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2021/12/22
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2020年度より、ICI日誌の記述を再開致しています。また、記述が一望し、学習できる利点がありますので、漸次、2018年度と2019年度の記述を「ICI日誌」に復活させていきます。
2018年01月19日 ICIサポーター登録者用サイトに「IBC2006年度〜2010年度」の間の『キリスト教教理入門』の42本のビデオ講義録を掲載しました。
2018年02月02日
フランシス・コリンズ著『ゲノムと聖書』を参考資料として学ぶ、20180130 i
『キリスト教教理入門』第四部「神のみわざ論: 18. 神の創造―創造の教理とそれの科学への関連」
https://youtu.be/S6Ns5494_dE
+
【序】
今年中には刊行されるであろうと思われる、エリクソン著『キリスト教教理入門』の「神の創造」の最初には以下のような説明がある。
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【本章の目的】
本章は、以下のことを可能にすることを目的とする。
1. 創造の教理を学ぶ理由を理解する。
2.
創造に関する聖書の教えの諸要素を明らかにし、説明する。
3. 創造の教理の神学的意味を論究する。
4.
創造の教理と科学の関係を理解し、説明する。
5. 創造の教理の意味を明らかにし、記述する。
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【本章の概要】
神は、既存の材料を用いることなく、すべてのものを創造された。創造に関する聖書の教えには、少なくとも四つの要素がある。その聖書の教えから、少なくとも九つの神学的結論を導き出すことが可能である。創造の年代と、被造世界内での発達を調和させるために、いくつもの仮説が提起されてきた。しばしば漸進的創造論(progressive
creationism)と呼ばれる、日を時期ととる説は創造の年代に関して、最も信頼できそうな解答と思われる。キリスト者は、宇宙とその中にあるすべての神の被造物のうちに、神の偉大さを確信することができる。
+
「創造の年代と、被造世界内での発達を調和させるために、いくつもの仮説が提起されてきた」とある。この説明を受けて、エリクソンが紹介しているたくさんの参考文献を収集し、長年の間「福音派諸派の間にある創世記冒頭部分の解釈」を研究してきた。
エリクソンを教科書としてまなぶだけでなく、それを扇のかなめ、福音理解、創世記解釈の座標軸として確認しつつ、“扇の展開”として「創世記冒頭部分の多様な解釈」にも目配りできるようになってきた。これらの中には、フランシス・コリンズ著『ゲノムと聖書』があり、またヴェスターマン著『創世記注解』等、多数ある。恩師スンベリ師は、「幼子のように、七日間での創造も神様には可能だし、その日を地質学の年代ほどまでに広げて考えることもまた可能である。そのあたりは神様に委ねて幅広く思索してきたい」と教えてくださった。山中良知先生も「わたしたちの信仰は、幼子のような信仰と大人の信仰の間を行き来しなければならない」とか「クリスチャンは、マルキストよりもリアリストでなければならない」とか、数多くの金言・名言をわたしの心の畑に蒔いてくださった。わたしは、「論争」ための学びとしてではなく、幼子のような信仰に立ちつつ、創世記冒頭部分の解釈において、「光がプリズムによって七色にスペクトル化されるように」創世記冒頭解釈の豊かさを柔軟な思索を通して味わい、楽しむものとされていきたい。神さまが創造された宇宙の神秘に触れていく者とされたい。
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※わたしの取り組んできた関連講義・講演の資料・ビデオ等の紹介
【広義の福音主義創造論−再考への視座】2012.11.16 KBIシンポジウムにおける発題講演ビデオ
【広義の福音主義創造論−再考への視座】2013/01/31 KBI講義録
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http://aguro.jp/d/jec_kbi/20121116_ks_ag_What_is_Bible_and_Hermenuetics_in_the_Post-Modern-Ages.pdf
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【2013/04/11『クラウス・ヴェスターマンの創造の物語』解釈(詳述版特別KBI講義120分)】:広義の福音主義“創造論”再考の手がかりとして…エリクソン著『キリスト教神学』の「聖書の批評的研究」「神学とその言語」「霊感・無誤性・権威」「創造」の章の応用的特別研究として−ヴェスターマンの創造の物語解釈の分析・評価
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【2013/04/15『クラウス・ヴェスターマンの創造の物語』解釈(要約版、福音主義神学会西部部会研究発表20分・質疑10分)】:広義の福音主義“創造論”再考の手がかりとして…ヴェスターマンの創造の物語解釈:導入資料・Why-
Now?・What-is-It?・How-Evaluate?で構成、Pre-Critical
Naivete➡Critical Thinking Desert➡Post-Critical
Naiveteの構図をもって分析・評価
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http://aguro.jp.net/d/jets_west/20130415_jets_ag_claus_westerman_m.pdf
2018年01月09日 「夢見る家の煙突、鏡に吸い込まれる一角獣」
正月に娘と会った。そして64歳の誕生日プレゼントをもらった。「夢見る家の煙突」と「鏡に吸い込まれる一角獣」である。
2010年にエリクソン著『キリスト教神学』、2015年にラッド著『終末論』等の翻訳奉仕にあずかってきた。そのときに困ったことがあった。家業のガソリン・スタンドを手伝う合間に翻訳するので、お客さんがあれば中座せざるをえない。給油が終わり、お客さんを見送り、数分後に机の前に座って、はたと「どこまで翻訳したんだっけ…?」と記憶を辿ることになる。それで、長年「いい栞(しおり)がないかな?」と探していた。
こう言うと「栞なんか、どこにでもあるじゃない」と言われそうである。しかし、茶道をたしなむ人が“茶器”にこだわるように、小さな翻訳者のひとりとして“栞”にこだわるのである。
「鏡に吸い込まれる一角獣」―この栞の説明には「ある日見つけた鏡は水面のよう、吸い込まれていきます" A mirror
found one day seems like water, Take a deep breath and dive in
"」とある。
「夢見る家の煙突」―この栞の説明には「雪、船、気分、雲、星、ストーブ」とストーリーが展開していく。
わたしは、約40年前に家内から「ひとつの栞」をもらった。大学生の友人たちと北海道に卒業旅行したときの「アイヌ模様」の栞である。聖書は何度も買い替えたが、「アイヌ模様」の栞はいつもわたしの聖書の中にあった。そしてその栞を見るたびに「家内と友人たちの北海道旅行」のことをそれとなく回想するのであった。
今年、娘からもらった栞―「お父さんの翻訳のために、いつも祈っているよ」と、祈りの込められた栞とのことである。
わたしは、エリクソンの著作、ラッドの著作、ベネマの著作を読んだときに、この一角獣のように「本の中に吸い込まれていく」ような経験をさせられる。また翻訳をしているときのわたしは、その夢見る煙突のように「英文を溶かして、和文を創造する世界を旅する」ように世界を羽ばたかされる。
「はじめにことばありき」(ヨハネ1:1)―“ことば”とは不思議ものである。闇の中に輝く“ことば”を翻訳していきたい。
2018年01月07日 ICIサポーター登録者用サイトに、ヨブ記シリーズ(1-18章)と、ヘブル書シリーズをアップロードしました。
2018年01月07日(新年礼拝)ヨブ記シリーズの再開(MP3
/ YouTube)「ヨブは、どのように神の栄光をあらわし、神を永遠に喜べるのだろうか―光はやみの中で輝いているか?」
https://www.youtube.com/playlist?list=PLClE1DIlx0okOOQmBMSaVYE6tRwzSEVzN
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アドベントに、ヨハ1:5
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった」を開いた。年末に、ウエストミンスター小教理問答「問い:@人の生きるおもな目的は何であるか。答え:
人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである」を考えた。新しい年、主は雲の柱、火の柱をもってどのように荒野を導かれるのであろうか。
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祈っているうちに、ひとつの道しるべを示された。年賀状を通しても、多くの方が苦しみ、病、痛み、悲しみの只中に置かれていることを感じさせられ、涙が溢れてきた。そして、ふとひとつの映画を見たくなった。
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それは『ソフィーの選択(Sophie's
Choice)』、ナチスによるホロコーストを題材に取った作品である。小説はピューリッツァー賞を受賞し、映画はメリル・ストリープがヒロインを演じ、第55回アカデミー賞と第40回ゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞した。この映画を見るのはこれで三度目と思う。痛く感動した映画である。ひとりの女性の「ひとつの選択」がその人生の重荷となり、それを抱えて生きる苦しみの中にあるが、外からは理解されない。
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「ホテルの一室で、スティンゴはソフィーに本心を打ち明け、求婚。 故郷、バージニアの農場で二人で暮らす夢を語る。
然しソフィーは、農場で一緒に暮らしても良いが結婚はしたくないし、自分はスティンゴの子供の母親として相応しくない、と言う。そしてその理由を、本当の真実を、スティンゴに話す。
アウシュビッツでの忌まわしい思い出を。誰にも話すことのなかった、子供たちとのアウシュビッツでの悲痛な永遠の別れを(ソフィーは、男の子と女の子の二人の母親であった。ナチスの役人は、ひとりは処刑場へ、連れて行かねばならない。どちらを助けたいかと尋ねる。ソフィーは選べないと答える。執拗に選べと迫る。しかし、ソフィーはわたしには選べないと答える。すると、子供は二人とも処刑場へと指示が出される。ソフィーはひとりだけでも助けたいと「娘を連れて行って」と叫び、息子を抱きしめる。娘の泣き叫ぶ声が響きわたる。)」
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わたしは、人間が生きること、愛することにおいて、このような「心の底にある痛み」に共感する心をもつことの大切さを教えられるのである。
それで、今年は、中途で終わっていた『ヨブ記』の講解説教シリーズを再開すべしとのサインをいただいたように思ったのである。
2018年01月01日(年末感謝兼元旦礼拝)箴言8:22-31「人の生きるおもな目的とは何であるか―砂場で戯れる子供のように」
https://www.youtube.com/playlist?list=PLClE1DIlx0okOOQmBMSaVYE6tRwzSEVzN
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「箴言8:30
わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、8:31
神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。」
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本日は、年末感謝礼拝の日、明日は元旦礼拝です。ICIでも、一年間のたどたどしい歩みを振り返るとともに、新しい年の展望を望み見るひとときをもっております。
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【ウエストミンスター信仰 小教理問答@】
問い@ 人の生きるおもな目的は何であるか
答え 人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。
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これを福音理解の全体から説明すると、
義認、聖化、召命
そのままでは、ゴミとして扱われ、焼却炉で燃やされてしまう運命にあった、倉庫に打ち捨てられていたギターが発見され、
きれいに掃除され、ワックスをかけられ、切れた弦が張り直され
さらに、演奏者の手にあずけられ、見事に演奏され、多くの聞く人々を感動させること。
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ある神学者がいいました。救いとは、その人に、神さまが意図された本来の存在となることである。
金づちは、木を切るためにあるのではない。釘を打つためにあるのである。
存在は、それ本来のものとなることにおいて、自己充足と価値を見出す
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それは、なにも、牧師になることだけが神の御前に意味のある仕事ではない。
イチローは、野球で、イチロー自身となり、成長し完成させられ、人々に感動を
羽生さんや、藤井くんは、将棋で自分自身となり、成長し完成させられ、人々に感動を。
わたしも、神学教師となり、翻訳者となって、成長させられ自己充足し、人々の祝福に。
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みなさんも、それぞれ、神の御前で自分自身となり、成長し、完成し、人々に祝福と。
箴言のことば、御父とともにある御子キリスト。
それは、砂場で遊ぶ、子供のよう、
御父のかたわらで、たわむれ、楽しんで生きる子供たちを喜ばれる神さま。
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チャツトであれ、ゲームであれ、スポーツ鑑賞であれ、
超一流となり、それで生活していくところまではいかないかもしれないが、
わたしたちは、御父の御前で、砂場で戯れる子供のように遊び、楽しみ、喜びに満たされて、神の栄光をあらわすものとなることができる。
ICI インフォメーション・メール
20171231/20180101号―2017年度ICI のたどたどしい足跡(一部紹介)
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本日は、年末感謝礼拝の日、明日は元旦礼拝です。ICIでも、一年間のたどたどしい
歩みを振り返るひとときをもっております。下記のサイト
に掲載しています。関心のある方はご覧ください。
http://aguro.jp.net/d/file/m/mi_2017.htm
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2017年度の、家の教会、また安黒塾のような一宮チャペルと
一宮基督教研究所の歩みを簡単に紹介させていただきます。
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一月には、わたしの母の米寿の祝い、IBCでの集中講義(1,5,10月)、
二月には早起きの突貫工事で『キリスト教教理入門』を訳了、
四月には義父の納骨式、
六月には京都で「レストレーション運動の分析・評価セミナー」
http://aguro.jp.net/d/file/m/mi_2017.htm#20170616
https://www.youtube.com/watch?v=IRAwR770gx4&list=PLClE1DIlx0olopnFOqt0RGf-mN-7ZxY3N
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、ラッド著『使徒行伝』翻訳開始、
ディスペンセーション問題シリーズ、黙示録シリーズ等の紹介、
八月にはN.T.ライト著『使徒パウロは何を語ったのか』の読み方
について問い合わせがあり、応答する中で、ベネマ著『福音を正しく
理解する―宗教改革の視点と新しい視点の評価』の翻訳の必要を
覚え、いわばパウロに対する“マケドニヤからの叫び”と
受けとめ、翻訳の優先順位を急遽変更し、早期の刊行を企画。
http://aguro.jp.net/d/file/m/mi_2017.htm#20170816
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そのような中、フリー聖餐問題で混乱している教会の事情を聞き、
その対応に奔走。迷いの中にある教会の助けになればと思う。
https://youtu.be/WgxwuEosrHE
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また礼拝奉仕、信徒セミナー、神学校集中講義、
クリスマス奉仕等で、
https://youtu.be/pIXcXaHsRTQ?list=PLClE1DIlx0onBwIV_VdhKp3Oxswv_1Vzh&t=965
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二週間で訳了予定が年末までずれ込む。
先日、訳了し、神学会の数人の友人に翻訳に目を通してもらって
いる。一月中に、推敲を完了し、出版社に送り、できれば三月末
か四月はじめの刊行を目指したいと思っている。祈っていただき
たい。