳述版特別講義120分):広義の福音主義“創造論”再考の手がかりとして…エリクソン著『キリスト教神学』の「聖書の批評的研究」「神学とその言語」「霊感・無誤性・権威」「創造」の章の応用的特別研究として−ヴェスターマンの創造の物語解釈の分析・評価(「ヴェスターマン『創造』緒論」・講義レジュメの簡易製本資料と講義DVD:2500円(送料サービス)
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キリスト教会の源流と歴史的遺産 −シカゴ・コールへのひとつのレスポンス− |
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使徒信条に沿って学ぶ エリクソン著『キリスト教神学』 |
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James.D.G.Dunn の ”Jesus and The Spirit” に関する一考察 | 無料キャンペーン | 2013年03月15日(日本時間午後四時頃+数時間から) | 2013年03月19日(日本時間午後四時頃+数時間まで) | 5 日 |
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日の丸・君が代・天皇制問題を切開する 「ローザンヌ誓約」 |
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・今、自宅に帰りましたら、ようやく「殉教と背教のはざ間にうめく「主の祈り」 (How
JEC ? シリーズ) 安黒 務 (Kindle版 -2013/2/13) ¥ 0 」となっておりました。定刻は、米国の太平洋標準時ですので、それから16時間遅れで、日本時間の午後四時、さらに数時間遅れと、遅延の最大値となっているようです。これからは、一日くらい余裕をみて、変更
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殉教と背教のはざ間にうめく 「主の祈り」 |
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日本の宗教土壌における 「モーセの十戒」 |
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お祈りください。
2008/01-06 |
日本福音教会月刊誌連載記事 |
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2008年度“How JEC ?” |
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日本福音教会月刊誌連載記事 |
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2010/03/10 | リバイバル・ジャパン誌一年間連載原稿 | 安黒務 | 『宗教的・カリスマ的経験の座標軸』−J.D.G.ダン著『イエスと御霊−新約聖書において反映されているイエスと初代のクリスチャンの宗教的・カリスマ的経験に関する研究−』等、二十世紀の最良の神学資料を駆使してペンテコステ的経験と福音主義神学の調和を探求した“神学的エッセイ”集 | ブックレット:28ページ白黒、簡易製本、送料込500円 | KDP版:99円 |
「乱気流を飛ぶ――旧約聖書ダニエルから」をAmazonのkindleで出版しました。500円です。メールやくちこみ以外に宣伝方法がな
いので、ぜひお知り合いにご紹介いただけませんでしょうか。
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・お試しで第一章を読むことが出来ます。
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・Kindleアプリがインストールされていれば、一度買った本をどの端末からでも読むことができます。
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主の御名を崇めます
皆様、お元気でしょうか。お久しぶりのICIインフォメーション・メールです。
新しい年も、主の御前に新しい一年の導きと歩みを思いめぐらす最初の一ヶ月を終え、本番の二月へと入りました。地域によれば、すでに春の嵐、「春一番」の風が吹いたとのことです。
お祈りください。
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● ICI資料リストにおける資料紹介
2010/03/10 |
リバイバル・ジャパン誌一年間連載原稿 |
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『宗教的・カリスマ的経験の座標軸』−J.D.G.ダン著『イエスと御霊−新約聖書において反映されているイエスと初代のクリスチャンの宗教的・カリスマ的経験に関する研究−』等、二十世紀の最良の神学資料を駆使してペンテコステ的経験と福音主義神学の調和を探求した“神学的エッセイ”集 |
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2007/01-0 |
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安黒務 |
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年末の日本福音主義神学会西部部会理事会に行ってきた。教派・神学校を超えての諸先生方との楽しい交わりのひとときである。一年間の西部部会の諸活動の報告と総括がなされ、来年度に向けての諸計画が相談された。わたしの関連では、秋に一宮基督教研究所(KBI)で日本福音主義神学会西部部会秋期神学研究会議が開催されることになり、大田先生とわたしがコーディネーター兼担当神学校として奉仕させていただくことになった。
また、再来年の秋になるが、全国神学研究会議の準備委員として、わたしと滝浦先生が選出された。テーマは、「福音主義神学の動向と課題等」が扱われる方向とのことである。また、これに向けてもいろいろと準備をしていかなければならないと考えている。
そして、個人的な交わりの中で、ある先生が「ラッドの本の翻訳はまだですか?わたしの神学校での終末論の講義テキストとして使用したいのです。」と聞かれた。他の神学校の先生からも、催促されていたことを思い出した。今年の春先に翻訳は完了している予定であったのだが、KBI教師会での奉仕、アッセンブリー教団のASTセミナー奉仕、KBIシンポジウム奉仕と続き、翻訳に時間をとることができなかった。それで、クリスマスを終えたこの時期に、ラッドの『最後の事物』の翻訳を再開した。九章あり、すでに四つの章の翻訳を終え、今年中に五つ目の章の翻訳を終える予定である。集中して、一つの章を一週間でやれば一月中に翻訳を終えることができるが、いろんな仕事や奉仕や雑務が入り込んできて、おそらくは春先までかかるのではないかとみている。ただ、久しぶりに翻訳に時間をとると心が落ち着く。不思議な気持ちがする。これはラッドの最後の著作であり、大変感慨深いものを感じている。ラッドの著作からは、彼の生涯の取り組みを思い浮かべつつ取り組めるので、翻訳は単なる翻訳に終わらず、ラッドとの深い交わりがそこにあるように感じるのである。不思議に心が暖められ、励まされるのである。そのあたりを楽しみつつ、彼の著作集をひとつずつ、なんとか訳了していきたいと願っている。
ポスト・モダニズムとは何か/その意味と福音理解への影響
広義の福音主義聖霊論−再考への資料
@ A.ファン・ルーラー
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1954年に生まれ、19才のクリスマスに洗礼を受け、関西学院大学➡一宮基督教研究所➡岬福音教会➡共立基督教研究所➡一宮チャペル等と人生の旅程を導かれてきた。わたしの導かれた教会は、スウェーデン・バプテスト系オレブロ・ミッション(現在、三派合同でインター・アクト)の日本における教会のひとつ、西宮福音教会であった。大学生時代は、キリスト者学生会(KGK=IVCF)の交わりの中で育まれた。“三つ子の魂、百まで!”というが、このことが、R.H.カルペッパー著『カリスマ運動を考える』にあるような穏健なカリスマ運動の流れの群れに属しつつ、宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』、『総説現代福音主義神学』やM.J.エリクソン著『キリスト教神学』にあるような福音主義的スタンスに深く共鳴するルーツになっているように思う。ちなみに、M.J.エリクソンは、米国のバプテスト・ジェネラル・カンファランスに属しており、その群れのルーツはくすしくも、わたしと同じスウェーデン・バプテスト系諸教会である。
岬福音教会の牧師をしていた時に、宇田進著『福音主義キリスト教と福音派』を読んで、自らの福音主義的ルーツとアイデンティティを確認するときをもつことができた。また、R.H.カルペッパー著『カリスマ運動を考える』を読んで、ペンテコステ運動・カリスマ運動・アンチペンテコステ運動等々の多様性の中で、穏健中庸なカリスマ運動のあり方を教えられた。そして、カルペッパー紹介の重要参考文献に目を通しつつ、数多くの関連資料を作成してきた。その後、共立基督教研究所主催の現代福音主義セミナー『今日、福音派は聖霊についてどのように考えているのか−オスロ会議を巡って−』や共立モノグラフ『ポスト・ローザンヌ』等に導かれるようにして、共立基督教研究所で三年間、福音主義神学と宣教学の薫陶を受けた。そして、そのときに論文『J.D.G.ダンの“イエスと御霊”に関する一考察』をまとめた。わたしの聖霊論研究の一里塚である。J.D.G.ダン著『イエスと御霊』とともに、興味深かったのは、ヘンドリクス・ベルコフ著『聖霊の教理』であった。これは、宇田進氏の上記の二つの著作にも言及がある。わたしは、ベルコフの著作の中で、「個人における聖霊」の章の“義認・聖化・召命”という救済論のフレーム・ワークの捉え方であった。これは、前述の“アバ”意識とともに、わたしのライフ・メッセージを構成している。
そして、今回の「広義の福音主義聖霊論−再考への視座」で取り組みたいと考えているのは、ファン・ルーラーの聖霊論についての神学的思索である。これは、牧田吉和氏の論文・資料・講演・講義等々から大きな刺激を受けてきたものであり、福音主義神学会西部部会での交わりを通し、牧田氏からはファン・ルーラー研究についての豊富な資料の提供を受けてきた。聖霊論に関しては、膨大な量の文献を収集してきたのであるが、時間的制約のある人生の中ではそのすべてを手掛けることは不可能である。そしてもしそれらの文献の中で、たったひとつを選択することが許されているとしたら、わたしはファン・ルーラーの聖霊論を選びたいと思うのである。ファン・ルーラーの文献・資料は、英訳・和訳されたものは少ない。それゆえ、それらの英訳・和訳された文献や資料等からの助けを得て、ファン・ルーラーが取り組んだ聖霊論研究にわたしも合わせられるかのようにして聖霊論に関する神学的思索に取り組みたいのである。